第8話 私的雑記寄稿

「殺してよぉ」


 なかなかショッキングな言葉である。肉親から殺してと頼まれた時に、貴方はいったいどんな表情をしているだろうか?


これは創作ではなく、実際に作者自身の身に起きた実話である。


 私の祖母も終末期患者として、最後の余生を病院で一年半近く過ごしたが、敬虔な人生を歩み誰からも愛された祖母への最後としては余りに無慈悲なものであったと言える。

無論、病院の方々の尽力もあり、それだけの期間生き永らえる事が出来たのは感謝の念が絶えない。


だが、それはまた別の話であろう。


 生き永らえる事が出来たのと、生き永らえさせたのでは意味合いが大きく異なる。

入院当初は歩くことも出来たし、記憶も鮮明、食事だって自分で摂れたのだが、およそ社会復帰を視野に入れた対応というのは家族や個々人に委ねられるような形であり、また何かあったら危険という理由で家に帰る事も出来ず、自然ベッドの上で過ごす時間が増えた祖母は、それから数か月と待たずにベッドの住人となった。


 近しい人間でそのような経験が無いという、ある意味で幸運な人には、些か理解し難いかもしれないが、老後の病院生活というのは、誤解を恐れず言えば、そして先に私の個人的見解でしかないと断りを入れ、その上で断言するが地獄である。

祖母はまだ歩く元気はあった。

だが、点滴などを嫌がって外そうとするきらいがあった。

それが良くなかった。

手足は拘束され、グローブみたいな手袋を嵌められる。

無論、ケーブルを触れないようにする為である。


 老人はホルモンバランスの関係で骨粗鬆症といって、骨密度が低下しやすい。

そんな状態の祖母の腕や手先を制限するとどうなるか。

指が変形するのである。そして、関節が固まって曲がらなくなり、その段になれば嫌で嫌で仕方なかったグローブもお役御免となる。

勿論、そんな段階となれば入院当初のように歩くというのは不可能であり、ベッドの上で、寝返りすら看護師の力を借りて、日に数度うつ事が出来るという状態なのである。


更に陰惨な話は続く。


 寝ている状態では、重力に従ってか背中に血液が貯まりやすく、結果むくみやすい。

まるで風船に水を入れたようなブヨブヨとした感触を、私自身未だに覚えている。

血の巡りも当然悪いから、背中の節々が痛いらしく、最晩年にあたる言葉も発せず意識も混濁という、愈々余命僅かという時期を除けば、祖母の入院生活というのは概ねそのような苦痛を伴うものであった。


そして、気の毒な事に頭だけが冴えていた。


 呆けてくれれば幾らか楽であったろう。だが、祖母の頭は正常であった。

途中からレビー小体型認知症になったが、この認知症はアルツハイマー型認知症で知られるような症状よりも軽度な場合が多く、祖母も幻視があるぐらいだった。

よく足元に犬がいて怖いと言っていたのを思い出す。祖母は犬が怖かったのだ。

そして、よく天井付近に誰かいるねと言ったり、私の方を見ながらその赤ちゃん誰と言っていた。

ううむ、こう書くと中々重度の認知症のように誤解されかねないが、この例はあくまで一部であって、毎回毎回そうではない。

中期から後期ともなると、家族の中で顔の解らないものが出てきたが、それでも説明すれば思い出すようではあった。


 容体は良くなる筈もなく徐々に弱っていくばかりだが、終末期医療の考え方は主に三つある。


壱 終末期医療 延命治療を行わず最後を迎える。


弐 ターミナルケア 苦痛などを緩和しつつ最後を迎える。


参 緩和ケア 病気治療を継続する。


 医者でもなんでもないので、滅茶苦茶簡単に大別したが、まぁこんなものであろう。違ったらごめん。


 祖母は終末期医療を選んだのだが、だからといって簡単に人生の幕引きがなった訳ではないのは、ここまで読み進めて頂いた方なら御存知の通りである。

祖母はもとより心臓が弱かったので、血液を全身に巡回させる拍動を補助する機械を埋め込んでいた筈だが(確かそうだった気がする。そんな機械ねえよという場合は、その類いの何かだと思ってください)その機械のおかげか知らないが身体は明らかに衰弱しているにも関わらず心臓が止まらない。

無論、医者も機械を止める事は出来ない。


さながら生きるという苦痛を与えながら死を待つという、相反する矛盾を人生の最後になって経験した訳である。


 更に嚥下機能も低下しているので食事などは摂れず、最初の内は飲み物か、ゼリーのようなものしか摂る事を許されなかった。

よく「焼きそばパン食べたいからこっそり買ってきてよ」とお願いされたものである。

だがいよいよ中期以降ともなると、それすら飲み込むことが困難となり、もっぱら点滴だけで生活をするようになる。

私はファスティングといって、断食ダイエットをやった事があるのだが、十日間だけでも気が狂いそうになったものである。

それを祖母は、点滴だけの生活になってから数か月と続けた訳である。

私だったら一月と待たずに発狂していたであろう。


 このように心臓の機械と点滴により、いかに家族や本人が尊厳死を望んでも、いずれの一つでも止める事は当然殺人になるから、終末期医療といっても何もしない訳にもいかず、このような最後を迎える破目になったのである。

重ねて言うが、これは誰の責任でもない。

祖母にも家族にも、無論医療従事者も。


 強いて責任を求めるなら『人間の命』に対する国家観の無責任さであろう。

そして国家が正しい国家観を養う為には、国をカタチ造る国民の意識を成長させるしかない。


 古色蒼然としたナショナリズムが退廃し、世界規模でのグローバリズムが日本国内を席捲した。

だが、グローバリズムは長い歴史と単一民族が大半を占める日本においては決して馴染まぬものであった。

次世代のナショナリズムとも言うべき国家観を養うべきである。


 国民の意識を高次の段へと醸成し得るには、草の根運動だけでは足りない。

遠からず学校教育にもメスを入れなければならない。

そうなると必ず大戦前の軍国主義に戻すつもりか!だとか軍歌の音が聞こえてくるとか、幻聴持ちのアホが呼んでもいないのに湧いてくるが、こいつらは日本語を喋る猿だと思って別段気にする必要はない。

壊滅的に頭が悪いから零か百かしか理解出来ないのである。

こうした手合いは芸能の不倫ネタだとか、とかく興味を引く餌でも抛(ほう)って遠くにやり、人間同士で議論を進めるのが本当の遣り方であろう。


 最後になるが、祖母の入院生活を思い出し、終末期患者という極めてデリケートな問題を題材にメスを入れざるを得ない状況に際し、今回の寄稿という形を取りながら言い訳をさせて貰ったが、この手の問題に対して人命の尊重だとか、人間らしさとか、そういった美辞麗句に逃げた生者の驕(おご)りは外し、根本的な問題として取り上げつつ喚起を促し、今一度人生の終わりという誰もが通る道について沈思黙考して頂ければ幸いである。


 そして願わくば、本当の意味での、命と真摯に向かい合う『人の権利』の尊重が成される事を切に願う。


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終末少女は夢を見る @kinnikusizyosyugi29

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