13‐幽霊の名前
ゴーちゃんの眼が見開かれる。
灰色がかった薄茶色の瞳を見つめていると、いつかの夜を思い出した。あんな日を毎日でも繰り返していたかったと、心から思ってる。
「……気付いてたんだ」
「そりゃあね。むしろ初日からあんだけボロ出してて、気付かないほうがおかしいでしょ」
「へへ。……やっぱり私、嘘下手だなぁ」
生前のことを何も憶えていない、と最初にゴーちゃんは言った。
でもそれなら、親が厳しかったなんて話は出てこないはずだ。
あとは友だちがアイドルのファンだったとか。その子と一緒に映画を観に行く約束をしていたとかね。
ましてや自分の名前すら思い出せないのに、映画のキャラクターならパッと言えるのもおかしい。
だからほんとうは、多少なりと憶えてはいるんだろうとは気づいていた。
そして忘れたふりをしたのは、何か訊かれたくないことがあるからだろうとも、察してはいた。俺も一応は大人だから。
それで思うのが、たぶん彼女が隠したいのは「どうして自分が死んだか」じゃないかなってこと。
あとはたぶん、最初は俺のことを冷たくて怖いやつだと思っていたらしいから、信用できなかったのかもしれない。
それにきっと他に行き場がないことにしないと、他をあたれって追い出されるとも思ってたのかな。そんなことないのに……あ、いや俺、最初はユウロのとこ行けって言ったか。でもあれ歌ってって言われたからだし。
なんにしろ俺が言いたいのは、嘘を吐かれたことに対して怒ってるわけじゃないってことだ。
「あのね、ゴーちゃん。俺も、ぜんぶほんとのことを話せ、なんて言わないよ。俺には言いたくないことだってあるだろうし。
たださ……名前くらいは教えてくれないかな」
フルネームじゃなくていい。下の名前だけで。
どこの誰だったか、どうして死んじゃったかなんて勝手に調べたりしないから。
最後にせめて、名前を呼びたい。
そう思うことくらいは許してほしい。
ゴーちゃんは俯いて、しばらく考え込んでいるようだった。
俺はただじっと彼女が口を開くのを待つ。
俺たちの向かいにある花壇で、名前も知らない花がゆったり風に吹かれていた。
「……ま、いっか。イオは笑ったりしないよね」
ようやく顔を上げたゴーちゃんは、少し困ったような顔で微笑む。
「私の名前ね、実はほんとに『ごう』なの」
「……えっ?」
「ね、ほんと『え?』って感じでしょ。ありえないよね、女の名前で『ごう』ってさ。
でも残念なことに冗談でもなんでもなく、私は『ごう』です」
そこでゴーちゃんはふわりと浮き上がった。
そのまま、踊るようにくるりと回って、俺と向かい合う。
「ずっと自分の名前が大っ嫌いだった。ちっちゃいときから今まで、この男名前のせいでいじられっぱなしの人生だったから。
でもね、イオに呼んでもらったら、少しは好きになれないかなって思って……それで咄嗟に思いついたのが『ゴーストのゴーちゃん』なの。我ながら上手くこじつけられたと思ってたんだ」
「そっか……」
「あとユウとかレイって知り合いにいるから、それだとなんかその子たちが呼ばれてるみたいでヤだった、ってのもあるけどね。
……だから、名前かわいいって言ってくれたの、すっごく嬉しかった。ありがと」
ゴーちゃん、いや、ごうちゃんの笑顔に、後ろで咲き乱れる花々が透けていた。
そんなのいくらでも言うよ。そのたびにごうちゃんが笑ってくれるんだったら。
百回だって千回だって、この喉が涸れるまで。
・・・+
そのあと楽器屋に行って、俺は持ってきていたエレキを馴染みの店主に渡した。
この人はリペアマン、つまり楽器の修理屋もやってて、俺はいつもメンテを彼に頼んでいる。
初めてギターを買ったのもここだった。それからずっと通ってるから、この人は俺の弾きかたの癖なんかもよく知ってる。
今日シフトを空けてあったのもここに来るため。
そして予め伝えていた時間よりちょっと遅く来た俺を、店主のおじさんは大らかに笑った。
「これ、最近弾いてなかったろ」
「……やっぱバレたか。最近アコギばっか触ってたから」
「弾かなくてもフレット磨くぐらい定期的にやれって前も言ったろ。大事な商売道具なんだから。
まあ交換せにゃならんほどじゃないし、ついでに手入れしといてやる」
「助かる~、お願いします」
俺がおじさんと話している間、ごうちゃんはふわふわとギターの並んだ壁の前を漂っていた。
興味があるのかな。もしそうなら、弾きかたを教えてあげたかった。
「そんで? 次のライブの予定はちゃんとあんのか?」
「あ、そうそう。場所は前と同じとこで……」
そのあと俺はすっかりおじさんと話し込んでしまい、ただでさえ遅れていた予定がもっとずれ込んでしまった。
