第6話 凡人

開始早々腰据えておしゃべり、一時間経ってようやく始まったと思えばもう終わりか。


「ずいぶん余裕だな……」


とはいえこの課題は時間をかけるように設計されていない。

だからマイの行動や選択は間違いではないが、判断と見切りが早すぎる。


他のペアはどこもかしこもまずはどうするべきかの話し合いから始まっていた。あの早さは確実にどちらか――十中八九マイ――が方針を決定している。

それはいいことに違いないのだが、どうも違和感が拭えない。


「――先生、次はどうすれば……?」


「ん、あぁ……そうだな、最終的にマナは残す必要もある。つってもオレが見てるんだからその必要もねえが、まあ形式上な。つーわけで、適当に時間潰すか」


違和感の正体。

全く見当もつかない。才能があるだとか、魔眼を持ってるだとかそういう特殊性は関係ない。もっと根本的なところにズレがある。


「……ま、勘がいいだけとも言えんのか」


「……?」


「何でもねえ。それよりどうだ、最近。まだ一日しか経ってねえし何もねえとは思うが、悩みとか不安とか――」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




定刻、予定通り昼前に先生から号令がかかる。


「集まったな、んじゃ言ってた通りひとりずつ成果を見せてもらうわけだが……我こそはっつー積極的なやつはいねーか」


先生の言葉が終わると、即座にまっすぐ天に伸びる手がひとつあった。


「私からでよろしいでしょうか」


「おう、いいぞ」


二つ返事、他に競合もないので当然だ。


一番手はカーラ、ミアーナとペアの子。ミアーナは不安そうにしているが、対するカーラは自信満々といった様子。

何度も言うようだがミアーナの魔法に対する能力は非常に高い。よってその教えを受けたのだからカーラにも期待が高まるところだ。が、問題なのはミアーナのコミュニケーション能力。


私も苦手な方だが、それは自由に雑談しろと言われたり初対面で話したりする場合だ。今回も緊張を解すための会話はその部類だったが、定められたゴールに向かうための会話はそれほど苦ではない。


ミアーナの場合は正しく会話が苦手。カーラとの相性もかなり影響するだろう。

とはいえカーラの自信は相当なもの、特に心配はいらないのかもしれない。


「行きます」


手をかざし、詠唱とともにそれを放つ。


「――《雷葬》」


雷の薄膜が球状に展開され、続いて槍を象る雷がそこに四本突き刺さる。

完全に対個人用の攻撃魔法だ。


「派手さはねえが、緻密なマナコントロールがあってのもんだな。見栄えは悪いがスキルの向上は見える、よくやったな」


魔法を扱ったことがある者にしかわからない。

先生の言う通り今の魔法は技術の粋を集めたものと言えるだろう。機会があれば今度真似してみよう。


「よし、次」


待ってましたとばかりにコローネの手が上がる。


「いいぞ、どんどん行け」


コローネは進み出る前に一度私を振り返る。顔に不安はない、大丈夫。私は何も言わずに正面から見つめ返しひとつ頷いた。

受けたコローネも頷き、カーラと入れ替わりで前に立った。


「……ふぅー」


「自分のタイミングでいいぞ」


先生の声に頷き返し、間もなく手を前に突き出す。


「“我が意を汲み、業火をそこに現せ”! 《炎連弾》!!」


そして現れたのは隕石のような炎の魔弾が三つ、大きな音とともに地面に炸裂し粉塵を撒き散らした。

規模感は練習の火柱とどっこいだが、貫通力、破壊力が桁違い。エネルギーの密度、とも言い換えることができるか。


「試験の時とは見違えたな、魔法に対する知識がより深まったか。魔法ってのは知れば知るだけ上達するからな、闇雲に練習すりゃ上達するってわけでもねえ。いい兆候だ」


先生からお褒めの言葉をもらい、コローネは嬉しそうにこちらにピースしてみせた。


確かに先生の言葉は正しい。

剣術は対称的に知識というより体で覚えることのほうが多いだろう。当然定石として特定の場合はこうしたほうがいいというテンプレも存在するはずだが、基本的には知識より実技ありき。

