誕生/異物
父も遥奈さんもとても優しい人だった。
いつも俺を気遣ってくれていたのは間違いない。
遅くまで仕事していたのは俺の将来を見据えて、少しでも多くの選択肢をとれるようにするため。
絶対に俺より先に帰宅して家事を終わらせていたのは、俺に少しでも自由な時間を与えるため。
だがしかし、俺はそんな二人の優しさを素直に受け取ることができず、しかも自分の居場所が無くなっていく感覚に陥っていた。
その感覚は日に日に大きく膨らんで、取り返しのつかない事態となっていく。
☆
父が再婚して一年ほど経ったある日のことだった。
夕飯後、すぐに自室へ戻ろうとしたところを二人に呼び止められた。
一体何事かと思いながらも二人の対面に座る。父がわざとらしく咳払いをして、遥奈さんは妙にそわそわしている。
その様子に眉を顰めると、父は「あー、その……」となにか言いたげに体を揺らす。
そんな父を遥奈さんが肘で突いた。
「おほん! まあその……こうやって改まって言うことじゃないかもしれないが……」
「うん、なに?」
「そのー、えっと……」
煮えきらない様子の父にしびれを切らした遥奈さんがため息を吐くと、父の肩がピクリと跳ねた。
「もう! 圭吾さんから話すっていうから待ってるのに!」
「わ、悪い……ちょっと気恥ずかしくなっちゃってな」
「なんで? もう私から言っちゃうよ」
そう言って遥奈さんは俺と目を合わせて口を開く。
「秋護くん、あのね」
「はい」
「秋護くんはなんと、もうすぐお兄ちゃんになります!」
「はい……はい?」
「ふふふ、私のお腹の中にね、秋護くんの弟か妹が居るんだよ!」
それは俺にとっては父が再婚の話を持ってきたときよりも衝撃的な出来事だった。
兄弟ができる。ただそれだけの事だというのに理解するまでに時間がかかってしまう。
しかしそれでも、俺がこれまで培ってきた『取り繕う力』はこの状況で言うべきことをちゃんと分かっていたようで、気がつくと無意識に言葉を紡いでいた。
「おめでとうございます!」
そう言ったのは俺自身だが俺じゃない。
「じゃあ身体を大事にしないといけませんね」
今、口を動かしているのは誰だ。
「産まれるまでの間、色々お手伝いします」
「ありがとう! 今はまだ大丈夫だけど、この先お願いすることもあるかもしれない。私も初めてのことだからちょっと不安だったけど、秋護くんがお手伝いしてくれるって言ってくれたから不安なんて全部どっか行っちゃった!」
「任せてください」
自信満々にそう言ったのは取り繕っている俺だ。
本当の俺は心の奥で未だにこの話を消化出来ず、頭を抱えて蹲っている。
「それじゃあ、宿題が残ってるから」
「うん、ごめんね引き止めちゃって」
「ありがとな、秋護」
二人に背を向けて、平静を装いながら静かに階段を上る。
自室に入りゆっくりドアを閉めると、その場にしゃがみ込んだ。
二人の前で話を聞いた時よりも頭が働いている気がするのは気のせいではないだろう。
「(遥奈さんが妊娠……父さんとの子供……)」
遥奈さんから伝えられた話を振り返ると唐突に吐き気がこみ上げてきた。
「……っ!」
口を抑えて床を転がった。
もう小学六年生にもなるとマセた子供は男女のあれこれに対する知識の一つや二つは軽く持っているもので、俺も初恋相手がひとつ屋根の下に暮らしていることもあってそういう知識は人並み以上に持っていた。
持っていたからこそ、それが禍して今こうして吐き気を堪える事態となっているのだ。
父と遥奈さんの間に子供が出来たという事実。子供が出来たということはそういう事なのだろう。
知識を持っていたこと、そして一年間ひとつ屋根の下に居たことで二人を身近で見てきたのが相まって、二人の姿が簡単に想像できてしまった。
大好きで尊敬している父と、ひと目惚れした初恋の人。
二人が好き合って結婚したのは知っているし、仲睦まじい姿も見てきた。
