第4話 ポジションセンス◎

 二日後の土曜日私立収斂しゅうれん高校運動場。ベンチに背筋を伸ばして綺麗に鎮座する瑠璃るり叶火きょうかは呆れたように言った。


「それであいつは?」

「模試があるそうで来てないですです」


 ハンドサイズのホワイトボードから目を上げてマネージャーが言う。


「あの野郎、自分から啖呵切っといて敵前逃亡とは、いい度胸だよ全く」

「まあ今日の練習試合は部長出れませんから。それに助っ人の一年も見付かったんで……」


 と代理キャプテンの頼安たよりやすが擁護してみたり。


庵治おうじだったよな、助っ人の一年」

「ええ、坂逆さかさか君がスカウトしてきたんですよ。まあでも坂逆君もサッカー部に入って日が浅いし世話役は栂池つがい君に頼んでおきました」


 と髪を靡かせ別華わかればなゆめ


「監督ちっわーす」


 なんて見た目に違わぬ軽い挨拶をした栂池。緖熟おうれと同じクラスなので当然、栂池にとっても瑠璃は副担任になる。


「……ふん」 


 栂池は苦笑いを浮かべる。ご機嫌斜めらしい。


「んじゃ俺と監督で向こうの監督さんに挨拶してくるからアップの方始めといてくれ」


 頼安は別華に告げると反対側のベンチへと駆けていく。


「それじゃあアップ始めようか」


 何とも緩い雰囲気で始まったウォーミングアップに瑠璃はますます機嫌を悪化させるのだった。

 

   ✕ ✕ ✕


「坂逆っちあそこにおじさんいるの分かる?」


 二人組のストレッチ中、背中を押す先輩が前を指差す。その方向に目を向けると運動場回りを囲う階段の途中に座る中年男性と若い女性の二人組を見付けた。


「確か……にいます……ね」


 身体が柔らかい先輩基準のせいかぐいぐい押されるのがかなりきつい。


「あのおじさん北東タイムズのスポーツ部担当の記者さん何だよ」


 記者と言う単語に内心ドキッとするが、


「去年の福島県選手権大会ベスト4と県大会三連覇中の宮城きっての強豪との練習試合だから観に来たんだろうね」

「なる……ほど。……去年準決勝まで残ってたんですか?」


 こっちに戻ってきて日が浅い緖熟も、日本の高校サッカーの仕組みぐらいは知っている。県大会準決勝と言えば国立まで後一歩だったと言うわけだ。


「そ、うちの部結構強いんだよ? だから記者さんもあっちの人たちがメインって訳でもないと思うよ。もしかしたら他にも地元クラブのスカウトさんも来てるかも。あ、緊張しちゃった?」

「いえ……それは……大丈夫……です」


 むしろ背骨が折れないか心配な緖熟だった。地方8部リーグでも観客が集まるフットボールの母国イングランドに比べれば観客の数にも入らない。だからこそ余裕がある。


「ならよかった。じゃ、次は僕の番だね」


 華奢な体つきの先輩は押すまでもなくにゅいーと倒れていく。一応押した方がとも迷うがその小さい背中は何だか触れにくかった。

(優狩ゆうかり先輩ポジションボランチだのに……競り合いは俺が頑張ろう……)


 とまあそんな具合にウォーミングアップも終えてベンチに戻る。頼安と監督が浮かない顔をして帰ってきたところを見るに、先方と何かあったらしい。


「8人制でやりませんかってさ。舐められてるね全く。いいかお前ら、奴らに目にもの見せてやれ!」


 監督は奥歯をギリギリ噛み締める。


「ですが監督、客観的に見たら人数ぴったりしか選手のいないうちの方が舐めているかも分かりませんよ」


 頭のモジャモジャ具合を確かめながら、副キャプテンの頼安が言った。


「頼安、お前にも責任があるんだからな。まあ、でも実際うちとしても正直有難い申し出だ。うし、先発は──」


   ✕ ✕ ✕


 北東タイムズの新人記者侘音わびね児胡にこは疑問を抱いていた。


「先輩、他の記者は皆高校野球を取材に行くのにどうしてサッカーの、しかも練習試合の取材なんかするんですか?」

「お、嬢ちゃん良いところに気が付いたね。それは俺がサッカーが好きだからだな」

「公私混同じゃないですか! 先輩、見損ないましたよ」 

「おいおい見損なうの何回目だよ。冗談だ冗談。畑違いなんだ。野球の方にはしっかり敏腕が行ってるよ。それにこの試合だってただの練習試合じゃない。昨年度福島県大会ベスト4と宮城の強豪の対決だ」

