06‐私の推しが優しすぎてやばい

 夢みたいだなぁと、思う。

 細長い身体でギターケースを背負って歩く彼の、隣を歩いて……もとい、浮いている私。こんな日がくるなんて思ってもみなかった。


 まあ、無理やりこの状況に持ち込んだのも私なんだけどさ。


 未だにいろいろ信じられないことがたくさんある。

 もちろん私が死んだこともそうだけど、それはまあ、どうせいつかはそうなると思ってたことだから、しいていえば思ったより早くてがっかり、くらいの感覚だった。


 それよりむしろイオのこと。

 もっと怖い人かと思ってたのに、実物はすっごく優しくて、ちょっとゆるいぐらい。

 いきなり押し掛けたのに嫌がりもしないで、歌を作ってって言えばすぐ即興で歌ってくれたし、挙句デートまでしてくれた。


 挙句こんな人に今現在彼女がいないという衝撃的事実を私は未だに受け止めきれないでいる。


 ありえないでしょ。世の女みんな眼がどうかしてんじゃないの?

 そりゃ顔は超絶イケメンってわけじゃないけど、さっきのカフェでの笑顔とか超かわいかったでしょ?


 もう、ほんと、信じられない。

 イオにかわいいなんて言ってもらえるなんて昇天しそう。物理的に。

 同時に死にたくなくなってくる。もう死んでるくせに、まだこの世に留まっていたくなる。


 だけどきっと、私が幽霊じゃなかったら、きっとイオは相手になんてしてくれなかった。


「……あ、ゴーちゃん、ちょっと待っててもらっていい? トイレ行ってくるわ」

「うん、このへんにいるね」


 プラチナブロンドをふわふわ揺らしながら歩いてくイオの背中を見送る。……ああほんと、なんでギター背負ってるだけであんなに恰好いいの。


 トイレの入り口を見つめながら思う。出待ちとかしたことないけど、こんな気分なのかなって。

 いやトイレの前だからなんか雰囲気出ないけど、つまりその、ライブハウスでってことね。


 私はぶっちゃけ、ほとんどイオのライブを見に行けていなかった。

 まあだいたい親のせいだ。口出しばっかりでぜんぜん私の話なんか聞いてくれない。偏見だけで、ライブハウスなんて不良が行くものだと決めつけて、絶対に許してなんてくれなかった。

 大人しく言うことを聞いてたわけじゃないけど、バレたらものすごく面倒だから。


 塾に行くふり、友だちに会いに行くふり。タイミングと嘘を織り交ぜて使わなければ、私は好きな人に会いに行くこともできなかった。

 しかも彼はステージの上、スポットライトに照らされて、地上の私なんてきっと見えない。


 憧れだった。初めて見たときから。


 もともとバンドやライブに興味があったわけじゃなくて、最初は友だちの付き合いで、あと親に反抗したかったのもあった。

 そうして行ったのがたまたまユピテルのライブだった。


 メンバーは四人。ボーカル、ギター、ベース、ドラム。構成はいたって普通のバンドだ。

 パフォーマンスはそれほど凝ってないし、V系と違って画的な華やかさもないけれど、なんていうか熱っぽい印象のあるグループだった。


 その中でひとり、浮き立つような熱の中に沈んだ一粒の氷のような人がいた。それがイオ。

 彼だけは、なんていうか、纏っている温度が周りと違うみたいだった。


 それはすらりとした長身のせいなのか、それとも瞳がどこか遠くを見つめているからか。

 そして冷静な印象とは裏腹に、長い指が躍るように弦をかき鳴らす、その仕草が猛烈に色っぽくて、私は一目で釘付けになった。

 ……ちょっと強めの手フェチだってことは認めています。ピックになりたい。


 とにかく、私にはボーカルどころかベースやドラムすら邪魔に思えるくらい、イオの姿と音色に夢中になってしまったのだ。


 そういうわけでファンになった。バンドのじゃなくて、イオ個人の。

 ぜんぜんライブに行けないし、行っても早く帰らないと親にバレるから出待ちもできない、ギターだけ聴きたいからCDもあんまり買わないっていう、正直いろいろダメなファンだけど。


 まあそんな私がいろいろあって死んで、この状態で真っ先に思ったのが「最後にイオを拝みたい」だったのは言うまでもない。

 住所は、ユピテルのガチファンでメンバーと個人的に連絡をとってる(たぶん、それ以上のこともしちゃってるっぽい)子に以前こっそり聞いていたので、もともと知っていた。……個人情報が余裕で漏洩していてほんとうに申し訳ないと思っています。


