第5話 魔眼
「さっきも言ったが、お前がその妙な技できるまでは手加減してやる」
対峙するや否やサイラスが言う。
「え、さっき待ってやるって……」
「あぁ? 馬鹿かお前、ただ待ってるだけなわけねえだろ。んなことしたら暇過ぎて死ぬ」
謎の納得感。
「……一応言っとくけど、できない可能性もあるわけだからね」
「飽きたら終わらせる。それまでは遊んでやっからよ」
傲慢の権化みたいな男だ。
しかしそれだけ大きな力量差があるのは理解している。
「準備はいいな、じゃ始め!」
合図。
サイラスはゆったりとした動作で木剣を構え、そして横薙ぎに振るった。
遅い。
やはり巨体なだけあって鈍い、もしくはそれだけ手加減してくれているか。これならば冷静に対処すれば――。
――ドッ!!!!
「ぐっ!!??」
鈍い一撃、完全に木剣で防いだはず。
なのに、私の体は一瞬宙に浮きあがった。
衝撃はそこまでじゃない。当たり前だ、あれほどゆっくりと繰り出された一撃に衝撃なんて乗るはずがない。押し出される感覚。
安定して常に供給される力が受け止めようとする力をすでに超えているのだ。
瞬間的な力ではない。
「おいおい、死ぬほど手加減してんだが……お前軽すぎだろ」
馬鹿力にもほどがある。
まるでブルドーザーと相撲を取れとでも言われているような。
「ぼさっと突っ立ってんなよ、次」
気付けばサイラスは私の目の前で木剣を振り上げている。打ち下ろし、まともに受けたら木剣が折れる……いや、それどころか腕が折れてもおかしくない。
「っ!!」
とはいえ避けることもできない。
だから私は仕方なく木剣でひとまず受ける。
ガ――。
衝撃を手が感じる前に素早く流す。
――ドガッ!!!!
私の木剣を滑るように振り下ろされた一撃は、地面に激突して大きく抉れる。
「っゴリラじゃん……!!」
一瞬の隙、たまらず後退するがそれを予期していたように瞬時に斬り上げが襲う。幸い直撃はしなかったが眼前を掠めていった。
「……! っぶなぁ」
これで手加減している?
冗談はやめてくれ。
もうわかった、とっくの昔、初撃を見た段階ですでに理解している。
近接戦闘においてサイラスは私たちの中で一番強い。
ヒュン――。
風を切る音。
即座に木剣で防ぎにかかる。
大丈夫、受け流すことができればとりあえずは捌ける。
ガッ!!
だが、それもきっと長くは続かない。
だんだんと精度も低くなっていくのがわかる。手に走る衝撃が強まっているからだ。
ガンッ!!!!
木剣から放たれる力が腕に伝わる時間、どんどん長くなっていく。
ガギンッ!!!!
そろそろ限界が近い。
もうすでにほとんど威力を逃がせていない。蓄積されたダメージによって握力が削られている。少しでもミスれば手から木剣は抜け落ちるだろう。
だがまだスローになる予兆などない。
粘らないと、ここで踏ん張らないと負ける。
「あぁ……――」
呆れのような吐息。
不意に襲い掛かる正体不明の不安。
「――悪りぃ、飽きたわ」
目の前で振り上げられる木剣。
次の瞬間にはそれが木剣なのかどうかすら視認できない。私の動体視力では捉えることができないほど加速しているのだ。
まずッ――。
――不意、目の前に広がる全てが停止した。
私たちを中心に世界から色が抜けていく。モノクロ。
「――えっ……?」
サイラスが持つ木剣は私の目と鼻の先にあるが、当然例に漏れることなくこれも停止していた。
意味がわからない。
何が起きているのかわからない。
だが、私が今するべきことが何なのかはわかる。
サイラスの大きく開いた脇の下、潜り込むように懐に入ると手の中の木剣を力任せに叩きつけた。
「――がっ……!?」
色が戻る、世界が時間という概念を取り戻したように再び刻み始める。
サイラスは突然腹に一撃を食らい、困惑したまま後退る。しかしそれで留まる、倒れるようなことはない。
「お前……面白えよ」
ズギッ!!!!
直後、割れるような痛みが左目を襲う。
「っ!!!!」
思わず目を抑えながらその場に膝をつく。
痛い、痛い痛い痛い!
我慢できない、眼球が砕けそうなほどに痛い!