「それも伺いましたが編集長は北高校はまぐれだって言ってましたよ」

「ま、あの頑固オヤジは見る目無いからな。とは言っても騎院君に破風名君去年の主力がいるけど層の薄さで今年はキツいだろーぜ。去年はそりゃ盛り上がったがあの一件もあるしな……」

「あの一件って?」

「っとこりゃ禁即事項だった」

「極秘事項です先輩。話を逸らさないで下さい」

「いやわりいが嬢ちゃん、こればっかりは言えないんだ。夜に一杯付き合ってくれてもな」

「セクハラです」

「おいおい、おりゃやましい気持ちなんて天に誓って皆無だぜ」

「本当に?」

「度量の大きいお天道様だと良いな……んで俺がこの試合観に来たのは収斂の二年目当て何だが……」

「試合出てますか?」

「出てねえどころかベンチにもいねえし、8人制でグラウンドはちいせえし北高校のベンチは知らねえ顔の一年がいるし何だかなあ」


 収斂のミッドフィルダーがボランチにいる頼安の背後のスペースに目敏くパスを送る。が、読み切っていた優狩が相手フォワードに触られる前にカットする。


「今のは惜しかったが目の付け所はなかなかいいな。さすがは収斂、主力じゃないってのに選手層が厚いな」


 時同じくして北高校ベンチ。


「優狩先輩はプレーの展開を読む力が素晴らしいんです。だから一見すると簡単にボールを奪えるんです」


 ベンチで絶賛ふてくされ中の緖熟と、ぼけーと戦局を眺めている横臥おうがに隣に座るマネージャーは解説してみたり。一年男子二人が聞いているのかは分からない。


「まさにマイケル・キャリックのようにですです」


 マネージャーの好みのプレイヤーのタイプがなんだか分かってきたような気がする。


「ふん」


 助っ人の一年生は興味無さげに鼻を鳴らす。


 一方再び記者サイド。


「北高の右サイドの7番さっきから良いボール蹴ってるな」

「クロスボールでしたっけ?」

「そうだ。中のフォワードにピンポイントに蹴ってる。ま、収斂のDFがしっかり跳ね返してるけどな。つってもあれとんでもない精度だぜ」

「そうなんですか? 私には普通のパスにしか見えませんけど」

「いや、それが凄いんだ。お嬢ちゃん普段サッカー見ないだろ」

「ええ、日本代表戦ぐらいですね」

「だからお嬢ちゃんにとっての普通は日本代表レベルって訳だ。けれど今見てるのは学生のサッカー、どんなに練習してもまだミスは多く出るし相手ディフェンスに寄せられてりゃクロスだってズレる。プロの試合ですらいいクロスってのはなかなか上げにくいんだから当然だ。でもどうだ。あの7番さっきからずっといいボール蹴ってるだろ?」

「確かに」


 また一つ、ゴールラインギリギリから中に素晴らしい精度のボールを蹴り込む。


「ま、DFの寄せも早くなってるしクロス一辺倒じゃ対策されるわな」


 が、数を打ちゃ当たると言う訳ではないけれど、別華夢のピンポイントクロスにアンドレイ俊が合わせて北高校が先制。


 その数分後、意外なことに、と言うと北高校イレブン、ではなくフィールドでプレーする北高校の選手八人に失礼かもしれないが、立て続けに二点目も奪う。


「ふん、余裕こいて 二軍なんか出すからだよ」


 監督はしたり顔で言った。二十分ハーフの前半は、狭いグラウンドと言うのもあって結局三点目も決めた北高校が収斂を終始圧倒してホイッスル。ベンチに続々と選手が戻ってくる。


