狐のお宮

旅の話

「嫌だね、虹なんて。気持ち悪いじゃないの」


 私が話を終え、飛び出したのがまずそれだった。

「雨が降っているのに、空が晴れているんだ。気味悪いったらありゃしない」

 女は、吐き捨てるように言って立ち上がった。むんと立ち込めた、雨上がりの匂いがした。


「どうです、一つ、旅の思い出に」

「嫌だね。何だか悪いことが起きる気がする」

 女は顔をそむけた。耳飾りが明るい色を放つ。

 それは私の見た、美しい清らかな光だった。


「お前さん、何を考えているのさ」

「いいえ、何も」

「いいかい、虹なんて誰も見やしないのさ。美しくない。私はそれを、美しいだなんて一言も思わない」

「お嬢さん、貴女、虹を見たことはおありですか」

「ハッ、何を言うのさ。私は散々見てきたよ。けどこれっぽっちも美しいだなんて思わなかった。さぁさぁお前さんもとっとと行っちまいな」


 女は手首を使って私を払った。陽が女の白い手を染めた。

「お嬢さん、貴女は、儚い」

「ハッ、何を言うのさ」


 鼻で笑う女の頬を、しんと風が通っていった。

 遠い空のむんとした匂いを、少し冷たい流れが運んでいた。

「嫌だね、気味が悪い」

 なかなか動かぬ私を見てか、女は言った。


「お前さんを見てると、嫌になるね。さぁ、とっとと行っちまいな。こんなところ、通っていってしまいな」

「お嬢さん、貴女は、綺麗だ」

「嫌だね」


 女はまた、顔をそむけた。ちょうど光が雫の間をすり抜けていった。

 少し時間の無いような気に駆られて、私はまた尋ねた。


「貴女、貴女を見たことはおありですか」

「嫌だね、悪いことが起きるよ」

「それでも私は、貴女が綺麗に見える」

「嘘つけ、誰も私を見ないよ」


 女は背を向けて座った。遠い山にぶつかって、雨雲が女を呼んだ。

「お嬢さん。今度は何処へ行くのですか」

「馬鹿を言うんじゃないよ。行く先なんてないさ」

「私には貴女が、生まれたばかりの赤ん坊に見える」

「そうだろうね。私は醜い老婆さ」


 すいすいと消えていった。雨が風を呼んだ。

 むんとした雨上がりの匂いは風に乗って何処かへ行った。

 女もまた立ち上がって何処かへ行った。


 女は気づかなかったのだ。空気の色に染まる、あの白い手が。

 揺れた耳飾りの色が。

 むんとした匂いが。

 女は美しかった。



 今はきっとあの山の向こうに。

 女はまた生まれたのだろう。


 私は旅の話をする。

 いつか見た、美しい虹の話だ。




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狐のお宮 @lokitune

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