だがこうやって、リアルな形に二人の仲を思い知らされると言い様の無い気持ち悪さを感じてしまい、俺は堪えきれず洗面所に駆け込んだ。
鏡に写る俺の顔は、生気を感じられないほどに青褪めていた。
☆
二人の間に子供が出来た告げられたあの日から、俺の中で明確に変わったことがある。
それは俺の中に俺がいること。訳がわからないかもしれないが事実そうとしか言えないのだ。
二重人格とまではいかないと思うが、それに近いような気もする。
以前から父にとって良い子であるよう心がけて、都合の悪いことがあっても取り繕って生きてきた俺だが、それがより自然になった。
二人の仲睦まじい姿を見て気分が冴えなくても、そんな内心とは裏腹に無意識に俺も「仲いいね」と言って微笑む。
そんな幸せな家庭を演出する俺を、俺は心の中で気味悪がりながら見ていた。
いっその事、本当に二重人格なら良かったのかもしれない。もう一つの人格が、全てを引き受けて俺は心の中で眠っていられればよかった。
だが残念なことに気分が冴えない自分も、無意識に都合のいい言葉を吐く自分も、全て俺自身なのだ。
父も遥奈さんも好きだ。二人が幸せになることに異論は無い。
だが仲睦まじい姿を見せないでほしい。
二人の間に子供が出来たのは間違いなく祝うべき出来事だ。
二人の嬉しそうな姿を見て素直に祝う気持ちはある。
だがあまり嬉しそうな姿を見せないでほしい。
こんな複雑な感情を吐き出す相手など居るはずもなく、心が悲鳴を挙げるのを無視して溜め込み続けた。
遥奈さんのお腹は月日が経つごとに大きく膨らんでいく。
その身に宿す子供は弟ではなく妹だということも判明し、しかも双子であるという。
父は毎日慌ただしく帰宅して遥奈さんの体調を気遣う。遥奈さんも度々具合が悪くなることはあるが、概ね元気そうだ。
双子だと分かったときは二人とも大いに喜んで、気の早い父は玩具を大量に買い込んで遥奈さんに説教されていた。
徐々に整えられていく育児環境。
双子のための衣服や玩具が増えていくたびに、俺の居場所が無くなっていく。
身重の遥奈さんに変わり家事を手伝うようになってからもその感覚は変わらない。
「秋護くんは良いお兄ちゃんになりそうだなあ」
ある時、膨らんだお腹を撫でながら遥奈さんはそう言った。
「そうなれるよう頑張ります」
そう返した俺に、遥奈さんはとびっきりの笑顔を向ける。
「(違うんです。子供ができたと告げられた時、俺は素直に喜べなかったんです)」
これを言ったら遥奈さんはどんな顔をするのだろうか。
そんな事を考えてしまった俺は向けられた笑顔を直視できずにそっと目を逸らした。
そして月日は流れその時は来た。
二月十四日。バレンタインデーの早朝。
俺の妹が産まれた。
名前は秋菜と秋穂。冬に産まれたのに何故名前に秋が入っているのかとも思ったが、俺の名前から一文字とって名付けたらしい。
歳は離れているが、仲の良い兄妹になれるように。そんな願いを込めて双子の名は付けられた。
産まれた双子は嘘みたいに小さく、可愛かった。
だが──
「遥奈、よく頑張ったな! それにしても双子の女の子……可愛いなあ!」
「ふふふ、もう何回も頑張ったなって言われたよ」
双子の娘たちを見つめ微笑み合う二人を見て、胸を抑える。
仲の良い夫婦と、双子の娘。そこに混じる俺は何なんだ。
母となった存在に恋心を抱いていて、二人の間に子供が出来たことを素直に喜べなかった汚い自分がこの場所にいても良いのだろうか。
産まれたばかりの双子の妹は確かに可愛かった。
が、しかし同時にその存在が恐ろしかった。
──お前は異物だ。
言葉を発するわけがない双子にそう言われている気がした。
俺が思い描く幸せな家庭の中に、俺は居なかった。
俺は、異物だ。
サルビアの花をキミに 灰島シキ @sikiko
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