第1章 野本の合戦 3



  翌日。筑波山山麓北東側、真樹・護領境界付近。


 薄曇りの空から舞い降る小雪が、木枯しに色あせた椎の木々の葉をうっすらと白く彩っている。

 待ち合わせの小高い丘陵に姿を見せたのは、美那緒らを除いた将門主従ら十数騎と、真樹率いる郎党らである。

 少し早く着きすぎたと見え、護らの姿はまだ見えない。

「ほう。ここからだと境の付近がよく見渡せるな」

 麓に広がる新治、真壁一帯と、東の方に流れる小貝川を見下ろしながら将門が白い息を吐く。

「左様。御覧の通り双方の本拠地も隣接しておりまする。その上、麓の境界付近には近年開墾された新田が多い。……尤も、それが悩みの種でもございまする」

 将門の横で白氏が麓を指し示しながら解説する。

「国衙の命により、陸奥より連行した俘囚や流入した浮浪農民の居住地は領内の所定された各集落に割り振られまする。そこで彼らはあそこに見えるような新田の耕作に就くこととなる。新規開墾田は国衙所定の私営田として認められておりますゆえ、どこの国の受領も挙って新田開発を競い合っておる。そうなると、新田地へ参入した者らと古くから住み着いている農民らとの間で水源の取り合いが頻発する。境界を巡る諍いは、我らと源氏との間だけで起こっている爭いではありませぬ」

 成程、と頷きながら将門は眉間に皴を刻みながら白氏の話に耳を傾ける。

 都人より東夷の地と蔑まれていた坂東であったが、先に述べた俘囚地遠征や防人の兵役や賦役、それに加えて遥任国司や土着化した貴族らの荘園、私営田の拡大により課税は多重化し、坂東民達は多大な負担を課せられていた。それに耐えられず耕作地を手放し浮浪化した農民の一部はやがて野盗と化し、更に馬を手に入れ徒党を組んだ盗賊団は坂東を越え都の物流をも脅かすまでとなり、時の朝廷を大いに悩ませる事態となっていたのである。


「ん?」

 山麓の西側を眺めていた将頼が声を上げる。

「おお、護殿の一隊が御出でになったようじゃ!」

 皆がそちらの方を見ると、果たして西の方角から白幟に三ツ星紋を染め抜いた源氏の旗印をはためかせながら十数騎の騎馬がこちらに向かって馬を進めてくる様子が見えた。

「随分馬を飛ばして来られる。こちらの方が速く着き過ぎたというのに」

 そう呟く将門の顔が、ついどんよりと曇りそうになる。

(やれやれ。護殿にどんな顔をしてお会いすればよいものか。この場で頭を下げて済む話ではないのだろうが……)

 内心の気の重さを務めて表に出さぬよう顔を引き締めかけていた将門の表情が、やがて怪訝な色に変わった。

 こちらへ馬を走らせる一群が、皆戦装束を着込んでいたのである。

(甲冑に帯刀しているだと? それも、あれは飾り太刀ではないぞ?)

「……なんじゃ、様子がおかしいぞ」

 真樹もまたそれに気づき、将門の横で眉を顰め呟きを漏らした。

 やがて騎馬群は将門らから数町ほどの距離まで迫ると、刀を抜いた先頭騎馬の指示により配下達は馬を駆りながら一斉に左右へ横一列に展開した。

 ハッとした将門が思わず叫んだ。


「横列騎射の隊形⁉ ――皆よ、すぐに身を隠せ!」


 ギョッとして一同が顔を上げかけるが、馬を止めた向こうの騎馬らが揃って弓を手に取るのを見て、馬を降りていた者は慌てて手綱を引き、徒の者は身を伏せた。

 忽ち放たれた矢が彼らの頭上や鼻先を掠めていく。

「一体、どうしたことじゃこれは⁉」

 馬を引き摺りながら木陰で矢を凌ぐ経明が堪らずに悲鳴のような声を上げる。

「知らぬ! しかしいきなり射掛けてくるとは⁉」

 茂みに飛び込んでいた遂高が堪りかねて反撃の弓を番えようとする。

「待て、射返すな!」

 それを止めようとする将門の声が敵へも合図になったかのように矢の雨が止んだ。

 代わりに前へ進み出たのは、大将格と思しき先頭騎馬をはじめ三人の武者達である。

「やいやい! そう、地べたに縮こまっていられては、折角のこちらの挨拶が届かぬではないか。……のう、将門よ?」

 護ではなかった。

 源護長子、源扶。後に控えるのは弟の隆、茂である。

「御曹司様、御戯れが過ぎますぞ!」

 怒りも露わに真樹が叫んだ。

「この度の検分は我らと源氏双方の所領境界を決する厳かなもの。それに対して斯様な狼藉沙汰、如何に情け深きお父上とて決してお許しあそばされぬぞ!」

 木立を揺さぶるような老将の激昂も何処吹く風かという様子で扶はカラカラと笑い声を上げる。

「なに、父上らは大層喜んでおられるよ。忌々しい良持奴の小倅を亡きものに出来るとあってな! 誘いを掛けてみればホイホイと調停役を買って出おって。将門よ、貴様もとんだお人好しよ!」

