遺影
狸汁ぺろり
皆さま、聞いてくださいませ
みなさまは自分の夫を『変態』だと思いますか。
「そうだ」と笑って言える人は幸せでしょう。こういう事は、本当であるほどに他人へは言い辛いものですから。
ええ、私の夫は、ある種の『変態』です。……いいえ、特別に変な格好をしてみせるだとか、卑猥な冗談を言ったりするわけではございません。そういう点では夫はいたって真面目で、屋外でも家の内でも、性根の穏やかな良い人なのです。
そんな夫を変態だというのは、そのゥ、夫婦の、夜の営みの話なのでございます。……いいえ、妙なおもちゃを使うだとか、極端にぶったりぶたれたりを好むのでもありません。
変わっているのは、場所でございます。まったく妙なところで私に挑むのです。……いえ、いえ、野外でも、人の多いところでもございません……。
ただ、それでも強いて言うのなら、やはり露出狂の類にでもなるのでしょうか。
その場所というのは、私の実家なのです。
襖一枚隔てて両親が寝ているすぐ隣で、私を無理に抱くのです。
初婚の頃、夫は多忙を理由に、盆と正月における私の実家への帰省には同行しませんでした。ただその代わりに手紙や電話などをマメにやっていたものですから、私の両親からの夫への印象は、決して悪いものではありませんでした。
結婚して四年ほどたっての夏、ようやく夫と二人で、一泊二日の帰省が叶いました。両親もとても喜んでおりました。
田舎の家にはよくある事ですが、私の実家にも、客間と仏間とが一続きになった広いお部屋がございます。
帰省を祝う心づくしの宴の後、私ども夫婦は揃ってそこへ寝かされることになりました。
その客間で、夫は私の上に乗るのです。
ひそひそと、目をギラギラ血走らせて。
「いや、何もこんなところで……」
「何がいやなんだ。夫婦だろうが」
隣で寝ている親に聞かれるから、などと、とても……。小娘ではありませんから。
それでも、やはりいくら夫婦といえども、あまりにふうが悪うございます。悪いからこそ抵抗も出来ず、私は夫の為すがままに組み敷かれ、声を殺して、為されるがままに抱かれてしまったのです。……正直に申しましょう。その時の夫は普段のそれよりもずっと猛々しく、まるで十代の若者のような滾りようでした。だから私もつい、ええ、つい、夫の熱が移ったように体の奥から火照ってしまって……初めは本当に嫌だったのですけれど、本当に、つい、最後には絆されてしまうのです。
そんなことが三年、年に二度の帰省の度に起きました。
幸いにも父母に悟られることはありませんでした。
昨年の盆のことです。父は前から肺の調子が悪く、ちょうど私たちが帰省するその日に、病院へ検査に行くことになっておりました。
「そう大した事じゃないから、付き添いは母さんだけで十分よ。あんたたちは家でゆっくり休んでてな」
そういう母のありがたい心遣いと、案外元気そうな父の顔に安心を覚えたので、私たち夫婦は広い屋敷に二人きり、昼間からやることもなくのんびりと過ごすこととなりました。
ところがそれはとんだ間違いで、実際には、ひどい嵐となったのです。
「……乃、……乃ォ」
誰憚ることのない無人の家。それが夫を獣に変えたのでしょう。出かける父母を見送って二人きりになるや否や、夫は着る物を脱ぎ散らし、一糸まとわぬ裸となって、私を客間の畳に押し倒したのです。
無論今度は私も抵抗しました。今までは両親に諍う声を聞かせぬために黙していたのです。が、言ったところで無駄でした。その時の夫はまたいつものに輪をかけて烈しく、荒々しく、私の身体をくるくると嘲るように手玉にとって、思うままに操りました。そうされると私もまた、つい、つい……ああ、浅ましいと知りながらも、結婚して以来もっとも熱く昂る快楽に、どろどろと身を委ねてしまったのです。