「監督、これで八戸はちのへを引きずり出せるんじゃないですかね」


 モジャモジャ頭をタオルで拭って代理キャプテンの頼安が監督に言ってみると、


「そうだな。お前と入れ替わりだ」


 瑠璃は親指でぐいっとベンチを示す。


「えっ、監督そりゃないですよ! これからだってのに!」


 不満顔で頼安は抗議するが、頑固な監督が考えを決して変えないことはよく知っていた。


「仕方ないだろ? 坂逆は中盤の底に使いたいし、優狩は今日調子いいから代えたくないんだ。お前もつべこべ言わずにチームプレーに徹しなさい」

「いや、別にそれはチームプレーとは違うんじゃ……」


 なんて監督とキャプテンが言い合っていると、相手ベンチからすたすたとジャージを着た女子高生が歩いてくる。


「どうしたんですですか?」


 せっせと選手達に飲み物とタオルを配っていたマネージャーが気付いて対応する。


「前半は狭いグラウンドでの試合となってしまい失礼しました。ピッチの準備が出来ましたので」


「どういうことだそれ。狭いグラウンドの八人制は止めてフルピッチで戦う気になったってことか?」


 話を聞いていた頼安が割り込むと、相手のマネージャーは頷いた。


   × × ×


「ったく今日はかるーく練習すりだけだったてのによー、お前ら公立の弱小相手に何やってんだよ」


 サッカー部の部員が三桁を超える収斂の二年生レギュラーともなれば横柄な態度も許されると言うものだ。


「まあそう言うな八戸、僕たちが彼らに実力の違いを見せればいいだけだ」


 とまあ北高校が県大会準決勝に行けたのは組み合わせの運とまぐれであると言うのが大方の見通しだったし、当時のチームの主力だった三年生が卒業して弱体化したと思われるのも無理はない。実際部員集めに四苦八苦するぐらいなのだから。


 練習を切り上げた春の新人戦の主力メンバーたちがピッチに入る。点差は三点。新人戦の優勝目前にいる彼らにとっては、あってないようなものだ。


 一方北高校ベンチ。監督に一人待機を命じられている坂逆緖熟少年は引き続き不貞腐れていた。


「人数一人足りないんだから出してくれてもいいじゃないですか」

「何言ってるんだ。ぴったりしか居ないんだからお前にも出てもらうに決まってるだろう。待機を命じたのはないしょ話があるからだよ」

「ないしょ話ですか?」

「ああ。私との約束、忘れてないだろな」


 怪我のリスクを最小限にすること。それから病院に行くこと。


「病院はそのうち紹介するから。今日は一つ目の方だよ。もし少しでも異変があったら一人少なくなろうとも直ぐに退場させる。分かったな?」

「……了解です」

「うし、ポジションはアンカーだ。ま、不慣れだろうけど優狩がカバーしてくれるから気楽にやれよ!」


 久しぶりの試合に胸が高鳴るのを緖熟は感じていた。


 後半の北高校のフォーメーションは4-1-3-2。同じ一年生の栂池は左サイドバック。それから助っ人の横臥はツートップの一角だ。


 それぞれポジションについて後半開始のホイッスル。


「グラウンド整備に手間取ってただけか? まあ昨日は大雨だったしな」 

「あれ、先輩。北高校のベンチに人が居ませんよ」

「そりゃまあさっきもベンチ入れて十一人しかいなかったしな。公立高校じゃ一二年生だけで十一人集めるのも結構大変なんだよ」

「そうなんですか?」

「そうなんだ。と、ほら、目当ての八戸君が試合に出てるぜ」

「あの8番ですか?」

「正解だ。収斂伝統のエース番号だ。二年生で背負ってるだけにチームでも相当期待されてるんだろうな」


 収斂の8番がボールを持って前線へと上がっていくが、横から背番号20のタックルに遭い、ファウルを受ける。


「市之瀬、やっぱりあいつタックル下手くそだよな……」


 監督の確信を持った諦めこみこみの一言に、マネージャーは満足そうに頷いた。


「ですですね」


 ファウルを受けた位置はそこまで相手ゴールに近いわけでは無かったが、流れるように反撃の狼煙とも言うべき収斂の一点目が決まる。


「坂逆、お前は変わらないな……」


 ボールを緖熟から受け取ると、横臥が言った。


「?」

「あ、いや、何でもない。期待してるよ、お前のプレーに」


 釈然としない同級生の意味深長な言葉に首を傾げるけれども、「期待してるよ」と言われれば調子に乗ってくるのが意外や坂逆少年なのだ。


 さてと、後半の早いうちに一点を取り返した収斂の攻撃陣は「大したことないな」と聞こえる大きさの声で言う。しかし、前半からでずっぱりで疲労しきった北高校イレブンは誰も聞いちゃいなかった。


