第一章 人魔戦争

第1話 異世界と私

異世界に転生して早一二年。


私の最終的な目標は自立し、どこかでひっそり静かに暮らすこと。毎日のんびり、誰に何を言われるでもなく過ごすことだ。


そのためにはやはり早めに職を見つけなくてはならない。

ただ、転生してきたのは異世界だ。まずはこの世界の常識を身に着ける必要がある。だから私はこの一二年をそれに費やした。とはいえ三歳くらいまでは自由に歩かせてもらえなかったため実質九年程度になるわけだが。


そして私が手に入れた情報は、この世界はあの謎の声が言っていた「魔のものが巣食う世界」に相当するということと、この世界には魔法が存在するということ。


……いや、言いたいことはわかる。

何故一二年――九年――かけてたったそれだけしかわからないのか。私だってそう思っている。

だけどそれも仕方がない。だって――。


「――お嬢様、こちらにいらしたのですか」


だって、私は不本意にもお嬢様という肩書きなのだから。


「……別に私がどこで何してても関係ないでしょ、家の中くらい自由にさせてくれてもいいじゃん」


私を追ってきたこの男性はブレット、この家――アージェント家の執事だ。


「そうはいきません。御両所様よりお嬢様を任せていただいていますので、万が一お嬢様に怪我などあっては何とお詫びすればよいものか……」


「なるほど、ブレットは保身のために私を付け回してるってことね」


「むぉっ、い、いえ、そういうわけでは……」


と、こういうわけで毎日のようにしつこく付け回す執事のせいで情報収集もままならないのだ。別に気にしなければいいだけなのだが、近くにいられると気が散ってしまう。


ともかく、この世界には魔物や魔獣が蔓延っていて、魔法や剣術によってそれらを撃退している世界と言っていいだろう。ドラ〇エと一緒だ。

そんな世界なので当然それを生業としている人もいる。冒険者と呼ばれる存在だ。


冒険者は一般的に二〇歳以上でなければなることができない。しかし、養成学校を出ていれば最短で一四歳からなることができる。

冒険、危険を冒すというだけあってやはり命懸けということになるわけだが、それは全員が全員というわけではない。魔物などの討伐以外にも採集関連も豊富らしい。

最低限の自衛手段さえ確立できれば比較的安全にお金を稼ぐことができるのだ。


「――マイ、あんまりブレットを困らせてはダメよ」


「こ、これはシェリル様」


ブレットが即座に頭を下げる。

シェリル――私のお母さんだ。


「ちょっとからかってただけ、ね?」


「は、はい。お嬢様の仰る通りでございます」


「本当かしら……。まあいいわ、マイを少し借りていくわね」


どうやらお母さんは私を探していたらしい。

ひとまずブレットとはその場で別れ、ともにどこかへ歩き出す。


「……」


どこか神妙な面持ち。

ちょっとした用事というわけでもなさそうだ。端的に言えば何か重要な話。


「大事な話?」


だからストレートにそう聞いてみた。

お母さんは少し驚いたような顔をしてから頷いた。


「……ええ、とてもね」


それからは振り返るようなこともなく目的の場所に向かって進んでいく。




そうしてやって来たのはヴィクター――この世界におけるお父さんの自室だ。

お母さんがドアをノックし、返事を聞いてから扉を開く。そのままお茶の用意のためか奥の方へ消えていった。


「まあ、とりあえず座りなさい」


「うん」


言われるままに部屋に入り、ドアを閉めてお父さんの対面に腰を下ろした。


「調子はどうだ、元気か?」


何だろう、親戚の叔父さんと半年ぶりに会ったみたいな感覚だ。

この世界の親子的にはこういう距離感が一般的なのだろうか。


「まあまあかな、普通だよ」


