第6話 彼の旅立ちと藤吉郎

 智君は私より背が低かった。今は私も背が伸びたのだけど、彼はもっと伸びていた。そして顔つきは精悍な感じになって、体つきも逞しくなって、きっと、生きていたらこんな感じに成長していたのだろう。あの、当時のボーイソプラノも美しかったけど、今のバリトンも心に響く大人の歌声だった。

 その、逞しくなった智君に、あの白猫獣人のお姉さんが抱きついて頬にキスをした。彼が一気に大人びたからか、何故か嫉妬はしなかった。


 彼は私の方にゆっくりと歩いて来て告げる。


「明子ちゃん。もう行かなくちゃいけないみたいなんだ」

「うん」

「良い人を見つけて結婚してほしい」

「うん」

「あっちじゃ多分忙しいから、一々見守ってあげられないと思う」

「うん」

「できれば聖歌隊で歌っていたい」

「うん」

「明子ちゃんも、歌を続けて」

「うん」

「じゃあ」

「うん」


 私はハンカチで涙を拭きながら、うんうんと頷く事しかできなかった。


 しばらくしたら、空から光り輝く馬車が走って来た。四頭の白馬に引かれた黄金の馬車だった。その馬車は庭に降りてきて止まった。御者は猫じゃなくて狐の獣人だった。彼は帽子を取って私に向かって挨拶をした。そして智君に馬車に乗るように促した。智君を乗せた馬車は走り始め、宙に浮き空の彼方へと消えて行った。

 猫獣人たちの拍手と歓声は、しばらく鳴り止むことがなかった。


「明子さん。今日は本当にありがとうございました」


 三毛の藤吉郎が深く礼をした。私も彼にお辞儀をした。何か胸の中のもやもやが取れてスッキリした気分だった。


「では、元の場所へとご案内しましょう」

「はい」


 藤吉郎に手を引かれ、私は元の場所へと戻っていた。そこは堀内にある鍵曲かいまがり。左右を高い土塀で囲んで、道を直角に曲げた独特な道筋のこと。江戸時代、城下防衛のために作られた場所だ。ここにアドリアーナへの入り口があったんだ。藤吉郎はすっかり猫の姿に変わっていた。


 私は三毛猫の藤吉郎を従えて自宅に戻った。

 ちょうど日が暮れた時刻で、夕食まではもう少し余裕があった。私は智君から受け取った手紙の封を切った。中の便せんには謝罪と後悔と感謝の言葉が並んでいた。事故で死んでしまい迷惑をかけたと。そして、自分が歌うはずだったふるさとを皆で歌ってくれてありがとうと。そうしているうちに、その手紙は黄金色の光に包まれて消えてしまった。


 そうか。この手紙も智君の執着だったのか。

 でも、消えてしまったという事は、執着も消えてしまったと。そういう事なのだろう。智君。良かったね。


 私は安心して胸をなでおろした。

 そして一階に降りて冷蔵庫を漁る。魚肉ソーセージを一本見つけて裏口のあたりをきょろきょろと探してみる。

 いた。三毛猫の藤吉郎が。


 私は魚肉ソーセージの皮を丁寧に剥いて、そして食べ易いようにちぎって藤吉郎に食べさせた。彼は美味しそうにソーセージを貪る。しかし、人語は喋らず「にゃあにゃあ」と猫みたいに鳴くだけだった。


 その後、藤吉郎は私の家に居ついてしまった。しかし、彼が猫獣人に変化した姿を見ることはなかった。


[おしまい]

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初夏色ブルーノート【ファンタジー編】 暗黒星雲 @darknebula

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