まぁるい井戸
ポピヨン村田
まぁるい井戸
田舎にある曽祖母の家の庭はとても広くて、少年時代の私にとってかっこうの遊び場だった。
ちいさな畑に放し飼いの鶏。季節ごとに風景を彩る花々や近くの農家でネズミ捕りの仕事をしている猫。
幼い頃の私は、毎日飽きもせずどろんこになるまで遊び倒したものだ。反面、ものしずかな兄はいつも縁側で今は亡き曽祖母の隣で本など読みながらお利口に過ごしていた。
それが私たち兄弟の毎年の夏休みの過ごし方だった。
曽祖母は対照的な私と兄を、どちらに優劣つけることもなく優しく見守ってくれた。
しかし、曽祖母にはたった一言だけ、特に私に対して厳しく言いつけていることがあった。
「庭のいちばん端っこにあるまぁるい井戸には近づいたらあかんよ」
『まぁるい井戸』とは、この辺りの集落にまだ水道が通っていなかった時代に近所の水をまかなっていた釣瓶の井戸のことだ。
時が経ち誰も使わなくなって長いので水は涸れているものの、深さは5m以上にもなり、子供がうっかりのぞきこんで落ちでもしたら当然危険なシロモノだ。
だから、穏やかな曽祖母は『まぁるい井戸』にだけは近づかないようにキツく、辛抱強く私の顔だけを見て何度も注意してきたのだ。
それがかえって子供心をくすぐるような結果になるとは思いもよらず。
しかし何度目かの夏休み、『まぁるい井戸』はとうとう撤去されることとなった。
もともと、時代の変化についていけずに置き忘れられた社会の遺物である。不気味なたたずまいが近隣住民からはおおむね不評で、しかしそれでも現代まで残り続けたのは、『まぁるい井戸』がいわくつきであるからだった。
その話を聞いた私はいよいよ我慢ができなくなり、曽祖母の葬式が出されたその日に『まぁるい井戸』へとこっそりと近づいた。
唯一密かなる計画を打ち明けた兄にはずいぶんと反対された。かねてより兄は私の好奇心に水を差し、私をいさめるのが仕事だと思っている節があった。
私はお上品な兄に対して子供なりの敵愾心のようなものを抱いており、『まぁるい井戸』にこっそり向かったのは兄への幼い反抗の意味もあった。
初めて目の当たりにした『まぁるい井戸』は、何の変哲もない、ただの廃墟同然のボロ屋だった。
しかし軽く数十年は手入れされていないためかおびただしい量の苔に覆われ、風が吹くたびにガタついた滑車がキィキィと揺れるその様はなかなか迫力があり、私はそれまでの威勢をすぐに失ってしまった。
私は『まぁるい井戸』に実際に訪れてみるまで、私のことを何度も脅してくる曽祖母や兄のことを内心小馬鹿にしていた。
誰に隠すでもなくむき出しでそこにある井戸というドでかい穴に、そうそう簡単に落っこちるものかと。子供だからといって侮られたものだと。
その上で『出る』などと仕様もないない嘘をついて人を遠ざけようなどと、本当に全くふざけたものである。
幼い日の私は、枯れ尾花を必死で幽霊だと思い込もうとする大人たちが、ひどく滑稽に見えていた。
そういう目で大人たちを見ていた手前、蓋を開けてみればたまらなく恐ろしい存在に思えた『まぁるい井戸』に対し引っ込みのつかなくなった私は、断じて逃げるわけにはいかなかったのであった。
『まぁるい井戸』に手をかけてみると、朽ちた石のざらざらとした感触が手のひらにじっとりと伝わってきた。絡み合う大量の蛇の群れのようにびっしりと繁殖した蔓の冷たさも、私の臓腑を重くさせた。
心臓が痛いほど胸を打ったあの時の感覚は今でも忘れられない。
『まぁるい井戸』からは、真っ黒な闇をはらんだ風が吹き上げてくる。
まるで、『イマスグ ココカラ タチサレ』と人ならぬナニカが警告してきているかのようだった。
人と、人ならぬナニカを遮る不可視の壁――そのようなものが、私の目の前に広がっていたと思う。
しかし子供なりの矜持で敵前逃亡ができなかった私は、えいやと身を乗り出して『まぁるい井戸』をのぞきこんだ。
と、視界が真っ暗になった。
次にちいさな手で私の頭がむんずとつかまれた。
私はとっさに金切り声を上げ、後じさろうとしたが、私をつかんだヌシは私の頭をがっちりととらえて離さない。
雷のように全身を駆け巡る恐怖が、私を『まぁるい井戸』の底に引きずり込もうとするヌシが、私の中に無限の後悔を生み出した。
ごめんなさい、ごめんなさい!