だからこそ私も剣術を学びたかったのだが、まあそれはもう今更言っても仕方がないことだ。




流れるように進み、七人全員の成果発表が終了した。

マナ切れで発表できないというペアは皆無、加えて基本的に全員が試験時に比べよりよい結果を残した。ともすれば全員の実力が平坦になったようにすら思える。


「――つーわけで、軽く総評でもしとくか。とりあえずはお前らお疲れさん。まずはそうだな……今回のこの内容、新入生が入るとオレは必ずやらせるんだが、毎回必ず発表できねえペアってのが出てきてた。わかるよな、練習でマナ使い果たして何もできなくなるっつーことだ。だが、今年はそんなことも起きてねえ。ペア二人ともなのか、どちらか片方なのかは知らんがしっかり目標を見据えて管理できてた証だ」


そこで一度区切り、評価という部分に入っていく。


「……んで、指導してもらった七人、授業の前と今で何か意識の変化とかあったか? 試験の時はきっと上位の連中との差に少なからず諦めみてえなもんがあったんじゃねえのか?」


先生の言葉に数人がわずかに頷くのがわかる。


「それはどうだ。正しかったか、それとも間違いだったか? ……違えよな。まあ例外はあるが、基本的に今のお前らに差なんてもんは大してねえんだよ。ただコツを知ってるか、意識が向いている場所が適切なのか、それを知ってるかどうかって程度の違いしかねえ。……オレは最初に、六人には才能があるって言ったがありゃ間違いだ。才能を開花してる、が正しい。そもそも考えてみろ、お前らオレの魔法試験で合格してんだぞ、才能がねえはずがねえ」


……本当に、この人は根っからの教師だ。


「オレが自信持って言ってやる。お前ら一三人、ちゃんと優秀だよ」


全く、隠れ熱血にもほどがある。

どうにも人の感情をいじくりまわすのがずいぶん得意らしい。


「で、まあ残りの六人、お前らもよくやったな。けっこう頭ん中でいろいろ考えたんじゃねえか? 大前提として発表のためのマナは残してやんなきゃなんねえ、次いでウィークポイントがどこなのか探してやんなきゃなんねえ、それを改善するにはどうするか考えなきゃなんねえ……思考ってのはかなり重要だ。答えを出すのが目的じゃねえ、考えねえとって意識を持つことが重要。疑問、思考、改善……成長に必要不可欠な要素だ、基本的な原理が変わらねえなら踏むべき段階も変わるはずがねえ。お前らの成長にも繋がったはずだ」


他のペアがどうだったのかはわからないが、私の場合は個人的な実験という意味合いがかなり強かった。多分先生が言いたいこととは少しだけ違うが、結果的には同じ。


「指導した側も指導された側も、魔法ってのが意識と知識に深い関係があるってのはわかっただろ。つーわけで午後は座学だ、今一度改めて魔法とは何ぞやっつーのをオレが説いてやる」


狙いすましたようなタイミングで鐘の音が鳴る。


「んじゃ解散、一三時に教室な。剣術組はいねえから前詰めて座っとけよ」




三人揃って食堂にやって来る。

今日は肉うどんにした。リーゼはかつ丼、ミアーナはおにぎり定食というまた少し変わったチョイス。


「リーゼまたカツなんだ、好きなの?」


「……そう言えばそうですね」


「今更か」


初日、つまり一昨日はとんかつ定食、昨日はカツカレー、そしてかつ丼だ。仮に無意識だとしたらそれはそれで問題なのではないだろうか。

朝のメニューも少し考えてあげたほうがいいのかもしれない。


「ミアーナはまたそういう変なやつね」


ミアーナの盆には二つのおにぎりと味噌汁、漬物が乗っている。


「……?」


「本人がいいならいいんだけどね」


これでリーゼのように途中で空腹を訴えてくるなら文句も言うがミアーナの場合はそういったことはない。リーゼもリーゼでたっぷり食べてもすぐにお腹が空いてしまうため、単に消化が良すぎるのだろう。