 ホイッスルが鳴って試合再開。アンドレイ俊がちょびっと前に押し出したボールを、横臥は足の裏で止める。それから緖熟へボールを渡して。組み立て開始──


「あっ、」


 と基本冷静さを失わない瑠璃が呆けた顔で気の抜けた声を出したのを、マネージャーは初めて見た。


 とは言え、監督が驚くのも無理はないと思う。試合中初めてボールに触った緖熟はダブルタッチで一人交わすと、高い位置を取っていた栂池にスルーパス。一見すると単純なプレーに思えてしまって、SNSなんかでバズるような派手な技はなく、ただボールをインサイドでコントロール、それからパスを出す、それだけのプレーなのだがだからこそ裏打ちされた技術の高さに驚嘆してしまうのだ。


 ボールを止めて、蹴る。これだけの動作に濃縮された上手さが宿る。

 

 緖熟からのパスを受けた栂池はさすがにプロクラブのアンダーカテゴリーに所属していただけあって、足元が上手かった。緖熟の記憶に間違えがなければ栂池がやっていたポジションはサイドバックじゃ無かったはずだが、たぶん本質的に頭の良い選手なのだろう。ラインの上げ下げ、マークの受け渡し、守備対応、ポジションの移動……などなど、複雑化した現代フットボールにおいて守備に求められることは多いのだ。それを栂池は難なくこなしていた。


「栂池君も坂逆君と同じでユースにいたんですですよね」

「そう聞いてるけど、まああれだ、やっぱり基礎原則を叩き込まれてる分教えることが少なくて助かるよ。市之瀬、収斂の後半のメンバーはどうだ?」

「はいはいです。えーと、二年生エースの八戸君がトップ下にいますですね」

「それって緖熟が削ったやつか?」

「ですですね。ちょっとピリついてますです」

「ふーん、お、今ボール持ってるじゃん」


 相手の8番が前線にパスを出すが、読んでいた優狩がカットする。


 宙ぶらりんのボールを直ぐ様緖熟が回収して、ちょこんと前に蹴り出してから、相手選手二枚の間を射抜いたパスを送った。球体の淵を辿るように弧を描き始めるボールは相手ディフェンダーと競り合うアンドレイ俊の足元へと届くが──アンドレイはボールを跨いで意図的にスルーした。


 それをトラップミスと判断したディフェンダーはゆっくりとボールを見逃して、それから焦ったように走り出す。


 緖熟の蹴ったボールはアンドレイへのパスではなく、その奥を走っていた横臥へのスルーパスだったのだ。


 横臥の元にボールが届く前に間一髪戻った収斂ディフェンダーがボールをピッチ外にクリアして給水タイム。選手たちはそれぞれピッチ際に集まって水分補給。


「坂逆、最後のパス惜しかったの!」


 と声を掛けてきたのはセンターバックの新美にいみ。ドレッドヘアーを揺らすと、タオルで汗を拭う。


「新美くん、ちょっと良いですか?」

「なんだ玖目くめ

「いえ、楔のパスをもっと出して欲しいと思いまして」

「んー、でもさすがに向こうのプレスもキツいんだよね、玖目ももうちょいボール受けに来てくれると助かったりするの」

「分かりました」


 とまあ選手たち同士での修正もピッチ内では逐一行われる。


「あ、頼安。ちょっと」 


 とは監督の呼ぶ声。モジャモジャ頭はマネージャーから受け取ったタオルで額の汗を拭うと監督に応じる。


「どうしました」

「ん、ほら、折角庵治に助っ人に来てもらったんだ。庵治にボールを回してやったらと思って」

「了解です」


 と、午前中の夏まっ最中にしてはそれほど気温の高くない時間帯にあって、しかし、県を跨いだ電車移動と強度の高い相手との試合の蓄積された疲労もあり北高校ベンチにはまったりした雰囲気が流れていた。


