第二章

4. 四年目1

 *****


「いい加減にしたまえ!」


 上司という生き物は動物図鑑に掲載されていない。きっと見るに耐えないからだ。だが、今度もし載せる機会があるのなら僕に説明文を書かせてほしい。「鳴き声は『いい加減にしたまえ』」、「頭頂部の毛は経年劣化により抜け落ちる。個体によっては禿げた部分を不自然な毛ダルマで覆う」、「給料を多めに貰っているのに心が豊かじゃない」。このあたりは太字で記載させてもらおう。


「君! 聞いているのかね!」

「聞いてますよ。見てくださいよこの耳の擬人化のような風貌を」


 一方、僕という生物の特技はこう書こう。「まるで話を真剣に聞いているかのような演技が上手い」と。上司に真っ直ぐと向けられた僕の目は力を込めすぎて血走っていて、眉毛なんて寄せすぎて左右が入れ替わっているのではないか。誰がどう見ても傾聴の姿勢だ。


「いや、聞いてないんだ君は! もう騙されんぞ!」

「ちっ……」


 この上司とは長い付き合いだ。流石にバレているらしい。


「で、君はどう考えてるんだね⁉︎」


 どうと言われても何の話をしているのだろう。雰囲気から察するに僕は説教を受けているらしい。とはいえ序盤を聞いていなかったので何故怒られているかは判らない。とりあえず当てずっぽうで解答を述べてみる。


「組織というものは互いに支え合うことで成立しているものです。一人が手を抜けば他の誰かに負担がかかる。……僕にはその認識が足りておりませんでした。今後は心を入れ替え、僕が皆さんを支えるつもりで自分にできることに全力で取り組みます」


 多分仕事そっちのけでポエムのことばかり考えている件なのだろう。となればこれで通用するはず。


「御託はいいからドアは開けたら閉めろって言ってんだよ!」

「⁉︎」


 盛大に外した。まさかそんなくだらないことで叱られていたとは。確かに閉めた記憶はない。そもそも──、


「……ドアなんてありましたっけ?」

「いっぱいあるだろ! どんだけボーッとしてるんだ!」


 仕方ないじゃないか。僕は職場にポエムを練りに来ているのだ。他のことは何も考えていない。今だって「もしもドアを開けっぱなしにして”君”に叱られたら」というテーマで一編書けないか検討しているところだ。


「今後はドアを認識し、開閉していることを自覚します」


 とりあえず改善案を提出し、キリリとしたお目々を向けてやった。上司はうんざりしたように眉間に皺を寄せ、半ば諦め気味に言い捨てる。


「なんかもう……とにかくもっと真面目に仕事してくれ……。君たまにやる気出すとすごいんだからさ……」


 僕は年に数日だけ本気を出して誰よりも大口の契約を取ってくるという手法で勤務態度の悪さを誤魔化している。何だかんだで手放すわけにはいかない人材なのだろう。我ながら滅茶苦茶厄介な社員だと思う。


「……ん! 何だか今日はやる気がある気がします! 外回りに行ってきますね!」

「やる気はいつもあれと言いたいところだが……頼んだぞ! くれぐれもサボるなよ!」

「はい!」


 僕はこれ以上ない利発なお返事を残してオフィスを去った(偉いのでドアは閉めた)。もちろん仕事をする気はない。今日はちょっとした用事があるので外出したかっただけだ。


 ──ただ一つだけ言わせてほしい。僕がサボっているのは仕事出会って人生ではない。これから僕が会う人物は僕の人生の中心に聳え立つもの、つまりポエムと関係がある人なのだ。


 会社が入っているビルを出て、三軒隣のカフェに入る。僕は待ち合わせの相手の顔を知らず、あてもなく店内を見回していた。すると奥の席にいた何者かが僕の様子を伺いながら立ち上がり、そろそろとこちらへやってきた。


 その生物には目が二つあり、あると便利だからか鼻と口も備えている。頭部の毛は人間でいう肩のあたりまで伸びていて、おそらくは女性ものと思われるスーツらしきものを身に纏っていた。──このように僕が曖昧にしか観測できないことから、この生物は”君”以外の人類のメスであることが示唆される。


「あの、エターナル・ラブ・ポエマーさんですか……?」


 彼女はmixi上での僕の名前を呼んだ。まるで周囲に聞かれたらマズいとでも思っているような囁くような声だった。僕が首肯すると彼女はあたふたと名刺を差し出す。


「私、グリーン出版の橘と申します! 本日はお時間を頂きましてありがとうございます!」


 橘さんとやらは目を爛々と輝かせ、興奮気味に頬を紅潮させていた。まるでハリウッドスターが来日したかのような反応に僕は戸惑った。なんせ僕はただポエムを書いているだけの何の変哲もない一般人だ。


 どうぞこちらへと促す彼女の後を追い、彼女が取っておいてくれた二人がけのテーブルに着席する。所在なく視線を泳がせている僕に彼女は尋ねた。


「先生は何飲まれます?」

「……先生?」


 経験のない呼び方をされ、思わず聞き返してしまった。


「作家さんなので先生です」

「……作家のつもりはないですが」


 僕はこれ見よがしにに眉をしかめた。別に尊敬されたり崇められたりするためにポエムを書いているわけではないのだ。変に持ち上げられても不気味なだけだ。


「で、ですが本名は教えて頂いてませんし……ペンネームも公の場で声高にお呼びするわけには……」

「ああ……まあ……」


 確かに周囲に僕がエターナル・ラブ・ポエマーだと知られると面倒だ。僕のポエムはmixiを爆心地としてやや炎上気味に話題となっていた。気まぐれに雑誌に投稿して騒ぎを大きくしてしまったことも重なり、僕は一躍時の人となってしまったのだ。


「あ、あの、お呼びするのが恥ずかしいとかそういうことではないですよ! ですが先生の作品はすっかり社会現象になっている状況で──」

「も、もう分かりましたから」


 僕に言わせれば社会現象というより社会問題だ。全国のストーカーさんたちが僕の真似をし始め、不愉快なポエムを送りつけては捕まっているそうなのだ。この事態に対応するため郵便局は指定した人物からの郵便物を簡単に受取拒否できる制度を作り、政府はストーカーに関する法整備を進めた。何だかいろんな人や機関にご迷惑をかけてしまった。好きな人にポエムを送る際は僕のように相手の許諾を得てから行うようにしていただきたい。


 恐縮気味に縮こまる彼女をよそに、僕は注文を取りに来た店員にアイスコーヒーを頼んだ。すると橘さんとやらは気を取り直したように咳払いを一つ置き、深々と頭を下げる。


「改めまして本日はお話の機会を頂いてありがとうございます。メールでもご説明しました通り、ぜひ弊社からポエム集の出版をさせていただきたく……」

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