仕方がない。


そのまま普段通りに食事が始まるが、何故か今日は会話が少ない。

これまではリーゼが積極的に話題の提供をしていたはず。だが会話よりも無心でカツにかぶりついていた。


午前の授業で疲れてしまったのかもしれない。


私も私で普段話しながら食べる、という行為はあまりしないためそこまで深く考えず食事に集中する。




「――うーし、んじゃ早速始めてくぞ」


昼休憩が終わり、予定通り座学が始まる。

魔法とは何ぞや。私も魔法書から読み取った部分しか知らないため、こういう授業があるのは助かる。


「わかんねえことがあったらその都度聞けよ。多分答える」


そこが多分では授業の意味がないのでは。


「まず、大前提としてお前ら魔法っつーもんを言葉で説明できるか?」


「……魔力、マナによって魔素に指向性を持たせたもの」


誰かがぼそりと答える。


「その通り、魔法ってのを構成してんのは魔力、マナ、魔素の三つ。だがそりゃ教科書に載ってる説明をそのまま読んだだけだ、わかりやすく噛み砕いて説明できねえか」


再度問われるも、今度は誰もそれに答えることができない。


「……おいおい、お前ら大丈夫か。ここで躓いてちゃ話になんねえぞ。キーワードは魔法式、命令、マナ、魔力、魔素だ」


「ま、魔力を、用いて……魔法式、に、マナと、命令を組み込み……ま、魔素と反応さ、せる……」


「わかってるじゃねえか。そう、魔法ってのは魔力を使い、魔法式にマナと命令を乗せることで起動、魔素と反応することでようやく現象として成立する」


魔法式というのはそもそもの元のことだ。土台。これまでの魔法書には単に術式と書かれていたが正式には魔法式と呼ぶらしい。


命令は要するに魔法の肉付けだ。

どのくらいの規模でとか、どの座標にとか、そもそもどの属性でという属性選択もここにカテゴライズされるはず。


前に魔法を車に例えたことがあったが、魔法式は車そのもの。命令はドライバーの動作に相当する、と思っていい……はず。


「んじゃ次だ。お前らが当たり前のようにやってる詠唱、こいつはどこに働く?」


またしても沈黙。


仕方なしに私が答える。


「命令」


「正解、詠唱ってのは命令に作用する。稀に魔法式に作用するって勘違いしてるやつがいるが正しくは命令だ、間違えんなよ。それと、詠唱を乗せる場合、言霊の強さによって余計にマナが引き出されるってこともちゃんと頭には入れとけよ」


詠唱というのは基本的には強化だ。

規模感の指定が命令なら命令に作用するというのは少し考えればわかる。


「これでお前らが普段どうやって魔法ってのを使ってるかは頭で理解したな。ならこっからは応用編だ」


言って、そこで初めて後ろの黒板に手を付ける。

「魔法式」、「込めるマナ量」と記述、それぞれを小さな丸と大きな丸で囲む。


「魔法式に込めるマナ量が、術式の許容量を超過した場合、余分なマナはどうなる?」


「浪費されます」


「その通り、じゃあ逆の場合は? 込めるマナの量が一定水準以下だった場合」


丸の大きさが逆転する。


「えと、不足分が強制的に引き出される」


「そう、魔法式の起動に必要な最低限の量だけ体内から無理やり引き出される。ここまではついてきてるな? 基準が魔法式に合わせられる状況、魔法式が上位でマナが下位ってやつだ」


これは知らなかった。

とはいえ、私の場合はマナが不足するということもないだろう。あまり気にしなくてもいい。

つまるところ保有しているマナ総量に余裕があれば、魔法式を起動しようとした時点で自動的に一定のマナが消費されるということだ。間違えてはいけないのは、浪費と消費は別ということ。


