ギボの話

「……みなさんは既に知っている人が多いとは思いますが、我々ケモノと呼ばれる生物種は、その生まれから大きく三つのケモノ種に分類されます。一つは、人為種。一番一般的なケモノ種であり、数も多いです。先生も人為種です。200年ほど前に、人間の研究者によって生み出された生物種で、もともと実在していた愛玩動物を遺伝子改良して知的生命体にしたもの、すなわちペット動物に改造を行って人間に似せたものです。人為種は基本的に、その元となった動物種の見た目の特徴を残しながら、人間のように二足歩行を行い、手を器用に操ることができるようになっています。知能は平均的に人間と同程度です。みなさんがこうやって人間と同じように教育を受け、学ぶことができるのはそういうわけです。

 人為種を含め、ケモノは生殖機能を持ちません。しかしながら研究室内で最先端技術を用いた人工交配によって子孫を作ることは可能で、実際多くのケモノが子孫を作り、家族を形成しています。みなさんも家族と一緒に暮らしていることかと思います。この辺りは社会科の授業で詳しく学びましょう。また、このような人工交配によって生まれたケモノ種も同じく人為種と呼びます。これはもともとは人為種のケモノ間で作られた子供を人為種二世、人為種三世と呼んでいましたが、純粋に愛玩動物から作られた人為種一世が少なくなったことと、子孫種が多くなったことから、現在は世代を問わず、人為種と呼ぶようになったという背景があります。

 さて、ケモノは人為種として人間から作られましたが、ある時から人間の手を介さず、突然変異のようにケモノが生まれるという現象が確認されるようになりました。人間がペットとしてイヌを飼っていたら、ある日突然そのイヌがケモノとなり、姿形を変え、言葉も話せるようになるといった現象です。その理由は未だに明かされていません。この辺りは神学の授業で扱います。こうして生まれたケモノたちを人為種と区別して、変異種と呼びます。このクラスではギボくんがそうですね」

 先生がそう話すと、クラスのみんなは一斉に振り返り、一番後ろの席からギボの顔を見た。ナジィだけが振り返らず前を見ている。ギボは気にせずにペンを握ったまま、まっすぐ教壇のホワイトボードを見続ける。

「変異種は一般的に知能が高いことが知られていますが、その他の生物的な特徴は人為種と変わりません。ただし、見た目は元となっていると考えられる動物種と多少異なることがあります。当然元々は一般的な動物として暮らしていたので、その頃の記憶は残っていることが普通です。そのためすぐに人間たちと同じような生活を送ることが可能とされます。変異種として生まれた後、後見人のケモノと一緒に家族として暮らしたり、もともと人間に飼われていた場合はそのまま一緒に暮らしたりすることがあります。

 最後のケモノ種は特異種です。変異種は愛玩動物が突然変異によってケモノになるのに対し、特異種は出自が不明で、一説には『何もないところから突然生まれる』とも言われます。要するに全然分かっていないんですね。元となった動物がいないのでもちろん、ケモノとして生まれる前の記憶は持ちません。しかし、何故か既に言葉を覚えていたり、歴史を語ったりと、知性を持っていることが一般的です。ねえナジィ。あなたの場合はどうだった?」

 今度はクラスのみんながナジィの顔を見る番だ。先生の言い方に皮肉は感じなかったが、若干の居心地悪さをナジィは覚えた。

「なんとなくいろんなことを覚えてはいますが、整理されていないことも多いので、学校での授業は非常に役立っています」

 ナジィは優等生的な返答をする。これでいいんだ。

「そう言ってもらえると授業のしがいがあります。さて、特異種はその出自以外は変異種と非常に似通っており、知能が高いこと、外見が実在する動物種と異なる場合があることなどが特徴としてあります。

 ここまで紹介したケモノの三種をまとめてケモノ三種と呼びます。一応このように分類はされるものの、みんな一緒に暮らしている仲間です。……」

 クラスメイトは全部で5人。キツネのコール、ネコのリロイ、イヌのエクア、彼らは人為種だ。それとイヌの変異種であるギボと、キツネの特異種のナジィである。エクアだけがメスで、他はみんなオスだ。ナジィにとって、授業は基本的に退屈だ。ナジィは特異種なので、本来人為種が通うためのものである学校に通う必要はなかった。それは変異種であるギボにとってもそうだ。彼らは生まれつき――いつを生まれたとするのかは難しい問題だ――知能が高く、何故かもともと生活に必要な知識は持っているし、普通に生活していても多くのことを勝手に学ぶだろう。授業内容のほとんど知っていたことだったし、知らなかったとしても教科書を一通り読めば簡単に理解できる。学校に通っているのは二人とも家族が通うことを勧めたからだ。教師たちもそのことをよく知っていて、2人に目を向けることはほとんどなかった。そういう背景で、2人と他のクラスのメンバーとの間には多少溝があり、その裏返しで自然とナジィとギボは仲良くなった。学校に関する悪口を言い合ったり、家族に対する不満を口にすることもあった。