日が高いうちに花見する予定だったけど、このままだと夜桜になりそう。
それもそれで雰囲気あっていいかもしれないけど、それ向けのスポットに行くわけじゃないから、上手く街灯が当たってるようなとこじゃないと花が見えないよな。
ともかく楽器屋を急いで出て、待たせたことをごうちゃんに詫びる。
今日はごうちゃんのための日なのに。いつでも会えるおっさんに時間を割いてしまうなんて痛恨の極み。
「ほんとごめん、せめて駅まで走るわ」
「そんな気にしなくていいのに。イオってわりとすぐ謝るよね、それが悪いって意味じゃなくて」
「ごうちゃんだってわりとすぐ遠慮するじゃん」
「そうかなぁ」
そうだよ、今だってほんとはもっと怒ってくれてもいい。
「でも店長さんとギターの話してるイオ、活き活きしてたよ。やっぱり好きなんだなって感じした」
「まあね、でなきゃギタリストやってない」
「ふふ。……楽しそうにしてるの見てたら、待ってるのも楽しい」
なんて会話をしながら地下鉄に駆け込む。
ええと、このあと残ってるのは花見だけで、そのために買い出しもするつもりだったっけ。あとアコギは家に置いてきたからそれも取りに行く。
真っ暗な地下鉄のトンネルの壁を眺めながら、頭の中の整頓をする。
その間、うっすら窓ガラスに隣のごうちゃんが映ってて、これ他の人にも見えるのかなと思ったりした。
でもそこに映ってる俺の顔も、なんか余裕ないって感じでひきつっている。
まあ実際そうだ。ここまでに書き起こしてきた言葉の断片をまとめて、一本のメロディーに載せるという、いちばん大事な作業が待っている。
ごうちゃんの成仏はそれにかかっている。責任は重大。
しかも完成した暁には、俺は彼女を永遠に失うことが決まっている。
わかっていても、覚悟を決めても、何度自分に言い聞かせても、……めちゃめちゃ胃が痛かった。
ともかく最寄り駅で降りて、俺たちはそのままスーパーへ行った。
ソフトドリンクと、まあ夜桜はほぼ確定になってしまったので、夕飯を兼ねて弁当。それじゃ足りない気がするので惣菜もひとつ。
ごうちゃんは俺のために弁当の栄養バランスを厳しい眼でチェックしていて、もはや彼女というより奥さんみたいだ。
結婚なんてそれ以前の問題が多すぎて考えたことなかったけど、俺の中にもやっぱり少しは憧れの気持ちがあったらしくて、そんなごうちゃんの姿を見て胸が軋んだ。
俺たちの暮らしってある意味同棲みたいな感じだったしね。毎朝おはようを言い合ってた。
なんかまたセンチな気分に呑み込まれそうになった俺は、頭を切り替えるべくごうちゃんに話しかける。
「ごうちゃん、またプリンいる? それとも他のがいい?」
「あー、えっとね、別に何もなくていいよ。そもそも食べられないんだし」
「ほらそれ、やっぱ遠慮しいじゃん」
「ええ……それじゃあ、お花見だからおだんごでいいよ」
何その仕方なく選んでやった感。
俺はちょっと笑いながら、三食だんごをひとつカゴに入れた。
それから、アパートに寄ってアコギとノートを持ってから、俺たちは河川敷のほうへ向かった。
前にここらへんでレジャーシートを敷いてた人たちを見てるから、他にも夜桜見物客がいるかもしれないと思ってたけど、見た感じぜんぜんそんな気配はない。
まあ桜も少し花が減ってきてるから、もうピークは過ぎたんだろう。
ギターの音で怒られないように、できるだけ民家から遠いところを探して歩く。
俺の隣で、ごうちゃんもゆっくり浮いてついてくる。
「そういえば、ごうちゃんにだけ訊いたのフェアじゃなかったから俺も話すよ。
俺の名前。つまり芸名じゃなくて本名ね、……
「あ……芸名のイオってそこからとってる?」
「うん。まあそれはユウロの提案で。
一応は昔の男の名前らしいんだけど、にしても音が女っぽいでしょ。学生時代とか、絶対クラスにひとりくらいカオリとかシオリとかって名前の女子がいたし、だから俺もずっと名前いじりされてた。
そういう意味でごうちゃんの気持ちわかるわ」
なんでこんな名前にしたんだって、親を恨んだこともある。
まあユウロのアホは考えなしに言ったけどね。変な名前のが覚えられやすくていいじゃん、こういう業界なら有利なんじゃね、とかどうとか。
当時の俺はその適当さ加減に救われて、そのままあいつの口車に乗ってバンドを組んでしまったのであった。
まあそんなことはいいんだけどさ。
男の子みたいな名前のごうちゃん。
女っぽい響きの名前の俺。
最後の最後でどうでもいい共通点が見つかった。それが、なぜかちょっと嬉しかった。
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