星に落ちたら
おくとりょう
穏やかな一日
「だぁーっ!もう!…またぁ?」
京都、鴨川のほとり。
欄干にもたれ掛かって、スマホとにらめっこしていた彼女はうめくように叫んだ。
数少ない通行人の視線を集めてしまったことにハッとして、恥ずかしそうに口を抑える。
(もう…寝坊すんの何回目よぉ…。
今日は、誕生日のお祝いしてくれるって言ってたのにぃ…)
進学を機に、京都へ引っ越して来て、早二年。仲のいい友だちも、優しい彼氏も出来て、楽しい学生生活を過ごしている。彼氏が時間にルーズなのは、問題だけど…。
(やっぱり一言文句言わなきゃ気が済まない!)
いつもの如く寝坊して、デートを延期して欲しいという彼に、怒り心頭の彼女は氷の笑顔で電話をかける。
ジジジっという耳慣れない音の後、ニ〜三回のコールで、すぐ寝ぼけ声の彼が出た。
「…はぁい」
「すぐ来て!今日という今日は許さないんだから!!」
「え?」
「デートは延期させないって言ってるの!
ケーキ食べに行くの!早く来て!
まだ四条大橋の、京阪の出口のトコで待ってるから!」
勢いよくまくし立てると、一方的に通話を切る。
「あらあら…」
近くを通りかかった老夫婦の温かい視線に気づくと、彼女は耳まで真っ赤になり、申し訳無さそうに視線を落とした。
日は高く、綿雲の映える真っ青な空をトンビが旋回する。そよ風が心地よい穏やかな午後。
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怒りの電話から数十分経って、彼女の熱も冷めてきた頃。
突然、ピタッと陽射しが途絶えた。
ぶるっと震えて彼女が見上げると、太陽の前を横切る大きな綿雲。
太陽が再び顔を覗かせたそのとき、
「ねぇ、お姉さんがさっきの電話の人ですか?」
幼い声に振り向くと、大きなヘルメットを被った子どもが彼女を見上げていた。
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「…えーっと?
要するに、地球の調査に来てた宇宙人の君に間違い電話をかけちゃったってこと?」
「うん!間違いに気づかないまま、通信切れちゃったから。電波を追って探しました!」
ゆらゆら揺れながら、高い声でハキハキと話す赤いヘルメットには、彼女の引き攣った顔が映っている。
辺りを見渡すが、人通りはあまりない。きっと近所の子だろう。
スマホの発信履歴を確認すると、彼氏にかけたつもりが、京都の市外局番でかけてしまっていた。
(個人情報とか気にしないで、電話帳にちゃんと登録しとけばよかった…)
ため息をつき、頭を抱える。
「お待たせしました!お姉さん!
それじゃあ、デートに行きましょうか」
「へ?」
いつの間にか、手を握っていたその子はゴロンと首を傾げた。
「ケーキとやらを食べに行くんですよね?」
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(…どうしよう)
大きなヘルメットをガクガク揺らして歩くその子を横目に見ながら、彼女は途方に暮れていた。
自分の間違い電話がきっかけとはいえ、見ず知らずの子を連れ回すのは犯罪のはず…。
なので、警察に連れて行こうとしたのだが、
「僕は迷子ではありません!
ちゃんと拠点への道のりは覚えておりますので、お気になさらず!」
と、丁重にお断りされてしまったのだ。
「それよりも、地球のケーキなるものを食べに行きたいのです!!
現地通貨もちゃんと持っているのですが、僕一人では買い物もままならず、困っていたところなのです…」
体に対して大きなヘルメットに加えて、銀色のレインスーツの上下は異様で、確かに店舗へ入るのを躊躇われる姿だった。
「…脱いじゃダメなの?」
「駄目です!
地球の大気構成は、母星の大気構成と似てはいるのですが、ちょっと違うのです!
長く触れると体調不良に陥ります!」
深くため息をつくと、彼女はしぶしぶ呟いた。
「…ケーキ食べるだけだからね」
「わぁ!ありがとうございます!
僕はモンブランが好き……じゃ…なくてぇ…。
えーっとぉ、モンブランなるケーキが気になるのです!」
「…ふふ。じゃあ、大きい栗が載ってるヤツ買いに行こうか」
四条大橋を渡る二人を追うように風が優しく吹き抜ける。いつの間にか、雲がまた日を遮っていたが、彼女はちっとも寒くなかった。
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「うわぁ…!
