地上(ここ)より永遠(とわ)へ

阿井上夫

前奏曲(プレリュード)

 西暦二千七十二年八月五日の朝六時三十二分。

 カリフォルニア州の静かな田舎町。

 町の中心部から少し離れた住宅街に住む、元トップガンの退役軍人ジム・ヴェンダーは、自宅の庭で花壇に植えたヒマワリに水を与えていた。

 真夏のカリフォルニアの朝は、既に奥行きが上手く取れないほどに青くて高い。

 その陽光の下で光を反射して輝きながら、水がヒマワリの色を鮮やかにしてゆく。

 数日後に遊びに来る予定の孫娘の顔を思い出し、ジムは表情を和らげてから、苦笑した。

 ――こんなところを奴らに見られたら、何を言われるか分かったものではないな。

 米国軍人として職務に忠実であった彼は、従軍期間中の一度も勤務のさなかに笑ったことがなかった。

 その厳格な姿勢から『教授プロフェッサー』と呼ばれていた男も、身体がついていかなくなった三十年前に退役し、直後に結婚して今では孫もいる好々爺である。

 彼が軍務に就いていた頃にアジアの独裁国家の内部崩壊したため、その周辺国家での治安維持活動に従事する中で実戦を経験したが、それ以外は局地的紛争の抑止力として駐在する程度の任務しかなかった。

 別名『鷹のイーグル・アイ』と呼ばれた男にとって、そのような時代は「実力を発揮することが出来なかったつまらない時期」とも言えたが、彼はもうそんなことはどうでもよかった。

 上官の娘を紹介されて結婚し、今ではお互いに気心の知れた仲である。

 生まれた長男と長女は自立した生活を営んでおり、長女が生んだ孫はもう達者に話をするようになった。

 これが、退屈で我慢することの多かった軍役の末に得られた結果だとすれば、彼の満足度は計り知れなかった。

「あなた、朝ご飯にしませんか?」

 声をしたほうを見ると、家の出窓から妻ドロシーの笑った顔が覗いていた。

「ああ、分かった。片づけてすぐに行くよ」

 ジムがそう答えると、ドロシーは微笑みの痕跡を残しながら窓辺から姿を消す。

 彼は再び表情を和らげた。

 ――自分がこんなに自然に笑えるようになったのは、彼女のおかげだ。

 無骨なジムの無骨な態度を咎めることなく、むしろ興味深そうに目を輝かせていたドロシーの若い頃の顔を思い出しながら、彼はヒマワリのほうに向けていた散水ノズルのグリップを緩めた。

 そして、それを持った右手を下におろしてから――違和感に気づいた。


 視線を自分の真上に向ける。


 目に染み入るようなカリフォルニアの青空の向こう側、その先に何かを感じる。

 年老いてなお、戦闘機乗りだった頃とそう変わらない彼の「鷹の眼」は、遥か上空にあるものの姿を捉えていた。

 黒い点。

 三秒後にそれが十個あることを彼は認識した。

 その一秒後に、それらが「鳥のような形状の物体」であることを感じ取る。

 同時に「落下」というには速度が早すぎると判断し、彼は腰を落として散水ノズルを持った右腕を上空に向けた。

 これは無意識の行動であり、それ自体に何の有効性もなかったのだが、直後に彼の判断はある意味間違いでなかったことが分かる。

 なぜなら、黒い物体は高速でジムのほうに接近しながら、鳥の頭に当たる部分から火焔を放射したからである。

 そして、散水ノズルにより迎撃を試みる暇もなく、ジムはそのまま炭と化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地上(ここ)より永遠(とわ)へ 阿井上夫 @Aiueo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