想い出

ゴシック

想い出


 秋と冬の節目。朝の目覚めがより厳しくなってくるある日、俺は理科の授業を目前にして足を震わせていた。目の端でとらえていたはずの級友たちは皆意識の外へと消え、ついには俺の視界の大半を占めている文字の羅列すら意識の外に消えそうになった。しかし、俺は足の震えを武者震いだと勝手に解釈し、心を落ち着かせる。


 しっかりとこの日のために準備してきたんだ。何も問題ない、大丈夫だ・・・。


 さて、一体どうして俺がこんな目にあっているのかというと、次の理科の授業は「発電方法」についてのプレゼンテーションだからだ。無論、決して俺たちの教師陣がわが国の未来を憂いているわけではないだろうが、やはりこうしたところでしか進学校たる「面子」を保てない学校であるのかと思うと、医者でも経営者でもない普通の公務員の父親が、自分に無理してお金をかけてくれていることに後ろめたさを感じる。


 とまぁ、そんなこんなで、いつも通りの時間に安っぽいウェストミニスターの鐘の音が鳴り、待機していたかのようなタイミングで教師が入室してくる。基本的に俺の級友たちは、教師が入室すると人が変わったように口を閉じるのだが、この時だけは違って、随分とそわそわしている。何がそんなに楽しみなのやら。

 そして教師が授業開始の号令を出すと、俺を含めたクラスの全員が形式通りの行動をなぞった。


 授業が始まると、教師は時間が惜しいのかいつもの耳に残らない話はせず、早速第1班に発表の準備をさせた。ちなみに俺の班は第5班である。 

 教師の指示を受けた彼らは重い腰を嫌々持ち上げて準備に取り掛かり始め、カップヌードルの出来上がりよりも早くそれを終えると、教師の顔を一瞥しながら発表を開始した。


 ・・・第1班の発表のテーマは「再生可能エネルギー」だったが、お世辞にもいい出来とは言えない。データもまともになく、スライドも進学校であるとは思えない出来だった、と少々上から目線な感想を練っていると、

 「とても良かった!皆拍手を!」

 教師の言葉は、これが私の求めていた答えです、と言わんばかりの満足感にあふれている。

 そして、始まるのが質問タイムだ。だがしかし、俺は知っている。別段生徒が要請したわけでもないこのプレゼン会の質問タイムなどで、律儀に質問する奴なんていない。

—— ただ一人を除いては。


 「はいっ」

 おそらく、そのある一人がこういう場で質問するのは、クラス全体の想定の範囲内であり、そいつを指名する教師の顔はよろしくない。

 そいつ ——匿名希望Xさんとでも呼ぼうか—— Xは勝利を確信したかのような顔で、

 「風力発電でその量の割合の電力を確保するのは非現実的で、不可能です。あっ!『何かそういうデータとかあるんですか』っていう顔してますね。ありますよ~いくらでもありますよ~」

 Xは言いたいことを言い終えるとすぐに席に着いた。

 一応言っておくが、俺はこの意見に賛成だ。がしかし、そのことを表明する気はさらさらない。表明なんてやってみろ、俺の理科の成績がシュトゥーカ爆撃機のように急降下する。もっとも、下がる成績が残っていればという天文学的確率上の話だが。

 第1班の班員は誰一人として反論できずおどおどしており、代わりに頭のネジが左巻きの教師が苦し紛れの反論をするという奇妙な事態を通って、彼らは何とか発表を終えた。

 そして第2班の発表が始まるのだが、これまた「再生可能エネルギー」であり、その後の展開は言わずもがな、だろう。

 しかし、第3班の発表は今までとは違うものになる、少なくとも俺はそう確信している。なんたって、第3班の代表的存在はXだからだ。


 Xは第2班の発表が終わるや否や、一閃を放ちながら発表の壇上へ駆け上がった。

 風のうわさでは、第3班のテーマは「原子力エネルギー」だったか? もしそうなら、俺のテーマも「原子力エネルギー」なのでありがたい限りだ。いや、これは「もし」ではない。第3班がこのテーマを扱うことは太陽系成立以前の決定事項なのだ!

という脳内妄想は俺の頭に住んでいる天使に強制終了ボタンを押されて終わりを迎え、静寂の中から第3班の発表が堂々と始まる。 

 むむっ、どうやら俺の脳内妄想も捨てたもんじゃないようだ。

 第3班の、いや、Xの発表のテーマは「原子力エネルギー」であり、それだけでも俺の興味を十二分にそそる発表なのだが、それに拍車をかける要素が1つある。

 それは、Xの主張を裏付ける膨大な「データ」の量だ。こればかりは、この学校の全ての人間の中で抜き出た特徴ではないかと俺は思う。随分と考え抜かれて仕上がったものなのだろうな。


 そして、絶対に反論を生み出さない、という確固たる意志が見え隠れする発表を、Xは存分に時間を使って、完全な形で発表を終えた。さて、あとXに残るのは質問タイムだけだが、何が起こるのだろうか。

