第一章 炎獅子の青年③

 神殿内にへいせつされた殿どのは、いつぱんにも開放されたせつである。

 住民にとって身近ないこいの場であると同時に、十年前までは多くの旅人がこの神殿の大浴場を目当てにこの都市をおとずれていたという。

 無数の石柱がとうかんかくに並んだ出入り口をくぐったところで、蜥蜴とかげ姿の男性がホムラに駆け寄ってきた。

「隊長、待った!」

 蜥蜴の男性は全身が赤いうろこに覆われ、どこかあどけない表情をかべている。

 手入れを欠かさず行っているのか、彼の全身を覆うなめらかな鱗が、かべに設置された灯火を受けてきらりとかがやいた。

「イナビ、何で止める?」

 ホムラも足を止めて、イナビと呼んだ男性に問い返す。

「何でって……ねずみの子らを入浴させようとしてるんですよ! 今は危ないです!」

「あー……なるほど」

 ホムラがものすごいやそうな顔をした。

 そのせいで、アスカのこうしんが大いにげきされる。

「あ、あの……火鼠って何ですか?」

「えっ? 火鼠っていうのは、俺たちフェルノ国の人間が着ている衣服を作るのに飼育しているちくだよ。こう……丸くてすばしっこくて見た目は可愛かわいい動物なんだけど──」

「ぜひ、見せてください!」

 可愛いと聞いて、アスカは食いついた。

 アスカの座右のめいは「可愛いこそ正義」である。

 きようの連続でやや感覚がしてしまったアスカは、とにかくいやしを求めていた。

「ちょっ、アスカやめとけ! 危ないから──って、おい!」

 ホムラのうでの中からけ出ると、アスカはパタパタと湯殿の中へ駆け込む。

「おい、アスカ! 待てって!」

「え、ちょっと、隊長!? あのおじようさんは一体、何なんですか?」

 あわててアスカの後を追うホムラに、追いすがったイナビが疑問を投げかける。

「あいつは──」

「はわぁわああぁああっ!」

 アスカの悲鳴がひびわたる。

「っ……アスカ!」

 ホムラとイナビが大慌てで湯殿へ駆け込んだ。

 そこには目の前に広がる光景に、思わず両手をほおに当ててかんしているアスカの姿があった。

 彼女の視線の先には、あさでぱちゃぱちゃ水遊びをしている小動物の姿がある。

 ちょうど手のひらに乗るほどの大きさで、アスカの生まれ育った世界の動物にたとえるならハリネズミに近い。ハリネズミの針の代わりに、火鼠たちの全身をおおうものはらめくほのおだ。

「ええっと……お嬢さん、火鼠の子を見るのは初めて? 火鼠たちは炎にも焼けないじような皮を持っていて、フェルノ国の特産品なんですよ」

 火鼠たちを入浴させていた蜥蜴の女性が、少しまどった様子で話しかけてきた。

 アスカは話しかけてくれた女性の容姿にいつしゆんおくれしてしまう。

「は、はい……可愛いですね」

 いけない、人を外見で判断するなっておじいちゃんにも言われたっけ。

 アスカはすぐに蜥蜴の女性へ笑いかける。

 女性はおそろしげな顔つきとは裏腹に、その腕にいている火鼠の子を撫でる手つきはやさしい。その仕草をじぃっと見つめていたアスカは、勇気を出してそっと女性のかたわらに座り込んだ。