「なあ、ナジィは生まれたとき、どんなことを覚えていたの?」

 生物の授業が終わると、隣の席のリロイが座席に座ったままナジィに話しかけてきた。

「別に、そんなの覚えてないよ。リロイだって、いつどこでトイレの使い方を覚えたとか、『学校』って単語を覚えたとか、具体的には覚えてないだろ。そんな感じ」

「ふうん、そんなもんかあ。ギボもそんな感じ?」

 今度はリロイは身体を後ろに向け、ギボに質問を投げかける。

「俺は特異種じゃないから生まれた時からいろいろ知ってたわけじゃないんだぜ。ペットとして飼われていたころに人間を観察してるだろ。だからその頃になんとなくヒトとしての暮らしは覚えていったって感じだ。まさか自分がケモノになるなんてことは考えたことなかったがな」

「ふうん」

 多少溝があるとは言っても、仲が悪いわけじゃない。世の中に出ればケモノの社会はほとんどが人為種で成り立っている。うまく付き合っていくことも大事だとナジィは思う。共生だ。ヒトは一人では生きてはいけないのだ。

 今日の授業はこれで終わりだったので、カバンに荷物をしまっていると、後ろの席のギボが話しかけてきた。

「なあ、頼みがあるんだが」

「なに、どうしたの」

「今日ナジィの家に泊めてもらえないか」



「さっきの呼び出し、なんだったの?」

 一旦泊めるかどうかはさておき、ナジィはギボを連れて家に帰ることにした。話を聞くと、家族と喧嘩したらしい。そういうこともあるだろう。家までは歩いて30分ほどの距離だ。ちょうど一緒に帰ろうとした時、ギボは職員室に5分ほど呼び出されたのだ。

「いや、来週日直だからさ、配布物とかそういう話」

「あー、日直か」

「めんどくさいよなー、人数少ないからしょっちゅう回ってくるし」

「ほんとだよね」

「ほんとだよ」

 ギボは背負ったリュックのひもを手に持ち、下を見ながら歩く。時々思い出したかのように小さな石を軽く蹴飛ばしている。この辺りの地面は舗装はされているものの、あまり質はよくない。地面はでこぼこしているし、そこら中に石ころが転がっている。

「ナァ」

「ん?」

 ナジィはいつも「ナァ」と聞くと、自分の名前を呼ばれたのか、単なる呼びかけなのか悩む。呼びかける相手が自分しかいない場合はどちらでも同じことではある。

「最近、この辺りでも殺人が起こるそうだよ」

「そんなこと、いつもじゃないか。誰かが殺して、そいつが誰かに殺されて、そんなんばっかだ」

「まあそうなんだけどさ」

 ギボは少しうつむき気まずそうにしている。

「やっぱちょっとは怖いじゃん?」

 それを聞いてナジィは歩くのを止め、後ろのギボを振り返る。合わせてギボは足を止め、ナジィの顔を見上げる。ナジィはにぃっと笑うとこう言った。

「大丈夫だ、ランピィ兄ちゃんもいるし」


「怖いんだよ」

「なにがさ」

「死ぬこと」

「どうしてそんなこと考えるのさ」

「今、こうやって学校に通ったり、家に帰れば姉さんがご飯を作って待っていてくれていたり、ナジィと楽しくお話したり、とっても幸せだと思う。だからさ」

「だから?」

「それを失うのが怖い。みんなと仲良くできているかは正直微妙なところではあるけど、学校に通えなくなることが怖い。家に帰った時に、誰もいなくなってしまうことが怖い。今幸せを感じている、その気持ちがなくなってしまうことが怖い。今がずっと続いて欲しいんだ」

「うん」

「なんでもないこと。何も起こらないこと。それがすっごく幸せなことだって気付いたら、それを死んでしまったら失ってしまうんだって思っちゃって。すごく不安で……」

「気持ちはわからんでもないけどね」

「ナジィでもそういう気持ちになることある?」

「ある、かな。漠然とした不安とか、今がどれだけ続くんだろうって思ったりとか。特にさ、ぼくんちの兄ちゃんたちはよく危ないことしてるみたいだからさ、夜遅い時とかこのまま帰ってこなかったらどうしようとか、明日になっても、明後日になっても帰ってこなかったらって、思うことあるよ」

