第7話 あとがきと言う名のなげやり

 こやつは本当に終末の少女なのか?

原曲を聞いた瞬間に感じた強烈な違和感は、何も私だけではあるまい。

明るい曲調に軽快なテンポ、更には「おいなりが食べたい」とか宣う無神経極まりない放縦さでその世界に居座るのである。


 おいなり食べたい元気があるなら、キミはもう大丈夫だ!と華奢な背中を押すどころかドロップキックで蹴飛ばしてやりたい衝動に幾度駆られたか解らないが、終末少女は呑気に作曲しているのである。


その無神経さを少しでも私に分けておくれ……。


 さて、今回の短編を執筆するにあたり頑張った事を披露してあわよくば褒めて貰おうのコーナーだが、特に頑張った事はないなぁ。

何かの縛りを設けた訳でもないし、全体を通して比較的自由にやらせて貰った。

というのも、作曲家と話し合いの段で「自由にやっていいよ」という言質を取っているので、額面通り自由にやらせて貰った次第である。

という訳で本編はたいへん軽快に筆も進んだのだが、あとがきになって逆に息詰まるという逆転現象が現在進行形で起きている。参ったね、コレ。

実際問題として、別にあとがきなんか無くても良いのだが、最近の作品を読み返してみるとあとがきが本編という気がしないでもない。

寧ろ本編が盛大な前振り兼蛇足という、作家冥利に尽きない結果となっている訳だから、少しぐらいはあとがき頑張ろうよという僅かばかりの自尊心で以て、用紙を涙で濡らしつつ執筆している訳である。健気だなぁ、私。


閑話休題。


 ところで、上記の閑話休題って滅茶苦茶便利だ。何か展開に困ったら、閑話休題という魔法の言葉でぶった切り、強制的に仕切り直す事が出来るのである。無論、こんな力業ばかり多発していたら飽きられて御終いだろうが、それにしたって便利である。


閑話休題。


 ごめん、これで最後にするから読むの止めないでね。

実は今回の『終末少女は夢を見る』だが、一話完結ではない。続編があるのだ!

これこれ、誰も興味ないなんて正論で、私のやる気を書く前から削がなくてもよかろう。

作曲家との綿密な打ち合わせ(実際はどうでも良い話に終始した訳だが)により、今回の話ではどこまでお題として取り上げるかが、この作品を仕上げる上で唯一気を配ったところであろう。


 詳細に関しては次作のあとがきに譲るとするが、今回の作品では生者の死にいく過程の中で、どのようにして『死』そのものと立ち向かっていくのかを終末少女自身に考えて貰っている。

『死』は誰にも訪れる現象なのに、国民一人々々が明確な『自分自身』の回答を持っているかと問われれば、首を傾げるしかない。

せいぜいが、世間的にそう思われているから、というような漠然とした同調圧力でもって、道徳の正義を振りかざすばかりであろう。


 昨今の世論では、少しの死者も出したらいけないかのような風潮が、既に形成されつつある。

どうも『死』そのものが『悪』であるかのような風情である。

生きていれば、その数だけ死者が出るのは当たり前だ。まして、分母が多ければ死者数も比例して多くなるのは自明の理であろう。


 だが、どうにも特定の死に方に限っては、その少しの死者も許せないらしい。

そんな不条理あるか?

死に方を択べるならまだしも、安楽死も認められていない日本においては、死に方など易々と選べるものではない。

まして、それが病気の類なら尚更である。


 高齢者の死者数が多い、という報道に対しても、恐れる理由が皆目わからん。

別に何かの病気が流行る流行らざるに限らず、高齢者の死亡率が高いのは当たり前である。

若者の死亡率が急速に高まるというのなら、確かに騒がれているような、強硬な対応も已む無しという気もするが、現日本においてはそんな事はない(令和3年4月21日現在)。


 繰り返すが、重症化のリスクが高いのは高齢者と、既往歴のある者である。

行動制限を場当たり的に行う政府に対し、世の不満も徐々に高まりつつあるが、政治家はここが日本で本当に良かったと思うべきであろう。

ここが外国なら大バッシングで即座に政権交代である。

だが政府の無能をここであげつらうのは一先ず止めて置こう。

誤解を恐れず諫言するならば、死人に生者の言葉が届かないように、現政府に国民の言葉は届かない。

自身の中に反響する国民の幻聴と、色眼鏡に曇った幻視でしか日本が見えていないのである。


 極論だが全員解雇して新橋歩いている適当なおっさん・おばさんに一年間政治家やって貰った方が、余程責任感ある政治をしてくれそうな期待感がある時点で、現政府に対する国民の失望は計り知れない。


だが一番の問題は国民だ。


残念ながら、諸悪の根源と言ってもいい。

国民のレベルが、そのまま政治家のレベルに直結する。

国民がアホなら政治家も嘗めた政策をバンバン打ち出すし、国民が賢かったら、政治家も突き上げが怖いから慎重に動く。

だが国民はお願い一つで自粛を守り、それが規律と民族意識の差だと諸外国に衝撃を与え勝ち誇った。

ある政治家などは「おたくとは民度が違う」などと発言し、国民もその通りと称揚されるまま自画自賛に荒れ狂い、果ては法的権限も持たない自粛警察なる私刑団まで現れた。


いつから日本はこんな世紀末へと堕落したのだ?


 民度が違うという発言には私も同意するが、世間的な認識とは真逆である。

日本人は、ただ集団から疎外されるのを恐れて圧力に屈しただけに過ぎない。

つまり、日本の民度は世界一ィ!などと喜んでいたのは臆病者の欺瞞であって、それは民度の高潔さからきた行動等では決して無かった、というのが実情である。

この騒ぎに便乗し、自粛ばかりを称賛して経済を破壊した国民は恥を知るべきであろう。


そろそろ気付け、無知は恥だと。


 日本人の戦後教育は、左翼の温床でもあった。

日本が弱い方が何かと都合の良い利権狙いの詐欺集団が、この国を荒廃させた。

だが戦後80年を目前にして、やっと風向きが変わった。


日本は、日本人のものである。


弱くていい正義などは無い。力なき正義に意味は無いのだ。


国民は変わらなければならない。時代のうねりの中で、右と左のバランスが崩れかかった今こそが分水嶺。

誤った死生観から脱却し、古来日本人が求めて来た美意識を『死』の中に再度発見せねばならない。

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