 一方収斂ベンチ。


 たまたま去年上振れただけと評判のぴったり十一人しか集められないような公立高校に、主力メンバーが負けている状況は当然許されない失態だ。


 収斂の監督は出場中の部員達に檄を飛ばしてピッチに送り返す。


味千下みちか、相手の20番の情報を教えてくれ」


 白髪混じりの髪はあちらこちらにモジャモジャ伸びていて、年がら年中変わらずジャージを着込む鬼見おにみは、うっすらと肌を冷たいものが駆け巡ったのを感じ取っていた。


「坂逆緖熟君、先日入部した一年生です」

 頷いて答えるがマネージャーは監督が上の空なのを見抜いていた。鬼見は手のひらに汗をかいているのを感じて、驚いたように開いた手のひらを凝視する。


「監督、心当たりがおありですか?」

「ああ、今思い出してるところだ」


 どこかで見たことがある──そう確信していた。


   × × ×


 戦況を見ていた新人女記者は当然の疑問を訳知り顔の先輩にぶつけてみる。


「北高校の方が収斂を押しているように見えるんですけど」

「うーん、どうやらこりゃ番狂わせが起きたって訳でも無さそうだしなあ。嬢ちゃんはこの状況をどう見る?」


 ベテラン記者は火を付けずに咥えていた煙草をポケットに仕舞った。


「どう見るって言われても……、」

「聞き方が悪かったな。そうだな、これは番狂わせだと思うか?」 

「収斂って強豪何ですよね? ……じゃあ収斂の選手たちが手を抜いていたとか」

「ばか言え、そんなことしたら監督にどやされるだろ」

「じゃあ番狂わせ、何ですか?」

「そうじゃねえって言ったろ嬢ちゃん。うーん、新人教育も兼ねてここは一つクイズを出してやろう。たぶんこれが収斂と北高の一番の違いなんだが、ちょっと両高のパスに注目して観てみてくれ。何が違うと思う?」


 後輩記者は言われた通り、素直に選手たちのパスを観察する。収斂のセンターバックがサイドバックに、それを受けたサイドバックはプレスを嫌うようにセンターバックにボールを返して、センターバックは大きく前に蹴り出す。それを今度は北高校のセンターバックが跳ね返し、アンカーがセンターバックに落とすと、受けた選手は一つ前のミッドフィルダーに鋭い縦パスを入れた。


「ええっと、収斂は前に高いボールを蹴ってて、北高校は低いボールを蹴ってる、とか?」

「あちゃー、そっちに行っちゃったか」

「あちゃーって何ですか! だいたい今日初めて試合を観る素人になんて答えて欲しいんですか?」

「こりゃ失敬。まあもったいぶるもんでもないし答えちゃうと質の差だよ。今嬢ちゃんが言った二つのパス、どっちの方がチャンスに繋がると思う?」

「えっと……前にボール蹴った方が攻められそう、な気がするので収斂だと思います」

「嬢ちゃん、二択を外したな」


 どこかやさぐれた風体の記者はやれやれとため息を吐く。ここだけの話、スポーツ部門の部長から新人育成を頼まれていたのだが、先は長そうだ。


「じゃあ正解は北高校なんですか?」

「そうだ。単純にさっきのパスを比べてもチャンスになる確率が高いのは北高校何だが」


 記者がとうとうと後輩に語ってるうちに、細かいパスを繋いでゴール前までボールを運んだ北高校は容易く追加点を奪った。


「こんな具合にさ」

「何がこんな具合何ですか。説明不足です」

「そう急かすなって。さっき嬢ちゃんが言ってたパスさ、どっちの方が難しいと思う?」

「素人目には遠くにボールを蹴ってた収斂のパスが難しいと思いますけど、どうせ北高校の方が難しいんですよね」

「はは、ちょっと分かってきたな。ま、その通りだよ。でもまあ、技術的には同じレベル何だぜ収斂と北高校は。それはそれで北高校を褒めるべきなんだが。結局んとこ、腹括るしか無いってことだよ」

「腹括るしか無いんですか?」

「無いんだよ。怖いんだぜ、ミスしたらって思うと。俺も昔は甲子園を目指す高校球児だったからよく分かるよ」


 高校球児だったのに何で高校サッカーを担当しているんだと言う疑問はそっと胸にしまって、後輩の女記者は試合を観ることにした。

 

   × × ×


 坂逆緖熟の左膝は結局まるで治っていなかったし、今は痛みを感じないけれどそれは久しぶりの、およそ二年ぶりの実戦にアドレナリンが出まくっているからだと言うのはプレーしている本人が一番理解していた。