こんなにいっぱい良いんですか!!」
小さな自称宇宙人は、コンビニスイーツの山に歓声をあげた。
「…うぅん。ちゃんとしたお店のじゃなくて、ごめんね…」
ケーキを並べながら、女子大生は申し訳無さそう言った。
(この格好の子を連れて、店内に入るのはやっぱりなぁ…)
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何処かのお店で買って、川沿いのベンチで食べようと四条通りへ向かった二人だったが、宇宙人姿が視線の的になるのは避けられなかった。
中の見えない大人サイズの真っ赤なヘルメットに、季節も天気も無視した銀色のレインスーツの上下なんて、子どもだとしても、目立って当然。
(…違うんです。私がこの服を着せさせてるんじゃないんです…)
本人は気にならなくても、女子大生にはいろいろ耐えられないものがあった。
そうそうに鴨川へ引き返すと、その子にはベンチで待っていてもらい、彼女は近くのコンビニへと走った。
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「ごめんね、一人で待たせちゃって」
「お構いなく!」
慌てて戻ると、ベンチにちょこんと座っていた宇宙人はにっこりピースサインで防犯ブザーをかざして見せた。
「もしものときは、母船へSOSを発信するのです!」
ケーキを食べるため、開けているヘルメットから、年相応の屈託のない笑顔が覗いている。それが何だか堪らなくて、思わず呟くように尋ねた。
「…その…いつもはどんなことをしてるの?」
「世界の植物や動物の生態調査です!」
器用にヘルメットの中にフォークを突っ込みながら、元気よく話し始める。
「ネットの動画…じゃなくて、世界各国にドローンを飛ばして、世界中の動植物を観察しています!」
「…そう。人間も?」
「はい!人間もです!
でも、地球の言語は多様性に満ちていて、難しいです!まだ日本語しか話せなくて、英語を勉強中です!お姉さんは英語お話しになられますか?」
ケーキと一緒に買ったブラックコーヒーが鼻の粘膜を刺激して、むせ返った。
「…っ!!…ちょーっとだけね」
目を細め、顔をしかめて笑う。
そのとき、川の上をひとすじの風が吹き、ずっと立ち尽くしていた一羽のアオサギが飛び去る。
宇宙人は、その姿が見えなくなるまで、見つめてから、再び口を開いた。
「……母星は…単一言語なんです」
突然、それまでの勢いがなくなっていた。話しながら、ケーキをつついていた手も、ピタッと止まっている。
「…方言もなくて、誰もが標準語を話すんです。
…それに、英語みたいに一人称がひとつしかないんです」
川のせせらぎは、意外と大きくて、河川敷のベンチからでも充分聴こえた。
かの有名な“等間隔カップル”もこのせせらぎがあってこそかもしれない。
「……だから」
宇宙人の嗚咽なんて、私の耳には聴こえなかった。
「…だから、別に関西弁が喋れなくても、バカにされないし、女の子が“僕”って言っても、イジメられたりしないんです」
そよそよと揺れる黄色いカラシナの周りを、モンシロチョウがまとわりつくように舞っている。
私はベトベトになった彼女の顔を拭いながら尋ねる。
「…京都キライ?」
「……」
俯いてしまった。
ふと机に目をやると、まだ彼女が手をつけていないお菓子がひとつ。
「粒餡は好き?」
口を真一文字に結んだまま、大きくうなずく。
「“水無月”って言って、京都のお菓子なんだって」
食べやすく切り分け、差し出すと、今にも溢れそうな潤んだ目のまま、口を大きく開ける。
思わず余計なことを言いそうになるのを堪えて、口に入れてあげると、濡れていた両目がカッと見開いて、パチクリパチクリ、白黒白黒。
「緑茶も飲む?」
ぐっと飲み干すと、再び物欲しげな目を水無月へと向ける。
「残りも食べちゃって良いよ」
空はもう朱く染まり始めていた。
私は、再び口の周りをベタベタにしていく彼女が何故だか愛おしくて、ずっとずっと見ていたかった。
******************************
「さっきの水無月美味しかった?」
彼女の“拠点”だというアパートまで、手を繋いで歩いた。
「京都では溺れないようにっておまじないで、六月に食べるんだけど、昔は六月のことを水無月って言ったらしいよ。ちょっと面白くない?」
私を見上げる彼女がどんな表情だったのだろう。赤いヘルメットには私と京都の街並みが歪んで映っているだけで、彼女の顔はもう見えない。
でも、「言語って結構面白いなぁ、英語また勉強しようかなぁ」と呟く私に返した声は無邪気で明るかった。
「どの言語でも僕が先にマスターして、お姉さんに教えてあげますよ!」
星に落ちたら おくとりょう @n8osoeuta
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