#2-1 転がる石 前
クインの出で立ちは青年のようだった。
すらりと伸びた背にいわゆるスケーターファッションに近い装い。
動きやすさを重視したズボン、季節には少しそぐわない厚めのパーカーが輪郭を隠していた。
一切の癖がない長い髪は低い位置で結わえられているが女性的というよりも髪を伸ばした青年という印象を受ける。
しかし、青年と形容するのに収まらず、女性にも収まらない。
何よりもクインのもつ雰囲気が青年とも女性とも違う。
少しの淀みもなく流れる金糸の髪からおとぎ話に出てくるヒロインを連想させた。
だがそうした浮世離れしたものとも隔絶している。
彼女の眼に宿る力は強い。
一つの存在として確立しており、現実性と非現実性を同時に持つ矛盾を感じさせながらも調和していた。
そんな存在が自分をはじめちゃん、などと親しみやすさを感じる呼び方をするものだからどこかおかしい。
岸守一はおもわず緩んだ頰をぴしゃりと叩く。
「久しぶりだなクイン」
「久しぶりだなはじめちゃん。元気にしてたかい」
またしてもおどけながらクインは店内を示す。
軽い所作でありながら弛みのない動作。
まるで指揮を取っているようでそれだけでとても様になる。
「すまん遅くなった」
クインは小首を傾げた。
「待ち合わせ時間はまだじゃないか」
「それでも待たせただろ。伝えていた時間より少し遅くなった」
「気にしてない。そうなるかなと少し思っていたよ」
浮ついて隠すことも忘れていたのか思わず顔をしかめたのが自分でも分かる。
昔の自分という奴はそこまで悪い印象を抱かせるようなことをしていただろうかと岸守一は少し不安を覚えた。
「信用ないな俺」
クインは苦笑した。
ずっと会っていなかったにも関わらずその隔たりを感じさせない気安さがある。
「逆。むしろ信用しているのさ。私の知っているはじめちゃんは筋金入りのぶっきらぼうで意地っ張り。今にして思えば独立願望が強かった」
「そう見えたか」
「まあね。おばさんに伝えた時から少し経ってのはじめちゃんの連絡。はじめちゃんはすぐに一人暮らしを始めただろうし独り立ちしたのならそうそうおばさんの所に行かないだろうとね。だからさっきまでおばさんと一緒にいた、であってるかな」
澄んだ声による謡うような調子で紡がれる推理に岸守一は思わず聞き入ったが点と点が繋がっていないことを訝しんだ。
先を促すように肩を竦めるとクインは大きく頷いた。
「おばさんがはじめちゃんの所に行くとも思えないしそれなら、普段行かないような場所にいるんじゃないかって。だから予定通りに、というわけにはいかないだろう……そんなところ。考える時間ならあったから」
「そんなところだよ」
岸守一は内心舌を巻いたが、こうも言い当てられては面白くなかった。
最後に添えられた皮肉もあって言い方もどこか棘が出てしまった。
しかし、突き放すような物言いもまた彼女が気にいるもののようであり、彼女は昔を振り返るように目を細めた。
次の瞬間にはむず痒そうに聞こえたかな、と呟く。
「この話もこれでおしまい。はやく食べようよ。私は遅刻を許せるけどこっちはそうはいかなくてさ」
クインは片手で腹をさすり、もう片方の手で岸守一の腕を抱えて引きずる形で入店した。
カウンターの席に並んで腰かけるなり、クインはすぐに店員を呼ぶ。
慌ててメニューを碌に吟味できずに岸守一は最初に目に入ったものを注文した。
「戻ってきたのはそれなりに前……だったか」
注文後にもメニューを覗き込むクインの表情は横目からでは分からない。
言い方から岸守一は身構えるようにして腕を組み、躊躇うように口にした。
「そうだよ」
しかし、返ってきた言葉の調子は思いの外軽く、言葉を続けた。
「含みのある言い方だな」
「大したことじゃない。一人暮らしを始めたのさ。こっちに戻ったといっても県を跨いで通学してたから学校自体は変わらない。そういう意味で言えばこっちに戻ったのはもう何年も前」
「本当に随分前だな。それで今どの辺に住んでいるんだ?」
彼女が挙げた場所は自分の住んでいるところと近かった。
徒歩で行くのを渋るが、電車を用いれば尋ねるのに壁を感じないくらいの距離。
喜ばしい偶然を嬉しく思った。
「割と近い」
「はじめちゃんはどこに住んでいるのかな?」
表向きの住居である怜音の隣の部屋を教える。