と、ふらつく私の体を支えるように何かが触れた。
「――悪いな、試験は中止だ。お前ら他の先生とっ捕まえて片付けろ、今日は終わりでいい。明日は八時に教室だ、遅れんなよ」
先生の声が耳元で聞こえた。支えているのが先生だとわかる。
私は先生に支えてもらいながら立ち上がり、そのままどこかへ歩き出した。
いまだ続く激しい痛み、潰れそうなほどの鈍い痛みと刺すような痛みが交互に襲いかかって来る。
そしてたどり着いたのは校舎内の一室、右目だけで確認するとおそらくは保健室。
先生は保健の先生に一言伝え退室してもらうと、私のことをベッドに座らせた。
「手、退けろ」
言われるが、自分で退かそうとする前に先生の手が私の腕を乱暴に動かした。
今私の左目はどうなっているのだろう。鏡を見なければわからないが、痛みや感覚から察するにぽっかりとそこだけ大きく抉れているのではと不安になる。
一応左目も見えてはいるのでそんなことはないのだが、錯覚するほどの激痛だ。
先生は私の目を見ると、掴んでいた腕を解放する。
「……せ、先生、私の、目……ど、どうなってますか。自分じゃ、わから――」
「――お前、何なんだ?」
低い声。
今まで先生の口から聞いた中で一番。
「えっ……?」
「お前は何なんだって聞いてんだよ!! あり得ねえだろうが! 何だあの魔法! 何だその目は!? ……あり得ねえ、あり得るはずがねえ。それはお伽噺の中の話だ、現実に存在するはずねえんだよ。実在した偉人ですら持たねえ、誰かの想像の中の産物……それが、何でお前にあるんだよ!」
「ぁ……え、ぁ、その……」
わからない。
どうして私が怒られているのかもわからないし、何を言っているのかもわからない。
先生は机の引き出しを勝手に開けると、中から手鏡を取り出してそれを私に渡した。
自分の目で見ろと。
恐る恐るそれを覗き込む。
「……え」
見えた左目は金色に輝いていた。だんだんと輝きが弱まっていくが、明らかに光を放っている。そして中心には何かの紋様が浮かんでいる。
私の瞳の色は赤だ。お母さんと同じ色。
金色ではない。
「魔眼」
「え……?」
「フィクションの話だ。高い魔法適性を持つと、極稀に体の一部が空気中の魔素を取り込むことがあるらしい。取り込まれた魔素によってその一部は何かしらの特殊な能力を発現する」
つまり、体の一部というのが目だった場合は魔眼と呼称される。
すると先生は私の前にしゃがみ込み、今度は優しい手つきで頬に触れた。
「もっかい見せてみろ」
言って私の目を覗き込む。
「……光、収まってくな。紋様も消えていく」
緩やかに引いていく痛みからもそれは感じられる。
手は頬から離れ、先生は一度私の頭を優しく撫でた。
「待ってろ」
そして保健室から出て行く。
「……」
怖かった。
大人の人に怒られたのなんて久しぶりだった。同級生との喧嘩はそれなりに経験したが、大人を怒らせるようなことはしたことがない。
それに、何故かはわからないが年上の人には気に入られることが多かった。
まだ、頭の中が整理しきれていない。
先生の話から私には魔眼と呼ばれるものが備わっているのはわかった。しかしそれが何故なのかがわからない。
考えても仕方がないのだろうか。
そうして思考に浸っていると先生が戻って来る。手には何やら分厚い本。
先生はその本のあるページを開き、私に見やすいように逆向きにして差し出した。
「ツァイト神、時を司る神。お前の左目に浮かんでたのは、多分この神の神紋だ。思い当たる節、あるか?」
ツァイト、時を司る神。
もしかすると……いや、わからない。
「……」
「わかんねえなら別にいい」
そして置かれていた先ほどの手鏡と本を取ると、手鏡を引き出しに戻して椅子に腰を下ろした。
「効果、自分でわかるか?」
何の、そんなことは聞かずともわかる。
「……多分、スロー……いや、時間停止」
「はっ……なるほど、だからツァイト神か。お前の不自然な動きにも一応は納得できる……」
確かに、時を司る神で時間停止の魔眼となると辻褄は合っているような気がする。あくまで今出ている情報では、という条件付きだが。
「わかってると思うが、そいつはあんまり使うなよ」
「え?」
「え、じゃねえよ馬鹿。当たり前だろうが、どんな副作用があるかわかんねえんだぞ。仮に乱用して失明とかしたらどうすんだ」
確かに、よく考えなくても先生の言う通りだ。
