第7話ぼくと日雇い労働

高校生にもなるとやはりお金が必要です。古着が好きで暇があればアメリカ村の古着屋を巡っていた。どうしても金が欲しい。そうなれば西成、釜ヶ崎の出番である。今回、釜ヶ崎と言う言葉を使うのはためらわれた。順序とすれば先に説明しなければならないのだが今回に至って初めての言葉となる。釜ヶ崎と言えば日雇い人夫のイメージが強いが僕は最後までこの


「釜ヶ崎」


と言う言葉を使いたくなかったのである。仕事に貴賤は無い。労働に値する賃金を得るという行動は純粋であり、避難されるものではない。もし僕はお金に困って窮地に立たされたなら迷わず釜ヶ崎に行くだろう。履歴書も必要ではないので余計な詮索もされない。そこには純粋に労働者を必要とする存在と1日でも雇用されたい者のマッチングがなされる。それ以上でもそれ以下でもない。労働である。純粋に見れば、今風に言えばノマドワーカーであろうか。自由に働き、自由に賃金を得る。そこに不純な動機は無い。犯罪に走る若者より貴重な労働者である。キツイ労働であるが1日で1万3,000円ももらえる仕事などそうそうない。それでも現在は賃金の低下は深刻だそうだ。知り合いのNPO法人の友人に聞くと高齢化が進んで仕事を求めても年齢で断られる事が多いらしい。僕が通った西成と現在の西成は全く違うものになってしまった。酔って道端に転がる人は殆ど見なくなった。現在は安価に泊まれるという事も有ってバックパッカーにドヤ街が人気らしい。確かに安価に宿を求める旅行者から見れば西成のドヤ街は魅力的に見えるには違いない。その選択に善悪は無い。選択した者の違いである。


「ドヤに住むものはドヤの住人にしかわからない」


そう言われた僕は数日悩んだ。果たしてそんな結論で良いのだろうか?働きたいと言う純粋な理由で西成に留まる人々を説得する言葉を僕は持っていない。時代は派遣業である。必要な人材を必要なだけ、必要な時間を掛けたらハイそれまでと打ち切る仕事よりその日限りではあるが、しっかりと賃金を約束する釜ヶ崎の方が余程筋が通っているのではないだろうか。労働とは、生きる事とはどういったものか、僕にも未だに答えを出せてはいない。労働の流動化は自由度が増したがそれ以上に労働者を拘束する足枷あしかせにはなっていないだろうか。僕は昭和の西成が懐かしく、また当時の賑やかな西成を懐かしく思うのである。僕は昭和、平成、令和(始まったばかりだが)を見守って来た。だから釜ヶ崎にはこれからも労働の原点として存在して欲しいのである。

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