02‐幽霊とシネマとポップコーン

 結局、タンスの引き出しはおろか布一枚も持てなかった幽霊の代わりに、俺がフリマのように床に服を並べた。


 普段の数倍の時間をかけてようやく俺の支度が完了。無事に幽霊ちゃんセレクトの服装で外に出る。

 ぜんぶ元から俺の持ってた服なのに、いつもと組み合わせが違うからか、なんか雰囲気が変わった気がするのが不思議だ。

 なんつーか、俺にしては爽やかな感じになってた。


 横についてくる彼女は、まあそんな気はしていたがふわふわ浮いていた。脚はあるみたいだけど。

 朝の薄い日差しに照らされて、ますます幽霊ちゃんの透け感が上がっているというか、彼女越しに景色が見えるのがなんとも奇妙だ。

 ほんとうに幽霊なんだな、と改めて思う。


「どっか行きたいとこある?」

「ない。っていうか何があったかわかんない」

「そっか。じゃ、思いつくまで適当に歩こっか」


 とりあえず経済的余裕に乏しい俺のために、できるだけ安上がりな感じでお願いしたいところ。


 ぶらぶらあてもなく歩いていても、道行く人は誰も気にするようすがない。

 俺の隣に半透明の女の子が浮いているのにだ。

 これまたそんな気はしていたが、やっぱり彼女は他の人には見えていないらしい。


「てことは、俺、傍目には一人に見えてんのか。そうなるとけっこう行ける場所限られるな」

「ついでに今のそれも独り言言ってる人に見えちゃうね」

「それは……べつにいいけど、なんかやだな」

「どっち?」


 どっちも本音だ。独り言が激しい変な奴だとそのへんの人に思われたところで、べつに困るわけではない、でもやっぱり誤解されるのはいい気分じゃない。

 俺は少し考えてから、スマホを耳にあてた。これなら電話してる風。


「ところでさ、やっぱ名前がないと不便だから、仮でつけていい?」

「え、い……いいけど……ど、どんな?」

「謎にキョドるね? そーだなぁ、幽霊だからユウちゃん。それかレイちゃん」


 一瞬、オバケのオバちゃん、とかいうしょうもないダジャレが脳裏をよぎってしまったけれど、さすがにそれを口に出すほど俺もバカではない。

 あとネーミングセンスないってのは言わないで。自覚あるから。


「うー……ユウちゃんとかレイちゃんて柄じゃないし……えと、あ、……そうだ!

 ゴーストのゴーちゃんは? そのほうが私っぽい」

「え? ……そうかな、ユウちゃんでも似合う気するけど。てか女の子なのにゴーちゃんでいいの」

「あーと……その、ほら、GOGO夕張みたいでかっこいいかなって」

「……何それ」

「『キルビル』知らない?」


 ああ、タイトルは聞いたことある映画だ。観たことはないけど有名なやつ。

 そのゴーゴーなんたらってのも女の子なんだろうか。変わった名前のキャラクターが出てくるんだねえ、まあフィクションなら何でもありだよな、正直。

 ……現実でやられるとたまったもんじゃねーけど。


「じゃあゴーちゃんね。映画好きなの?」

「あ……どうだろ。よくわかんない」

「他に行くとこ思いつかないんだったら、とりあえず映画館はどうかな。デートっぽくない?」

「……いいかも。うん、行きたい」

「よし」


 まあ都合よく、特に何も考えずに歩いてた方向にあるんだよね。映画館が入ってるショッピングモールが。

 適当に映画でも見て、そのあとショッピングでもすればデートっぽかろう。


 そういうわけで俺たちは近場のモールに入った。

 ゴーちゃんはなんとなくあたりを見回している感じで、もしかするとここに見覚えでもあったんだろうか。意外と近くに住んでたりしたのかもしれない。

 といっても何も言わなかったし、俺も何も聞かなかったけど。


 エスカレーターで映画館の入ったフロアに上がり、隣のボウリング場を横目にシアターへ向かう。

 幽霊はボール持てなさそうだよな。


 上映スケジュールを表示した電光掲示板の前で立ち止まり、俺は再びスマホを耳へ。


「観たいのある?」

「えっとねー……うーん……あ、……でも」

「どった?」


 なんだかもごもごしだしたゴーちゃんは、また申し訳なさそうな顔になっている。あとなんか少し恥ずかしそう。

 ちょっとその表情いいな、とか俺は呑気に思ったが、それは次のゴーちゃんの発言で吹き飛んだ。

 というのも。


「これ、……を男の人がひとりで観るのって、やっぱ恥ずかしいよね……?」


 彼女が透明な指で示したのは、流行っているらしい恋愛ものだった。主演の男女がどちらも人気アイドルグループのメンバーを起用したので話題の作品。

 ……ちょっと待って、きみ俺のファンじゃなかったわけ?