「そういえばそうだったね」

「あのエルロイとかいうやつがさ、兄ちゃんを連れ出すんだ。本当にあいつは嫌い!」

「あはは、でもランピィさんも無理矢理連れて行かれるとかじゃないんでしょ?」

「そうなんだよ、少しは嫌がれって思う」

「ランピィさんはいい人だから」

「いい人すぎるんだよなあ。まったく家族の身にもなってみろってんだよな。毎日ヒヤヒヤしてんだからさ」

「帰ってこなかったこととかあった?」

「2、3日空けることは何度もあるよ。でもそういう時は何か連絡をくれるから。心配ではあるけどね」

「ケガとかもする?」

「それはたまにかな。まあ本人曰く擦り傷程度、で済んでるけど」

「そうなんだね。大けががなくてよかった」

「ところでギボの家族はどんな仕事をしてるの?」

「うちの姉ちゃんは専業主婦、兄ちゃんは会社に勤めてるんだ」

「へー、会社員か!かっこいい!」

「まあ、近くで見てるとかっこよくもないけどね。ケモノとしては珍しい職業だと思うよ」

「やっぱり人間たちと一緒に働いてるの?」

「そうだね、ほとんど人間みたいだよ」

「『ケモノ採用枠』ってやつか」

「うん。やっぱり狭き門みたいだから、必死に勉強したみたい。たまにそういう話されるよ。ギボも人間たちと働けるくらい賢くなれよって」

「ギボならなれそうだけどな」

「ナジィほどではないよ」

「そんなことないさ、同じくらいじゃない?」

「自分が頭いいっていうのは否定しないんだね」

「あはは、うるせえ」

「先生の話は面白いよ」

「内容は教科書読めば書いてあるけどね」

「実験とかは家じゃできないし」

「だからといって勝手に薬品混ぜて煙上げたのはまずかったんじゃない?」

「あれも実験だ!」

「まあ試したくなるよね」

「試したくなるよな。ギボもやろーよ」

「ぼくは怒られたくないのでやらないよ」

「そうやっていい子ぶるんだから」

「育ちがいいからね。うちの家族は殺しはやらないし」

「あ、兄ちゃんをバカにしたな?」

「してないしてない、大事なお仕事だと思ってるよ。そうじゃなかったら、悪いやつが街にあふれちゃう。殺人犯だっているんだし……」

「まあな、誰かが街を守らないといけないからね」

「ね、がんばってもらわないと……」


 話をしている内に、二人はもうランピィの家の前だ。ナジィは話しながら鍵をバッグから取り出し、慣れた手つきで鍵穴に差し込み、回す。

「あれ、誰か来ているのかな、開いてる」

 そう言うと、ナジィは鍵を抜取り扉を引いた。すると目の前に黒服の姿が現れ、一瞬驚いたものの、すぐにこう言った。

「また来てたのか、エルロイ。またやっかいなことにランピィを巻き込むつもり?」

 エルロイはナジィをちらっと見たが、すぐに後方に視線を送る。ナジィの嫌みに対しては無反応だ。ナジィは無言のエルロイをしばらく睨みつけていたが、様子がおかしいことに気づいた。エルロイはずっとナジィの後方を睨みつけている。ナジィが振り返ると、さっきまで元気に話していたのに、黙ってうつむいているギボの姿がある。

「どうしてここにいる。家で待つことになっていただろう」

 ナジィは訳がわからなかった。エルロイとギボが顔見知りなことはあってもおかしくないが、なぜそんな約束をすることがあるのだろうか?その疑問はエルロイの次の言葉で解消された。

「ナジィ、こいつの家族は昨日亡くなったんだ。今、協会が後見人を探している。本当はずっと家にいるべきなんだが、どうしても学校には行きたいということで特別に許可を出したそうだ。俺は話を聞いただけだけどな。なんでこいつはここにいるんだ?」

「知らない、何も知らない、ただギボが家族と喧嘩したから家に帰りたくないって……」

 ナジィは先ほどまでの反抗心も忘れてたどたどしく答える。ギボは俯いたままだ。

「ギボ……」

「こいつは俺が連れて行く、いいな」

「おお、なんだか大変なことになってるみたいだね。ナジィおかえり」

 気づくと家の奥からランピィが顔を出している。

「ギボくん、こんにちは。大変だったね。でも今日は協会の人たちが手助けしてくれるから、お家に帰ろう。エルが連れていってくれるみたいだから、ね。落ち着いたら是非また遊びにおいで」

 エルロイに連れられて家から離れて行く様子を、ナジィは黙って見ていることしかできなかった。ギボは最後まで何も話してくれなかった。


 ナジィとランピィは横並びで居間のテーブルに座りながら、ランピィが淹れてくれたコーヒーを飲んでいた。

「ギボ、何もそんなこと話してくれなかった。何も知らなかった。何もしてあげられなかった……」

 ナジィは目の前のコーヒーを見つめながら小声で呟いた。

「ナジィ、きっとギボくんはナジィと一緒に過ごしたかったんだよ。普段通りね。きっと話したら気を使うだろう。そうして欲しくなかったんだ」

「ギボの家族は殺されたの?」

「きっといつかは知ることになるだろうから、話しておくね。そう、殺されたんだ。自警団は最近の事件と同じ犯人じゃないかって疑ってる」

「だからあんな話をしたんだ……」

「ギボから何か聞いてた?」

「怖いって。死ぬのが怖いって。死んで何もかもを失うのが怖いって」

「なるほどね」

「ねえ、ランピィ、兄ちゃんはいなくならないよね……?」

「大丈夫だよ、ぼくもギィロもずっと一緒だ。大丈夫、大丈夫……」

 静かに机を濡らすナジィの身体を、ランピィは包み込むように優しく抱きしめた。

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ランピィの話 化着眠猫(かぎ・ねこ) @kagi_neko

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