わからないものをわからないまま使うより、安全性を確認しなければいけない。とはいえ私も意識して使ったわけではない。まずはトリガーを理解しなければ話にならない。
思えば、私は本当に何も知らない。
この世界のことも、表面上は理解したつもりになっていたが実際はそうではなかった。魔法についてもわかっているようで何もわかっていない。基本中の基本である詠唱すら知らなかったのだ。
「……そう言えば、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「あ? 何だよ」
「その、マナってあるじゃないですか。あれって、消費したら自分で感知できるものなんですか……?」
そう、これ。
家での練習中に疑問を抱いたが、結局感知できずに後回しにしていたのだ。こんな時に聞くことではないかもしれないがちょうど思い出してしまったのだから仕方がない。
「は……? いや、そりゃそうだろ。じゃなかったらどうやっ……あぁ、いや、もういい。わかったわかった」
……どうやら、またしても意図せず先生のネガティブスイッチを押したらしい。
「お前が規格外だっつーのはよくわかった。何だお前、自分でマナ残量が感知できねえってか」
「えっと……まあ、そうです。一応、一日中魔法使いまくったりしてみたんですけど、それでも自分じゃわからなくて」
「今は?」
「今もそうです」
言うと、先生は額に手を当て長い溜め息をこぼす。
「かぁー……まじで意味わかんねえ。午前中にあの規模の魔法、んで魔眼まで発動してマナの消費がわかんねえってやばいだろ」
「魔眼ってマナ使うんですか?」
「知らねえよ。知らねえけど、普通独立してそこだけでそんなとんでも能力発動できるわけねえだろ。多分触媒的な役割を果たしてんのがその左目だ」
先生はそこまで言うと足を組み替え、先を続ける。
「時間停止なんて離れ業、普通の人間がやろうと思っても無理。スローにするだけでも多分感知できねえくらい一瞬。そんなほとんど何も起きてねえような現象を起こしたうえで体内の全マナを消費する」
「で、でも体感では五秒は止まってましたよ」
「体感はアテになんねえが、おそらく少なくとも二秒は止まってんだろうな。多分数万人が集まってようやく一秒の時間停止が実現できるかどうかってとこだ。左目が触媒なら変換効率はなりにいいんだろうが、それでマナの消費が感知できねえのはやべえよ」
感知できる範囲がどの程度かにもよるが、最低でも一割も消費していれば自分でわかるのだろう。つまり、単純に考えると少なくとも十万人分のマナが私には存在していることになる。
とんでもない量だ。
もはや多いのかどうかもよくわからない。
「……まあいい、いや、よくはねえがとりあえずはいいことにしておく」
言って先生は立ち上がり、再び私のところにやって来る。
「お前、オレのこと信用できるか?」
「……口は悪いし乱暴だけど、多分人としては信用できると思います」
「前半は余計だ馬鹿。……なら、オレとの約束。お前に莫大なマナがあるってこと、それと魔眼については隠せ。面倒なことに巻き込まれる可能性もあるからな」
面倒なこと……。
具体的にどういうことがあるのだろう。よくわからないが、この世界ではマナは万能に近い。車や家電――この場合は電化製品とは言えないが――にも使うわけだし、莫大なマナを持っているイコール石油王みたいなものと考えても支障はないかもしれない。
「じゃ、後はお前も適当に休め。オレももう行くからな」
先生は言うだけ言って保健室を出て行こうとその扉を開く。
「――あぁ、そうだ。お前には予定通り魔法の授業に出てもらうからな、よろしく」
パタン……。
「……え」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
あまりの緩急、スケールを大きくするだけ大きくしていきなり小さくしたら理解するのに余計な時間がかかる。
「ええええええええええっ!!?」
悲鳴が保健室、ひいては校舎に響いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
寮に戻ると、案の定リーゼとミアーナが騒いでいたがそれを押し退け私はベッドに直行する。
疲れた。
単純にあれだけ体を動かしたのも初めてだし、魔眼を使った反動のようなものもあるのかもしれない。ともかく疲れ果て、一刻も早く眠りに就きたかった。