 扶の言葉に、将門はギリリと歯を鳴らす。

(狙いは俺か! だからと言って親爺殿を巻き込むような手段に打って出るとは!)

 呵々と声も高らかに扶は続ける。

「将門よ、貴様の詰まらぬ意趣返しとやらのせいで我が源氏と良兼様ら平氏との益々の昵懇の機会、見事に破算となってしもうたよ。美那緒殿を妻に迎えればこの僕こそ坂東を統べる源平の次なる筆頭として盤石たる礎を築けたというのを、な。……じゃがのう、それよりも何よりも許せぬのは、のう。――将門よ!」

 吐き出す呪詛とは裏腹に、可笑しくて可笑しくて堪らぬというような様子で扶は忍び笑いを漏らす。しかし、端正な顔中に幾筋もの青筋を浮かべ、口角引き攣らせ瞼をヒクヒクと痙攣させているところなどを見ると、抑えきれぬ黒い怒りを必死に堪えるのが楽しくて堪らぬという風にも見える。さあ、この募る恨み晴らさばどれほどの快楽が味わえようか!

「僕が欲しいものをな、僕が望んだものをな、僕が得るはずであった全てのものをな、本来僕のものであったはずのものもをな、貴様は横合いから掻っ攫いおった。無位無官の貴様が! 従四位下だとかいう父親の七光りで持ち上げられただけの貴様が! 鎮守府将軍の息子だとかいう親の傘を只着たばかりの貴様がこの僕に与えた煮えるような屈辱、これだけは許せぬのじゃ! 貴様に与したそこの老いぼれとその一味諸共、この場で矢衾にしてくれる! その後で貴様等の所領を残らず焼き払い、最後に我が出世の要である美那緒を取り戻す。無論、たっぷり床改めを済ませた上でな。これで我ら源平の坂東統治は安泰じゃ。我が約束された栄光ある将来、誰にも邪魔させるものか!」

 とうとう堪え切れずに再びケタケタと大笑する扶を前に、真樹ら一同は皆歯軋りして悔しがった。

「おのれ謀りおったか!」

 真樹が拳を地面に叩きつけて毒吐いた。

「……あの童、面白いことを言いおるわ」

 只一人、将門のみが、冷たい憤怒に目を細め無言で哄笑を続ける扶を睨み据えていた。

「ちょっと貸せ」

(あの小童が、言わせておくだけ良い様に啼いてくれるわ!)

 遂高の返事を待たずに弓を奪い取ると、予備の動作も一切見せず番えた先から矢を放った。

 あっと声を上げる間もなく、放たれた矢は扶の下顎を掠め、顎紐を断ち切られた扶の兜が地に転がった。

「……!」

 絶句する扶と兄弟らを前に姿を見せると、将門は吠えるような声で敵騎馬らを恫喝した。

「護の馬鹿息子共よ。俺が思うておるより馬鹿でなければ、我らが貴様等を丘の高みから見下ろし、地の利を得ているのがよく判るであろう。その上、こちらの弓手は貴様等の倍じゃ。弓の勝負か? 良かろう。倍の矢数に射降ろされても尚我らを蜂巣穴はすあなに出来るというなら掛かってくるがよい!」

 カっと顔を紅潮させた扶であったが、すぐに余裕ぶった笑みを将門に向ける。

「……まあ、良い。今日は挨拶に留めるつもりであった。だがこのままでは済まぬぞ。――必ず殺してやる!」

 最後の捨て台詞を吐き捨てながら背を向けると、扶ら源氏の兵達は風のように馬を走らせ去っていった。

 将門側で実際に弓を携えていたのは四人。相手がこちらの虚仮脅しに乗らず射掛け合っていたら勝ち目はなかったであろう。


「……前大掾にどう詫びを入れたものか一晩眠れずに思案しておったが、どうやら取り越し苦労で済んだわ」

 肩から吐き出すような溜息と共に、将門は誰にともなく呟いた。


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