すると先生は黒板に記された「込めるマナ量」の部分を「保有マナ量」に書き換える。


「なら、込めるマナ量じゃなく保有しているマナ量だった場合は?」


「……効果の減衰、もしくは不発」


「当然だよな。マナを引き出そうにも元に残ってねえんだから引き出しようがねえ。だから、この場合だけはマナが上位で魔法式が下位になる」


これは当然、ガソリンがなければ車は動かない。


先生は言いながらちらりと時計を確認する。


「……まあ初日だしいいか。じゃあ最後に宿題、命令を構成すんのは命令と何か……多分すぐには答え出ねえだろ」


何だそれ、言葉として破綻している。いや、言いたいことは理解している。ただ文章にした時の違和感が半端じゃない。


思惑通りと言うべきか、誰もすぐには答えられない。


「次の座学で答え合わせすっから、お前ら各自で考えとけよ。ちょっと早えが、オレも暇じゃねえからな、今日は解散。ゆっくり休めよ」


時計を見るとまだ一四時程度。本当に早い。

忙しいのはわかるがこんなに早く切り上げていいものなのだろうか。


しかし先生は思った以上に生徒に寄り添った考えを持っている。もしかしたら、連続で長時間座学をしても頭に入らなければ意味がない、と思っての選択なのかもしれない。

そもそも魔法組はマナを使い切ればやることがない。毎日少しずつ座学の時間を取ったほうが効率的にもいいということなのか。


「――ま、マイさん」


「おん?」


不意の声に顔を上げると、そこにいたのはミアーナ。


「あ、あっち、み、見に、行きませんか……?」


「あっち……? あぁ、剣術?」


言うとミアーナは何度も頷く。


なるほど、早く終わったわけだし向こうはまだ授業中だろう。確かに何をしているのか少し興味はある。


「じゃあ行ってみようか、リーゼ――」


当然リーゼも誘えば来るだろうと思い声をかけようとするが、すでにリーゼは教室から消えていた。


「あれ? ……まあ、いいか」


仕方なし、私とミアーナは二人で体育館に向かうことになった。




空気循環のための小窓、並んでしゃがみ込みそこから中を窺う。


「おー、やってんねえ」


中では絶賛模擬戦中。

遠くて詳細は見えないが奥のホワイトボードの表示から察するにリーグ戦でもやっているのだろう。


「や、やっぱり、ち、ちょっと怖い、です、ね……」


確かに魔法の授業に比べると殺伐とした雰囲気は少しある。


リーグ戦は始まったばかりの様子、午後一から始まったのか。それにしてもボードの詳細が見えないのが歯痒い。


「……うーん」


私の様子から察したのか、ミアーナは指で輪っかを作りそれを覗き込む。


いやいや、そんなことで見えるようになるわけ――。


「――い、今のところ、あ、アルベルさん、サイラスさん、は無敗……ですね」


「え嘘でしょ、それ見えてんの?」


「えっ? は、はい。ぼ、望遠、遠見の魔法、です」


思わずミアーナの腕を掴みそこを覗き込む。


……本当に見える。


現状無敗はミアーナが言った通りアルベル、サイラス。ライナルトとヴァレンは一敗、デリアは二敗。しかし三人の黒星は全て無敗の二人につけられたものだ。


「すげ……これどういう原理?」


「え、えと……――」


ミアーナによると原理的には望遠鏡とほぼ同じ。

何故わざわざ指で輪っかを作っていたのかは座標の指定を簡略化するためだと言う。

自分の指で輪っかを作る場合、“指の周り”という相対座標に置き換わるため指定がかなり楽になるとか。単に“目”の前という指定でもいいが、イメージのしやすさで劣るとのこと。


何となく座標があっちこっちに移動すると面倒そうなイメージだが、変数として設定するとむしろ簡単らしい。


ホワイトボードから現状の把握ができたところで次の試合に移行する。


「あっ……」


前に出てきたのはアルベルとサイラス。

二人の模擬戦が始まるらしい。


「……けっこういいタイミングで来たかもね」


「ま、マイさん、は、どっちが、勝つと思い、ますか……?」


「どうだろう……サイラスのパワーは桁外れだったけど、アルベルはスピードで上回ってる。どっちが勝ってもおかしくはないと思うけど……ミアーナはどう思う?」


「わたし、は、あ、アルベルさん、ですかね」


結局のところ相性というのがかなり大きいんじゃないだろうか。

どちらも強いが方向性が違う。柔よく剛を制すとは言うが、どうなるか。


と、開始の合図とともにアルベルが飛び出した。


「速っ――」


動いた、そう感じた瞬間にサイラスと接触している。さらにそこからの怒涛の連撃。ガッ、ガッ、という木剣のぶつかり合う音が連続する。隙間は徐々に狭まり、まるで何かの駆動音にすら聞こえる。


