新生活/歪み


 遥奈さんを加えて始まった新生活。

 パートで働きながら家事もこなす遥奈さんと、仕事に打ち込みつつも遥奈さんと仲睦まじくしながら家事も手伝う父。

 俺も新居での生活にすっかり慣れ、家族仲も表向きは良好と言っていい。

 そう、あくまで表向きはだ。

 と、いっても問題があるのは父や遥奈さんでは無い。本心を隠し、良い子であるよう取り繕ってる俺に問題があるのだ。

 

 いくつか隠している心の内。まずその一つは遥奈さんへの恋心だ。

 父に連れられてむかったレストランで初めて会ったあの時その瞬間に、俺は初めて人に心を奪われた。

 好きになった理由がただのひと目惚れだなんて浅くて陳腐なのかもしれないが、年頃の俺に向けられたあの魅力的な笑顔はどうしようもなく俺の心を惹きつけたのだ。

 ただ、遥奈さんは父の再婚相手で俺はただの子供である。

 当然この気持ちを伝えることなんて出来ないし、もし伝えたとしても受け入れてもらえるなんて天地がひっくり返ろうがありえないことだ。

 それになによりも父に幸せになってほしい。せっかく掴めそうな幸せを俺が壊すことなどできない。

 だから俺は気持ちに蓋をしたまま新生活を送っている。二人が仲睦まじくしているところを見るたび痛む心は必死に見てみぬふりをした。

 

 他にもまだまだ隠している心の内はある。それは家事に関してのことだ。

 父と二人で暮らしている時、俺は父の役に立ちたくて掃除や洗濯を積極的に引き受けていた。

 それで父の負担が減るならばと喜んでやっていたのだが、そんな俺を見て父がどう思っていたかがこの新生活で分かってしまった。

 それは引っ越してから初めての平日のこと。学校から真っ直ぐに帰宅した俺は、まずはいつも通り掃除をやろうと思っていた。

 玄関を開けるとリビングから遥奈さんが顔を出す。

 

 「おかえり!」

 「あっ……ただいま、です」

 

 学校から帰ると人がいるという違和感と、出迎えてくれたのが好きな人だというのが相まって何だかくすぐったくて足早に洗面所へ逃げ込んだ。

 手洗いうがいを済ませ、ランドセルを部屋に置き、掃除機を準備する。

 コンセントはどこだったかと探している時、掃除機を持った俺に遥奈さんが声をかけてきた。

 

 「掃除はもう終わらせたから大丈夫だよ! ありがとう!」

 「へ? そ、そうですか……」

 

 それなら洗濯物を取りこもうと昨日干してあった場所に向かう。

 

 「あれ?」

 

 しかしそこには洗濯物が干されておらず、しかもハンガーや物干しが片付けてある。

 

 「洗濯物はもう畳んでおいたよ!」

 

 その声に振り向くと、いつの間にか俺の後ろに居た遥奈さんが笑顔で親指を立てている姿があった。

 

 「あ、そうなんですね」

 

 そこでふと気付く。父と二人暮らしだったから普通に洗濯もやっていたが、今は遥奈さんがいるのだ。

 子供とはいえ出会って間もない俺に自身の洗濯物を触られたくは無いだろう。

 もう男二人ではないのだ。こういう点は気を付けなければならない。

 しかしいつもやっていた家事が無くなってはなんだか落ち着かない。なにかしなければと考え風呂掃除をやっておこうと思いつく。

 

 「じゃあお風呂を掃除しておきますね」

 

 そう言って風呂場に行こうとすると遥奈さんに肩を掴まれ止められた。

 

 「お風呂もばっちり掃除してあるから大丈夫!」

 「……そ、そうなんですね」

 

 好きな人に触れられて高鳴る胸と、やることが無くなってしまった戸惑いが混ざって複雑な気持ちになる。

 遥奈さんはそんな俺の内心に気付くはずもなく、ただ笑って俺を見ていた。

 

 「偉いねえ、帰ってすぐに色々やろうとするんだもん。良い子すぎる!」

 「別にそんなことは」

 「偉いよ! 私も頑張らないとって思ったよ、というわけで夕飯の買い物に行ってくるね」

 「それなら俺が──」

 「だーめ! 私が行きます! 鍵はかけとくからね」

 