――不意に目が覚める。
外はまだ真っ暗、二人も就寝中。
続いて時計を見ると、示す時刻は四時を過ぎた頃。さすがに早すぎるが、過剰に寝たせいかすでに眠気は体に残っていない。ざっくり一二時間ほど寝た計算になると考えれば当たり前だ。
一度眠ったせいか妙に頭がすっきりしている。
私はベッドで眠るリーゼ、ミアーナを見やり、ゆっくりと、音をたてないように部屋から抜け出した。
やって来たのは例のベンチ、火照った体に夜風が染みる。
この場所にやって来ると昨日のことを思い出す。
ミアーナに教えてもらった詠唱だ。
「……って、詠唱……言霊とか言ってたけど、具体的に何言えばいいんだこれ……」
記憶をたどる。
イメージの具体性と強化。力、効果を補強し、さらにそのイメージに現実感を持たせる感じ。
推測だが、要するに自分の中のイメージと現象が釣り合っていれば何を言霊として乗せてもいいのではないだろうか。自分の中で完結する最強の連想ゲームみたいなイメージ。
ひとまずはミアーナと同じような言葉を詠唱として使ってみることにしよう。
「ふむ……」
まずは詠唱破棄、普段と同じように手の上に氷を出してみる。
イメージ通り、一〇センチ程度の氷が現れた。すぐに消滅させて足元を手でかざす。
「えっと……“凍れ”」
バキキッ!
現れたのは二メートル超の氷塊。
「え、えぇ……何でやねん」
おかしい。
ミアーナの時は三〇センチ程度で収まっていたはず。最終的な複雑な詠唱というものと同等では明らかにおかしい。
もう一度、今度はしっかりと規模感までイメージしてみる。
「“凍れ”」
バキッ!
見ると、そこにはイメージ通りの氷。
どうやらしっかりと結果までイメージしなければ限界まで膨張した結果をもたらしてしまうらしい。
私では感知できないが、多分マナも余分に消費する。
つまり、限られたマナを効率的に使うのであれば詠唱はするべきだが、採算を度外視していいのであれば使う必要はない、と。
「……まあ、一応使ったほうがいいのかな。先生にもバレないようにしろとか言われたし」
先生に言われたで思い出したが、魔眼。
隠せと言われてもやはり使いこなせなければ話にならない。そもそも意識して発動できるのか、発動できたとして効果が切れるトリガーは何なのか。
私は氷を全て消し、手のひらを上向けにしてそこに小さな炎を出した。
「これで効果が出てるかどうかは確認できるかな」
揺らめく炎、時間停止という魔眼の力が発動していればこの揺らめきは停止するはず。
そもそも記憶通りであれば色素が抜け、モノクロのような視界になるからそれでも判別できるが、確認できる要素は多いに越したことはない。
さて、問題はどのように発動するか。
「んー……あー、えっと、止まれーっつってみたり……して」
半ば冗談だった。
しかし、実際に世界から色が抜け落ち、炎の揺らめきも完全に停滞していた。
「すげっ!」
――が、それは一瞬。
気付いた時には全てが元に戻っていた。炎もゆらゆらと揺れている。
「はん……? 何だこれ、意味わからん」
仕方ない、もう一回やってみよう。
そう思い今度は声には出さずに頭の中だけで念じる。
次の瞬間、急激な痛みが左目に走った。
「づぁっ!!!!」
即座に炎を消して左目を抑える。
痛みはすぐに引いていく。
「……何だよ、これ。痛ったかったぁ……」
全くわけがわからない。
任意で発動できるということはわかったが、効果の終了条件がわからない。そして二回目の謎の痛み。
「……もしかして、回数制限……?」
あり得ないことではない。
現実とゲームは違うものだが、ゲームではスキルのクールタイムというものがよくある。
魔眼の連続使用は不可能、なのだろうか。
剣術試験のことを思い出す。
ヴァレン戦は軌道が見えた。トレイス戦、デリア戦はスローになった。サイラス戦で初めて完全に時が止まった。
ここからは完全な推測。
私にはこの世界に生まれた時から魔眼があった。だけどしっかりと覚醒していなかったためにこれまでは何ともなかった。目を覚ますきっかけがヴァレン戦、それから徐々に覚醒し完全に覚醒したのがサイラス戦。
しかし、目覚めたばかりで不安定、そんな状態で行使したために痛みを伴った。
実際には大体一日に一回程度しか行使できない。制限を超えると副作用的に痛みが走る。
「まあ……ないこともない、かな」
