5. 四年目2
ポエムの出版依頼。それが橘さんとやらがやって来た理由だ。
「お断りします」
僕は即答する。悪いが興味がなかった。
ネットで公開して多くの人々に”君”の荘厳さを伝えられたことにはある種の感動と達成感はあった。それでもう充分だ。これ以上事を大きくしたくなかったし、何より僕はポエムを商売にするのが嫌だった。僕がポエムを書くのは”君”に愛を伝えたいから。それだけだ。書いた引き換えにお金を得ると何かが汚れてしまう気がした。”君”からの返事以外に対価など要らない。
「そこをなんとか!」
橘さんとやらは食い下がった。まるで即答されるのは織り込み済みとばかりに、返す刀で額をテーブルにくっつけた。
「……っ!」
これは振り切るのに苦労しそうだ。思えばメールの時点で橘さんとやらのガッツは凄まじかった。
似たような依頼は他の出版社からも貰っている。無視していれば諦めてくれる程度の奴らだ。しかし彼女だけは違う。「もしかしたら未達かもしれないので」との文言を添えて何度でも何度でも送ってくるのだ。やがて僕は「届いた上で無視しています」と返さざるを得なくなった。
すると今度は「お返事を頂けて嬉しいです」から始まる超長文のメールが届き始め、それを無視したら「もしかしたら未達かもしれないので」攻撃に再帰した。僕は無限ループに取り込まれてしまったのだ。相手の意思を無視して一方的に手紙を送り続けるなんて正気を疑う。僕のおかげで強化されたストーカー規制をぜひ利用させていただきたいくらいだ。
「あ、頭上げてください。跡つきますよ」
僕は”君”のためなら街中で全裸になるのも恥ずかしくない。だがそれ以外の場合はちゃんと羞恥心が起動する。この状況は絵面が悪い。大体、他の女性と二人で居る時点で生きた心地がしないのだ。”君”に見られたらどう責任を取ってくれるんだ? 切腹程度では済ませないぞ。ついでに開頭もしてもらって、腹から脳、頭から腸を出して頂こう。
「いえ! 先生がイエスと言ってくれるまで私のおでこはこのテーブルと共にあります!」
「そ、そうですか……」
もう引くに引けないのだろう。彼女は交渉のためにわざわざ僕の職場付近まで馳せ参じたのだ。ここは泣く子も窒息死する日本屈指のど田舎・山形県。多分東京からドアトゥードアで五、六時間ほどかかったはずだ。そこまでされたら僕もいよいよ逃げ切れず、こうして面会に持ち込まれてしまったのだ。
──この僕がどこかシンパシーを感じるほどに、彼女はしつこかった。
「……橘さん。なぜわざわざ本にしたいんですか?」
僕は攻め方を変えることにした。闇雲に拒絶するのではなく、彼女の意思を聞き、言葉を弄するのを厭わず、ちゃんと説き伏せねばならない。
まず予想されるのは「たくさん売れそうだから」だろうか。これについては作者である僕がポエムをお金にすることに忌避感を示せば終わりだ。
あるいは「もっとたくさんの人に読んでほしいから」あたりだろうか。しかしすでにネット上で多くの人に届いている以上、わざわざ本という媒体に作り直す必要性を感じない。
橘さんとやらの返答はテーブルに向けられたせいでくぐもっていた。
「先生のポエムが好きだからです!」
これは予想外。おべんちゃらで気を引こうという魂胆なのだろうか。
「……であれば、ただ橘さんがmixiで読めばいいじゃないですか。今後も気が向いたら上げますから」
予想外であると同時に問題外でもあった。やはり書籍にして売り物にする意味などない。
僕はこれで話を打ち切る意思を示すため、アイスコーヒーを一気に呷る。氷がグラスにぶつかる音に反応して橘さんは反射的に頭を上げた。「先生がイエスと言うまで」という自分の言葉を思い出したのか慌てて再びおでこをテーブルにくっつけ、いやいややっぱり黙ってられるかとばかりにまた顔を上げた。忙しい人だ。
「ま、待ってください先生! もう少しだけお話を……!」
「悪いけど、もう話すことは──」
僕は言い切れず硬直してしまった。ああ、もう。まるで自宅が全焼した上に黒歴史のオリジナル小説だけ綺麗に火の手を免れたみたいな顔をしているじゃないか。いくら彼女が”君”ではないとはいえ流石に罪悪感が湧いてきた。せめて、そこまでポエムを気に入ってもらったことに何かお礼ができればいいのだが。
僕はテーブルに備えられていた紙ナプキンを一枚取り、スーツの胸ポケットからペンを取り出した。
「……今ここで、今日の分のポエムを書きます。差し上げるわけにはいきませんが、お見せするくらいなら」
「え⁉︎ いいんですか⁉︎」
こんなことで喜んでもらえるのかは判らない。しかし彼女の言葉を信じるなら彼女は僕のファンだ。僕にとって最初で最後のファンサービスをすることにした。先ほど職場で構想を練ったポエムをさっと記す。
──────
バンブーの軋む音に晒されたポリンポリンのグミを噛みながら跳ぶ、君の前髪を利用したターザン。
ラビリンス・チッス・ウッフーン。
──────
「……どうぞ」
“君”より先に別の人に見せるのは不本意ではある。だがまだ下書きなので許してくれるだろう。勢いで書いただけでまとまっていないし、できるだけ簡潔にまとめたために意味も伝わりづらくなっている。帰ったらきちんと推敲せねばなるまい。
恐る恐る紙ナプキンを受け取った橘さんとやらは、五秒固まった後に震えた声を絞り出した。
「素敵です……! まるでドアを開けっ放しにしたことを”君”さんに叱られた、みたいな、微笑ましい日常の些細なワンカットが浮かんできました」
「⁉︎」
伝わっただと……⁉︎ バカな……!
「あ、あれ? 違いましたか? あの、二文目の意味はよく判らなかったのですが、一文目に関しては非日常を描くことで相対的に日常を炙り出すようにという狙いで、ドアのメタファーであるバンブーを──」
彼女の考察は見事だった。寸分違わず僕がポエムに込めた意図を読み取っていると言っていい。出版社勤めということは読書慣れしているのだろうか。それにしたってほんの数秒でここまで作品理解を深められるものか? 日頃からよっぽど僕のポエムを読み込んでいるに違いない。いや、しかし、同じく熱心な読者であろう人が集まるmixi上にもこんなに的確なコメントが寄せられたことは一度もなかったぞ。
こいつ、できる……!
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