否、おそらくは話のきっかけを探しているだけに過ぎない。

取っ掛かりもなく切り出すのは存外難しい。何でもいいから掴めそうなものが出て来ないだろうかと期待したのだ。


「大事な話って聞いたけど、どうしたの?」


だからきっと私から言ったほうがいいのだろう。

仮に私が死ぬのが後一〇年遅かったらむしろ私から振るようなことはできなかったように思う。気を遣うべきラインが逆転するのだ。


「……そう、だな。マイももうそろそろ一二歳だろう」


――。


「うん」


「ブレットから聞く限り、熱心に調べものをしているらしいじゃないか。何か興味を惹くものがあるのか?」


興味と言えるのだろうか。

単純に世界を把握したくて情報を集めていただけだ。


しかし前後の文の繋がりを考えると、多分適当に答えると損をする。

一二歳という年齢にそろそろなどとは普通つけない。つまり、この世界では一二歳がある種の区切りになると考えられる。その上で興味という単語だ、単なる推測に過ぎないがこれはいわゆる進路という意味で受け取っていいはず。


ここまで間違えていないとするならば、私が目指す着地点は養成学校だ。

他にもっと理想的な職があるのかもしれないが、現状で理想に近いのはやはり冒険者。それもなるべく早めに自立したいところ、両親にも申し訳ないしせっかく転生したのだから自由を謳歌したいからだ。


「……魔法、とかかな」


「――えっ?」


そこでお母さんが紅茶を盆に乗せてやって来た。


「ふむ、それはいいな。魔法には無限の可能性があるからな」


「お、お父さん……!」


お父さんは何故か好意的に受け取っているが、お母さんは逆に少し否定的。


「そうだよね。それに、魔法を学べば魔物とか魔獣と遭遇しても安心だし」


ジャブ。

比較的違和感なく、私が“そういう方向の魔法”に興味があるのだとアピールする。要は生活を豊かに、便利にするような魔法ではなく外敵を屠るための魔法。


「そうだな。何をするにしても自衛できるに越したことはない」


お父さんはそう言ってテーブルに置かれた紅茶のカップに口をつける。そしてたっぷり数秒の間を取ると、不意に失笑をこぼした。


「ふっ……マイ、別に私たちに気を遣うことはない。自分がしたいようにすればいいさ」


「えっ?」


何を言っているのか理解できず、反射的に疑問符が飛び出した。


「マイは賢い子だ、そんなマイが真剣な顔でそれを言うんだ。何を言いたいのか見当はつく」


「……」


考えてみたら当たり前なのかもしれない。

いくら転生したとはいえ、私とお父さんの精神的な年齢に大差はない。私が全てにおいて上回っているなんてことはあり得なかった。向こうがこちらを見透かしていてもおかしいことなんて何もないのだ。


まして、お父さんにとって私は実の娘なのだから。


「じゃあ……遠慮なく言うけど、私、冒険者になりたい」


「なっ、そ、そんな危険なこと……!」


私たちの間にお母さんが割り込んだ。


「シェリル。さっきも言ったようにマイは賢い子だ、それはお前もよくわかっているだろう」


「それはそうですけど……でも、これは話が違います!」


これまでの挙動から察していたはずだが、いざ明言されて語気が荒くなる。


「だって、壁にぶつかるたびに助けてもらったって意味ないんだもん」


これは、私が前の世界で身をもって得た教訓だ。

人が成長するタイミングとは、自分で超えることができるかわからない壁に直面した時だ。別に「神は超えられる試練しか与えない」なんて綺麗ごとをほざくわけではない。

超えられなくてもいい。超えられるように努力することに意味がある、そのために持ってる知識を総動員することに意味がある。限界の先に何があるのか、それが微かにでも見えればそれは成長の兆し。