謎が増えただけとも言えるが、最初から謎だらけ、今に始まったことではない。それに任意での発動ができるとわかっただけでも収穫だ。
とりあえずは先生との約束通りにしよう。
何事もなければ破らずに済む。
「……寒っ、戻るか」
体を冷やし過ぎたらしい。
とりあえずは頭の整理もできたし戻って温まることにしよう。
寮まで戻り廊下を歩いていると何やら騒がしい声が聞こえてくる。
どうやら一〇五号室――私たちの部屋からしているらしい。
若干の溜め息とともに部屋の扉を開く。
「……ただいまー、声外まで聞こえてるよ。まだ早いんだしもうちょっと静かにしなよ」
後ろ手に扉を閉めつつそう言うと、中から二人が出てくる。
「ど、どこ行ってたの!? 勝手にいなくなるから心配したんだからね!」
「そうですよ! マイさんみたいなしっかりしてる人が急にいなくなったら心配します!!」
ミアーナが普通に話していることからもわかる、よほど心配していたらしい。
「いや、考え事があって、起こしたら悪いと思って適当にぷらぷらしてただけだよ。ていうか学園の敷地内で心配するような事件起きないって」
「それはそうかもしれないけど……」
というかリーゼもこういう時は敬語が抜けるんだな。むしろこっちが素なのだろう。
私には敬語じゃなくていいと言ったのに自分だけ気を遣っているのもどうなのだろうか。まあそのあたりはそれこそおいおい慣れれば、か。
「てか私ってそんなにしっかりしてるっけ。そんな意識ないけど」
「してますよ! だってほら、ごはん作ってくれるじゃないですか!」
そこかよ。
それはただミアーナが食べるの大好きで勝手に私の格が上がってるだけだ。
ごはんと言えば昨日は夕食を食べていない。二人も起きているなら朝食にしてもいいかもしれない。
リーゼもミアーナもきっとお腹が減っているからかりかりしてるんだ。
「はいはい、わかったわかった。ちょっとあっちで待ってて」
二人を部屋に押し込み、私はひとり朝食の用意を始める。
「――へいお待ち」
献立は昨日と大して変わらない。
パンの種類を食パンからクロワッサンに変え、目玉焼きをスクランブルエッグに変えた程度。
時刻は五時、早めなのできっとリーゼあたりは部屋を出る三〇分くらい前にお腹が減ったと言い出すだろう。あらかじめ余計にパンを焼いておいた。焼きたてとはいかないが、ちょっとした空腹を紛らわすにはこれでいいだろう。
「えっ、朝ごはん……早くないですか?」
「二人ともお腹減ったからぷりぷりしてたんじゃないの? 私もお腹減ったしちょうどいいと思って」
「そ、そんな子どもみたいな理由じゃ……ねえミアーナさ、み、ミアーナさん!?」
見るとミアーナは早速パンにかぶりついていた。
「ミアーナ、いただきますはちゃんとしようね、っと。いただきまーす」
「ふぁい! いただいてまふ!!」
「うん、だから中身は空にしてから口開けようか」
まるで昨日のリプレイ、仕方ないので同じように口周りを拭いてあげる。
「んー! ありがとうございます!」
「はいはい、次は怒るからね」
味方を増やすつもりだったのだろうが完全にアテが外れた形。すでにミアーナの頭の中には私が部屋を出ていたことなど微塵も残っていない。
「えぇ……」
朝食を終え、シャワーを浴びて適当にごろごろしながら時間を潰す。
そろそろ時計を気にしなければならない、というところで案の定リーゼが上目遣いで空腹を訴える。リーゼにはレンジの中を勝手に食えと伝え、洗濯物を干すミアーナをぼーっと眺める。
平和だ。
三人部屋、少々面倒もあるが存外私の思い描く理想に近い。こういう、絶望も多幸もない日々というのはいいものだ。
そしてふとした瞬間、“これこそが幸せなのだ”と気付く。嬉しいことの連続が幸せなのではない、普段通りの生活を送れることこそが幸せ。
「はぇ~……」
気の抜けた声とともにベッドにひっくり返る。
目に入ったのは逆さになった時計。一時二〇分。
「うん?」
いや、違う。
……七時五〇分。確か集合は八時。
「まずっ! ちょっ、二人とも時間やばい!!」
寮と校舎の距離が近くて助かった。
めちゃくちゃ焦って全速力でやって来たが五分前には教室に到着できた。
と、私の前に誰かが立ちふさがる。
「――俺は、勝ったとは思ってねえ。次は完全にぶっ潰す」
正体はサイラス。
「は、え……?」
自分の言いたいことだけ言うとサイラスはさっさと席に戻っていった。