 正直映画のジャンルとかよりそっちのほうが気に障る俺は、ついちょっと冷たい目線を彼女に送ってしまった。


「ごめん……やっぱ違うのにする。イオは何が好き? アメコミとかは?」

「あ、いや俺はなんでもいいよ。好き嫌いとかないし。ただなんでこれを観たいのかなと思っただけで……」

「友だちがめっちゃ泣けたって言ってたから」

「え」

「その子、主演の彼のファンなんだよね。それで初日に観に行って最高すぎたからもう一回観たい、一緒に行こって誘われてたんだけど……その前に私、死んじゃったからさ。

 約束は守れなかったけど、せめて今観ておいたら、いつか天国で語り合えるかも」


 それは何十年後の話だよ。というのはさておき、俺の情けない嫉妬などまったく無用であったらしいので、俺はどうしようもなくほっとしてしまった。

 だって無名の俺と人気アイドルの彼とじゃ天地の差で、どう考えてもあっちのがイケメンだし金も名誉も地位もある。

 勝てっこないものを並べられたくなかった。たとえそれが、誰かの心の中であっても。


 まあそういうわけで、彼女の希望したベッタベタの恋愛映画のチケットを買う。

 俺はできるだけ、連れはあとから来るんですわみたいな顔をしたけど、一枚しか買ってない時点でもうバレていると思う。べつにいいけどちょっとやだけど、今は我慢。


 せっかくなのでポップコーンとドリンクもつけた。やっぱ映画にはこれがないとね。


 幸いもう話題のピークは過ぎたらしく、場内はあまり混んでいなかった。

 幽霊に座席は要らないかもしれないが、二時間近く立ち見させることになったらなんか忍びないし、あと真横に人がいたら俺とゴーちゃんの会話が聞かれてしまう。

 つまり俺の独り言野郎疑惑が加速してしまうので、それはちょっとやだ。


 隣の空席に座ろうとしたゴーちゃんだったが、幽霊なので体重がない、すなわち座席が下りない。ということに気付いた俺は持ってきていたギターケースをそこに置いた。

 傍から見るとめちゃくちゃ行儀悪いわけだが、自由席だし最後列だから許してほしい。


 ちなみになんでギター持ってきたかって、ゴーちゃんの希望だ。なんか知らんが彼女的には俺がこれを背負って歩いてるのがいいらしいので。

 あとまあ、もしかしたら出先で歌が作れるかもしれないし。


 ポップコーンに手を伸ばしたゴーちゃんが、しょぼんとして言った。


「食べれない……」


 軽いポップコーンですら、幽霊の手では掴んでもすり抜けて落ちていく。

 それを嘆く程度には食べたかったようだ。俺も分け合えないのは、それも映画の醍醐味と思ってるタイプなもんだから、ちょっと寂しい。

 しかもつまり、このぶんだと食事系のデートは無理なのかな。


 一応可能性を試そうとして、俺はポップコーンを二、三個すくって彼女の口許に運んでみた。

 ゴーちゃんは一瞬驚いた顔をして、それから少し赤くなる。……かわいいけど、生身じゃないのに器用なもんだな。


 そして意を決したみたいな表情で、ゴーちゃんは俺の指ごとポップコーンにかぶりついた。


 幽霊の口は、なんとも妙な感触――例えるなら蜘蛛の糸みたいな微かさで、ほんの少し冷たい気がしたけれど、怪談によくある『氷のように冷たかった……』って感じではなかった。

 二秒くらいして、ゴーちゃんが離れる。


「やっぱりダメみたい。匂いはわかるんだけど」

「そっか。じゃあ申し訳ないけど俺がぜんぶいただくね。匂いだけ味わっといて」

「ありがと。……優しいね、イオ」


 そんなことないよ。祟られたくないだけ。

 あとは形ばかりとはいえかわいい女の子とのデートで舞い上がってるだけの、ただの男だ。


 やがて場内が暗くなり、他の新作映画の予告やら、上映中のマナー説明の動画が流れ出す。


 マナーくらい知ってるし予告にも興味のない俺はゴーちゃんを見た。

 俺以上に観る予定がないはずの彼女は、しかし真剣に予告動画に見入っている。やっぱり映画好きそうだよな。

 天国にも映画館とかDVDがあるといいんだけど。


 彼女は律儀に両手を膝の上に並べていて、俺がそこに手を伸ばすと、一応何かしらの感触があるようでこっちを見る。

 俺は触った感触ほぼないけど。でも掴めたっぽかったので、そのまま肘掛けに誘導した。


 もしここに霊感てのを持ってる人がいたら――俺にはそんなのなかったはずだけど、とりあえず今、肘掛けの上で俺たちは手を繋いでる、ように見える。

 暗くてよく見えないけど、ゴーちゃんは喜んでくれてるだろうか。曲がりなりにもファンなら嫌がりはしないはず。


 そうしてようやく目当ての映画のオープニングが始まったころ、俺はゆるゆると微睡んでいた。



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