「す、ごい、ですね……」


確かにすごい。

けど、あれを完璧に捌いているサイラスもやはり尋常ではない。


と、ひと際大きな音を立てて二人の距離が開いた。サイラスが力任せに弾き飛ばしたのだ。


「遅えな……本気で来いよ」


「……」


ここからでは会話を正確に聞き取ることはできないが、サイラスがアルベルを挑発している風なのはわかる。


アルベルは再び構えるが、先ほどとわずかに違う。

そして瞬く間に衝突。より激しくなる音、離れた場所の私たちですら衝撃に肌が震えている。


わずか、サイラスの立ち位置が後ろにずれる。


最初はサイラスが優勢に見えた。しかしそれも徐々に変化し、今ではアルベルが押しているように見える。


「……」


そう、見えていたのだが……それもまた変わる。

停滞する状況に、押しているように見えたアルベルがだんだん攻めあぐねているように映り出す。


「――やめだ」


サイラスの木剣が一瞬ぶれ、アルベルの連撃が止まる。驚異的な速度で振り抜かれた木剣に勢いを殺されたのだ。

サイラスは勢いを利用しその場で回転、そのまま次撃を繰り出した。


「ぐっ!?」


アルベルも木剣で受けようと即座に防御するが、それだけで衝撃を相殺することはできない。結果、アルベルの体は大きく吹き飛ばされてしまう。


防御に使った木剣は真っ二つになっていた。


「あいつより遅え……お前もなかなか面白かったが、足りねえよ」


終わった。

結果はサイラスの完勝。


最後の一撃、おそらく普通に構え直して次撃を打っていればアルベルは躱せたはずだった。極限まで無駄を排除した動き、勢いを利用した回転。あの判断が勝敗を分けた。


「……結局、サイラスは一撃ももらわずに勝ち、か」


呟き、私は立ち上がる。


「なんかお腹いっぱいだし、私はもう寮に戻ろうかな。ミアーナはどうする?」


「わ、たし、は、も、もう少し……」


「了解、んじゃ先戻ってるよ」


ミアーナにそう言って寮のほうへ歩き始める。


しかし、ミアーナはどうして突然剣術の授業を見たいなどと言いだしたのだろうか。単純な興味と言われればそれまでだが、それだったら私を誘う理由は何だろう。


「……」


もしかすると実は気になる男子がいるのだろうか。

それこそアルベルとか。顔立ちも整っている、イケメンと言って差し支えない。それに試験の時はライナルトとのやり取りも熱かった。惚れる要素は十分揃っているように思える。


「……ふむ、なるほど」


真偽は定かではないが、私個人の中ではそれで妙に納得してしまった。




寮に戻り、何の気なしに部屋の扉を開こうとノブを捻る。


ガッ。


「ほ?」


鍵がかかっている。

てっきりリーゼが帰っていると思ったのだが、まだ戻っていないらしい。鍵自体はパイプシャフトに置くよう決めておいたので入れないということはないが、少しだけ心配だ。


「……」


とはいえひとりになりたい時もある。

まして独り立ちして幾日も経っていないのだ。常に誰かがそばにいるより、少しくらいひとりの時間を設けたほうが上手くいくこともある。


そう結論付けた私は、結局部屋でゆっくりすることにした。




それから数十分、ベッドの上でごろごろしながら本を読んでいると部屋の扉が開かれた。


「んぉ、おかえりー」


「も、戻り、ました……」


ミアーナだ。

ミアーナは部屋に入ると一度全体を見回す。


「あ、れ……り、リーゼさん、戻って、ないんで、すか……?」


「んーそうみたい」


適当に返事をしながら本を閉じ起き上がる。


「たまにはひとりになりたいのかなー、って思ってあんま気にしなかったけど。コーヒー飲む?」


「あ、じゃあ、いただき、ます……」


ミアーナが戻る前にも一杯飲んでいたため、準備にはさほど時間はかからない。

さっと用意して並べると定位置に腰を下ろす。


「うぁー……よいしょっと」


いやいや、よいしょて。思わず自分に突っ込んでしまった。

精神年齢三十路とはいえ体は一二歳だぞ、こんなことでよいしょなんて言ってたらまずかろう。


「そういやさ、宿題って言われたやつ考えてる?」


命令を構成するのは命令と何か、ということだった。


「ん……考え、ましたけど……よ、く、わから、ない、です……」


「だよね。私もちょっと考えてみたけど、結局全然わかんなかったなぁ」


命令、魔法の肉付け。要するに術者が魔法に対して行う指示、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。そしてそれとはまた別の要素を内包していると。