「あ、あの……少しの間でいいので、見ていてもいいですか?」

 女性と火鼠の子をこうに見つめる。

 その仕草が可笑おかしかったのか、蜥蜴の女性はくすっと小さく笑った。

「うふふ、構いません。よければ、抱っこしてあげてください」

「えっ、いいんですか!?」

 パッと表情を輝かせたアスカに、蜥蜴の女性は笑顔でうなずいた。浅瀬でじっとしていた一ぴきを両手で優しく抱え上げる。そのまま、アスカの手に乗せてくれた。

「きゅっ?」

 丸くて大きなひとみがアスカを見上げてくる。

 火鼠の子はゆっくりと小首をかしげるような仕草をした。

 自分の中であらぶる感動としようどうを理性で必死におさえ、火鼠がこわがらないよう親指で優しく頭をでてあげる。

「きゅっ、きゅうきゅっ!」

 火鼠はとても気持ちよさそうに声を上げると、アスカの両手の上でおなかを見せた。

「かわいぃ~っ! 小さいぃ~っ! 神さま、ありがとうっ!」

 なんてひとなつっこい子なのだろう。

 アスカは自分の頬がだらしなくゆるむのを実感した。

「お、おい! アスカ! もうその辺でいいだろ! もどってこい!」

 後ろの方でホムラの声が聞こえた。

 なぜか湯殿の柱のかげかくれたホムラと、それを呆れ顔でながめているイナビの姿があった。

「えっ、隊長さん?」

 蜥蜴の女性が目を見開き、はしゃぐアスカとホムラを不思議そうに眺めている。

「ホムラもおいでよーっ! この子たち大人しくて可愛いよーっ!」

 アスカは手に抱いた火鼠の子をホムラに見せながらじやに笑う。

鹿! こいつらはきようぼうなんだよ!」

 顔を真っ青にしたホムラが、身を乗り出して必死に何か言っている。しかし、アスカは聞く耳を持たなかった。

 こんなに小さくて愛らしい動物を狂暴だなどと、ホムラの感覚は絶対におかしい。

「と、とにかく、みはあっちで──」

 ホムラが意を決し、こちらへ歩み寄ろうとした。

 その足元に、一匹の火鼠の子が通りかかった。

「げっ!」

「きゅっ!」

 ホムラがおどろいて身を引いた瞬間、火鼠の子がその場で丸くなった。光が集束し、火鼠の子の全身を覆う。

 次の瞬間、火鼠の子がばくはつした。

 熱風を受けてアスカは浅瀬の中にたおれ込む。激しいほうらく音を聞いてとっさに火鼠の子をかばった。しかしいつまでっても、爆発によって飛び散ってきたへんが当たることはなかった。

だいじようですか?」

 うっすら目を開ければ、会話していた蜥蜴の女性がアスカを庇ってくれていた。さきほどまではこうたくを放っていた鱗の表面が、爆発によって飛散したちりほこりをかぶってうすよごれている。

「だ、大丈夫です。ありがとうございました、えっと……」

「ヒノと申します。おがないようでよかったです」

 ヒノに手を借りて体を起こす。

 ホムラがいた辺りの地面が大きくえぐれていた。

 柱はなぎ倒され、てんじようの一部が崩落している。

 アスカの顔から一気に血の気が引いた。

「ホムラ!?」

「あー、大丈夫ですよー」

 イナビが顔を真っ青にしたホムラをかついで、れきの上からこちらへ下りてきた。

 何ともかろやかな身のこなしである。

「ったく、隊長。あんた人の仕事増やさないでくださいよー」

こうりよくだ!」

 ホムラが顔を青ざめさせたまま主張する。

「一体何が……?」

「火鼠たちは大変おくびようで、外敵などにおそわれると自爆して難をのがれる習性があるのです」

「じ、自爆っ!?」

 先程の大爆発を引き起こした火鼠の子は、クレーターからい上がると全身を犬のようにふるわせた。くろげの全身から灰やすすがこぼれ落ち、下からやわらかなうぶが姿を現す。その産毛に再びチロチロと炎がともった。

「火鼠たちの毛皮は再生が速いから、それを衣服に利用しているんだ。なめして使えば衣服のほかに、火薬を保管するふくろにも打ってつけなんだよ」

 イナビも人差し指を立てて得意げに説明している。

「でも、危険ですよね!? いつ爆発するかわからないのに……」

「だから、一日に二度、こうしておに入れているんですよ」

 ヒノが浅瀬で丸まっている大量の火鼠の子たちをり返る。

 そういえば、先程の自爆を受けても、彼らはゆうばくしなかった。アスカの腕の中にいる子もただ丸まっているだけで、爆発する様子はない。

ねずみの自爆にはかんそうが不可欠なんです。ですから、こうしてお風呂に入れてあげれば、皮膚が湿しつに覆われて自爆できないんですよ」

「あぁ、なるほど!」

 よく考えられているものだ。とはいえ、爆発されてはいやなのであまりげきしないでおこう。

「さらに、一度爆発するとめの期間が必要でさ。その間に毛皮をはがしてやれば再生にエネルギーを取られて日に何度も爆発されなくて済む。火鼠たちにとってもストレスがなくなる分、づやがよくなって健康になる。まさに一石二鳥さ」