何だあいつ。
というか勝ったと思ってないって何だ。
実際に木剣を交えたなら力量差はわかるはず。私みたいな素人でも感じ取れたのだ、サイラスがそれを理解していないわけがない。
完敗もいいとこ、同じ条件での勝負なら一〇〇回やって一〇〇回負ける。先生のストップさえ入らなければ確実にサイラスが勝っていたはずだ。
「……面倒くさいのに目つけられた気がする」
幸せを噛みしめていた朝とは正反対、激萎えである。
とりあえず入り口の前で突っ立ってるわけにもいかず私も席に向かう。腰を下ろしたところで隣の生徒――フランツ――と目が合った。
「……ふっ」
同時、フランツが気色の悪いウインクをしてきた。
何だこいつ。
私は引きつり散らかした笑みを返すとすぐに窓を見る。反射するフランツが満面の笑みを浮かべているのが癪に障った。
本当に激萎えだ。
「――おう」
間もなく先生が教室にやって来る。
「今日から早速授業が始まるわけだが、剣術と魔法の振り分けについて今更文句あるやつはいねえよな」
めちゃくちゃあるが。
だが異議を唱えたところでどうせ却下される。圧政だ。
「原則として朝は教室に集合、適当に点呼取ったら剣術は体育館、魔法はグラウンドに移動だ。ちなみにオレは魔法の担当、剣術担当は……移動したら直接聞け。で、もうひとりの先生とオレで相談しながら座学も挟む。ある程度全体の底上げが済んだと判断したら実技は減らして冒険者のいろはってのを教えてやる予定だ」
なるほど。とりあえずは各々武器を磨くことに集中するということだ。色んな方向に手を付けるよりも一点に集中したほうが効率もいいだろう。
「説明は以上、んじゃ解散」
そして私たちは指示通りにグラウンドに集まった。
魔法組は全一三名、女子九人の男子四人という割合。やはり魔法に関しては女子が占める割合のほうが多い。
「よし、とりあえず名前呼ばれたやつはこっちに来い――」
一体何が行われるのだろうか。
結果的に名前を呼ばれたのは私やミアーナ、リーゼを含めた六人。
「これから、こっち側と向こう側で二人一組を作ってもらう」
やば、なんか吐きそう。
まさか再びその呪いの言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「今名前呼んだのはオレが魔法の才能アリと見込んだやつらだ。二人一組を作ってお前らは相棒に魔法の指南をする、ちなみにひとり余るがそいつはオレんとこに来い。昼前に成果を見せてもらうからな。じゃ、二〇秒で組め。組めなかったら退学な」
退学はさすがに冗談だろうが、本当に胃が痛い。
こちらは六人、向こうは七人なので自分があぶれることはないがこの雰囲気がもうすでに苦手だ。
どうしたものかと俯いていると不意に声がかかった。
「――あ、あの……わ、私と組んでくれませんか……?」
「え……?」
顔を上げるとそこにいたのはひとりの女生徒。
「そ、その、試験の時の魔法、すごかったから……マイさんに、教えてもらいたくて……」
すごい。
気弱そうなのに、こういう時に積極的に動けるのか。私だったら絶対無理だ。
「ま、まあ……いい、けど」
「――よし、組み終わったな。なら散れ」
まとまっていると練習の邪魔になるので私たちもグラウンドの端まで移動する。
「えっと、一応自己紹介からかな……改めて私はマイ、よろしくね」
相手は私の名前を知っていたが私は知らない。直接的に「誰?」と聞くのも忍びないのでとりあえずは改めて名乗る。
「あ、わ、私はコローネです。よ、よろしくお願いします」
なんだか見ているだけでかわいそうになるくらいびびり散らかしている。そんなに私に苦手意識があるならどうして選んだのだろうか。
それこそ理想と最適解の違いか。個人的には人の良さそうな人を選びたいが、優秀な人を選んだ方が結果的にいいはず、というように考えたのかもしれない。
「じゃあ……とりあえずちょっとお話でもしよっか」
言って私は適当な木陰に腰を下ろす。
「え? れ、練習、しないんですか?」
「今はいいの、ほら、座って」
この課題、気の抜けた内容に思えるかもしれないが実際はそうでもない。
そもそも最後に成果を見せる必要がある、つまり発表時にマナを残してあげる必要があるわけだ。この時マナを消費しきって何もできないというのが最悪の結末。
無闇に練習すればいいというわけでもない。