マンションの隣室のため殆ど変わらないという注釈もつく。
「いい所だね。不動産に行った時見た覚えがあるよ。確か、駅から近くて外観も良かったね。その分高くない?」
「高いことには高いが、色々と好条件でな」
「住む場所の質を最優先にするタイプ?」
突っ込まれてもあまり好ましい話ではない。話題の転換を図ろうとした矢先、この状況を助けるように注文の品が運ばれてきた。
クインの元に運ばれてきたのはホットケーキ。
それにハチミツがたっぷり惜しむことなくかけられる。
「それが好きなのは相変わらずなんだな」
「もちろん。変わるわけないじゃないか。こんなにも美味しいのに。さ、早く食べよう。いただきます」
「いただきます」
食べる動作一つ取っても絵になる。
背筋を曲げることなく口に運んでいく姿はやんごとなき身分のようであり、怜音を思い出させた。
視線に気づいたのか彼女は向き直り、問いかけを待つようにやや首を傾げた。
「そういえば。俺のことぶっきらぼうとか言ってくれたが昔のクインもそうだっただろ」
先ほどの追及をそらしたかったこともあって偶然の手助けに乗じて別の話題に切り替えた。
だがそれ自体は事実気になっていたことだった。
記憶の中のクインは仏頂面をしていた印象が強い。
ひどくしかめっ面をしていて、ひどく負けず嫌い。
人形みたいにきれいな見た目をしていたのにいつも泥まみれになっていた。
いつも誰よりも先を行っていた。
そんなクインにいつも負かされていたため女の子と気づいたのも遊ぶようになってから随分と後になってからだった。
それが今は随分と柔らかい物腰になったとある種の感慨を抱く。
「昔のことは昔さ。はじめちゃんが変わらずにいてくれたのは嬉しいけど」
「……褒めてないだろそれ」
「褒めてるよ。不安だった。とても、ね」
急にクインの纏う雰囲気が変わる。
陽から陰へ。
堂々とした貴人から儚い世捨て人へ。
少し俯き垂れ下がった髪の間から見える青が岸守一を射抜く。
髪の陰から垣間見える瞳の奥は謎めいた深さを増し、感情を読みとらせることを拒んだ。明るい照明もクインの陰を晴らすのには無力。
自分が何か触れるべきではないものに触れてしまったのか、そんな不安に否応なく投げ込まれる。
「思い出が壊されるくらいならいっそ蓋をしてしまおうかとさえ思った」
クインは言葉を区切って目を伏せた。
声音も変わらない澄んだものだったが、先ほどとは違い他の存在を許さない冷たさがある。
隣り合っているのにも関わらず明確な壁を感じた。
空気が張りつめる。
いつのまにか乾いた喉を満たそうとコーヒーを探す手すらも重く感じる。
変化を前に真意を読み取れない。
感情の機微が顔を出している場所はないかを見出そうとクインを凝視しながら岸守一は短く先を促した。
促すことしかできなかった。
その間にも彼女が話そうとする内容は頭の中で飛躍していく。
他愛のないものから酷く人に話すことを躊躇うようなものまで。
この不安が取り払われるためには彼女が口を開くしかないことを悟る。
重圧から解放されるために必要なものが与えられないことがひどくもどかしい。
彼女の口が重々しく開いていくのを放られた施しが鉢に落ちるまで眺める物乞いのようにただ注視した。
「文面からでも分かるぶっきらぼう。安心と信頼のはじめちゃん印。思い出の通りだ」
一転して花が咲く。
内容は酷く人のことを貶すものだが。
クインがホットケーキをもう一切れ口に運ぶと再び花が咲く。
「それはよかったな。気を揉んで損したよ」
岸守一がこれみよがしに無造作に手をぶらつかせてみせるとクインは苦笑した。
「拗ねないでほら、サインいつかあげるから」
「サイン?」
「おばさんから聞いてない?私いわゆる女優の卵というやつさ」
「女優?」
サイン。女優。急に飛び出してきた情報に岸守一は思わずオウムのように繰り返した。
「どういう経緯だよ」
「友人の手伝いに付き合っていた時にたまたま足を運んでいたOGの目に留まって、その後はとんとん拍子で進んでいたよ」
「えらく他人事だな」
「その劇団、劇団檸芳という所に入ることができたんだけど実感湧かなくて。ドッキリでしたって言われる方がまだ現実味がある」
「簡単に言ってくれるな。演劇にはてんで詳しくないがそれでもその名前くらいは聞いたことあるぞ」
「私もそれくらいしか知らなかった」
