2. 二年目

 *****


 僕は発見した。ガムテープを燃やすと”君”の髪の匂いがする。


「……箱で買おう」


 僕は香りを楽しみながら決意した。何千ロールあっても足りない。このメーカーのガムテープは全て僕のものだ。一体何という名前の企業なのだろうか。実に優れた技術を有している。”君”の匂いを放つアロマでありながら物と物を貼り付ける機能までおまけで付けてしまうとは。


 僕は燃え上がるガムテープを皿の上に置き、部屋の隅に設置した。これでこの部屋は芳醇な”君”の香りで満たされるというわけだ。


 炎が上がっているのは危険なのではと人は言うだろう。しかし、そいつらはその時点で人失格だ。考えてもみろ。この炎は君と関連していることから聖火と呼べるのだ。きっと邪悪な存在しか燃やさない。そしてこの家には邪悪な存在などいない。つまり、この炎は危険ではない。Q.E.D、証明終了である。──ついて来れたか? 知性欠乏症どもめ。


 僕はデスクについて便箋と向き合う。いつも以上に良いポエムが書けそうだ。今日でこの日課を続けて一年と六十八日目。今から取りかかるポエムは四百三十三通目である。まだまだアイディアはたっぷり残っているとはいえ、多少の環境の変化は付けたくなってきたところだ。


「今日は……炎で行くか」


 せっかくならテーマに取り入れよう。ありがちなモチーフに思えるが、たまにはド直球で攻めるのも悪くないだろう。


 例えではなく、僕にとって”君”は炎そのものだ。


 希望など何もない暗澹とした僕の人生に、”君”という燈が現れた。”君”が輝いてくれるから僕は前を前だと知ることができ、”君”が足元を照らしてくれるから僕には進む脚があるのだと気がついた。


 空虚な亡霊のようだった僕に輪郭を作ってくれたのは”君”だった。


 “君”を想うだけで僕は心に熱を抱くことができる。挫けて消えてしまいそうな時は”君”が火種を分けてくれる。”君”はいつも僕の中で燃え盛り、無限の活力をくれる。僕はそれを、君をより鮮やかにする薪を探すために使いたい。


 "君"はまさに、僕の炎だ。


 ……よし。イメージは掴めてきた。この気持ちをまとめて一遍のポエムに昇華しよう。





──────


 ♪ジャンジャジャ〜〜〜ン!


 僕は今、君の靴下を燃やしたときの匂いを想像し、悶えています! ヒャッハー!


 大丈夫大丈夫! 絶対臭くないから! ていうか臭くても逆に良いから! え? 何が良いって? う〜ん、それ説明しだすと天地開闢の話になるから今度でいいかな? 週明け?


 んー、こんな感じかなぁ? もうちょっとアルカイックかな……。なんか、こう、多分嗅いだ時の気持ちは、駄菓子屋のおばあちゃんに舌打ちされた時の気持ちと似ていると思うんだ。


 あ、こんな感じかも! 掴んできた! これだ! うおい! もうやめてくれって! こんな魅惑、江戸時代だったら幕府に禁止されちゃうよぉ!

 

 ……こうしてその香りは僕の脳梁にJavascriptでプログラムされた。起動するたびに血管に煌めきが駆け巡り、全身が火照るプロトコルだ。


 ああ、熱いよぉ。

 熱い……。

 熱い……。


──────




「熱い……⁉︎」


 僕は周囲を見回す。


「な……⁉︎ 火事だと⁉︎」


 気づけば部屋が燃えていた。壁紙が焦げ、床からは黒煙が上がっている。


 幸い僕自身は無事。だが服がほとんど燃え尽きていた。もう襟しか残っていないではないか。襟だけがプラスチックでできている意味の分からないシャツを着ていたのが功を奏したのだろう。たまたまファッションセンスがイカれていたおかげで全身ひん剥かれるという屈辱は免れたというわけだ。……いや、これ全裸の方がまだマシだったのではあるまいか。


 それにしても火傷の一つもないのは我ながら見事としか言いようがない。おそらくポエム中ということもあって”君”への愛が燃え上がっており、僕の体温は炎より高かったのだろう。であればこの程度の小火に負けないのは当然。自然の摂理である。


 ──さて、この火事を何とかせねば。一体どうして火が起こったのだろう。本当に心当たりがない。聖火はこの部屋に甘く淑やかな香りを滔々と垂れ流していただけで、何も燃やすはずがない。


 特に服に延焼するのはおかしいのだ。あの服には純な愛の使者である僕が常に分泌している液、通称・ラブ汁が染み込んでいたはず。聖火と同調することはあれど、こんがり仕上げられるなど有り得ない。となれば──。


「放火か……!」


 何者かが卑劣な犯行に及んだのだ。信じ難い。一体何の恨みがあってそんな蛮行を。こちとら愛のポエムを綴る日々を過ごす純朴たる文学青年だぞ。いっそ笑えるほど人畜無害だろうが。脅威度は引っ込み思案のひよことドッコイだ。


 品性下劣な放火魔になど負けてたまるか。僕は颯爽と立ち上がり、煙の間を縫って廊下に飛び出していく。この家には消火器が備わっている。訪問販売のおじさんから購入したものだ。分かっている。ありゃ詐欺だ。しかし「いざという時大切な人を守れるように」という営業フレーズが気に入ったのだから仕方ない。


 転がるように階段を駆け降りて、一階で消火器を回収。すぐさま部屋に舞い戻る。荒々しく安全栓を引っこ抜き、噴射口を炎に向けた。白い粉を勢いよく吹き付けて炎の勢力を削いでいった。


 いい感じだ。この雄々しい姿、”君”が見たらときめいてくれるだろうか。……いや、流石に難しいか。なんせ服装が伴っていない。ギリギリ全裸ではないが半裸でもない。大体四十三分の四十二裸といったところだろう。”君”の許容範囲は何分の何裸までだい? 隠れている部位によるのかい? おっと、これはポエムのネタになりそうだ。


 ……なんてことを考える余裕が出てきた。もはや火はほとんど消えていた。僕と放火魔の戦いは僕の圧倒的な勝利で決着だ。その手の輩はえてして現場に戻ってくるものだと聞く。犯人め、まだどこかで見ているのなら、僕のキュートな尻でも喰らえ。


 最後の火種にとどめを刺し、僕は消火器を床に置いた。焦げ臭さが残る粉まみれの部屋を見渡して、僕は嘆息した。全く、とんだ邪魔が入ったものだ。僕はこの澱んだ空気を取り払うため、例のガムテープに火をつけた。


 さあ、執筆に戻ろう。火事は鎮火したが愛は鎮火しないというわけだ。……ふむ、上手いことを言った。今日の僕は調子が良いみたいだ。”君”よ、仕上がりを楽しみにしていてくれ。

 

 “君”への愛を綴ったポエムを送り続けて一年と二ヶ月目。

 ──返事はまだ来ない。

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