7.エンドロール(終)

 目が覚めて、ゆっくりと上体を起こした。寝姿勢が悪かったのか、やけに右肩が痛い。


 鳥谷日菜子はいつものようにサイドテーブルを当てずっぽうであさり、マンガやペットボトルに埋もれていたメガネを探し出す。

 レンズに指がふれてしまったことに苛立ちながら、つるを耳に通してメガネをかけた。これで、やっとぼやけた近視の世界から解放される。


「ふう」と、短く息をつき、日菜子は何気なく部屋を見回した。

 見慣れた自室は、相変わらず物が散乱して片づいていない。年中締めっぱなしのカーテンの隙間から、うすい陽射しが差し込んでいた。


 ふと放り出したヘッドセットが目に入る。リングライブに接続するためのVR装置だ。体の動きに感応するボディパットも装着して、日菜子は毎日欠かさずリングライブにログインしていた。


 大学で人間観関係に苦しみ、半引きこもり生活を送るようになった四年前から、ずっとゲームまみれの日々だ。

 そのなかでも特に日菜子が熱心にプレイしているのが、フー・ファイトである。自分でもなぜこんなクソゲーに夢中になっているのか、よくわからなかった。なんのプラスにもならない、ムダな時間をすごしていると心底思う。


 もっと人気のゲームにハマっていたなら、まだ違った気持ちを抱けたのではないだろうか。

 人気ゲームのトッププレイヤーは、いまや商売として成立する立派な職業となっている。たとえ可能性は低くとも、挑戦した事実は引きこもりにとって支えになる――言葉は悪いが、ただ引きこもっていたわけじゃないと、最低限の言い訳として利用できた。


 しかし、フー・ファイトでは、そうもいかない。

 カルト的な人気があるといっても、誰かに求められるようなゲームではなかった。どれだけがんばったところで、金銭的な見返りはを期待できるはずもない。名声にしても、せまい界隈だけでしか通じないものだ。


 こんなゲームを懸命にやったところで、何にもならない。若者の貴重な時間を浪費しつづけているだけ、人生詰んでいる。バッドエンドに一直線だ。


「ここのところは、楽しかったな」


 日菜子はぼそりとつぶやき、こみ上げてきた笑みを口元にこぼす。

 焦燥感に駆られながらも他にできることはなく、半ば惰性になっていたフー・ファイト漬けの日常に、思わぬ新風が吹いた。

 果たし状を受けた少年に教えを請われ、ガラにもなく師匠を気取って戦い方を伝授する日々。新規ユーザーの期待できない古いゲームに、理由はどうであれ踏み込んでくれた彼とすごした一週間は、楽しくてうれしくて毎日が輝いていた。


「でも、もう……」


 果たし合いは終わり、また代わり映えしない毎日が戻った。

 欠かさずつづけてきたがログインする気が起こらず、ヘッドセットから目をそらしてモゾモゾと再び寝転がる。

 ぼんやりと天井を見上げて――ただ、ぼんやりとすごした。フー・ファイトをしてようがしてまいが、時間の浪費という意味では同じことだ。結局虚無な日常に違いない。


 どれくらいたった頃だろうか、ふいに部屋の扉を乱暴にノックする音が響く。


「おい、姉貴、ちょっといいか」


 返事を待たずに扉が開き、弟の智憲が顔を出した。表情にこそ出していないが、心底嫌そうな空気をまとっていた。

 日菜子は寝転がった姿勢のまま、面倒そうにレンズ越しの目だけを向ける。


「なぁに?」

「姉貴に会いたいってヤツがきてる」


 その言葉を聞いた瞬間、日菜子はこれまで生きてきたなかで最速のスピードでベッドから飛び起きた。

 智憲の背後から、学生服姿の少年が遠慮がちに入ってくる。


「ど、どうも、こういうとき、はじめましてでいいのかな。小園克己です……カッちゃんって言ったらわかりますか」


 慌ててボサボサの髪を手ぐしで整えるが、跳ねたくせっ毛は一向にまとまってくれない。日菜子は泣きたい気分になった。

 髪以上に情けないのは、汚部屋の惨状である。予想外のいきなりの来客は、準備が足りなくて精神的にきつい。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。


「言っとくけど、俺は断ったからな。カッちゃんがどうしてもってうるさいから、しかたなく――」

「僕がムリを言って師匠の素性を聞きだして、押しかけたんです。トモPを怒らないでくださいね」


 日菜子はおずおずとうなずく。怒鳴り散らしてブン殴りたい気持ちはあるが、とてもじゃないが感情を表に出す余裕はない。

 心臓が痛いほどに脈打ち、縮こまるように顔を伏せた。その状態のまま、改めて克己を盗み見る。


 これまで彼の姿を何度も想像してきたが――どれとも違う。弟と同い年の高校生とは思えない、小柄でかわいらしい男の子だった。現実の克己とは正反対の厳めしい狼男のアバターは、童顔をコンプレックスに思ってのことかもしれない。


「本当に、急に来ちゃってすみません。でも、ちゃんとお礼がしたくて」

「そんなの、いいのに」


 あきれるほどに声が震えて抑揚が狂う。舐められないようにアバターに設置した音声変換ソフトを、現実で欲しいと思ったのははじめてだ。


「何か僕にできることはないですか。たいしたことはできないけど、なるべく叶えられるようにがんばります!」


 受けるにしても断るにしても、言葉にして答えなくてはならないのだが、ノドがキュッと締まって声が出ない。

 長年の引きこもり生活で、身内以外との会話に支障をきたすようになってしまったのだろうか。アバターを着込んでいれば平気なのだが、直接向き合うと緊張でおぼれそうになる。


「ケーキ屋でも行けば」そんな情けない姉を哀れに思ったのか、智憲が思わぬ助け舟を出した。「ほら、引きこもる前はよく行ってたケーキ屋の月一バイキング。あそこにカッちゃんと行けばいいんじゃないか」

「そんなんでいいなら、いくらでも付き合いますよ。僕もケーキ好きだし、ちょうどいい」


 屈託のない笑顔で、克己が言った。トクンと胸が高鳴る。

 日菜子は火照った顔を隠すように、ボサボサ頭を乱暴にかく。こんな日がくるとは、考えたこともなかった。誰かが引きこもった部屋から連れ出してくれるなんて、イメージすることさえ放棄していた。いや、自分自身でイメージをキャンセルしていたのかもしれない。


 人生詰んでいる。バッドエンド確定――そう思い込んでいたが、早計だったかもしれない。まだエンドロールは流れていないのだ。


 それにしても、すっかり立場が逆転している。現実では克己のほうが上級者だ。

 日菜子はためらいを振り切り、意を決して告げた。


「よろしくお願いします、師匠――」

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バッドエンド・ゲーマーズ 丸田信 @se075612

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