 イナビがアスカを安心させるように解説した後、座り込んでいるホムラをにらんだ。

「なのに、隊長ったらなんでいつも火鼠にそうぐうすると、百発百中で自爆させちゃうんですか! まーた皮一枚にして!」

「ある意味、天才とも呼べる的中率ですよね」

 イナビの尻尾しつぽがばしばしとゆかたたいて不満げである。ヒノも他人ひとごとのように笑っていた。

 ここでは爆発が日常はんなのだろうか。

 あきれるアスカの横で、ホムラがクワッと目をいからせた。

「俺だって好きで爆発させてるわけじゃねぇよっ! 何が気にいらないのか、俺が聞きたいくらいだっ!」

「隊長さん、顔怖いし、言動も結構ガサツだからせんさいな火鼠たちがおびえちゃうのよ。きっと」

 ヒノがほがらかながおとともに火鼠の子を撫でている。

「おい、ヒノ。どさくさにまぎれて俺の悪口言ってないか?」

「あら、心外です。あくまでも客観的な考察というやつですよ」

 笑うヒノの横で、ホムラが不満げに口をとがらせる。

「それで、隊長たちはここへは何をしに?」

 思い出したようにイナビがホムラとアスカを交互に見た。

「ああ、こいつはアスカ。ゆきおおかみに襲われていたところを保護したんだ」

「雪狼に……やつら、ガレルの近くまで?」

 イナビのけいかいするような表情にホムラは軽く首を振った。

「ま、こちらのていさつだろう。周囲に強いりよくの反応はなかった。念のため、ジルにはしばらく周囲のけいを厳にするよう指示した」

 ホムラはそこまで言って、アスカをあごで示した。

「とりあえず……まぁ、そういうことだから色々とめんどう見てやってくれ。『光の祝福』を受けて間もないから、色々と不安定なんだ」

「隊長がそうおっしゃるなら……お任せください」

 ヒノがいていた火鼠の子をあさに戻して立ち上がった。

「では、隊長さんは後片付けをお願いします」

「はぁっ!?」

ばくはつあとをこのままにしておくわけにはいかないでしょう? アスカさんは私が預かりますから。げんきようだまって動く! イナビ、手のあいている人も、手伝ってあげてちょうだい!」

「はいはーい。隊長、手伝う代わりに今日の夕飯の一ぱいおごってくださいねーっ!」

「わかった。なら翌日の訓練かんとくはジルにしよう。みなの訓練の成果、ぜひ見せてもらう」

「なっ、隊長そりゃないでしょう!」

 ぱしんっとヒノの尻尾が床を叩き、ぐちを叩くイナビたちをかした。

「さ、アスカさんはこちらへ。お風呂へ案内します。使い方も一応、説明しましょうかね」

「あ、ありがとうございます……」

 アスカはかかえていた火鼠の子を浅瀬に戻し、れた外套マントをしわにならない程度の力でしぼった。

 思った以上に水気をふくんでしまったせいか、外套マントはずっしりと重くなってしまっている。

 困ったな、借り物なのに……。

 瓦礫のてつきよ作業をしているホムラの背をちらりと振り返った。

「大丈夫。撤去には夕飯までかかるでしょう。ゆっくりかっても問題ありません」

「あ、いえ……そうではなく──」

 微笑ほほえむヒノに手を引かれる。結局、ホムラに濡らしてしまった外套への謝罪もできないまま、アスカはいったんかいろうへ出た。べつむねに続く橋をわたると、そこからにぎやかな声がひびいてくる。