 でも誰も私が見えてないっぽいので、イオも無理かなと思っていた。

 だから寝顔を眺められただけで充分に満足だったのに、寝起きの彼とばっちり眼が合ってしまい、勢い任せに言ってしまったわけ。「歌を作って弔ってほしい」と。

 もうほとんど、ダメ元で。絶対断られると思ってた。


 それなのにイオときたら……。おかしいよね。やばいよね。優しすぎだよね。

 あんなに優しくて大丈夫なのかな、なんか変な詐欺とかにひっかからないかなって心配になっちゃう。


 でもその優しさにつけ込んでデートまでしてるんだから、私はとんだ欲張りというか、イオに比べてずいぶん汚い人間というか。

 でも、いいんだ。

 私には今日しかないって言ったのはイオだもん。だから私を優先してくれるんだって。そんなこと言われたら、もっと欲を出して、やりたいことぜんぶやってから成仏したっていいよね。


「おまたせー」

「おかえりなさい」


 ごちゃごちゃ考えていたら私の推しが帰ってきた。はい恰好いい。好き。


「ごめんね、けっこう待たせちゃったでしょ」

「そう? なんかあんまり時間の感覚ないんだよね、この身体のせいかも」

「あ、そういうもんなんだ。いやさ、その……トイレ行ってる間にね、バイト先から電話きちゃってさ。夜のほうなんだけど、一時間早く出てくれって言われちった」

「えー、大変だね……夜のほうって、つまり、昼と夜で違う仕事してるの? かけもちってこと?」

「そ。……だからちょっと、予定より早く戻んないといけなくてさ、ごめんね」


 大変だなぁ。ライブでの収入だけじゃ暮らせないのはなんとなく知ってたけど、そんなにたくさん働かなきゃいけないんだ。

 たぶん映画で寝ちゃってたのも、疲れてたんだろうな。


 私はできるだけ笑顔を作って、仕方ないよね、イオが謝ることないよ、と言った。


 そのとき。

 ぐい、と何かが私を。人間の手の感触とはぜんぜん違う、なんていうか、私の周りの空気ごと引き寄せられるような感覚だ。

 私は浮いてるくせによろめいて、思わず目の前のイオに抱き着いてしまう。


 自分でやったことに驚いてすぐ離れたけど、幸い引っ張られる感覚も短いものだったのでそれ以上は何もなかった。

 そして、私がなんでそんなことをしたのか知らないイオは、ぽかんとしている。


「ご、ごめんなさい! ちょっとからびっくりして……」

「え、何、どういうこと? ……あ、人目あるから移動しようか」

「うん」


 誘導されるまま非常階段のほうへ行くと、そこは誰もいなかった。ここなら大丈夫そう。

 私は改めて、例の感覚についてイオに説明した。


 引っ張られたと思ったのはこれが初めてじゃなくて、死んだときから、少なくとも幽霊として自覚を持ったころから何度かあったことだった。イオに会ってからも、態度に出さないだけで感じてはいた。

 そして私を引っ張る誰か、あるいは何かは、いつも同じではないと思う。


 そして言えるのは、引っ張ろうとする力のいくつかは、とても嫌な感じがするということ。


「たぶん、嫌な死にかたしたとか、この世に未練があって残ってるような人たちが、仲間を欲しがってるの。わかんないけど、そんな感じがする」

「さっきのもそう?」

「んー……あんまり嫌な感じじゃなかったから、そこまで怖いグループじゃないかも。でもとりあえず、そっちに行ったら成仏しづらくなりそう」

「なんかオカルトだなぁ。……真面目に怖い」

「イオ、怖いの苦手なの?」

「映画とかフィクションとして見るぶんには好きなんだけど。なんかそうやってリアルの話にされるとちょっとゾッとするわ。

 ……うーん、ゴーちゃんがどっか連れてかれないように手繋いどこうか」


 え。……えっ、えっ、たなぼたっ。

 私はちょっと浮かぶ高さを下げて、イオが不自然な体制にならないようにして彼と手を繋いだ。

 はあぁ……幸せぇ……。イオはちょっと手が冷たいけど、まあそういう人は心が温かいとも言うし、実際イオはとっても温かいよ……私はそう思う……。


 また顔赤くなってないかなぁ。なんで幽霊のくせにすぐ赤くなるんだろ?

 自分でもどういう仕組みなんだかわかんないけど、いちいち赤面するの恥ずかしいんだよね。


 わりとファン感情がダダ漏れだと思う。

 そのわりにイオがあんまり信じてなかったっぽいのが気になるけど。返すがえす、どうして世の女の子たちはイオを放っておいてるのかほんと謎。

 ま、いいもん、今日は私が独占契約中ですからねっ。


 ……でも。

 いくら優しくても、きっと、ほんとのことを話したら、さすがにイオも怒るんじゃないかな。


 私はそっと彼の顔を見上げた。


 ふわふわの金髪に隠れて片目が見えづらい、パッと見はいかにもチャラ男な、けれど中身はびっくりするほど純朴で温かなこのギタリストさんに、……私はたくさんの嘘を吐いた。

 もともと上手でもない嘘を塗り重ねすぎて、自分でも何を言ったかわからなくなってるくらいに。


 私は死んだ後すら、嘘を吐かなきゃ好きな人に会えない女なんだ。

 こんなのがファンでごめんね。だけど、世界一あなたが大好きなのは、嘘じゃないから。



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