「もっと楽な道もあると思うけど、楽ばかりしてても仕方がないと思うからさ。このままじゃきっと、助けてもらわないと何もできない人間になっちゃう」


私はお嬢様だ、不本意にも。

転べば誰かが助けに来る、今後同じことがないようにどんどん整備されていく、安全地帯しか歩くことを許可されない。


まさかこんなストレートに言うわけにもいかないが、それを匂わせるような含みを持たせる。


確かに私が目指すものはそこで手に入るのかもしれない。

でもその安全に気負うべき他人が介入しているというのは納得できない。転んでしまうなら私自身が転ばないように注意し、確認するクセをつけてやればいいだけだ。

それだけで他人を巻き込まずに安全を確保できる。


「っ……」


私がそれを言うとお母さんは唇を軽く噛んだ。納得するかどうかは置いておいて理解はできる、といった様子。全面的に否定できないのであれば何も言えない。


これは私がこの場を切り抜けるために発した言葉だが、本心でもある。助け合いに意味がないとは言わない、むしろそれは素晴らしいことだと思っている。

だけどなんでもかんでも他人に頼るのは違う。できることは自分でやる、そうしたい。


「なら、ルーンベルに行くか」


ルーンベルとは冒険者養成学校のひとつ、ルーンベル学園。

冒険者養成学校は絶対的に数が少ない。王都のような大きな街にひとつあるかどうかくらいだ。

私たちが暮らしているのはフォルクマーレという、クリフォード王国の王都。幸いフォルクマーレにも養成学校が存在するのだ。それがルーンベル学園。


「い、いいの?」


理想の着地点。

こちらからそれを言うにはどのように誘導すればスマートになるか考えていたが、まさか向こうから言ってくれるとは思わなかった。


ただ冒険者になりたいだけであれば、おそらく二〇歳までは普通の職に就けと言うべきだろう。それまでに心変わりすればそれでよし、そうでなくとも二〇年も生きていれば現実というものを嫌でも知る。覚悟とともにそれを選ぶならそれもよしと言っていい。