「わぁっ!」

 天井の高い石造りの空間に、いくつもの温泉が整備されていた。

 はしゃぐ子どもたちを親たちが注意し、その様子を遠目にながめる老人たちの姿もあった。

 皆、思い思いに湯に浸かってリラックスをしている。

 まるで町中の銭湯のような心地ごこちのよさだ。

「さ、外套はそちらのたなに」

 石で作られた棚の一つに、アスカは借りている外套を入れる。

 先程ちゃんと絞ったつもりだったが、外套は相変わらず重い。冬物のようだし、もいいものを使用しているからだろうか。外套のすそつかみ、アスカは思わず首をひねった。

「……これ、どうやって洗おう」

 クリーニングってこの世界にあるのだろうか。

 アスカがしんけんなやんでいると、ヒノに呼ばれた。

 あわてて外套を軽くたたんで棚へ置き、ヒノのところへ向かう。

 アスカが立ち去った後、もぞもぞと外套が動き、小さな鼻が布のすきからのぞいていた。

「さ、体を洗ってから湯船に入るのがれいなの。道具類の説明もいつしよにしてしまいますね」

「お願いします」

 アスカはヒノの指導の下、温泉に入る際の作法をじつせんしていく。とはいえ、その内容は日本に住んでいたころとあまり変わらない。

 ちがいと言えば、体をみがくための研石やもうの人用のタオルが用意されてあったくらいか。

「フェルノ国はもともと火山地帯の国で、あちこちから温泉がいているんです。ですから、この地に住む人々にとって温泉は身近なんです」

「きもちいい……」

 ヒノとともに湯に浸かり、アスカはうとうととふねをこいでいた。

 もしかしたら、夢を見ているのかもしれない。

 そんな考えが不意に頭の中をかすめた。

 そうだ。そもそも人がいきなりほのおに変身したり、ドラゴンがその辺を歩いていたり、人間のようにしゃべったりする二足歩行の蜥蜴とかげと一緒にお風呂につかったりするなど……夢以外の何物でもない。現実的ではないし、とつぴようもなさすぎる。

 われながら、なかなかファンタジックかつそうだいな夢を見るものだ。

 ちらりと横目でヒノを見ると、彼女もこちらを見ていた。

火蜥蜴サラマンダーめずらしいですか?」

「あ、えっと……すみません。ジロジロと」

「構いません。どこからいらしたのか存じ上げませんが……すぐに慣れます」

 ヒノは湯船につかったアスカのかみをくるくると器用に巻き上げてくれた。

「でもアスカさんを追って隊長さんがいらしたのにはおどろきました。隊長さん、火鼠の子が大の苦手なんです。だからあの子たちが入浴しているってわかると絶対に殿どのには近づかないんですよ」

「そうなんですね……」

 まぁ、あの爆発をの当たりにした今となっては、彼の苦手意識もうなずける。

 自分がそばにいて確実に爆発するなら、近寄りたくもないだろう。

 火鼠の子は大変おくびようだということだし、自分たちよりもずっと大きい獅子に変身するホムラはきよう以外の何物でもない。

 まさに天敵ってやつかな。

 アスカは自分でそう結論付け、しんみような顔で頷いた。

「ですから、どうしても気になってしまって……。アスカさん、あの隊長さんをどうしたら湯殿の中にまでゆうどうできたのか、ぜひお聞きしたいわ!」

「はい?」

 何故なぜか期待に満ちたヒノの視線に、アスカはどう返事したものか困ってしまう。ヒノは興奮気味に身を乗り出した。

「一体、どんなうらわざけたのですか!? 隊長って平然と危険に飛び込むような人ですが、火鼠にかかわることだけはかたくななまでに臆病になるんです! それを、どうやったら湯殿にまで連れて来られたんですか!? ぜひご教示いただきたいです!」

「えっ!? いや、その……特に何もしてない、はず……?」

 ここに来るまでのやり取りを思い返しても、特別なことはなかったはずだ。身元の知れない人間を警戒している様子ではあったが、だからといってアスカに親身になる理由にはならない。

 あとは──。

「光の……なんとかってしきみたいなのはやりましたが……それくらいです」

「ああ、『光の祝福』ですね。アスカさん、どこかとかされていたんですか?」

「……そんなところです」

 さすがに「死んでいて肉体がなかったんです」なんて初対面の火蜥蜴ひとに言うのもはばかられる。

 余計なことは言うまい。

「うーん……さすがに『光の祝福』をしたからという理由だけで、闘騎隊の隊長が世話を焼くというのもおかしな話です。アスカさん、もしやあなたはルチアと関係があったりはしませんか? アスカさん? アスカさ──」

 だんだんヒノの声が聞き取りづらくなる。目の前がチカチカした。思わず目元をこする。

 温泉に浸かって気がけたせいだろうか。

 アスカはそのまま重いまぶたをおろして暗い世界へしずんでいった。

 遠くで自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 ああ、目を覚まさないと……せっかく仕事を休んだのだ。無事に祖母の家に辿たどり着かなくては──。

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アルファトリアの不死鳥 異世界の乙女は炎の獅子王を導く 紅咲いつか/角川ビーンズ文庫 @beans

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