第2章 川曲村の合戦 6

 

 良正率いる陸路の先発隊が、上流の渡河路へ向けて進軍するのを見送った副将は、「――さて、」と指揮を託された船団と、それらに乗船する揚陸部隊をざっと見回す。

 大小合わせて四十艘程。いずれも普段米俵や炭、塩俵といった嵩のある物を運輸している頑丈な舟である。無論、馬を輸送することもある。馬達も相馬や下総の産地から舟で運ばれてきたものも多く船旅には慣れたものであろう。

 季節柄、小貝川の水流、水量共に水運には申し分ない。

 夜更けには全隻が豊田に到着すると見込まれる。

(……恨めしや、将門奴。お前が我が主達の怒りを買ったばかりに、我が一門は二つに裂かれ、我が故郷は今まさに戦場になろうとしておる。猿島に生まれ育ったこの俺が、生まれ故郷へ攻め入ることになろうとは!)

 沸々と沸き上がる黒い怨嗟を眉間に深く刻み込んだ副将が、馬を引き、或いは鉾を肩に負った将兵らが続々と乗り込んでいくのを険しい面持ちで見送る。

 既に武具兵糧は積み終えており、後は兵馬の乗船が終わるのを待つばかり。兵達が皆乗り込んだのを見計らった後に副将ら指揮官が最後に乗船するのは、今も昔も変わらぬ艦艇搭乗時の決まり事である。



 突然対岸の河原付近から雁の群れが喧しく飛び立ち、舟へ乗り込もうとしていた将兵達が思わず船縁に乗せかけた足を止めて向こう岸の方を見やる。

 十二十の群ではない。一羽が立てば群れの全てが後に続く習性の鳥であるから、日没間際の空が一足先に暗くなるほど西の山際が鳥の群れに覆われた。

 驚いて声を上げる者もいたが、どうという事もない、単に鳥の群れが何かに驚いて一斉に飛び立っただけの些末な変事である。雁の大群が皆去っていくのを見届け終えた頃には、夕陽の残滓は西の山裾に一欠片ばかり。程なく乗船の作業が再開される。


「――おうい! おうい!」

 そこへ、対岸から百姓らしき一人の男が息せき切って駆け現れ、川を挟んで良正の兵らに大声で呼びかけてきた。

「おうい、助けてくれェ! 将門の軍勢が、すぐ目の前まで迫っておるぞ!」

「何だとっ⁉」

 男の言葉に将兵らは大いにどよめき、舟に片足乗りかけていた者らは思わず陸に身を退いた。

 その声は副将の耳にも届き、驚きの余り馬上から身を乗り出す勢いで声を張り上げ詰問する。

「今の言は確かか⁉ うぬは何者じゃ!」

「儂らは川曲の衆じゃ。戦を避けて此方の岸に亘り身を潜めておったが、そこへ下総の軍勢が雪崩を打って押し掛けてきたのじゃ! このままでは、儂らは皆殺されてしまう! 早く助けに来てくれェ!」

 そう悲鳴を上げながら男は走り去ってしまった。夕陽の逆光でその顔色は見えなかったが、大層悲壮極まる叫び声である。悪巧や悪戯の類ではあるまい。

「もしや、たった今飛び立っていた雁の群れは、あの男の言う通り敵の接近に驚いたものでしょうか……?」

「しかし、そんな馬鹿なことが。我らがこの村に陣を張って二晩と経っておらぬぞ! どんなに敵の対応が速かろうともせいぜい物見を飛ばしてくるのが関の山のはずじゃ! ……とにかく、只今の事、急ぎ御君に申し伝えねばなるまい」

 部下に伝令を命じるも今以て半信半疑の副将であったが、間もなくその耳に何やら地響きじみた騒音が対岸から近づくのが聞こえてくる。

 遠雷の如き無数の蹄の音。

「……まさか、本当に将門勢か⁉」

 舟に乗り込んでいた者らは呆然と立ち尽くし、船出に備え舵に手を掛けていた船頭らも顔を上げたまま言葉を失い暮れ行く西の空を見つめている。

 

 ……やがて、対岸の丘陵を埋め尽くすような無数の旗竿が蹄も高らかに姿を現し、忽ちの内に川岸の良正勢を川を挟んでぐるりと取り囲んだ。


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