恥知らずにのたうち回り続けて幾時間か経った頃、うつ伏せにさせれていた私はふと人の視線を感じて、面を上げました。両親は未だ帰らぬとて、窓や裏木戸などいたるところが開け放しになっている田舎屋敷のこと、近隣の人がいつ訪ねに来ないとも限らないとその時初めて思い至ったのです。
ですが、それは生きた人の視線ではありませんでした。その時夫は興奮が冷めやらず、私の首筋にむしゃぶりついて、雄牛のようにブウブウと唸っておりました。
情欲に疲れきっていた私の目に入ったのは、客間と一つに連なる隣の仏間――そこにある仏壇でした。私は組み敷かれた姿勢のまま無理に首を上げました。仏壇には当然、そこにある人、私がまだ幼いころに亡くなった、祖母の遺影が奉られていました。
それと見て私は怖気が走りました。記憶にも思い当たることがありました。これまでの実家での情痴においても、夫は時折私の体を半ば引きずるようにして、場所を変えさせることがありました。私はそれを両親の寝室から離れた場所へ移してくれているのだと解釈しておりましたが、私どもの客間にはいつも、寝る時には橙色の小さな照明がついていたのです。
その意味をようやく悟りました。見せていたのです。
夫のあの興奮は、隣の両親に睦言を聞かれるスリルを楽しんでいたばかりではなく、祖母の前で孫を征服する、歪んだ優越をも含んだものだったのです。
私は泣きました。爛れた情欲によるものではない冷たい涙が溢れました。夫は実に手際よく、たったのひと手間で、私どもの家を三代にわたって嘲り遊んでいたのです。無抵抗に組み敷かれる私、何も知らぬ父母、遺影の前に見せつけられる祖母と……。それが夫の『趣味』でした。
夫は私の涙をどう思ったのか、ますます激しく腰を振って私を打ちました。その抗い切れぬ情欲の荒波は、私の身体に無惨な敗北と家に対する申し訳なさとを刻み付け、心を千々にかき乱しました。
私は、救いを求めるようにもう一度、泣き濡れた顔で祖母の遺影を見上げました。涙のためか、あるいは乱れた心のためか、祖母の顔はさっきとは違って見えました。
かつて幼い私を膝に抱いて柔和に微笑んでいた祖母の顔は、屈辱を呑まされ歪んだ修羅の顔をしておりました……。
それが去年の盆のことです。今年の正月は、皆さまご存じの社会情勢のために帰省を見送りましたので、どうにか無事に済みました。きっと今年の盆もそうなるでしょう。
なぜ今更こんな話を聞かせたのか、とお思いでしょう。すみません。どうしても誰かに話しておきたかったのです。
解決してもらおうだとか、助言をもらおうだとか、そんなつもりは毛頭ございません。あれ以来、いえ、あれの以前からも、うちにいる時の夫は本当に穏やかな良い人で、今はもうすっかり平和な日々でして……。しかし、もうすぐそうもいかなくなるかもしれません。
ご覧のとおりです。私のお腹の子は、もうすぐ産まれます。
頃合いからするとあの時に出来た子です。結婚七年目で初めての子です。夫はとても喜んでいました。けれど、私は不安なのです。心配なのです。どうかすると、この子をちゃんと愛してあげられないかもしれないと今から恐れているのです。
病院のレントゲンで何度もこの子の写真を見ました。元気な女の子です。初めはあやふやな、ヒトかどうかも怪しい肉塊でしたが、時とともにちゃんと人間の形になっていきました。今は顔立ちもはっきり見えます。
ちゃんとした、赤ん坊の皺くちゃ顔です。くちゃくちゃで、見覚えのある顔です。
あの時の、祖母の顔にそっくりなのです。
皆さま。
この子は、何をしにここへ来たのでしょう?
私はこの子を愛せるでしょうか?
遺影 狸汁ぺろり @tanukijiru
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