「そうなると志望者も多いやらオーディションやらあるだろうに。よくまあ通ったもんだ」
「口利きの類と思ってそれとなく聞いてみたけど曰く天性の才能だとか。私じゃ浮くだけだって最初は断ったけど余りに熱心に頼み込まれたものだから」
クインは髪を玩んで笑う。
「そこまで担がれていると何か裏があるように感じるんだが」
「本当に。遠慮なく踏み台にしてくれて構わないからその才能を埋もれさせるのだけはやめてくれとまで言われると流石に断りづらくて話をうけることにした」
「大げさだな」
「買い被りだと私も思ったけど挑戦してみることにしたよ。一人暮らしを始めたのも実家からだと通学はまだしもこれを含めると少し遠いのが大きくて」
「成程ね。引っ越しにしてはえらく半端な時期だとは思っていたよ。金の都合がついたくらいに考えていたが」
「そういう訳なんだよ。さっきのも中々のものじゃない?どうかな?」
「確かに驚かされたがもう種の割れた手品でしかないな」
「言ってくれるよ。また時を改めて騙してみようか」
「臨むところだ」
岸守一はコーヒーを大きく傾けて飲み干した。
挑戦状代わりに気持ち強く、けれど壊さないようにテーブルに置く。
「今日はこんな感じでお開きにする?」
問いかけを受けて岸守一が視線を下に向けると2人ともタイミングよく皿を空けていた。
追加で注文する程空腹ではないし丁度いいのかもしれない。
昨夜の怜音を思い出して笑みが溢れる。
「そうだな。割と近いし会おうと思えばすぐ会える」
精算を済ませて店を出る。
通行の邪魔にならないところまで歩くとクインは手招きをした。
岸守一が顔を近づけると彼女はやや考える素振りを見せながら尋ねた。
「今度、いや次というわけではないけどはじめちゃんの家を訪ねてみてもいいかい?」
なるべく避けたいことではあったが岸守一はいつも使っている定型句を諳んじた。
「急に来られると困るくらいだ。まあ足の踏み場を見つけるのが得意なら構わないぞ。……別に聞く必要あることか?」
「訪ねたときにはじめちゃんが女の子連れ込んでいたら気まずくなるじゃないか」
岸守一は思わず口が少し引き攣り、隠すように頰を掻く。
明らかに不自然な対応だったがクインは冗談に戸惑ったと受け取ったのか笑いを漏らす。
彼女の考えているようなことは全くない、と誰に弁解するでもなく心中で漏らす。
むしろ現実は女の子を連れ込むどころかその逆で女の子にしまい込まれている身なのだから。
「どういう仮定なんだよ。まあ、来るとしてもマンションだから少し前に連絡入れてからにしてくれ。モニター鳴らされても家にいなきゃ応対できないからな。待ちぼうけさせるわけにもいかないし」
普段家を空けて怜音の家にいるため自分の家となっている場所を訪ねられても応対できない。
そのため急に押しかけられることは大きな問題。
悩みの重さに引きずられて目線が自然と下がる。
「分かった。私のために部屋を掃除しておいて」
目線を戻さないまま岸守一は空返事をした。
散らかっているとは言ったものの表向きの住居は実のところ最低限の備え付けだけの夜逃げ後の空き家同然。
人が生活しているようにはとても見えない状態だった。
目線を戻すとクインの片目から涙が流れ落ちていった。
しかし表情は泣いているものではなく微笑みを湛えているものであり、まして泣き笑いする状況でもない。
一が思わずのけぞると、クインは涙を拭きながら、意地悪く笑った。
「これではじめちゃんの二敗」
「初戦は不意打ちだからノーカウントだ」
「それでもいいか。再会に免じてという奴だね。うん、久しぶりに会えて楽しかった。またね、はじめちゃん」
「またなクイン」
クインはサングラスをかけ、身を翻す。
一つの隙もなく歩く様はさながらモデルである。
向かい合う人の波が闊歩する彼女に見とれるように足が遅くなる。
その中を水のように通り過ぎていくのを岸守一は彼女の姿が消えるまで見送った。
完全に消えるのを見届けると丁度都会にいることもあって今日の残りの時間を自分の家に生活感を出す準備に費やすことに決めた。
クインにバレない程度にものを調達するとなると遅くなるのは間違いない。
怜音に遅くなりそうだと連絡した。
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