それに、個人的にはさらにもうひとつ条件を追加したい。マナを残さなければならない、ということを相手に伝えない、だ。人それぞれだがそういう条件が枷で実力を発揮できない可能性がある。
排除できる不安要素はこちらで排除してあげたほうがいい。
「さって、じゃあ何から聞こうかなー……趣味は?」
ここまでが前提条件。
一般的にひとり当たりどの程度のマナを保有しているのかわからないが、練習で撃てる魔法の回数には上限がある。つまり、無駄撃ちはできない。
効率を重視するなら私の意図を正確に汲んでもらう必要があるわけだ。
「っ、あ、あの! ほ、本当にこんなことしていていいんですか?」
長ったらしい説明だが、めちゃくちゃ簡単に言えば相手――コローネと仲良くなればいい。
「いいんだよ、だってまだ三時間以上あるじゃん。コローネは私なら任せてもいいと思って来てくれたんだよね、だから私もコローネに失敗してほしくない。今はこれでいいんだ。……それで、コローネの趣味は?」
不意に立ち上がったコローネだったが、私の言葉に再び腰を下ろす。
「本、読んだり……お菓子作ったり、です」
「お菓子ねー、けっこう難しくない? 私も前にケーキ作ろうとしたんだけどすごい失敗したんだよね。味は悪くなかったけど形がねぇ」
私が中学生くらいの時だったか。
健二を引っ張り出してお母さんの誕生日にケーキを作ったのだ。
「あっ、それあれじゃないですか? スポンジが上手く膨らまなかったとか」
「そうそう、あとけっこうダマになったりしてさ」
お母さんはそんな不格好なケーキでも笑いながらおいしそうに食べてくれた。
それはそれで嬉しかったのだが、心残りと言えばそうだ。子どもながらにプロってすごいんだなぁとか思ってた。
「冷えた卵とか使うと膨らまない原因になったりするんですよ。人肌くらいに戻してからにすると上手くいくかもです。ダマになるのは粉をふるいにかけなかった、とかですかね」
「あー……確かに冷蔵庫から出した卵そのまま使ってたかも。ふるいかぁ、あの時の私の頭には微塵もなかったな。今度もっかい挑戦しようかな」
「もしよかったら今度一緒に作りますか?」
「え、いいの? 今でこそちょっとやる気出てるけど、いざやるってなってもひとりだとまあいいかってなっちゃうしなぁ。手伝ってくれるならいろんな意味で助かる」
そのまま世間話――もといお菓子話に花が咲く。
会話もスムーズに進んでいる、いい兆候だ。取っ掛かりになる話題を見つけることができたのは運がよかった。
それからたっぷり一時間ほど経っただろうか。
コローネからも緊張がなくなり、ずいぶんリラックスしているように見える。
「――じゃ、そろそろ始めよっか」
「あ、そういえばそうだった。完全に忘れてたよ」
打ち解けた証、コローネからはいつの間にか敬語もなくなっている。
準備完了。
さて、早速実演してもらってもいいわけだがどうしたものか。とりあえず本番で使う魔法は練習では使わないほうがいいだろう。無駄とまでは言わないが規模の大きな魔法で練習することに特にメリットはない。
実際にはそうでもないかもしれないが、ここはまあ私の経験上の感想だ。
「とりあえず基本的なことから聞いてきたいんだけど、コローネは普段どういう魔法を使ってる?」
「えっと、炎属性の魔法かな。身近だし私生活にも役立つから」
原理的なイメージは比較的しやすい属性。
「じゃあ……そうだな、一回見せてもらってもいい? 魔法のレベルだけは一番下まで落として、やり方は試験の時と同じように」
ミアーナに詠唱を教えてもらった時と同じようなやり方だ。
下位魔法以下の基本の魔法。
「わかった」
コローネは頷き、手を前に突き出す。
「“燃えて”!」
詠唱とともにマナが放たれる。マナは魔素と結びつき、炎へと姿を変える。
現れたのは少し大きな火の玉。可もなく不可もなく。
そもそも比較対象のない現時点では何とも言えない。
「ど、どうかな……?」
「ふむ……」
ただ、個人的には少し物足りない印象。それは別に私やミアーナと比べて、という意味ではない。先ほど言ったように比較対象がないのではっきりは言えないが、妙な違和感がこびりついている感覚だ。
「ちょっと、詠唱の言葉を変えてみようか。私の言う通りに詠唱してもう一回やってみて」
それをコローネに伝え、同じようにして炎の魔法を行使する。
「……“燃えろ”!」
ボッ!
一回り大きくなった火の玉。
やはり。
詠唱――言霊というほどだ。言葉が強ければ強いほどそれは魔法という結果に影響を及ぼす。
おっとり代表のミアーナですら詠唱は命令口調だった。つまりそこには明確な意図、意味がある。
「さっきのと今のでマナの消費に違いがあるかどうかってわかる?」
「ううん、同じくらいだと思う」
おそらくは言葉の強制力。
意味合いが同じでも言葉には強弱がある。意味の上で強いのか、それとも語気や込められた感情が強いのか、という細かい部分にそのあたりの判定があるらしい。
意味が強ければ詠唱に上乗せされるマナが多くなるが、語気や感情が強ければほぼ上乗せはされない。
後は何となくのそこの倍率を知っておきたい。
いつの間にか私個人の実験のようになっているが、そこはそれ、授業料とでも思ってもらおう。
「じゃ、次はこの詠唱で同じようにやってみて」
先ほどと同じようにそれを伝える。
「“我が意を汲み、業火をそこに現せ”!」
ボゥッ!! ゴォォオオオ――。
爆ぜるような音が響き、目の前に火柱が現れる。大体人ひとり分だろうか。パチパチと音を立てながら自らを主張する。
「す、すごい……!」
「マナの消費はどんな感じ? えーっと、さっきまでのを一としたら?」
「……っと、大体一.二くらいかな」
倍率一.二。やはり魔法自体のレベルを上げるよりも詠唱によって大きな結果をもたらしたほうがマナ効率はいいのだ。
この火柱はおそらく詠唱破棄の中位魔法程度、下位魔法と中位魔法ではマナの消費量は大体一.五倍の差があると魔法書には書かれていた。
下位魔法と中位魔法の差だと実感は薄いかもしれないが、この差は最終的な規模が大きくなればなるほど広がる。中位魔法と上位魔法では二倍、上位魔法と最上位魔法では三倍といったように。
詠唱による倍率も同じように多少上がるだろうが恩恵は大きくなる。
「なるほどね、ちなみに炎の魔法使う時って具体的にどういうイメージ?」
「どういう……うーん、燃えろ~……って感じ? 何だろう、具体的っていうか感覚的に使ってるかも」
違和感の正体が見つかった。
詠唱で帳消しできるならそれでもいいだろうが、そもそも特定の魔法属性だけ使うなんてことは普通ない。具体的かつ現実的なイメージを持たなければ必ずどこかで壁にぶち当たる。
「魔法を使う時は結果と過程に明確なイメージがあったほうがいいよ。過程には結果に繋ぐための説得力が必要ってこと」
言葉にしてから自覚したが、半端じゃなくわかりにくい。
「……?」
「ごめん、簡単に言うと原理とかを考えて使うってこと。炎だったら燃料と酸素のバランスとか。そもそも着火源、燃料、酸素があって初めて燃焼するわけだからそこをイメージしながら使うだけでもけっこう変わると思うよ」
個人的にはこの事実、というか原理への気づきは本当に大きかった。言葉で説明するのは難しいし、それでどうして結果が良くなるのかは理解できないかもしれない。だからこれはそういうものとして認識してもらうだけでもいい。
例えば「1+1」は小学生でもできるが、「1+1=2」を証明しろと言われたらそれなりに勉強が得意な高校生でも難しい。
これはそういうものだと認識すればどうしてそうなるのかを考えなくても先に進める。
「なるほど……結果と過程……」
「ま、そのへんは今度でいいよ。とりあえず――」
言いながら再び腰を下ろす。
「――時間までさっきの続き、しよっか」
「あ、うん!」
そして再開される雑談タイム。
早々に切り上げた私たちを遠くから先生が見つめていたが、それに気付くことはない。
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