 トラップの位置が少しずれる。前なら交わしていた相手にビビって安易なパスを選択している。サイドチェンジをするときに大きく蹴り出す歩幅が合わない。なんて試合勘の無さをそれでもようやっと取り戻せてきたと思う。


「坂逆っち!」


 先輩の呼び声に応じるようにパスを出す。正確に、利き脚に。


 優狩先輩とのプレーは楽しかった。久しぶりのプレーであたふたする自分のカバーをしてくれるし、何より自分のプレーの意図をきちんと計ってくれている。


 優狩先輩は横臥にボールを渡した。監督が明確に口にした訳じゃないと思うけど、自然とみんな横臥にボールを集めていた。さっきはスルーパスに反応して飛び出したキーパーを交わした頼安が横にパスして、がら空きのゴールにボールを押し込んで横臥の初ゴール。


 横臥もどこかホッとしていたように見える。


 さて、ボールを持った横臥だけれど、相手の足が止まっている内にアイコンタクトを緖熟に向ける。それからちょこんとボールを横に流した。


 試合も終盤。収斂のイレブンは目に見えて戦意を失っていた。と言うか、どこか怯えていたようにすら見える。


 普通ならシュートブロックを試みて身体を投げ出すだろう。が、気付いたときには既にワンテンポ遅れている。


「あ、」


 漏れでたマネージャーの感嘆は、坂逆少年が決めたゴールに対するものか、あるいはその空を切り裂く一閃への称賛か。


 収斂と北高校の練習試合は、北高校の勝利で終わった。


 試合が終わると直ぐに緖熟は横臥の元へ駆け寄って、


「パス、ありがとね」


 と一言。


「いや、あれは決めたお前が凄いだけだ」


  横臥は首を横に振って否定する。


「でも、アシストは君だよ」


 謙遜しているだけなのか、元来謙虚な性格なのか判断できるだけの材料は無いけれど、とは言えここまで徹底しているといっそ清々しいものがある。


「きよきよしい?」

「すがすがしいだ。どうしてそんなファンタジスタな聞き間違いを出来るんだ」

「いや、その日本語の聞き取りがあんまりだから……」

「イングランドに居たから、か?」


 へ、ともあ、とも、普段なら出していただろう情けない呻き声も出せずに、ただ鳩が豆鉄砲を喰らったような顔しか出来ず、結局のところ図星であることを相手に教えただけだった。


「やっぱりな」

「ええっと、知見ちみさんから聞いたの?」


 知見に言った覚えはないけれど、あの何でも見透かしたように見てくる委員長ならあり得る話だ。


「いや、あいつは授業で喋るお前の英語がイギリス英語ぽいって言ってただけだ」


 恐るべし。


「……」

「ただそれを聞いただけで判断したんじゃない。前に俺はお前と会ってるんだよ」


 どこか自嘲っぽく横臥は言った。でもお前は覚えちゃいないだろうと言いたげに。


「……もしかして三年前に対戦したことある? オリオールズ福島……だったと思うんだけど」


 今度は横臥の番だった。サプライズで鳴ったクラッカーに驚くように、横臥は口を開ける。


「お前、覚えてたのか?」

「覚えてた、と言うよりか思い出した、だから本当は横臥君に言われる前に気付くべきだったんだけどね」

「……あのときは俺たち120分で35点差付けられた。よくそんな試合まで覚えてたな」


 会話に割って入った人物が居たので結局ただ横臥は感嘆するだけだった。


 挫折を経験したあの夏。絶望のどん底でもがくことも出来ずに苦しんでいた自分を救い上げてくれた助言。それからしばらくは自分のプレーを見返す日々が続いていた。だからまあ対戦相手のことも何度も見ているうちに覚えていても不思議はない。あるいはもしくは将棋の棋士たちが日時や局面を聴けば棋譜を今朝の朝食のように思い出すのと同じなのだろう。


