第5話ぼくと西成の匂い
記憶と共に思い出されるのは西成の匂いだ。先ずは酒の匂い。そこかしこから匂ってくる。そして小便の匂い。酔っ払いが立小便をするので臭い。特にビールを飲んだであろう小便は臭かった。最後は嘔吐物の匂い。朝方西成に行けばどこでもこれらの匂いを体験できた。現在はもうそういった匂いもしなくなり、清潔になった。だから僕にとって匂いと言うものは西成を
そんな酷い場所ではあったが、店の店員や見知らぬ人々がそれらを洗い流し、かろうじて最低限の街を維持していた。嘔吐の後はアスファルトに染みつき、中々跡が消えない。僕はその道を通るたびにその跡を見るのだった。そうした朝の惨状が昼間になるといつもの西成になり、昼間から酒を飲む人たちで賑やかになるのだ。
僕がランドセルを家に置いて西成へ向かうと美味しそうな匂いがする。軒先でホルモンや焼きそば、弁当などが売っている。どれも破格である。おにぎり2個で80円などあったと記憶している。しかし誰が握ったのかわからないおにぎりなどやはり小学生の僕でも怖い。
「良い匂いがするなぁ」
もちろん朝の街の匂いではない。夕方の活気ある時間帯である。労働を終えた人達がドヤを借りて街に食欲を満たすために続々とやって来る。今思うと、西成は何か大きなもの、強いて言えば胃袋のようなもので人々を包んでいたのかもしれない。ビールの瓶入れを椅子にして、これまた瓶の箱とベニヤ板で作ったテーブルで一杯やっている人々がいる。目を合わせるとなんのトラブルが起こるか予測不能なので決して目を合わせたりしない。僕達は比較的、安全そうな、客が穏やかそうな店を選ぶ。
「僕らどこから来たん?」
と聞かれる事が多いが嘘をついて答えた。決して本当の事を言う事が正解ではないのだ。街がどんどん賑やかになってきている。チンチロリン(違法賭博)が始まり始めるとかなり危険度が上がるので早足で西成から離れる。良い香りをずっと嗅ぎながら、ビールを飲んだりできたら大人なんだろうな、と子供心に思ったりしたが、昭和のあの西成の人々はどんな気持ちで晩酌をしたのだろうか。未だに謎である。
成人して友人と西成で一杯やろうと言う事になった。しかし僕は嫌な予感がした。お洒落して行くべき街ではないのだ。980円の作業服とシワシワのTシャツにタオルを首に掛けて行くべきである。靴はサンダルが良い。
「お前らみたいな若造が来るんやないど!」
案の定絡んで来たオッチャンが居た。もちろん、オッチャンは悪くない。その場に居た僕達が悪いのだ。一触即発の店内で僕はオッチャンをなだめすかしてその店を後にした。
「だからゆうたやろ、行くべきじゃないって」
「お前、ビビり過ぎ」
オッチャン達を怒らせると怖い。僕は友人を連れて良い香りを後に西成から離れた。その時のソースが焦げた香りは今でも思い出す。
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