第5話 悪童

 Jの奴が来てなかったら俺、一人じゃない? と、心配していたものの杞憂に終わり、北高校OBが経営している牛タン屋にきちんと居た。店内にはクラスメイトの殆ど全員が揃っていて、緖熟おうれが一番最後だった。何となく入りづらかったものの、ドリンクを注文する振りをして的確に居場所を伝えてくれたJのお陰で席を探して右往左往することもなかった。


 靴を脱いで、御座に足を伸ばし回りを見渡してみると、嬉々としてビールを飲むご年配の担任に、先に着いていた栂池つがいや、クラスマッチでチームメイトだった相原あいはららが居たのだが、肝心の人が見当たらない。


「あれ、J。知見ちみさんは?」

「そういや来て無いンゴラン」

「それっぽく造語するな。え、来てないの?」

「せやで、もしかしたら後から来るかも分からんけどな」

「と、良いんだけど……」


 少し俯く緖熟。


「どないしたん? そんなに気になるンゴ?」

「うん、知見さん牛タン好物って言ってたからちょっとね」

「んま、バイトとかかもしれないンゴね。ちょっと心配やけど先に始めさせてもらおうや」


 委員長代理で相原が音頭を務め、クラスマッチ優勝景品の牛タン食べ放題が始まった。


 そして結局、知見は来なかった。


   × × ×


 月曜日。


 登校路の河川敷をのほほんと気分良く歩いていると声を掛けられる。


 誰何。


 (何て読むんやっけ。まあいいか!)


 知見さんだった。


「ごめん! はずせない用事ができちゃって」


 挨拶もそこそこ、両手を合わせて、頭を下げられた。


「牛タン好物って言ってたからクラスマッチ頑張ったのにそんなに大事な用だったの?」


 シーズン大詰めのイングランドプレミアリーグを見まくった徹夜明けそのままに後であれ、俺、ちょっとめんどくさい草食系男子を狙ったらただのめんどくさい人になっちゃったみたいになってないンゴラン? と布団で悶えたくなるテンションで会話に突入してしまう。


 これがよくなかった。


「うっ、……私の為に結構頑張ってくれたり?」

「だから言ったでしょ。せっかくめちゃくちゃ頑張ったのにー」


 意味もなく何となくのテンションで、面倒な絡みをするテニスサークルの学生に成り果てる緖熟。


 とは言え、知見さんの為に頑張ったというのは事実に相違ない。


「本当に申し訳ないです……私も出来れば行きたかったんだけど」


 やけにしょんぼりするクラスメイトに流石に徹夜テンションの緖熟も何かを感じ取った。


 (牛タン好物言うてたものな)