……。


「……ダメだ、考えれば考えるほどわからん。こういうのって意外とリーゼとかすっと答えられそうな気がするんだけど」


おそらく全体の知識として多く持っているのはミアーナ。しかしミアーナも原理全般を熟知しているというよりいくらかは感覚で持ってるようなイメージ。

対してリーゼは一個一個堅実に、確実に理解しながら進むようなタイプに見える。であればこういう詳細な部分も理解しているのではないか、という勝手な憶測だ。


適当に思考しながらカップに口をつける。

緩い思考の隙間を縫うようにどうでもいい疑問が顔を出す。


「ミアーナ、好きな子いるの?」


「……? ……ふぇっ!? い、いいい、いませんよ!!」


「あ、そう」


「な、ななななんでそう思ったんですか!?」


「いや、別にそんな深い理由はないけど、何となく」


逆にここまで動揺されてしまうと判断が難しい。

動揺を隠そうとする意識が見えればほぼ確実と言えるのだが。


まあ別にどうでもいい。仮にいたとしても変に介入するつもりはない。ただでさえおばちゃんなのにお節介まで焼き始めたらとうとうだ。それは私の望むところでもない。


と、また比較的どうでもいい会話の種が網目を通り抜けてくる。


「……私さ、ブラックコーヒーってあんま好きじゃないんだよね」


「そ、そうなんですか……? お、砂糖、入れます?」


「ううん。別に飲めないわけじゃないし、嫌いでもないけど好きじゃないの。だって普通に甘いほうが美味しくない?」


「ま、まあ、わたしはどっちも好きですけど、飲みやすさとかはそうですね」


先ほどの動揺が尾を引いているのか、いつもよりスムーズに言葉が出てくる。


「でもさ、砂糖とか入れると混ぜなきゃいけないじゃん? 洗い物増えるし、冷めると下に溜まるし面倒くさいんだよね」


「あ、それはわかります」


私はまたカップに口をつける。


「……別に甘いの好きでもいいと思うんだよなぁ」


それは別に私の嗜好を正当化したいわけではない。

ミアーナも一度は私の呟きに首を捻るが、じきに言わんとしていることを理解する。


「そう、ですね」


浅い息をはく。

苦い香りがこびりついていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




こんなものではダメだ。

この程度ではすぐに追いつけなくなってしまう。


二人と一緒にいるなら、二人と一緒にいたいならそれに相応しい能力を身につけなければならない。


これでは、全く足りていない。


あぁ……また、同じことの繰り返しだ。

何も変わっていない。


「……――」


呟きは誰にも届かない。

ただ気紛れに行き交う風がそれをさらっていく。


「――リーゼル」


不意の声は背後。

おもむろに振り返った先にいたのは、先生だった。


「もう遅えぞ、今日は帰れ」


「……でも、それじゃ追いつけないんです」


「あぁ? ……何の話だ」


「凡人は、天才の倍やらなきゃ。そうしないと、それができないと……私にはここにいる資格がないんです」


凡人は天才の邪魔をしてはいけない。

天才がその才気を遺憾なく発揮するために舞台を整えなければならない。邪魔なんてもってのほか、視界に入ることもおこがましい。

影響を与えてはいけない。


ひっそりと、何事もなく過ごし、消えていく。それが凡人の役割だから。


どうしても足掻きたいなら並ばなくては、まずは追いつかなければ。


「……魔法の試験、一三人中お前は四番目、この結果のどこが凡人だ。オレは授業の時にも言ったよな。魔法ってのは闇雲に練習すればいいわけじゃねえ、知識がものをいう、知ってるか知らねえかで雲泥の差が生まれるもんだ。これから先ゆっくりやっていけばいいだけだろうが。……今日のところは帰れ、食堂も閉まんぞ。それと――」