もうしません、もうしません!
もう絶対に『まぁるい井戸』には近づきません!
大人たちの言いつけを、きちんとまもります!
いくらでも謝罪の言葉が口をついて出た。今思えば、子供の少ない語彙でよくそこまで際限なく謝れたものだ。
しかしそれも尽きると、私はシクシクと泣いた。それはもう、とめどもなく涙を流し続けた。
最早当初の意気込みはどこへやら、すっかりと戦意を喪失した私に、ヌシは言った。
本当だね?
本当にもう大人たちの言いつけを破らない、よいこになるね?
ヌシの声は、よく聞き慣れたものであった。
ヌシが私から顔を離すと、これまた見慣れた人がそこにいた。
私の兄は、よっこらせ、と『まぁるい井戸』から出てくる。
私はその様を、ぽかんとしてただ見つめていた。
一体、何が起きた? どうして兄がここに? 私が『まぁるい井戸』へ向かうのをあんなに反対していた兄が。
兄は呆れた顔で私を見ていた。
私は持っていた懐中電灯で『まぁるい井戸』の底を照らす。兄に促されてのぞきこむと、井戸の底は埋め立てられ、ちょうど子供がひとり屈んで隠れられるくらいの隙間しかなかった。
私は困惑した。困惑し、ぴーぴー泣きながらも問いかけた。
どうしてお兄さんがここにいるの、と。
兄は私の涙を清潔なハンカチでぬぐいながら説明をし始めた。
この井戸は撤去が決まったので、最近穴をふさがれた。だから『まぁるい井戸』はもう誰が近寄っても無害な存在へと成り果てた。お前が悪戯心を起こしても、本当は何の問題もなかったのだ。
けれど、普段からお前は大人の言うことをちっともまもらない。やるなと言われたことに即座に首を突っ込みたがる。今日だって僕は『まぁるい井戸』へ行くことを反対しただろう。
これは一度こらしめてやらねば、灸をすえてやらねばと思ったのだ。それで『まぁるい井戸』に隠れてお前を脅かしてやろうと息を潜めて待っていたわけだよ……。
常日頃の私であれば、兄のこの企みに憤慨するに違いなかったのだが、その時恐怖のあまり精も根も尽き果ていたので、実に素直に兄の言葉のひとつひとつにうなずいた。
私は兄に手を引かれて、葬式の最中にある家へと帰った。
大人たちは私の涙の跡を見て、兄を叱った。
叱られた兄は何を言い訳をするでなく、粛々と大人たちに頭を下げ続けていた。
その時の私は、このガリ勉で大人しい兄はなんとよくでいた人間なのだろうと、尊敬の念を抱いた。
あれから私も大人になり、曽祖母から大叔父に遺されたあの家の、あの庭に、自分の子供を遊ばせるようになっていた。
兄の『まぁるい井戸』を使った画策以降、嘘のように落ち着いてしまった私を周囲の大人たちは不思議に思ったものだ。しかし私の息子は、身も心も当時の私の写し身のようなやんちゃ坊主だった。
だから、当然『まぁるい井戸』にも興味を示した。
丁度撤去のタイミングで土地の持ち主であった曽祖母が逝去したので、撤去の話がうやむやになった『まぁるい井戸』は、依然として庭の片隅で存在感を放っている。
『まぁるい井戸』は私の子供の頃よりもずっと古くなってしまっているので、当時より危険は少ない。本当に、ただのボロ屋だ。
けれども私は、息子にこう言うのだ。
『まぁるい井戸』には近づいてはいけないよ、と。
まぁるい井戸 ポピヨン村田 @popiyon_murata
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