「横臥君。今日は急なお願いを聞いてもらって助かったよ。それでちょっとした提案なんだが──」


 続く言葉は容易に予想がついた。何も自意識過剰じゃあない。


「──もしよかったら入部してもらって、今後もうちの部でサッカーをやらないか?」


 知見曰く、部員集めに使えそうな選手を学校行事で探さなくちゃいけないほど不足な部活なのだ。けれども、その提案は聞き入れられない。


「嬉しい話ですけど、すみません」


 頭を下げる。


「いや、こっちこそ急に悪かった。まあ見ての通りと言うか何と言うかうちの部は部員が足りなくて練習試合もままならないぐらいなんだ。だから今日は本当に助かったよ。ありがとうな」


 終始にこやかに話す頼安につられてか、横臥も固い表情がどこか和らいでいるように緖熟には見えた。


 でも、本当は違う。それだけじゃない。


 (全く、あんまりな話だよな)


 横臥は中学を卒業と同時に地元のサッカーチームも引退した。全国大会にも名前の出る強豪だったし、横臥自身も上手い方だと言う自負があった。それでもあの日、自分と同年代のチームにこてんぱてんにやられた日。全て打ち砕かれた。相手チームに日本人が居たのはよく覚えている。選手の名前も。

それが転機だったのかは今でもはっきりとはしない。ただ、それまで頑張れていた何かが、決定的に磨り減った気がした。


 向こうはただの練習試合の一つなんだろう。そう思うと気にする自分がバカらしく思えてきた。


 幼なじみの優等生は認めないだろうけどあいつが好いてる理由が分かったように思う。


「はあ、そう言えば知見から言伝てを預かってたんだったな。今夜、クラスマッチ優勝の景品で牛タン食べ放題があるんだそうだ。忘れずに来いってよ」


 予定の存在すら知らなかった少年はフリーズした。


「坂逆、お前ちょっと面貸せ」


 と固まる緖熟に言ったのは北高校サッカー部監督だった。反応の鈍い緖熟の腕を掴んで相手ベンチまで引っ張る。


「坂逆君、だな。監督の鬼見だ」


 差し出された手を握る。力強い握手だった。


「坂逆君、昔マンチェスターユナイテッドのアカデミーに居なかったか?」


 その言葉に一番驚いた様子を見せたのは当の本人である緖熟だった。ちらっと監督の顔を盗み見る。が、逆光でいまいち表情は伺えない。


「はい、もう辞めましたが」

「やっぱりそうだったか……いや君の名前を聞いたことがあったんでな。こっちでサッカーやってるのを知ってたらスカウトしに行ったんだが」

「ですがもううちの選手ですからね」

「おいおい瑠璃君、今さら引き抜いたりなんかしないよ。今日は実りのある試合が出来て良かった。また宜しく頼むよ」

「こちらこそまたお願いします」


 鬼見監督は瑠璃と握手を交わして、それから再度緖熟に声を掛けると自分のベンチに戻っていった。


「さて坂逆。今日は何の日か知ってる?」


 ニヤニヤ笑う副担任。


「クラスの皆で牛タン食べ放題、ですよね」

 

 との答えに監督は不服な、あるいは拍子抜けした顔をする。


「ん、いや、お前知ってたのか? ホームルームを毎回シエスタしてるお前のことだからてっきり知らないもんだと思ってたのに」

「いやだなあ先生、俺を何だと思ってるんですか」

「……委員長経由で栂池か、……ああ庵治だな」


 と結局見透かされていた。


「まあ知ってるならいいや。お前も城ヶ崎も今日はちゃんと行くんだぞ」


 なぜか悪友と一括りにされてちょっとムスッとする。俺はともかくとしてあのサボり魔と一緒にされることはないと思うのだが、


「いや、あいつの方はクラスに溶け込んでる分、ほとんど寝て過ごしてるお前のが結構酷いぞ。それでもまあ最近は授業中も居眠りすることが減ってきたしあんまり委員長を心配させるなよ」


 なんでそこで委員長が出てくるんだ、とはさしもの緖熟も聞けなかった。気が引けたのもあるし、知見が自分を気に掛けてると言う心当たりもあったから。何も自意識過剰ではない。いわゆる優等生のお節介と言うやつだ。割かし真面目な校風であって、羽目を外している生徒はサッカー部の極々一部くらいの北高校で一年の初っぱなから遅刻居眠り宿題忘れを繰り返している問題児を優等生が気にかけるのはおかしな話でもない。


「りょーかいです」


 と、あくまで気乗りしない風を装ったけど、委員長のために少しは真面目になるのも悪くないと思った。


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