「そうしたいからここでそれを私に言ったんじゃないのか?」


「そう、だけど……でも学費とかあるし」


「学費くらいどうとでもなる。それに、親の役割は子がしたいことをする環境を作ることだ。マイがそれを望むなら私は拒まない」


お父さんはそう言ってカップの中身を飲み干す。


「それと、ブレットにも過剰に干渉する必要はないと言っておこう。自由な時間が欲しいと愚痴をこぼしていたと聞いた」


「ぁ、ありがとう!」


そこまでしてくれるとは思わなかった。


私が我慢すればいいだけのことだ。だから特に期待もしていなかったが、正直最も解決したい目先の問題はこれだった。

どう形容すればいいのか、学校で問題を解いているときに先生が斜め後ろから覗き込んでくるような嫌悪感がずっと付きまとっていたのだ。


しかしブレットが悪いというわけではない、それは私も理解している。

彼は彼の仕事を全うしていただけに過ぎないのだ。


「手続きもすぐに済ませよう、これからについては追って話をする。それまでは、そう、自由にしていていいぞ」


私はここまで一切手を付けていなかったカップを手に取ると、それを一気に飲み干した。


「うん! あ、その、ありがとう! 行ってくる!」


我ながら意味の分からない文脈だったと思う。

ただ感謝を伝えたくて、目処が立ったことでとにかく動きたくてたまらなかったのだ。


私はそのままお父さんの部屋を出て行った。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




マイが部屋を出て行き、空いた椅子にシェリルが腰を下ろした。


「……良かったんですか?」


「いいだろうさ、むしろ何がいけないのか私にはわからない」


ヴィクターは言いながら空のカップが乗ったソーサーを軽く叩く。シェリルはそれを見て腰を浮かすと、ティーポットを持ってカップに紅茶を注ぐ。


「マイも言っていただろう。このままではひとりで何もできなくなる、と。恐れるべきはそれだ。平穏無事に過ごしてほしいとは思うが、それを最優先にしてはいけない」


それを最優先にするならば、家に閉じ込め世話係をつけていればいいだけの話だ。だがそれでは何もできない。

何をするにも他人を頼るようになってしまう。


果たしてそれは幸せと呼べるのか。


「かわいい子には旅をさせよ、と言うだろう。それにこれはマイが望んだことだ、自らそれを口にするのだからやはりマイは賢い」


「……そうですけど、でもやっぱり危険ですよ」


ヴィクターはカップに手を伸ばし、椅子を少し回転させて背を向ける。視線の先には窓、清々しい景色を映し出している。


「大丈夫だ、私たちの子なのだから。それよりもむしろ……――」


続く言葉を待つシェリルだったが、その先が紡がれることはない。


「……?」


「……いいや、何でもない」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




それからは早かった。


ひとまずルーンベルへの入学は決まり、半年後には学園に行くことになった。学園は二年制かつ全寮制、特に条件などはないが最低限の自衛手段は持っておくように、とのこと。

最低限というのは“それを扱うことができる程度”ということ。つまり、その手段を用いて脅威を取り除けるかどうかは加味しない。例えば剣であれば構え方、振り方を知っている程度でいい。


さて、では自衛手段に何を選ぶべきか。

とはいえ選ぶほどの選択肢はない。基本的に剣術か魔法の二択、その上で私が女だということもあり必然的に魔法一本に絞られることになる。

よってまずは魔法についての見識を深めることにした。だからといって剣術について何も学ばないというわけではない、というだけ。


この世界の生物にはマナと呼ばれるものが存在する。簡単に言うならMPみたいなものだ、これを消費し大気中の魔素と反応させることで不思議現象が引き起こされる。

現象、という言い方をしたのはこれだけだとまさしく不思議な現象にしかならないからだ。ここに魔力というものが加わることでようやく魔法という形になる。


魔法を扱ううえで必須なのはマナ、魔素、魔力の三つ。

車に例えるとマナがガソリン、魔素は酸素、魔力がエンジン……だろうか。エンジンが高品質なら当然燃費も良くなるし効率もいい。

しかし、魔力に関しては基本的に鍛えることができないのでここは才能、ということになるだろう。一般に遺伝の影響を受けやすいとされる。


私が生を受けたこの家はアージェント家、何でも昔は高名な魔法使いを輩出したこともあるらしい。それ以降、平均的に高魔力の人間が数多く生まれているとか。

例に漏れず私も平均以上の魔力を授かることになった。


私は魔法書片手に中庭にやって来ると早速魔法の行使を試してみる。


「んー……こんな感じか、なっ!」


何となく雰囲気で火を出そうとしてみると、手の上に小さな火の玉が現れた。


「すげ、何かできた」


最初に試したのは基本の下位魔法と呼ばれるもの。要は基礎だ。次は少しレベルを上げてみる。


しかし、どうしたことかそこまで変化がない。確かに下位魔法よりも出力は増えているのだが誤差程度とも取れなくない。そういうものなのだろうか。


――と、思っていたのだが、どうやら魔法にはイメージというものが深く関係しているらしい。緻密な過程、現実的な結果を明瞭にイメージすればそれがそのまま反映されやすいのだ。

例えば火の魔法で言えば酸素と着火源によって燃焼するという当たり前の法則、これを理解しイメージしながら行使しなければ結果は大きく減衰する。


この気付きはかなり大きかった。

結論から言うと、魔法書に書かれている魔法は一通り使いこなすことができた。あまり高度なものは手を付けていないが、基本と応用くらいはとりあえずマスターした形。

思っていたよりも簡単だ。


ここまででおよそ三ヵ月。

そこで私はある疑問を抱く。

MP――マナという概念があるならば、枯渇する危険性も当然ある。であれば、私が保有しているマナはどの程度なのだろうか、と。

調べるには実際に行動に移してみなければわからない、マナの量を測定する機械・装置などあるはずもない。よって丸一日魔法を使いまくったり、難しい魔法に挑戦したりを繰り返したが結果的に魔法の使用が不可能になることはなかった。


