第2話 体育館裏
終業のチャイムが鳴ったので、僕は体育館裏へ急ぐ。はじめは嫌で嫌で仕方がなかった。だけど、人間ってのは怖いもんだ。今はすっかり須藤達とのこの関係に慣れてしまって、早く行って早く終わらせたい、そう思うようになった。
「おせーよ」
須藤だ。彼らは午後の授業に出ない。
僕はちいさくすみません、と呟いて服を脱ぎ始めた。
須藤達5人グループの中で最も格下であろう男――山下とかいったか――が僕のペニスの皮を剥く雑用をこなしたところで、佐々木君はやってきた。遅れたから、鉄拳制裁だ。山下ともう一人が押さえつけて、須藤が蹴り飛ばした。佐々木君の縮れ毛が痙攣すると、地面のコンクリに鼻血が飛んだ。僕はこの光景を見るのが唯一の楽しみだ。実をいうとそのために僕は毎日先に来るようにしている。ざまあみろ、佐々木。いつもいつも調子に乗ってるから、こうなるんだ。イケニエ(と、須藤達はよんでいる)同士はべつに、仲間じゃない。敵だ。最も憎むべきは佐々木だ。
「じゃ、はじめろよ」須藤の声で試合は始まった。
先手必勝。特に今日はさっきの須藤の攻撃でかなりのハンデがある。僕はまだふらついている佐々木のそばに近づくと彼の腕の皮を掴んだ。細く頼りない腕だ。ところどころに傷痕と根性焼きの痕がある。弱点がお互いにわかりきってるようなもんだ。佐々木は左腕に噛みついてきた。しまった。左手の自由が利かない。僕も負けじと佐々木の左肩に噛みつく。遠目からみれば、激しく抱擁してるように見えるだろう。僕たちは殴ったり蹴ったりはしない。それが須藤の機嫌を損ねることを知っているからだ。僕と佐々木の暗黙の了解。噛みつき合ってる方が見ていて面白いこともわかっている。だからそうしてる。
しかし手加減するつもりはない。須藤達はヤジを飛ばしている。山下は大穴の佐々木に賭けているようで、僕に砂を投げつけてきた。小石が混じっていて痛い。
僕は勝負に出た。右手で佐々木の縮れ毛を鷲掴みに、鼻へめがけて頭突きした。弱っている部位を突くのが鉄則だ。僕を掴んでいた手の力がふっと抜けて、その場にうずくまった。佐々木は鼻を抑えている。よし。今日は勝った。僕は達成感と征服感に満たされた。この支配構造の枠組みにはある種のカタルシスがある。はあはあと息切れを起こす僕を尻目に、須藤達は金勘定をしていた。どちらが勝っても須藤は得をするようになっているらしい。
「なにしてるの! 先生、こっちです!」
昨日と同じセリフ。佐藤さんだ。須藤は佐藤さんを睨みつけてから、なぜか佐々木を引きずって逃げて行った。どうするつもりだろうか。僕はとりあえずパンツを穿いた。
「ふふ。ホントは、先生なんて呼んでない」佐藤さんは笑った。面と向かって人の笑顔を見たのは久しぶりだ。「須藤のやつ、逃げちゃって情けなーい」彼女は表情を全部丸めたような笑顔をする。
僕は何も言わずに、ただ制服を着させてもらっていた。本当に情けないのは僕だ。佐藤さんに、こんな姿は見せたくなかった。もしも、もしかしたら。佐藤さんが僕のことを好きで、それで助けてくれているとしたら。もしそうだとしても、こんなところを見られたらおしまいだ。もう、そんな妄想ができなくなってしまった、残念だ。
「相田君は、どっちの方向?」
校門の前で佐藤さんに訊かれた。
「じゃ、一緒だ。でも、ちょっと付き合ってくれない? 寄り道」
僕はよくわからないままついていった。
佐藤さんは僕にいろんなことを訊いた。家族のこと。休日のこと。ときどき、佐藤さんが好きな本の話をしてくれた。お世辞にも会話が弾んだとは言えなかったが、僕はそれで楽しかった。自分に興味を持ってくれる人間が嬉しかった。
それと同時に、佐藤さんのことがわからなくなっていく。どうして僕に構う。どうして助ける。どうして須藤を敵に回す。メリットなんて、何もないのに。
長いようで短い時間が過ぎた。
「着いた!」
そこは河川敷の、鉄橋の下だった。ところどころに落書き。坂に腰かけて、二人は落ち着いた。小雨が降りだした。
「ちょっとまっててね」佐藤さんは川辺に向かった。雑草をかき分け、セメントの柱の根元に、小さな段ボールが見える。その段ボール箱を両手で危なっかしく抱えて持ってきた。
中にいたのは弱り切った子犬だった。毛並みの良い、茶色い子犬。
「つい何日か前に見つけたの。かわいそうでしょ。でも、うちにはもって帰れないし」
ペット禁止アパートだから僕も無理だ。
子犬と目が合った。今にも消え入りそうな、真っ黒の泡みたいな瞳だった。人間に怯えているようだった。
「ここでお世話するしかないよねぇ」
僕はバッグから弁当箱を取り出して、弁当を包んでいた布をかけてやった。それから柔らかく撫でてやった。佐藤さんは持参した肉団子らしきものを与えていた。
「明日はさ、子犬用のドッグフード買いに行かない?」
僕は大いに賛成した。何よりも、明日も佐藤さんと会えることが嬉しかった。
小雨が止むまでのすこしの間、僕たちは子犬を囲んでまたおしゃべりした。僕は昨日、彼女を尾行するつもりだった。それがこうなるとは、不思議なこともあるもんだ。
ひとつだけ気になることを佐藤さんは話した。それは佐藤さんの親友のことだ。ユイという子で、2週間くらい前から学校に来なくなってしまったらしい。家に行っても会いたくない、と拒絶するばかりで心配だった。それが昨日突然電話が来たと。昨日の電話の相手はそのユイって子だったんだなとひとり納得した。どうしてユイは学校に来なかったのか、僕が佐藤さんに訊いても、佐藤さんはごまかすばかりだった……。
悪魔 @uron_chia
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。悪魔の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます