第4話 詠唱の力

解散の号令と同時、私はいち早く教室を飛び出した。

いや、実際には目立たずカサカサとGのように隠密的に移動したわけだが、そこは気にしないでほしい。


魔法の試験、そして剣術の試験の経緯から私に近寄って来る人が多いかもと結論付けた結果だ。

できるなら少しだけひとりで落ち着きたい。


そうして適当に敷地内を散策しているとちょうどいい場所にベンチを見つけた。校舎の裏側、寮からまっすぐ行ったあたりだろうか。小さな植物園のようになっている場所だ。

腰を下ろして頭を抱える。


まさかちょっと頭に来たから全力の魔法を見せただけでこんなことになるとは思わなかった。最悪だ。

注目なんて受けたくもない。ひっそりと平和にしたいだけなのだ。


「……とりあえず、ここで適当に暇つぶしするか」


少し早めに解散となったので昼まではまだ時間がある。最悪抜いてもいいが、ほとぼりが冷めるまでというか、とにかくしばらくは静かにしていよう。


と、不意に足音が聞こえてきた。近づいてくる。


「げっ……まじか」


いい感じに植物が視界を遮るので見つかりにくいと思っていたのだが、アテが外れたか。


そして現れた足音の主。


「――あ、ま、マイさん……」


それはミアーナだった。


「あれ、どうしたの?」


とぼけた調子で疑問符を投げる。


「昨日、り、寮に来る前、に、探索、して、て……それ、で、ここ……」


なるほど、なんとなくわかった。

寮に顔を出す前に敷地内を探索し、自分の落ち着ける場所でも探していたのだろう。そして唾をつけたのがここ。


「あー、なるほど。なら隣座り」


私は少し横にずれ、ベンチの片側を空けるとぽんと手で叩く。

ひとり占めするつもりなんてない。それにミアーナであればこうして近くにいても特に気を遣わない。ミアーナがどうなのかはわからないが。


「あ、は、はい」


とりあえず、落ち込んでいても仕方がない。悩み始めるとキリがない。

だからなるべく、意識して頭の中を空っぽにする。


背もたれに体を預け、日差しを全身で浴びる。


「んぁー……」


意外にも気を抜くという行為は得意なのかもしれない。昔は悩み出すとずっと考え込んでしまったが、これもある種の自己防衛。私も成長しているということか。


……いや、単に年を取っただけとも言えそうだ。やかましいわ。


「――その、ま、マイさん……試験、す、ごかった、です、ね」


「んー……まあぶっつけだけどね。てかミアーナもすごかったじゃん。最初大丈夫かなーって心配してたけどびっくりしちゃった」


先生は試験の結果は私がトップだと言った。

となれば二位は確実にミアーナだろう。他との差は歴然、一線を画すとはこういうことを言うのだ。


試験のことに話が向かうと思考も自然とそちらに移行する。


「……リーゼもすごかったなぁ、おっちょこちょいなとこあるからあれだったけど、二人ともすご……って、そうだミアーナじゃん!!」


「ぴっ!?」


突然の大声に体を大きく震わせるミアーナ。


そう、ミアーナは試験二位。つまり、確実に魔法について詳しいはずなのだ。であれば当然詠唱についても知っているはず。


「ミアーナも詠唱っての、やってるんだよね。私全然わかんなくてさ、教えてくれない?」


「……ふぇっ? え、詠唱を、し、知らない……?」


「うん、だからおせーて!」


にっこにこでそう言う私だったが、ミアーナの表情が一変する。


「え、えええええええええええ!!? し、知らないって、ま、まさか詠唱破棄であんな規模の魔法を実現したんですか!?」


「うぉ、おぉ……うん」


満面の笑みは鳴りを潜め代わりに苦笑いが表に出てきた。


「そ、そんな……も、もしもあの魔法に言霊なんて乗せたら、校舎ぐらいなら跡形もなく消し飛ばしちゃうかも……」


何か物騒なことを言っている気がするがそこにはあえて触れない。


というかミアーナがスムーズに話している。どうやら感情が大きく揺さぶられた時にそうなるらしい。思い返せば私とリーゼが組み合っているのを目にした時も特につっかえることなく言葉を発していた。


幸い、と言うべきか、先生にあらかじめ同じような反応をされていたのでそのまま続ける。


「それで! 結局、具体的には詠唱ってどういうことなの?」


「え、えぇと……詠唱っていうのは、魔法のイメージに具体性を持たせるのと同時に、魔法自体を補強するような効果があるんです。魔法っていう現象に対するお願いみたいなものですね。でも詠唱自体にも簡易的なものから複雑なものまであって、当然複雑な詠唱のほうが強化効率は高くなるんですよ」


イメージの具体性と強化。

頭の中の想像だけでは細部まではイメージしきれない。だから魔法によっては実際に使ってみて認識の齟齬を減らしていくということが必要になるわけだ。

その作業を少しだけ効率的に行えるようになる、ということか。


魔法とイメージの関係は密接。それは私も理解している。

つまり、やはり詠唱というものは重要かつ基本なのだ。


「実際にやってみますね」


「うん、見たい見たい」


急かすとミアーナは右手を上向けにして前に出す。


「まずは詠唱破棄です」


パキッ。


清涼感のある音が響き、一〇センチ程度の氷が現れる。


「ふむふむ」


軽く手で払うとそれは消滅し、今度は上向けではなく足元をかざすように手を伸ばす。


「次が簡易的な詠唱です……“凍れ”」


バキッ!


音だけでも違いがわかる。

現れたのは三〇センチはあろう氷の塊。


「おぉ、すごー!」


そしてまたそれは消滅する。


「じゃあ、次は少し複雑な詠唱を試してみますね」


次は足元ではなく、もう少し先に照準を合わせる。


「“我に従い、氷の世界をそこに顕現せよ”」


ガッ、バギッ、キィン……!!


派手な音。

二メートル程度の氷塊、いや、もう小さな氷山と形容してもいいかもしれない。


「すっげ……」


「……と、まあこんな感じです。詠唱の有無は魔法に多大な影響を与えます。マイさんのように詠唱破棄であれほどの規模の魔法を実現するのはかなり稀なケースですね……。というか、正直なところわたしもまだあんまり信じきれていません……」


まあ先生の反応を見る限りそうなのだろう。

別に信じてほしいとも思わない。むしろ私は大したことないやつだと吹聴してほしいくらいだ。


「や、話には聞いてたけど詠唱ってこんなにすごいんだね。これって全部元の術式は同じものってことだよね?」


「そうですね、基本とされる下位魔法の原形……みたいなものですね。一般に生活用として知られる魔法です。ですが、それも詠唱次第で殺傷能力が付与される……そう考えるとやっぱり冒険者になるなら詠唱は必須と言えると思います」


先生が言っていたのは、詠唱による強化倍率は大体一.五倍ということだった。しかし見る限りもともと一〇センチ程度だったものが二メートルにまで強化されている。


「……あぁ、これ最低倍率が一.五ってことか」


最初の簡易詠唱で約二倍規模。つまり下限が一.五倍と捉えると納得感もあるし、先生がそこまで推していたのもわからなくもない。


「いやすごいな……やばそう」


「……?」


――と、不意に敷地内に鐘の音が響いた。

どうやら昼になったらしい。


ひとりであればこのままぼーっとしていても良かったがミアーナが一緒ではそうもいかない。


「食堂、行こっか」


「あ、はい」


ベンチから立ち上がり食堂へ向かう。


「そういえばさ、ミアーナ。私と話すのとかけっこう慣れてきた?」


「……?」


「いや、いつもよりすらすら話してたから」


ビクッ、ミアーナの体が震える。


「え……あ、あの……す、みま、せん……」


「あー……なんかごめん」


自覚がなかっただけらしい。

指摘しなければ自然体のミアーナでいられたのかもしれない。


「まあでも、少しずつでいいよ。無理する必要なんてないし、私は気にしないからさ」


言ってすぐに前へ向き直る。

ミアーナの口元にわずかな笑みが浮かんだが、私はそれに気付くことはない。




それから涙目でおろおろしているリーゼを捕まえ、三人で昼を済ませた。

ちなみに私はパスタ、リーゼはカツカレー、ミアーナはしらす定食というメニューだった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「――うし、集まってんな。クソ面倒くせえがどこかの誰かのせいで剣術試験をすることになったわけだが……そうだな、どういう形式にすっか。とりあえず出る意思のあるやつ、出る必要のあるやつはこっち来い」


どんだけ引きずってるんだあの先生。

いや、もう私のメンタルトレーニングを手伝ってくれてると思い込むことにしよう。精神衛生上そのほうが健全だ。


指示通り、生徒が二分される。

仕方なく、全く本意ではないが私も出る側に移動する。


「……あー、一八か。ふむ」


人数を確認し、それから一頻り考え込む。


「よし、人数合わねえけどトーナメントでもやるか。お前と、えー……あとお前、二人は一旦抜けろ」


その指示を受けたのはサイラスとアルベル。

シード扱い、ということだろうか。アルベルの実力のほどは知れないが、サイラスは体格から見てもかなりの実力者だとわかる。

一六人になれば一応綺麗なトーナメント表が作れると考えると、おそらく予想は合っているだろう。


「最初の対戦相手はオレが決めていく、二回戦以降は勝ったやつ同士。んで、万が一にも怪我なんてされたら面倒だからな、今回はこいつを使う」


そう言って取り出したのは木で作られた剣、いわゆる木剣ぼっけんというやつだ。


「あぁ、あと試合はオレが止めに入るかギブアップで終了な。便宜上試験っつー体で進めてるが、近接の基礎能力を見るわけだ。評価に直結するわけじゃねえからそこは安心しろ。つーわけで最初は――」


当然と言えば当然だが、剣術を希望する生徒は男子が占める割合のほうが多い。私も入れると女子は四人しかいない。

そもそもの体格差、筋力などなど、圧倒的に女子は不利。近接戦闘における有利不利をどうひっくり返すかが肝だ。


とは言うもののそれは経験者の話。

私の場合は場数ゼロからのスタート。基本や定石すら知らない素人。

自分の頭で考えようなどと思った時点できっと負ける。基本的には“見”に回るべきだろう。


と、そうこうしているうちに第一試合が終了した。


「んじゃエルヴィンは観戦に回れ。負けても不貞腐れんなよ、見んのも勉強のうちだ。特に近接に関してはな」


確かに、魔法と違って近接は目で見える部分がほとんど全てを占める。

単に強い人を観察するだけでも参考にはなるはずだ。


無意識のうちに居住まいを正し、私も戦闘の観察に集中する。




「――次、じゃあ……フィリックとデリア」


デリアの番。

大丈夫だろうか。デリアは近接組の中ではおそらく最も小柄、大きなハンデを抱えることになるが、さて。


「よし、始め!」


開戦の合図。


同時にデリアが勢いよく飛びかかる。

まさかの攻め全振り。大袈裟に振りかぶる上段の構え、しかも空中、仮に反撃が来ればいなすのは難しい。


「でやぁああああああ!!!!」


「ッ!? くっ!!」


思いきった行動が功を奏したか、フィリックは反撃には転じずガードに全てを注ぐ。デリアの木剣の軌道に対し、垂直に木剣を構えている。

しかし、デリアの木剣はそれに掠ることもなく地面まで振り下ろされる。


「えっ……?」


わけのわからない事態にフィリックも混乱している。


地面すれすれまで振り下ろされた木剣は突然動きを止め、逆再生するように瞬時に斬り上げの動きを取った。

フィリックは半ば反射的に後退しながら自らの木剣を引き寄せる。


が、すでに懐深くに入っているデリアの斬り上げ、木剣の先端は正確に柄頭を打ち、フィリックの手から木剣がすっぽ抜けた。


「っ……」


「はいストーップ、デリアの勝ちー。フィリックは観戦な」


見事という他ない。


勝利を収めたデリアは嬉しそうに私のもとにやって来た。


「すごいね、かっこよかった」


「えへぇ、いやそれほどでも……」


満更でもない様子。


「あれ、狙ったの?」


私が聞いたのは柄頭を打ち抜いた一撃だ。柄頭とは文字通り柄の頭部分、刀身に繋がる方とは逆の端っこだ。

かなり限られた部位、狙って打ったのだとしたらデリアは相当な実力者だ。


「まあ、一応狙ってみた……って感じかな。思ったよりも上手くいって安心したよ。でもこれは初戦しか使えないね」


確かに、開始と同時の攻勢も相手に攻めさせないための攻め手だ。あれを見てしまっては防御に回ろうとは考えない。

小柄を利用しあっという間に懐まで詰められてしまうのだ。そうなれば勝つのは難しい。


「……やっぱ、剣術って面白そうだ」


「でも、男子と戦うのってやっぱり不利だよ。あたしの力じゃ正面から叩き落とすこともできないし」


「まあ、それはそうか……」


基本の筋力差というのはやはり大きい。しかしそれでもデリアのように工夫すればそれも覆すことは可能。


私も、負けていられない。


「――ん、レスターは観戦なー。んじゃ次ー……ってそうか、一回戦のラストだな。マイとヴァレン」


私の番だ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




さてさて、今のところは大体オレの想像通りの結果だな。

オレの見立てじゃサイラスとアルベルは頭ひとつ抜けてる印象。次いで三番目がおそらくヴァレン。


「……どうなるか」


だが、魔法と剣術の両立は難しい。

オレが知ってる中でも双方を極めている人物はそう多くない。


魔法の才能だけにフォーカスを当てればマイはピカイチ、これでさらに剣術の才能まで持ってたら妬まれるだろうな。


……ま、そんなことはあり得ねえ。

あいつはここでヴァレンに負けて、それで終わりだ。あいつには魔法を極めてもらう。


それでいい。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




木剣を受け取り、対戦相手であるヴァレンと対峙する。


「えと……よろしく」


一応挨拶はしたほうがいいのかと思いそう口にすると、ヴァレンは苦笑をこぼした。


「はっ……お前の魔法、素直にすごいと思った。けど、剣術こっちのフィールドで負けるわけにもいかないからな、悪いが手加減はしない」


何か、そう、何と言えばいいのだろうか。


熱い。


そういう意図があったのかわからないが、私という個人を明確にライバル視していると言われたような気がした。


「……私も、負けないよ」


気合が入る。

意図せず緩みかけた紐は強く縛られた。


「んじゃ、始め!!」


まずは“見”。

何はなくとも観察だ。全てに対する経験値が不足している私にとっては、これから起こる全てが成長に繋がる。何も見逃してはならない。


構えなんて知らない。

ただ、落とさないように全握力をもって握り込む。


ピクッ……。


ヴァレンの下がっていた右足が微かに動いた。

踏み込みだ。

右で踏み込むなら距離的にも右から剣撃が来る可能性が高いはず。


すぐに注意を上半身に集中させ、腕の動き出しと同時に木剣をただ突き出す。


「なっ……!?」


バガッ!!


一瞬だ。

頭の中では即座に防ぐために木剣を出したはずだったが、ヴァレンの剣速が想像以上に速い。動いたと思った時にはもう届いている感覚。


続いて今度は逆からの動き。


バギンッ!!


遅い、圧倒的に遅い。ついていけていない。

否、ギリギリついていけているが、それだけでは絶対に勝てない。どこかでヴァレンを出し抜かなければ勝ちはあり得ない。


バギギッ!!


遅すぎる。

もっと、もっと集中して見なければ。


バカッ!!!


……集中、集中。雑音はいらない。相手から発される音以外なにもいらない。

一挙手一投足、それどころでは話にならない。指先、視線、足の向き、両腕の位置、距離。


バギッ!!!!


……。


バガンッ!!!!


――不意、まだ次撃の構えすら取っていないというのに、次の剣筋が見えたような気がした。

向かって左から、弧を描くように私の腹を狙ってくる。


わかる。


私は自らの感覚を信じ、その軌道の外をなぞるように体を捻りながら距離を詰める。

次の瞬間には何かが脇腹を掠った。


一回転、感覚のまま木剣を振るい手を止める。


「っ……」


音が戻って来る。


「はぁっ、はぁっ……」


うるさいほどに自分の呼吸が、鼓動が鼓膜を震わせる。


ヴァレンの木剣は何もない空間に突き出されており、私の手に握られた木剣は、ヴァレンの首元でちょうど止まっていた。


「……ヴァレン、観戦な」


ズキッ……。


側頭部に、正体不明の痛みがわずかに走った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




何だ……。

何だあの動きは。


あり得ない、あり得るはずがない。そんなことは億が一にもない。


「……素人ができる動きじゃねえ」


仮に、仮にだ。

仮に二人の間に圧倒的な力量差があったならわかる。マイが格上で、ヴァレンが格下。これならどうとでも理由をつけることができる。


だが実際には逆だ。

マイは格下でヴァレンは格上。

それでこれは本当にあり得ない。


相手の剣筋を完璧に見切り、その上で正確にその軌道のわずかに外を回り込むなんて頭のネジが飛んでなきゃできない芸当だ。というかそもそもこの前提があり得ない。


「何か、あるな……」


思考から意識的に戻るように額を押さえ、オレは次のコールをする。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




一回戦の試合が終わり元の場所へ戻っていくと、にこにこで出迎えるデリアの姿があった。


「勝ったね、おめでとう!」


「うん……ありがとう」


「……? どうしたの?」


覇気のない返答を不審に思ったのかデリアが問う。


「いや、何かちょっと頭痛くて……」


「大丈夫?」


「多分ちょっとした酸欠かな、大人しくしてれば治ると思う」


こんなに激しく動いたのは久しぶりだ。というか下手したら前世も含めて初めてのことかもしれない。


しかし、不思議なこともあるものだ。まさか相手の剣筋がはっきり見えるとは思わなんだ。気のせいかとも思ったが、実際にその軌道のままヴァレンは剣を振るった。


さすがに偶然では片付けられない。

自分のことだ、自分が理解していなければ仕方がないのだが、どうにも理解できる要素が何も見当たらない。

強いて言えば観察眼を磨いた結果、筋肉の動きから予測できたとかなんとか……みたいな感じだろうか。


「そんなことあんのかなぁ……」


気付けば頭痛は治まっていた。




二回戦も順調に消化されていき、次は再びデリアの出番だ。

対戦相手はルッツ、体は細めだが長身。リーチの長さは怖いところだが、懐に入りさえすれば勝機はあるだろう。


「よーし、始め!!」


合図と同時、再びデリアは相手に向かって走り出す。

まさか同じ作戦なのか、と思われたがやはりそうではない。それに前回は飛びかかる形だったが今回は正面から衝突するような形。


「舐めるなよ……!!」


ルッツは長い腕で木剣を振り下ろす。しかしデリアは速度を落とさずそのまま突っ込む。


「っ……!」


あまり距離を詰められすぎるとルッツとしては不利。長いリーチを生かせなければ有利に勝負を運べないからだ。

木剣を振りながらも距離を維持するために少し後退、そしていよいよ木剣とデリアが重なるが、体勢を崩しながら繰り出された剣撃に威力はさほど乗っていない。結局デリアはそれを木剣で受け流し、そのままスライディングの要領でルッツの股の間を通り抜ける。


「くっ、そ!!」


デリアはルッツの背後に回ると跳ねるように体を浮かせ、両手で握った木剣を全力で振るった。


「はぁぁああああッ!!」


結果、半ば反射的に振るわれたルッツの木剣とデリアの木剣が重なり、ルッツの木剣が弾き飛ばされた。


デリアはそのまま背中から地に落ちる。


「っ、痛ぁ……」


「おーし、ルッツは観戦なー」


デリアは言っていた。

正面から叩き落とすのは難しい、と。


正面からというのは両手で握った状態、しっかりと握り込まれてしまうと力で叩き落とすのは不可能ということだ。だからデリアは最短距離を通って背後に回り、同時に木剣を振った。

ルッツは目で確認することのできない背後のデリアに対し、木剣を素早く振るう以外に選択肢がなかった。もたもたしていれば背から打たれてしまうから。早さを求めた結果、振るわれた木剣を握っていたのは片手。

両手で振るわれたデリアの木剣を受け止めることができなかったのだ。


これはもう才能……いや、それで片付けるのは失礼だ。

才能だけではここまで来れない。小柄という不利をむしろ活かして戦う姿、自分の戦い方を理解しているのだ。


私には眩しく見えた。


「次、マイとトレイス」


呼ばれ、デリアと交代で前に出る。

これに勝てば次はデリアと戦うことになる。勝てる、勝てないはどうでもいい。ただ、純粋にデリアと戦ってみたいと思った。


そのためにはここを勝たなければいけない。


「――君には才能がある。それは魔法だけでなく、剣術もだ」


対峙と同時に言われる。


「本当に、羨ましいよ」


「よし、始め!!」


トレイスが何を言いたいのか。それはわからなくもないが、あいにく私に剣術の才能はない。

あれはきっとただの偶然だ。


ともかく、今回もひたすら“見”に――。


――バギッ!!


「っぶなぁ……!」


「ずいぶん余裕だね、考え事?」


バギンッ!!!!


「っ!!」


重い!

それに早い、コンパクトに抑えながらも力の伝達に無駄がほとんどないのだ。

これでは相手の動きを見ることもままならない。


ここに来てヴァレンが手を抜いていたことを理解する。

いや、正確には本気を出さなくても私に勝てると思い込んでいたのだろう。油断だ。おそらく最初から全力で来られていたら私は負けていた。


……。

余計なことは今は考えない。


ただひたすらに、わずかな時間でも相手の動きを見る。


バガッ!!!


「ぐっ!!」


早いということはそれだけパターンが簡略化されているということ。そうでなければ体がついてこれない。だが、そのパターンを考えるのに脳を稼働させる暇はない。

体が覚えるのを待つしか――。


――バガンッ!!!!


あぁ、くそ。

だめだ、見ようと思っても目の前で振り回される木剣にしか目が行かない。全く他の観察に気が回らない。


これでは……。


バギンッ!!!!


「どうした! その程度か!?」


負ける。

負け、る……。


……嫌だ、負けたくない。

負けたくない、絶対に負けたくない。負けるのは嫌だ。


勝つ。


ズキンッ!!


「っ!」


鬱陶しい。何でこのタイミングで。


一瞬遅れる。

まずい。そう思ってすぐさまガードの体勢を取ろうとするが――何故かトレイスの木剣は想像よりも遥か遠くにあった。


「ぁ……?」


何かがおかしい。

そう、まるで、視界がスローになっているような。心なしか景色も彩度が低くなっているような気がする。


「あぁ、もう!!」


考えている暇はない。意味もない。


ゆっくりと流れる世界の中、振り下ろされるトレイスの木剣の脇に立ち、叩き落とすように思いきり木剣を振り下ろした。


音が飛び、彩りが戻って来る。


トレイスの手からは木剣が離れている。振り下ろされたタイミングで私が上からさらに力を加えたからだ。


「……お、前……」


「あー……トレイスは観戦」


ズキ、ズキッ……。


鈍痛が左の側頭部で断続的になっている。一体何だ、何がどうした。


わからない。

ただ、私の体に何かが起きているのは確か。だが肝心のそれが何なのか全くわからない。


ゾーン……?

いいや、初めての実戦でゾーンなんてあり得ない。それにあれは集中できるような状況じゃなかった。むしろ焦り始め、集中とは無縁の状態と言える。


ともかくここに留まっているわけにはいかない。

私はデリアの隣に移動すると腰を下ろす。


「すごいじゃん、どうやったの? 例の障壁でも使った?」


「……いや、わかんない。ただ、何か視界が……」


「……うん?」


言うべきなのだろうか。

いや、デリアとは次に戦うことが決まった。言うべきではない。


それは別に私が勝ちたいからではなく、デリアが自分に有利な情報を望むとは思えないからだ。正々堂々。


だが、私のこの正体不明の何かは、正々堂々と言えるのだろうか。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「――ストップ!」


カイとライナルトの試合。

長引く試合にオレは途中で待ったをかける。


「カイ、お前これ以上続けて勝てると思うか?」


「っそれ、は……」


試合の流れはライナルトが序盤からずっと防御一辺倒。カイが完全に攻めあぐねているという形だった。

明らかに攻撃力が足りていない。


「……っ、ギブアップ、で」


「おう、じゃあカイは観戦な」


これは正直誤算だった。

オレはヴァレンが三番手についていると思っていたが、正しくはライナルトが三番手だ。


ライナルトのここまでの戦績は全て相手のギブアップによる勝利。相手の攻撃を全て防ぎきる完封だ。

これは実力の差がなければできないし、そもそもやろうとも思わない作戦。


この中では明らかに抜けている。おそらくはアルベルやサイラスと並ぶほど。


「ちょいしくったか……まあいい」


この場では失敗したかもしれないが、こういう裏切りも教師という立場から考えると嬉しいものだ。


「んじゃ次、マイとデリア」


しかしやはりこいつ。

そもそもヴァレンに勝ったのもあり得ないが、トレイス戦も意味がわからない。疲労困憊、防戦一方だったクセに突然息を吹き返して相手の木剣を弾き飛ばした。


あいつの中で、何が起きてやがる……?




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「いよいよだね」


向かい合い、デリアが言う。


「そうだね、まあ、私がここまで来れるなんて思ってなかったけど」


「またまたぁ。マイがただ者じゃないってのは知ってたし、あたしは自分が勝ち続ければ戦うんだろうなって思ってたよ」


それは光栄なことで。

しかし、残念ながらそれはただの買い被りというやつだ。


とはいえ、手を抜くなんてことはあり得ない。ここまで来た以上私も全力でやる。


「手加減とかしないでよね」


「当然、デリアこそ本気でやってよ」


トーナメント、二人を除いた一六人の括りだとこれが準決勝という扱いだ。


「いいな? じゃ、始め!!」


三戦目、デリアはまたしても開始とともに突撃。

対策は守りに入らないこと、加えて背後を取らせないこと。逆に攻めて焦らせることができればベストなはず。


バキャッ!!!!


「い゛っ……!!」


想像していた数倍の重さ。

これのどこが正面から叩き落とせないんだ。今までの誰よりも重い。


近くで動きを見ているとそれが何故なのかすぐに理解した。

腰、体――いや、体重の使い方が尋常じゃないほど上手い。


リーチの長さというのはただ遠くまで届くから有利なわけではない。力の伝達がしやすいから有利なのだ。例えば腕を振るだけでも、腕が短い人と比べれば生み出される破壊力は全く違う。


デリアはそれをカバーするために文字通り全身を使って剣を振っている。


バギギッ!!!!


引けない。

引いたら終わることを知っているから、手が痛くても怖くても引けない。


こんなことでびびっていたら冒険者になってもまともに戦えるはずがない。だから引かない。押す、何でもいいから押す。実際には押せなくてもこちらに押す意思があることを相手に伝える。

それだけでプレッシャーになるはずだ。


幸い、デリアは全身を使うために予備動作にかける時間が多少長い。つまりトレイス戦の時よりもいくらか冷静に観察することができる。

受ける衝撃で木剣さえ離さなければ勝機を見出せるということ。


バガギッ!!!!


「ぐっ!?」


乱すな、集中を乱すな。

肉体と脳を切り離す。別で考える。

脳を経由して肉体を動かすな。視界を通して直接肉体を動かせ。


バギッ……!


音が遠ざかる。

だんだんと、木剣がぶつかる音も聞こえなくなる。


ッ……。


余計な情報が消え失せる。

取捨選択の必要がなくなる。


脳に入る情報は必要なものだけ。


……。


不意、色が抜けた。スローになる世界。


軌道が見える。


デリアが繰り出すのは下段からの斬り上げ。


「……」


斬り上げにおいて最も剣速が上がるのは地面と垂直になった瞬間だ。つまり、それ以前に抑えることができれば剣撃の勢いを完全に殺すことができる。

しかし木剣では受けきれるかわからない。


だから私は足を伸ばした。

斬り上げの軌道上、足の裏でそれを押さえつけるようにぶつける。


……ガッ!!


「あっ!」


手の中の木剣が不意に止まったことでデリアが声を上げる。すぐにこちらを見るデリアだったが、その目と鼻の先には私の持つ木剣の剣先が向いている。


「えっ……?」


「デリア、観戦」


先生の声、試合終了の合図だ。


ズキッ!!


「っ!!」


同時に左目に激痛。思わず木剣を落とし左目を抑える。

さっきまでは側頭部の痛みだったのに今度は左目。


「だ、大丈夫!?」


「……大丈夫、放っておけば、多分」


激痛は一瞬、すでに痛みは和らぎつつある。抑えていた手を離し、落とした木剣を取り直す。


「っ、ま、マイ、今……ひ、左目が……――」


デリアは私の目を見て、震えたような声を続ける。


「――ひ、光って……」


「……え?」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




あれだ。

もうよくわからん。


あいつはああいう新しい生物なんだって思ったほうがしっくりくる気がする。

オレたち人間の枠で考えるから難しくなるだけだ。


全てにおいてあり得ない。普通じゃない。

あいつの中で何かが起きているのは確実だが、それが何なのかははたから見ていても全くわからない。


それが当然で必然、何せ新しい生物なのだから。

……そう、やっぱりこれが一番しっくり来る。


「んじゃ次は……まあ順当に行きゃあマイとライナルトだが、そろそろお前らもフラストレーション溜まってんだろ。アルベルはライナルトと、サイラスはマイとだな」


わからないものを考えても仕方がない。

わかる時が来るまで黙って待つのが利口。それに、次で何かがわかる気もする。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




私は試合を終えたばかりなので先にアルベルとライナルトの試合を行うことになる。

残るのは私とサイラスだけ、必然的に私はサイラスの隣に腰を下ろす。


「――よう、お前のありゃ何だ?」


サイラスに声をかけられる。


「あれって、何のこと……?」


「明らかにおかしいだろうが、構えも振りも素人同然。なのに突然人が変わったみてえに動きが変わりやがる。何かあんのは馬鹿でもわかるだろうが」


「……私に聞かれてもわかんないよ。ただ、多分集中しようとすると急にスローモーションみたいになって」


自分に起こっていることだが説明すらあやふや、何と言えばいいのかもわからない。


「ハッ、面白そうじゃねえか。おい、お前俺とやる時もそれやれよ」


「や、やれって……意識してできるもんじゃないんだってば」


「できるまで待ってやるよ」


それは願ったり叶ったりだが、サイラスの意図もよくわからない。

戦闘狂なのだろうか。


確かにスローモーションになるなどと言われたらきっと私も興味を抱く。


「――始め!!」


不意の声、アルベルとライナルトの試合が始まった。


合図があったはずだが両者とも動かない。


「……」


と、ライナルトが手で「かかってこい」と挑発する。

これまでのライナルトは全試合完封。防御には自信があるのだろう。


それを受けたアルベルは浅く息をはき、飛び出した。


ガッ!!!!


衝突、一度だけで止まることはない。繰り出される連撃。

遠目で見ていても追うのが精一杯だ。


ライナルトもそれを捌いてはいるが、どこか苦しそうに見える。


「……そろそろ、上げるぞ」


声はこちらまで届くことはないが、アルベルが何事か呟いた。

次の瞬間、アルベルの攻撃がさらに激化する。


「ぐっ……!!」


その前から押され気味だった。

あっという間にアルベルはライナルトの木剣を弾き飛ばし、その顔面に剣先を向ける。


これは完全に決まった。

呆気ない終わりだが、それだけアルベルが強かったということだ。


しかしアルベルは弾いた木剣を剣先で示す。


「……拾え」


「何のつもりだ……」


「お前が防御の専門なんかじゃないってことくらい、見てりゃわかるぞ。次はお前の番だ、拾えよ」


あろうことかアルベルはそこで終わらせようとせず、攻守交代を申し出た。


「……後悔しても知らねえぞ」


「させてみろ」


ライナルトは木剣を拾い上げ、そして構える。

素人の私でもわかる。先ほどまでと全く構えが違う。


推測に過ぎないが防御に優れた構えと攻撃に優れた構えというものがあるのだろう。ライナルトはそれを使い分けているということだ。


アルベルの言葉通り今度はライナルトが攻めに転じる。アルベルに負けず劣らず凄まじい攻撃だ。……が、どこかキレがない。


「お前の力はその程度か……?」


「くっ……!!」


唐突、ライナルトの膝ががくんと落ちた。


――限界なのだ。

体力の限界。ライナルトはアルベルと違いすでに三戦こなした後。それも相手のギブアップを待って、だ。ここにいる誰よりも戦闘時間が長い。

対するアルベルはこれが初戦、能力値が同等だとすればアルベルが勝つのは当然の結果。


するとアルベルが膝をつくライナルトに手を差し伸べる。


「……悪い。本気のお前とやりたかっただけなんだが、少し言葉が過ぎたな」


「はっ……まんまと乗せられたわけか。いや、ちょうどいいように気合が入った。別に気にしちゃいない」


「次だ。お前の体調が万全の時にまたやろう」


そしてライナルトがその手を取る。


「あぁ、今日のところはお前に勝ちを預けておく」


一連の流れを見ていた先生はひとつ頷きコールする。


「よし、ライナルトは観戦だな」

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