 そう言い残して遥奈さんはそそくさと出かけてしまった。

 残された俺はすっかり手持ち無沙汰になり、自分の部屋に戻ると無意味にうろうろしたり、ベッドに横になり見慣れない天井を眺めたりと無意味な時間を過ごす。

 遥奈さんが帰ってきて夕飯の支度を手伝おうとしても止められ、俺は結局何もしないまま夜になってしまった。

 夕飯やお風呂を済ませて、寝る時間が近づいてきた。いつも寝る前にやる宿題を終わらせて、明日の準備をしてからベッドに入る。

 五分ほどゴロゴロしていたが眠気が来ず、喉の乾きを覚えたので起き上がって部屋を出た。

 階下ではリビングの灯りが漏れている。二人はまだリビングに居るようだ。

 なんとなく足音をあまりたてないようにしながら階段を降りて、リビングのドアに近づくと二人の話し声が聞こえてきた。

 

 「秋護くん、偉いよねえ」

 

 自分の名前が出たのを聞いて、息を殺して耳を澄ませる。

 

 「あれ? 秋護って呼ぶって言ってなかったか?」

 「言ったけど! その内呼ぶ……呼んでみせる!」

 「お、おう」

 

 これは呼び方の話題だろうか。遥奈さんは結局俺のことを今まで通り秋護くんと呼んでいた。

 俺も遥奈さんのことは母と呼べてないので、お互いに今まで通りのまま新生活を送っている状態だ。

 

 「それより、秋護くんが偉いって話!」

 「ああ、はいはい。言ったとおりだったろ?」

 「うん、学校から帰ってきてすぐに家事をやろうとするんだもん。私がやってるよって伝えたらそわそわしてたし、すっかり習慣になってたんだね」

 「俺のせいだなあ。まだ小学生の息子に負担をかけて……」

 「秋護くんは負担だなんて思ってないと思うけど」

 「そうかもな、でも俺はあいつにもっと子供らしく過ごしてほしいんだよ。毎日毎日真っ直ぐに帰って掃除に洗濯……あの年頃だ、本来なら放課後に友達と遊んだりしたいはずなんだ。あいつは賢いから、俺がダメな親父だから、ああやってしっかりした子にならざるを得なかったんだと思う」

 

 俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。父の言っていることが、胸を抉って苦しくなったのだ。

 

 「(なんで……なんでそんなこと言うんだ)」

 

 余計な心配をかけさせたくなくて良い子であるよう心がけてきた俺に、しっかりした子にならざるを得なかったという分析は、ある意味的外れでもないだろう。

 ならば何故こんなにショックを受けているのか。

 

 確かに友達と遊びたいと思ったことはある。放課後に誘われたことも何度もある。

 俺は今までそれをすべて断ってきた。何度も断れば流石に心象も悪くなるもので、一時期は友達との関係が悪化したことがあったが、今では学校では一緒に遊ぶし、友達のほうも俺が放課後に遊べないということを理解してくれている。

 友達は好きだ。学校生活も充実している。

 ただ俺の中の優先順位は、友達よりも圧倒的に父のほうが上なのだ。

 仕事でいつも遅くなる父に変わって家事をすることを負担に感じたことはない。

 心配をかけさせたくなくて、役に立ちたくて、俺自身が選んだ道だ。決して『ダメな親父だから』なんて理由は無いし思ったこともない。

 

 俺が家事をやるようになってから、夕飯の席で行われていた俺への質問攻め。その最後に父が決まって「ごめんな」と言っていたのを思い出す。

 父はずっと前から、今みたいに自分を責めていたのだ。

 父の役に立った気で自己満足に浸っていたあの頃の俺を見て、自分を責めていたのだ。

 

 「(ああ、そうか……)」

 

 何故こんなにショックを受けたかが分かった。

 

 ダメな親父だからなんて言わないでほしかった。

 自分を責めないでほしかった。

 ごめんなんて言葉は望んじゃいなかった。

 

 父に自分を責めさせたのは、俺のせいだ。

 

 

 その日から、俺が家事をすることはなくなった。

 父の話を聞いてしまったからやらなくなったのではなく、学校から帰ったときには既に遥奈さんが全て終わらせているのだ。

 遥奈さんも働いてはいるが、俺より早く帰ってこれるように時間を調節しているらしい。

 父も遥奈さんも、俺に子供らしく過ごせなんて言わない。ただ俺が家のことに時間を使わないように立ち回っている。

 今さら放課後に誘ってくれる友達はおらず、断り続けた手前こちらから声をかけるのも気がひけた。

 結果、やることが無くなっても真っ直ぐに帰宅する毎日を送る。

 

 「おかえり!」

 

 真っ直ぐ帰ってきても必ず笑顔で迎えてくれる遥奈さん。

 

 「ただいま、です」

 

 俺も微笑みながら返事をする。

 表向きは順調な新生活。

 本来なら自由な時間が増えたことを喜ぶべきなのかもしれない。

 ただ俺は自分の居場所が無くなっていくような感覚に陥って、怖くて、温もりを探すかのようにベッドの上で身体を丸めた。

 

 

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