「自分で感知できるものじゃないのかな……マナって」


実際に魔法という現象を引き起こすことができているのだから、少なくともこの世界の私にもマナが存在する。

マナというものが術者本人に感知できないのであれば、それは世界の欠陥とも言えるだろう。


仮に魔物に襲われ戦闘になったとして、魔法が使えない状況が唐突にやって来るということだ。想像したくもない。

魔物や魔獣をまだこの目で見たことはないが、手ぶらの人間にどうにかできるような存在ではないだろう。


「……一応一日中バカスカ撃ちまくってても大丈夫だったんだし、とりあえずいっか」


私はそう結論付けたが、それでもやはり不安なものは不安だ。


よって魔法に関してはここで切り上げ、ここから剣術に移行する。どちらをメインに据えるかは後々考えるとして、今はできるだけ手段を増やしておいた方がいいだろうと考えた結果だ。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




――時間は少し遡りおよそ二ヵ月ほど前、いつものように中庭にやって来ると不意に背から声がかけられた。


「――お嬢様」


「びっ……くりしたぁ……え、何?」


振り返った先にいたのはブレット。

たまに私が魔法の練習をしている姿を見ていたのは知っているが、こうして話しかけてきたのは初めてのこと。


「学園に行くのであればある程度の装備を整える必要がございます」


物騒過ぎる文面だが間違ってはいない。


「そこで、どのようなものを用意すればよいのか確認に参りました」


装備とはいえ別に甲冑で全身を覆うというわけでもない。単純に武器として何を選ぶのか、ということだろう。

すぐに思い浮かぶのはやはり剣、槍、普通ならば次点で弓といったところだろうが、弓はさすがに練度が低いと意味がない。それにマナ切れさえなければ全てにおいて魔法に劣るだろう。


慎重に考えるべきだったのかもしれないが、私はすぐに答えた。


「あー、あれがいいなぁ。刀って知ってる? こう、片刃で柄と鍔があってさ……」


「……?」


どうにか言葉で説明してみようとするが上手くいかない。

さすがファンタジーの世界、洋風の剣は溢れていても和風の刀は存在しないらしい。


仕方なしに紙に描いて何となく説明する。

下手な絵だがないよりはマシ。注釈として細部がどうなっているのかも書き足し、それをブレットに手渡した。


「……ふむ、かしこまりました。ではご用意しますので、それまではこちらをお使いください」


そうして渡されたのは量産型の簡素な両刃の剣。


「切れ味はさほどですが、取り扱いには十分注意してください」


ブレットからこういう言葉が出て来る時は、大抵「自分は監視できないが他の者が常に監視している」ということを指す。

少なからず彼らにとって私は保護すべき対象なのだ。だがブレットのようにのであれば特に気にならない。実際に何かあった時の対処は遅れるだろうがそれは私が悪いだけだ。


それでいい。


「うん、ありがとう」


受け取ったのはいいが、魔法のほうに集中していたため結局この先二ヵ月これを使うことはなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