先生が私の手を取った。


「――ん……手と腹、あんま温めすぎんなよ。時期的に冷やす必要もねえが、腹から上は掛け物しねえで寝たほうがいい」


「……」


「わかったな……?」


わからない。何もわからない。

だけど、私には頷く選択肢しか残されていない。


気付けば日は完全に落ち、暗闇が世界を支配し始めていた。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




現在時刻は二二時を回ったあたり。


ガチャッ……。


いつもより控えめに扉が開かれる。


「――やっと帰って来た。ほれ、さっさと行くよ」


ようやく、本当にようやく帰って来たリーゼに言いつつ、肩を掴み部屋の外に出ようとする。


「ぇ……? ど、こに……?」


「食堂に決まってんでしょ、早く行かなきゃ閉まっちゃうんだから」


「も、もう食べたんじゃ……」


「え、馬鹿なの? リーゼが来ないのに勝手に食べに行くわけないじゃん、ずっと待ってたの。お腹空いたし行くよ」




食堂は当然ガラガラ。

あと一時間もすれば閉まるのだ、当たり前。すでに閉める準備を進めていたのか、カウンターの向こうもいくらか照明が消えているような気がする。


「んー……何にしよっかな、お腹は空いてるけど時間も時間だしなぁ」


こういう思考がもうすでにおばちゃんなのかもしれない。

思えば子どもの頃は時間帯なんて気にせずバクバク食べていた。


個人的にうどんという食べ物は割と最強だと思っている。

食べた時の満足感もたっぷりだし、消化もいいしカロリーも低め。ただ唯一の問題は今日の昼もうどんだったということだけ。


「まあ、いいか。私うどんで」


各々注文を終え支払いも済ませる。


「……」


やたらと言葉数の少ないリーゼ。

思えば今日の昼あたりから様子がおかしかった。


ただのホームシックかと思っていたが、どうやらそうではない。何か悩みがある様子。

こういう時どうすればいいものなのだろうか。私はそういう時どうしてもらいたかったか……。


「リーゼさ、聞かれたくなさそうだから私からは何も聞かないけど、何かあるなら相談には乗るからね」


……わからない。結局はこんなテンプレのような言葉しか出て来ない。

私はそもそも他人にそうやって気を遣われること自体避けていた。問題の先延ばしにしかならないと知っていながら、他人に「悩みがある」ということを知られたくなかった。


だから、これはもしかしたら悪手なのかもしれない。

でも本心だ。自分のことを棚に上げて言うのはおかしいかもしれないが、私はリーゼに悩みがあるなら聞いてあげたいし、どうにかできるなら協力したい。


「ぁ……い、いえ、大丈夫です」


「そっか、まあ今は大丈夫でも後々ね。そういうことがあったら遠慮しないで言っていいからね」


そして注文した料理を受け取り席に着く。

座りながら二人の料理をちらりと見る。ミアーナはカツカレー、リーゼは鰆の西京焼き。


「……逆じゃね?」


いや、それぞれの前にそれが置かれているのだからもはや勘違いではないだろうが、普段のチョイスを考えれば確実に真逆。


もしかすると、ミアーナはリーゼの様子から何かがあるのを察してわざとカツを選んだのかもしれない。

例えばリーゼがカツを食べたいと言うかもしれない、例えば普段リーゼが食べているカツを食すことでリーゼル・グリントという人間を少しでも理解できないかと考えたのかもしれない……例えば、全部私の気のせいでたまたまミアーナがカツを食べたくなったのかもしれない。


二人が手を合わせ料理に口をつけ始める。


ただ、やはり普段のミアーナを見ていればそこに何の意図もないとは思えなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




ベッドに転がり瞼を閉じる。

それだけで内側には記憶が鮮明に蘇って来る。


ふと、何故自分がここにいるのかわからなくなる。


……魔法の技術を磨くために。


何故そうしたいのか。


……無力、落ちこぼれ、出来損ない、そう言われた自分を変えたかったから。


何故。


……この世に生を受けてからずっと、天才と比較されてきたから。




暗闇が全てを支配する。

黒。


その中で自分の体だけが浮いているような気がした。


天井に手を伸ばす。


「……――」


私は変わった。

変わったと思っていた。あれからいろいろなことがあって、本当に、いろいろなことがあって……変わったと思っていた。




何も変わっていない。




「――お姉様」


声は闇に溶けた。

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