粘着系男子の15年ネチネチ

タカハシヨウ

第一章

1. 一年目

 *****


 違う。


 こんな表現では”君”の頬の柔らかさを示せない。僕は消しゴムを手に取り、乱暴に便箋を擦る。


 “君”の頬はもっと、こう、艶やかで華やかでフルーティーで神秘的でワンダフルだ。的確な描写をしたい。いや、今色々と形容はしたのだが……。これらを全て合算して三十乗したようなパワーのある言葉が要る。しかし脳を探索しても辞書をめくっても目当てのブツには出会えなかった。


「……バカな」


 僕はミミズのソーメンを鼻で一気したように顔を顰めた。まったく、言語を開発した人物は余程間抜けな奴だったのだろう。どう考えても”君”を形容する専門の単語を無数に用意しておくべきだった。まさか一つも残さなかったとは信じ難いうっかりさんだ。多分、税金とかも払い忘れていただろう。子孫を見つけたら税務署に通報してやる。


 僕が代わりに作るという手も無くはない。だがそれでは僕にしか理解できない文章になってしまう。真っ当な思考回路を持つ僕ならそれくらいの予測はできる。ダメなのだ。このポエムは、“君”に伝わるように書いてこそだ。


「……そうだ。僕が書いているのは……ポエム!」


 別に僕は図鑑の”君”のページを編集しているわけではない。それはそれでぜひ仰せつかりたいが、今書いているのはポエム。”君”を客観的に描写する必要などない。比喩を交えてロマンチックにエゴイスティックにドラマティックにドラスティックにエキセントリックに、”君”を描いて構わない。


「比喩か……インスピレーションが欲しいな」


 僕はデスクを離れ、部屋の中をウロウロする。執筆を始めてまだ六日目。しかし意外な着想を得るには普段しないことをするのが一番良いということを体感的に理解していた。僕が普段しないことといえば、”君”以外について考えること。僕は脳のリソースを強制的に別の事柄に向けるためテレビを付けた。


『それでは、本日のホホエミ王子の活躍をご覧ください!』


 二千七年。世は笑顔の爽やかな青年ゴルフ選手の話題で持ちきりだった。「ホホエミ王子」が流行語大賞の最有力とされているほどだ。


 ……微笑むと言えばあの時の”君”は愛らしかった。”君”以外が微笑むなんて越権行為とすら思うほどだった。何がホホエミ王子だ。無表情で馬鹿みたいに延々と穴に向かって球を飛ばしていればいいんだ。


「おっと……。違う。別のことを考えなければ」


 油断するとすぐに”君”の方に思考が流れていく。僕の頭はそうなっている。僕がおかしいのではない。僕以外が壊れているのだ。


「ゴルフ……ゴルフか……」


 僕からも”君”からも縁遠いスポーツ。それが何かのヒントになるかもしれない。


 ──もし、”君”がゴルフをしたら。


 まず、良い。それは確定。とにかく良い。


 緑の芝生も青い空も白いボールも全部”君”のために誂えたかのように似合う。スイング音はカナリアの囀りを彷彿とさせ、打球は精緻なサインカーブを描いて数学的な美を湛える。これを以って、僕はゴルフとは”君”のために生まれた競技だと結論付ける。


 あるいは、もしかしたら人類は”君”の流麗で舞うような所作に少しでも近づきたくてゴルフを開発したのかもしれない。「ゴルフ」という言葉も”君”の名前が訛って生まれたという可能性が示唆される。訛るな。訛るとブッ殺すぞ。


「ハッ……! 閃いた……!」


 ゴルフは良いヒントになった。僕は飛びかかるようにデスクに舞い戻り、便箋に向かう。勢いよくペンが走り、今日のポエムが完成した。




──────


 君はいつだって僕にホールインワンさ。

 どうなってるのさ。

 君のセブンアイアンって恋のインチキセブンアイアンだよ。


 君はバンカーで溺れる僕に救いの手を差し伸べてくれる。

 砂まみれの僕を愛まみれにしてくれるのさ。

 おかげで今日も愛でギトギトだよ。ほら、こことか特に。もっとよく見てほら。この妙に長い毛の隣とか。


 君に出会ってから僕のスコアは毎日プラスの連続さ。

 でも知っているだろう? ゴルフはマイナスになるほど良いスコアなんだよ。

 おかしいね。きっとロクな教育を受けてない奴が作ったのさ。

 君がレッスンしてあげればIQ800兆くらいすぐだろうけど、やめてくれ。

 君の言葉は僕だけのものなのさ。独禁法で死刑になったとしても僕はギロチンの下でこう叫ぶだろう。


 死ぬの怖い、と。


 あと、ほっぺた柔らかいよ。


──────




「…………耽美!」


 傑作だ。これを貰って喜ばない女の子など、この世にもあの世にも一人もいないに違いない。万が一そんな女性が存在するのなら、おそらく脳の感性を司どる部分が虫に食われているのだ。どうせ汚い害虫を汚い順に引き寄せる地獄のような激臭を放っているのだろう。即刻風呂に入れ。知っているか風呂って? 家を探してみろ。


 考えてみるとそもそもあの子以外の女性の存在意義が分からない。神はあれほどの完成度の天使を産み落としておいて、なぜ他の失敗作を駆除しないのか。過去の黒歴史を衆目に晒して何故正気でいられるのか。甚だ理解し難い。僕なら”全臓吐露”シークレット・トロイメライ(どうにかして全部の内臓を吐き出す悪夢のような技)を使って死を選ぶ。


 それとも何か? “君”を作って尚満足いかなかったとでも言うのか? 率直に言う。死なすぞ。どんな力があるのか知らんがお前なんか硬くて重いもので殴れば死ぬからな。それが嫌なら地球に蔓延る偽女性バグどもを滅するアプデを実施しろ。修正パッチを当てて地球1.1にするんだ。


 おっと、つい熱くなって余計なことを考えてしまった。神殺しは隙間時間に済ませればいい。今僕がすべきことは、このポエムを”君”に送り届けることだ。


 僕は引き出しから封筒と切手を取り出す。慣れた手つきで住所を書き、たっぷり唾液こころを込めて切手を貼る。玄関でサンダルを装備して、近所の郵便ポストに駆け込んだ。


「今日の分、完了と」


 日課を終え、僕は大いなる満足感を胸に宿して家路につく。ああ、"君"はどんな顔をするだろうか。


 “君”への愛を綴ったポエムを送り続けて六日目。


 ──返事はまだ来ない。

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