「じゃあ行く?」


 ? と小首を傾げられる。


「いや牛タン屋さんにさ」

「? それはその坂逆さかさか君とってこと?」 

「うむ、牛タン美味しかったからまた食べたくなっちゃったし。あそこのお店の牛タンすごく美味しかったんだよ」

「そっ、そうなんだ、へ、へーそれは興味あるな」


 何とか返答はするものの、突然の申し出に困惑と言うか頭が真っ白になる。もしかして私これはそのデートに誘われて⁉️


 徹夜テンションの緖熟は自分が何を言ってるのかまるで理解してなかった。


「あれは絶対に食べた方がイイね。牛タン好きでも納得するはずだよ」

「それなら、その、行ってみようかな」


 赤面していることを悟られまいとショートカットな前髪を寄せて、そっぽを向くが緖熟はまるで気にせずグローリーグローリーマンユナイテッドと口ずさんでいる。


「にゃはは、決まりだね!」


 眠くて何も覚えてませんと後に緖熟は供述することになるのだった。


   × × ×


 お互い掃除当番も委員会の仕事も無く、何となく栂池と部活に向かうことになった。


 今日一日やけにチラチラこっちを委員長は見ていたけど顔に何か付いていたのだろうか。


「お前好きなサッカー選手とかいる?」


 手提げを行儀悪くぶらんぶらんと蹴る栂池。


「ポール・スコールズかな」


 自分が憧れていた選手。


「ふーん、その人凄い選手だったのか?」

「え、知らないの?」

「いや、その名前どこかで聞いたことが……いや、ごめん知らねえわ」


 時代格差ジェネレーションギャップに愕然とする緖熟だった。


「そっ、そっか。うん凄い選手だったよ。栂池君はどうなの?」


「俺か? 俺あんまりサッカーの試合見ないからサッカー選手知らねえんだよな」


 じゃあなぜその話を振ったんだと栂池の顔をまじまじ見てしまう。


「でもクリロナは好きだな」


 栂池は恐らくサッカーをプレイするのは楽しいけれどと言うタイプなのだろう。確かにサッカー部唯一の一年として話は結構するけれどサッカーの話はしてこなかった。が、意外にもサッカーを見ることはないけどプレイするのは楽しいと言う人はプロサッカー選手にも結構いるのだ。


「お前サッカーやけに上手いけどどっかのユースにでも居たのか?」


 だからサッカーに関連した話をするのは初めてだったりする。


「まあ、うん、そうだね」


 英国ではアカデミーと呼ばれることの方が多いので一瞬間が空く。


「そりゃ上手いわけだわ」


 興味無さげに栂池は言う。


「栂池君も上手いけどもしかしてユースに所属してたり?」

「そーだぜ、ま高校と両立できなくなるって断念したんだけどな。つってもここにはユース上がりの特推(特別推薦枠)で入学したんだけど、これは内緒だぜ」

「へー」


 そう言えば校訓にも文武二道ってあったような無かったような。


 栂池は完全にサッカーの話に興味を失ったようで話題は中間テストへと移った。


    × × ×


「勉強をします」


 との宣誓をしたのは学級委員の女の子。少女は敏感にも、対面に座して今にも睡魔に誘われて夢の世界へ旅立とうとしている少年が、そう言わなくちゃ本当に眠りこけるだろうことを見抜いていた。また、そう言ってしまえば、目を覚まさざるを得ないほど少年は妙なところで真面目なやつであることにも気付いていた。


 場所は放課後の図書室。


 遡ること十分前、緖熟は眠い目を擦りつつも、定期テストに向けて城ヶ崎から勉強を教えて貰うために図書室へと足を運んでいた。自習室が充実している北高校にあって別棟三階最奥に位置する図書室はいつ行っても利用者は疎らだ。なんて事情から緖熟と城ヶ崎は暇な時によく利用していた。目当ては雑誌コーナーのソファースペース。閑静な図書室、に来るような読書家達はソファー何て座らないし、図書室の利用者ヘビーユーザーの間ではソファースペースは柄の悪い一年の二人組の特等席であると言う暗黙の了解アンライトゥンルールが出来上がっているので、大体ソファーを占領することが可能だ。まぁ、ただソファーで惰眠を貪っている二人が取り立てて騒ぐことが無いからこそ生じた状況で、障らぬ神に祟りなしと言うところだろう。


 なるべく音を立てないようそっとドアを引く。入り口を少し歩いたところの貸し出しスペースにいる図書委員に軽く会釈。顔見知りになってきた女の先輩は眼鏡の縁を軽く上げて頭を下げる。とここまでの動作はほぼルーティン化されているもので、後はいつも通りソファースペースに居るであろうJのやつを後ろから驚かして──


「あれ」


 そこに居たのは意外な人物だった。


「こんにちは、坂逆くん」


 と我らが学級委員の知見さん。普段だらけて横になる以外の用途を見出だして居なかったソファーに背筋をピンと伸ばして座っている。


「こ、こんちはー」


 と舌足らずな返答になってしまう。が、驚きこそあれどそれは普段自分たちが使っている温泉旅館で言う休憩スペースみたいなソファーに、本来居るはずのない人が座っていたからで、学業優秀なこの女学生が図書室を利用していることに何ら違和感はない。むしろ今まで図書室で鉢合わせなかったのが不思議なぐらいだろう。


 うーん、誰にも注意されないのをいいことに、図書室と言うある種の静粛さが求められる場所でJと思いの限りだらけきっていていたけれど、今後は控えるべきなのだろうかとちょっと悩んでみたり。


「知見さんも勉強しに来たの?」


 ソファーの間にある机の上の教科書類には丁寧に付箋が貼られていた。


「うん、そうだよ。自習室より図書室の方が落ち着くんだ」

「そっか。……じゃあ俺Jのやつ待たせてるから」


 手を上げてじゃ、と言って踵を返した背に、


「城ヶ崎君なら来ないよ」


 何て字面だけなら悪役のセリフとも捉えられかねない一行を投げ掛けられる。


「む、何で来ないのさ」

「……それはね、城ヶ崎君は夕方放送の観たいアニメがあったの忘れてたと下校したからなのでした」


 あのオタクは人の約束をすっぽかして何をやってるんだろう。もう外国人とのレスバで翻訳してやらないからなと固く決意仕掛けたところで、


「──って何で知見さんが知ってるの?」


 図書室で中間テストに向けた勉強をする予定を知ってるのは当然緖熟と城ヶ崎の二人だけだ。クラスに他に一緒に勉強しようなんて誘うやつ居ないし。


 だから目の前の同級生が知っているのはおかしい。


「城ヶ崎君に頼まれたんだ。坂逆くんの勉強を見てやってくれって」


 お礼なら坂逆くんが何でも言うことを聞くからって言ってたよとにこやかな笑顔で言う学級委員。


「そ、そうだったのね……。いや、知見さんはそれでいいの?」


 それでって? と言う顔で首を傾げる同級生。


「……いや、ほら、知見さんも自分の勉強があるでしょ? それなのにその勉強する時間を削ってまで俺の勉強を見てくれるってのは」


 正直、気が引ける。ちらっとクラスメイトの顔を伺うと、


「問題ないよ。テスト勉強ならもう終わってるから」


 返ってきたのは優等生然とした模範解答。


「で、でもそんな知見さんに一方的に何かして貰うのは悪いよ……」


 Jとはある種ギブアンドテイクでやっている部分もあるのだ。英語方面は主に緖熟が担当してJはその代わりにテスト勉強を見てくれる。


 まあこれで知見が「あなたの成績が悪かったらクラスの平均点が下がっちゃうじゃない!」ってツンツン言いつつ無理やりテスト勉強させてくるタイプの学級委員なら気兼ね無く頼れたかもだが、クラスの男子たちの間で聖人君子と崇められている〝良い人〟の知見にただ教えて貰うだけってのはこう、僅かに残っている良心が咎めると言うか何と言うか。


「ううん、私にだって見返りはあるのよ」


 確かに知見は言っていた。お礼は坂逆くんが何でも言うこと聞くからと。知見にとって見返りになるのか自信はまるで無いけれど、でもまあ頼めば〝何でも言うことを聞く〞と言うか聞いてしまうだろう学級委員にギブアンドテイクの形を取らせたJの気遣いに応えるためにも、出来る限りのことはしようと思う。


「それじゃあその、お願いしちゃおうかな」

「はい、お願いされました🎵」


 どこか楽しげな知見。


 入学試験での成績学年トップの知見が勉強を見てくれるとは何とも心強いものだ。ここは有り難く勉強を見てもらおう。


 いつもならドサッと背凭れに寄り掛かるところだが、さすがに対面の知見が背筋を伸ばして座っているのに、これから教えを請う人間が不遜な態度を取るのもおかしい。親しき仲にも礼儀あり。親しいかはともかくとして。


 いつもより心持ち浅く腰掛けた。


「いいのよ、いつもみたいにどさーと座っても」

「……いったいなんのことですか」


 と言うか、どうして知ってるんだ。


「時々、と言うか図書室に来るとだいたい坂逆くんと城ヶ崎君がソファーで寝てるのが目に入るからだよ。坂逆くんたち、目立っていることをもうちょっと自覚した方がいいわよ」


「うーん、別に俺もJも目立ってるとは思わないけどな」


 と素直に感想を口にする。そも、目立ってる具合で言えば知見の方だろうに。


「……、あ、後前から聞きたかったんだけどさ。坂逆君いつも城ヶ崎君のことJって読んでるけどそれって頭文字のJなの?」


 予想に間違いがなければ坂逆君はイギリスに居たことがあるだろうから、向こうの文化の名残でそう呼んでるのだろうとあたりを付けたのだが。


「いや違うよ」

 

 と、正解を確信している問いに否を付けられた。


「えっ、違うの」


 だから緖熟の返事にかなり驚く。


 じゃあどういう意味と尋ねれば、


「どういう意味なの?」

「なんJ民のJだよ」


 との答え合わせ。


 聞かなければよかったと後悔した。


「坂逆君聞いてる?」


 夢現にふと声が聞こえる。


 うっすら目を開ければこちらの様子を伺う同級生が目の前に。


「ファッ! ンペルシー⁉️ き、聞いてるよバッチリ」


 目をパチパチ、寝ていたのは明白だった。


「聞いてたら今私が言ったこと言えるよね。それから、ファンペルシーはどちら様」


 話ながらも教科書に付箋を貼る手は止まっていない。


「ファンペルシーはかの有名なロビン・ファンペルシーだよ。フライングダッチマン、名高い空飛ぶオランダ人の一人だね」

「ふーん、それで私の話聞いてた?」

「……。……。……。」

「通信が途絶えてるのかなー? ねえー、」


 ぐらんぐらん頭を揺さぶられようやく目が覚めた。


「はぁ、全くもう、別に私は坂逆君がテストで点取れなくても困らないからここで止めてもいいんだよ」


 半ば呆れたように知見は言った。


「その、正直こうして貴重な勉強時間を割いていただいてるのにこの体たらくは遺憾ともしがたいと思うところでありますが、睡魔の方がかなり厳しいのもまた事実ではあります」


 罪の意識からか、会見で外交問題について問われて言葉選びに苦労する報道官のような口調になってしまう。


「一応悪いとは思ってるのね。ねえ、坂逆君さ。どうしていつもそう眠そうなの?」

「寝る時間がバラバラだからかな」

「どうして?」

「フットボールに時間を費やしてるからね」

「それ、そんなに自慢気に言うことでもないよ」辛うじて保っていたどや顔も崩れ、ご主人様の手前頑張って起きているが今にも寝そうな大型犬のように緖熟の顔は蕩けきっていた。

「もう、そんなに眠そうにして、私との約束も忘れてないよね?」

「約束? 何かあったっけ?」

「……牛タン屋さんに一緒に行くって約束だよ」

「……。……。……。」

「忘れてたのね……」

「正直に言うとまるで事態を把握できてません……その、俺知見さんと牛タン食べに行く約束してたの?」

「君の方からね」

 ジト目で睨まれる。

「いつ約束してた?」

「一昨日の早朝。登校路で会ってその時に。それは……覚えてる?」

「…………」

「もしかして月曜日もあまり寝てなかった?」


 そう言えば、件の日、緖熟はどこか妙な感じがした。雰囲気と言うかがそれまでの緖熟とは違ったような。でも昨日今日は普段の、普通の緖熟だった。


「確かに徹夜してたかも」


 だから多分、緖熟は妙なテンションに任せて変に気を使っていたのだろう。


「ねえ、坂逆君。この際はっきり言うけどこの現状はかなり不味いと思うの。記憶が曖昧なまま約束事してそれを忘れるなんて、お酒で酔っていたから覚えていませんって言う呑んだくれと変わらないよ」

「……、面目ありません」


 手厳しい言葉に緖熟は項垂れる。


「今回は見逃してあげるから次からは気を付けなさいな。サッカーを見るのもいいけど生活に支障をきたさないようにする事、い~い?」


 とどこか茶化した雰囲気で流そうとしてくれる同級生になおのこと罪悪感は募るばかりだった。


「誠に誠に申し訳なく思う所存であります……でも牛タンは食べに行こうよ。お詫びも兼ねて奢るからさ」

「いいよ別に。もう気にしてないから大丈夫です」

「でも一度約束したんでしょ? えーと、そう、テスト勉強に付き合ってくれたお礼ってことで駄目、かな?」


 本当に変なところで義理堅い男の子だ、とまたまた呆れる。いや、事態を把握してないわりに対応がスムーズなところを鑑みるに、ただこう言う状況に慣れているだけなのだろう。酔って迷惑をかけるアル中が謝罪慣れしているのと同じように、だ。


 いくら断っても緖熟は引き下がらないに違いない。


 それに一つ思い付いたこともある。


「分かりました。いいわよ。中間テストが終わったら行きましょう。ですが条件が一つあります」

「条件?」

「中間テストの全教科で赤点を回避すること。それが条件です」

「実現可能な範囲内でお願い致します」

「あのね、坂逆君。赤点って平均点の半分なのよ? 一年生の、しかも一学期の中間テストからそんなんでどうするの。条件は変わりません」

「くっ、」


 追い詰められた女騎士のような情けない呻き声。


「ふふふ、私と牛タン屋さんに行きたいんでしょう? なら頑張る事ね」


 義理堅い事が緖熟のポリシーなのかは知らないけれどもしそうならそれを利用させて貰おうと思う。城ヶ崎君からも頼まれている訳だし。それにこれも委員長の仕事の範疇な気もする。


「全教科赤点回避、ね」


 期待してるんだからと言いたげなクラスメイトの女の子の笑顔に腹を決めた。


 目に色が混じる緖熟。


 しかし、やる気を出したのねと感心するのも束の間、言ったそばから流れるように緖熟は机に突っ伏していた。


「坂逆君?」

「( ゚д゚)ハッ! ビエル・エルナンデス⁉️ いや俺は寝てないよ……コーヒー買ってくる」


 言っていて虚しくなったのか大人しく眠いのを認めて図書室内の自動販売機へと向かう緖熟。


「言ったそばからもう……コーヒーでカフェイン取ったって空元気になるだけでその分後で辛くなるんだよ。私は自分の勉強してるから仮眠取ったらどう」

「……今寝たら一~二時間は寝ちゃうと思うけどそしたら図書室閉まっちゃうんじゃないのかな」

「その時は自習室ね。あそこならお話OKのスペースもあるから。もし混んでたらファミレスでもいいし」

「いいの?」

「うん、君の睡眠の方が大事だから」


 そう言って笑う同級生のこちらを慈しむような優しい表情に安堵感を覚える。


 緖熟はお言葉に甘えて、と仮眠を取ることにした。いつものようにぐでっとソファーに寄り掛かると、全身麻酔を受けたようにぐっすり眠りに入ってしまう。


   × × ×


 午後四時過ぎから一時間後、目を覚ました緖熟の視界にはやはり眠りに付く前最後に見た知見が、全く同じ姿勢で教科書に付箋を貼る作業をしている。


「おはよ、よく眠れた?」

「あ、うん、おかげさまで」


 時計を見れば午後五時を少し回ったところ。もうすぐで図書室が閉まる時間のはずだ。


「試験期間中は六時半まで開いてるんだって。さっき図書委員の人が教えてくれたよ」


 何とはなしにカウンターの方を見てみると、今月のおすすめ図書コーナーの整頓をしていた眼鏡の先輩が頷いている。


「一応図書室も自習スペースって扱いになってるんだ」


 と確認するように緖熟は言ってみる。


「うーん、私の記憶に間違いが無ければ図書室って別に自習室扱いじゃなかったと思うんだけどな」

「そうなの?」


 予想外の回答。


「ええ、と言うか自習したかったら自習室を使えばいいじゃない。話してもいい部屋もあるから別に複数人で教え合うのも可能な訳だし。だから図書室は特に扱いが変わらないし、試験期間中も閉館時間は同じはずなのよね」

「ふーん、ちょっとしたミス・テリーさんだな」

「確かにミス・テリーさんね……、ミス・テリーさんって誰よ」

「ミス・テリーさんは東西南北を毎回勘で答えていると言う古本好きのお姉さんだよ」

「そのお姉さんはミステリー小説が好きなの?」

「いや、お姉さんはミステリー小説が嫌いだよ。自分の思った人物以外が犯人だったりするのが許せないんだって」

「まるでミステリー小説に向いてないわね。何と言うかお姉さん自体がちょっとしたミステリーね」

「そうでしょ? だからお姉さんに敬意を込めてミステリアスな事象を形容するときはミス・テリーさんと読んでいるのです」

「なるほど。……ミス・テリーさんはアニメのキャラクター?」

「いや、実在の人物だよ。乗ってた船がグアム沖で沈没して一緒に無人島で遭難したんだよ」

「…………」


 きっと寝惚けてるんだろう。そういうことにした。


 緖熟は緖熟でほんわかこたつ顔のまま手提げ鞄に手を伸ばして気が付いた。


「ありゃ、教科書が無い……」


 ガバッと開いてみたものの、持ち込んでいたはずの教科書は空だった。


「はい、これ坂逆くんの教科書。テストに出そうなところに付箋を貼っておいたから」


 机越しに手渡された各教科書には赤青色とりどりの付箋がびっしり貼り付けられている。


「…………」


 こう、ただのクラスメイトにここまでするものなのかは、考えないでおこう。それとどうして知見が自分の教科書を持ってるのかも。


 緖熟はありがとうと言って受け取る。適当に数Ⅰの教科書を開いてみるとメモが書かれた付箋が丁寧に貼ってあった。


「化学、物理……現文に古文漢文、とってあれ、」


 下の方にあったコミュニケーション英語の教科書には特にノータッチだった。


「坂逆くんに英語のお勉強は不必要でしょ。どちらかと言えばむしろ私が教えてほしいぐらいだもの」


 と言う知見は至って真面目だ。本当にそう思っているらしい。


「知見さん英語苦手だったっけ」

「お勉強、って意味なら苦手じゃない、かな。でも実際に英語で話してって言われたらやっぱり苦手になる」


 リスニングとライティングとスピーキングはそれぞれ全く別の言語と言っていい程に異なる、とかなんとか中学の英語教師が言ってたような言ってなかったような。


「そっか」


 とだけ呟いてみたり。話の流れからするとどうやら英語を話すのが得意だなんて勘違いをされているみたいだけど、訂正するのも、肯定したままにするのも違う気がする。


 閑話休題。


「さてと、もう一踏ん張り頑張ろうか」 


 と、ちょっとやる気を見せてみたり。


 キミはさっきまで寝てたでしょーが、との小気味良い突っ込みが飛んできた。


   × × ×


「ここまでで大丈夫。送ってくれてありがとうね」


 暦の上ではまだ春らしいこの頃だけれど、陽が出ている時間と暑さは初夏だよなとの感想を抱きつつ、とは言え時間もそれなりに遅いので家も近いし近くまで送ると言ったのだった。最近見たアニメの話や、勘定科目の話なんかをしているうちに気が付けばさすがに陽も暮れていた。


「また明日」

「うん、またね」


 手を振ると小さく返してくれた委員長。ここまでお膳立てされたとあればと珍しく意気込む少年なのだった。

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本場のサッカーで高校無双? ~え、普通にマルセイユルーレットしただけですけど? ぽんぽん @funnythepooh

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