 Xが口を閉ざした今、教室に残る音は外から聞こえてくる人間か人間以外の生活的で自然的なものしかない。この時俺は、次にこの教室で音が発生するとしたら、それは司会者によるものだと、軽い気持ちで思っており、これは軽い気持ちというか、ごくごく当たり前のことだと確信していた。

 

 そうして、しばしの沈黙の後、俺の予想が裏切られる。


 「じゃあ、私が。」

 そういって手を挙げたのは、例の、頭のネジが「極度に」左巻きの教師だ。さらに、その時の俺といったら、その晴天の霹靂たる出来事にあんぐりと口をひらき、大きく見張った目でそいつを凝視することしかできない。

 そして、心理的に果てしもなく長い時間が経過し、俺の額に脂汗が浮き出だしたころ、十分に息を溜めた教師が、

 「ガラス固化体にすると、無毒化すると言ったけど ——」

 「いえ、無毒化するわけではなく、あくまで毒性が軽減されると述べたまでです。」

 Xだ。Xの手早い反撃だ。

 それに教師は露骨にいらつき、

 「だとしてもっ、放射能が消滅するまでには数万年はかかるんですけど、それはどうするつもりなんですかね。」

 愚問の極み! さっき説明してただろう!

 俺はぐっと拳を握りしめ、Xのほうを、期待を抱きながら振り向く。

 Xは失笑していた。きっと俺と同じことを思っただろうが、これこそXらしい反応といえるであろう。

 さて、Xはどう動く? いや、Xは必ず反論する。ならば、もはや「反論した」といっても国語の先生に文句を言わせまい。

 「ですから、」

 満を持してXが口を開いた。瞬間、俺の心臓がどくんと波打つ。そして、Xの反論作戦がはじま——



 「はい!終わり。次の班!」

 ——るわけがなかったのだ、この学校では。

 俺は、自身の拳を無意識化で握りしめる。さらに、額には脂汗に変わって血管が浮かび上がり、俺の心は不動尊王の炎のごとく怒りで燃え上がった。

 人は自然状態で自分の顔を確認することができない。だが、隣席の級友が後に語るには、この時の俺の顔は「ピカソでも表現できないだろう」というものだったらしい。


 俺は考えた、教師に椅子を投げつけ、自分の主張を押し付けるな、このエゴイストめ!と言い放ってやろうかと。だがしかし、俺の中にわずかに残っていた平常心が、俺の体を押さえつけ、こう訴えてくる。それはお前が主役になってすることじゃない。Xが主役になってすることだ、と。

 その声を聞いた俺は、目に映るXの視覚的情報を脳にすぐさま取り込んだ。

 そして、

 「・・・何故だっ」

 俺はかすれた声で低くつぶやいた。


 Xは言われるがままに席に戻ろうとしており、Xの顔は数秒前までとは打って変わって、すっかりと大人びているのだ。

 俺の怒りは刹那の時間で鎮火した。これがひどい裏切りによるものなのか、はたまた勝手に人に期待していた自分への恥ずかしさなのかはよくわからない。何しろ、そんなことを考えるうちに感情の波が俺の脳内を全て洗い流しやがったからだ。俺はまっさらな頭をおもむろに抱える。

 

 第4班の発表なんぞ見ているようで見えていない。むしろ、見たくない。なぜ俺の怒りは冷めた? 空海の火のように延々と続くんじゃないか、と思えるくらいだったじゃないか。この際、Xの行動なんてどうでもいい。俺は何を考えていたんだ。違う、違う、Xと俺は違う!


 「はっ⁉」

 俺は声とともに拳を開放した。

 そう、俺は気付いたのだ。Xではなく俺が怒ったのだ。やつへの、教師への怒りは少なくとも俺のものだ。ならば、俺もあの場所へ行かなければ。あの場所でやつの鼻を明かさねば。あの時の主役はXだったが、俺があの場所に行けば、俺が主役だ。席に座っているうちはただの野次馬、あの場所こそが関が原だ!


 俺の視界が色を取り戻す。どうやら、第4班の発表は終わったようだ。例の教師がこちらを敵意たっぷりの目でじっと見つめている。

 俺はふっとほくそ笑み、台本を手に立ち上がった。そして、あの場所こと発表の壇へと駆け上がる。もちろん拳の握り具合も軽い。俺の気持ちは信じられないほどまで落ち着いており、まるで何も起きていなかったようだ。

 足は雄々しく進んでいき、果ては壇上でぴたりと止まる。つまり、俺は、この時をもって主役となった。

 俺は一人ひとりの視線に応えていく。そして、十分に時間がたったころ、俺の勇気の一言がでる。


 「原子力エネルギーの有効——」

 「もういい! 次!」


 教室にひゅうと冷たい風が吹く。

 「・・・・・・」

 俺は拳をだらしなく垂れ下げ、視界が色を失っていく。

 もう心に残っているのは怒りでもなんでもなく、あることを悟ったことによる、不愉快な納得だ。

 同時に、「教育」という語句の真の意味を初めて知った気がした。なんたって、例の級友に聞いた話では、この時の俺の顔はひどく大人びていたようだからな。



※本作品はノンフィクションであり、実在の事件・団体と大きく関係があります。

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