そして時間は戻って現在、いよいよ剣術にシフトしようと例の両刃剣を持って中庭にやって来るとまたしても背から声がかけられた。


「お嬢様」


私はたっぷり間を持ってから振り返る。


「……なんかこうさ、もうちょい気配とか出して声かけてくれない?」


声をかける前に声をかけろ、などという意味の分からない文句は言わないが、意図して気配を消して近づくのだけはやめてほしいところ。


「申し訳ありません。部下の仕事ぶりを確認するためには必須のスキルでして……以後このようなことがないようにいたします」


部下、というのはその他の使用人のことだろう。

基本的に使用人は私たちの前に現れるようなことはない。あくまで影で雇い主の一家が住みやすいように行動してくれている存在。表に出てこないというのはそういうことだ。

そしてそれらをまとめているのが執事、ブレット。


「難しいなら無理にとは言わないけど、なるべくね。それで?」


「はっ。こちら、例のものがご用意できました」


出てきたのは細長い形状の包み。


もしかしなくても頼んでいた刀だろう。


「うぉ、あ、開けていい?」


「もちろんでございます、確認のためにも一度」


言われ、早速包みを解いていくと出てきたのはほのかに香る木箱。見るからに高級そうだ。

そしてそっと箱を開ける。


「ほぁ……すっご」


思わず間の抜けた吐息が漏れた。

現れたのは私が望んでいた刀そのもの。光沢もくどくなく、落ち着いた色合い。


手に持ち、少しだけ鞘から引き抜く。


シャリン……。


心地の良い音。


「ふぉぁ……」


溜め息。

目を奪われるとはこういうことを言うのだろう。まさに釘付け。いつまででも見ていられるような芸術、匠の技だ。


「――満足のいくものでしたか?」


どれくらいそれを眺めていただろうか。ブレットの言葉で現実に引き戻された。


「うん! 満足満足! 大満足! ありがとう!!」


あまりの感動にすごい勢いでそう言うと、ブレットは「お、おぉ……」などと言いながら少し後退った。


しかしやはり見れば見るほど素晴らしい。

何と言うのだろうか。細身でありながら何物にも劣らないとでも言いたげな存在感。


……いやいや、何も頭の良さそうな言葉で飾り立てるものでもない。

かっこいい、強そう、何かいい感じ。これだ。


「……こう……抱きながら寝たくなる感じ」


「ふむ……?」


無意識のうちにこぼれた呟きにブレットがわずかに首をひねるが、私がそれに気付くことはなかった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇




瞬く間に月日は流れ、今日はとうとう学園に行く日だ。


剣術についてだが、結局はあれから特に何もしていない。

無駄、というわけではないがひとりで刀を振り回していても得るものが少なすぎると判断したからだ。やはり相手がいて、その動きに対して自分がどう動くべきなのかというのを肌で覚えながらでなければ意味がない。


よって、魔法書と顔を突き合わせながらそれまでよりもいくらかゆったりと過ごしていた。


そしてそんな日々とも今日でお別れ。


「忘れ物は……多分なし」


多分では意味がないが、数回確認して特に問題ないのだからきっと大丈夫。


用意した荷物、それと大事な刀を手に部屋を出てそのまま玄関に向かう。




「――忘れ物はないか?」


「うん、大丈夫」


多分。


「昨日私も確認しましたから、大丈夫ですよ。多分」


……多分。

いや、いい。時と場合にもよるが、絶対ほど信用できない言葉もない。


最悪忘れ物があってもどこかで買えばいいだろう。それに全寮制なのだから学内にはなくとも通販のようなものは必ずあるはず、どうとでもなる。


私はしっかりと荷物を持ち直し、大きな扉に手をかけて振り返る。




「……ぁ」




瞬間、重なる。


一二年前、あの日あの時、あの場所で家を出たその瞬間と。


……あぁ、ずっと気にする暇もなかった。

そうだ、冷静に考えれば私は死んだんだ。もう二度とあの場所には帰れない。お母さんにも、お父さんにも、健二にももう二度と会うことはできない。


「マイ……? ど、どうしたの?」


お母さんに言われて気付く。

私の瞳からは涙が止めどなく流れていた。


感情がぐちゃぐちゃだ、一瞬のうちに頭の中がパンクしそうになる。

今日も家を出たらもうここには帰ってこれないかもしれない。学園に着くまでにどこかで死んでしまうかもしれない。


……だめだ、あまり長くこの状況に身を置いてはいけない。


いつの間にか伸びていたお母さんの手を避けるように扉に背をくっつけると、後ろ手にノブを握って回した。


「――大丈夫、行ってきます!」


遅いかもしれない。

だけど私はできる限りの、精一杯の笑顔でそう言った。

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