第3話 イギリス人はフットボールと言う
別段蝉の声が聞こえた訳でもないし、家から徒歩五分の距離にある中華屋が冷やし中華始めましたの貼り紙を出していた訳でもないし、強いて言えば夏服への移行期間が始まったぐらいのものなのだが、
日本に帰ってきてから二回目の夏。緯度で言うと東北地方よりも更に高い位置に元々居たわけだけど、かといって日本の夏が不快かと言われればそうでもなかった。
緖熟の番だと後ろに並ぶ先輩に小突かれて慌ててボールを前に蹴り出す。高身長の先輩から受けたリターンパスを、キーパーが構えるゴール左隅にダイレクトで無回転のシュートを蹴り込んだ。
「坂逆くん、ちょっと良いかな?」
ベンチに下がって水分補給をしていると、先ほど小突いてきた先輩が話し掛けてきた。
「あ、はい」
内側にカールしている金髪の長髪、筋の通った鼻、綺麗な色をした碧眼。個性的な面々が集まるサッカー部でも異彩を放つチームメイトの名前はアンドレイ
「さっきの無回転シュート何だけど、もう一度見せてくれるかい?」
「了解っす」
と、二つ返事で頷く。
入部して、二日が経ち、ようやく慣れた頃ではあるけれど、当初はこうして先輩達からアドバイスを求められるのは些か違和感があった、が、また同時に先輩たちが日の浅い緖熟の面倒を見てくれているのも事実である。
本来なら、スカウトしてきた張本人の部長騎院並びに世話係に任命された副部長
「無回転の蹴り方は色々あるんですけど、俺の場合はインサイドの踵よりで蹴るようにしています。コツとしてはボールの面に平行に足を当てること。こんなふうに」
そう言って緖熟は助走を付けてボールを蹴る。球体は一切回転を見せることなく、横にブレながらゴール手前で急激に落ちていき、そのままネットを突き刺していた。
「
感嘆の声と拍手。
たった今見たイメージを忘れないためにかすぐさまアンドレイはボールをセットし、助走を付けて、左足を振り切った。ボールは多少回転しているものの、微妙なシュート軌道を描き、ゴール左隅に吸い込まれていった。
「まっ、こんな感じかな。いやはや、身近にこんなにも優れたお手本がいるとトレイニングにも身が入ると言うものサ」
その後もああだこうだ言いながらお互いキーパーを付けて交互に蹴り合う。
「それにしても、部チョーは何をやってルンだろうねえ」
「さあ、先輩も知らないんですか?」
「そうダヨ、だから君に聞いてみたのサ。部チョーの折り紙付きで入部した君にネ」
「俺も何にも聞いてませんね。でも、珍しいんですか? 部長が練習に来ないのって」
「そーだよ。それにボク的にはヤスが居ないのも気になるんだけれど……」
「俺ならここだ」
うわっとかそう言う反応を示すべき場面なのは二人も熟知してはいるけれど、暑さも相まってあまりにもまったりとしていたせいで、スーパーで井戸端会議中に偶然いた奥さまに話し掛けられた程度のリアクションしか取ることが出来なかった。
頼安は少し不満気。
「坂逆くん! 噂をすれば影が差すとはまさにこの事だねネ」
アンドレイは楽しげだ。
「? まあいいや。それより朗報だ。練習試合が決まった」
「相手はどこだい?」
「
「収斂ってヤス、宮城の強豪じゃないカ!」
ややオーバーと言えるリアクションをする先輩はともかくとして、モジャモジャ頭の方の先輩もどこか自慢気な顔なのも気になる。そんなにその収斂高校は強豪なのだろうか。
なんて考えがそのまま顔に出ていたようで、モジャモジャは苦笑した。
「そっか、お前が知らないのも無理ないな。去年はインターハイと国立の両方に出た強豪だよ」
「はえー、よくそんなところと練習試合が組めましたね」
「まあうちも去年の県予選は準々決勝まで進んだからな。後は監督のコネじゃないか」
モジャモジャ頭は冗談の文脈でもなく、本当にそう思って言っているようだが、監督、と言うか副担任は界隈では知られている存在なのだろうか。
「さあ、どうだろうな。妹はヨーロッパの地方クラブでアシスタントコーチをやってるって言ってたけど関係ないな。ただまあコネクションがあるのは事実みたいだよ」
「アンガイ収斂のOGなだけかもネ」
「そしたら笑えるな。んま、とりあえず他の連中にも言わなくちゃだし、それにちっとばかり問題もあるからお前らも一回部室に来い」
頼安は小走りにプレハブ小屋へ向かっていった。
「バトル漫画のお約束、というヤツだネ」
「……?」
「分からないカイ? 新たに加わる即戦力、そしてその御披露目のプレイス、ってすんぽーだヨ」
アンドレイはよっと言って最後の一球をゴールに蹴り飛ばした。
部室には既に先輩方が揃っており、こっそり侵入。ホワイトボードを囲むように並べられたパイプ椅子のうちの空いている後方を選択して座る。
「と言うわけで収斂と練習試合をすることになりました。場所は収斂のグラウンドで、試合は次の土曜日です」
「収斂が相手ねえ。副部長、監督はなんかコネクションでもあったのか」
緖熟は右斜め前に陣取る声の主をちらっと見た。知らない顔だった。恐らく初日から今日まで部活には出てなかったはずだ。
と、ちらっとのつもりだったのだが目があってしまった。
「おい副部長、この子が例の新入部員?」
「そうです。一年の坂逆緖熟、なかなか上手いですよ」
「俺は
無個性とはあまりよろしい表現ではないが、少なくともこのサッカー部においては一般的な形容詞の範疇に収まるだろう。スポーツをやっている学生──が素直な感想だ。
「よろしくお願いします」
と、ペコリ。
先輩は話を続けろと前を向いて頼安に顎で促す。
「アンドレイの見立てじゃ収斂のOG説もありますが今度俺の方から聞いてみます。んでですね、さっき言った問題ってのがですね、収斂の奴ら一二年生しか出さねえって言ってるみたいなんですよ」
「それの何が問題なんだ?」
「どうやらキャプテンが言うには収斂は俺らを叩き台に利用しようとしてるらしくてですね、三年生の主力は出さずに、さらに今度やる新人戦の本戦に向けて一二年を出すって言うんでキャプテンがキレちゃったんですよ」
「そりゃあいつもキレるよ。今回ばかりは騎院の肩を持つぜ」
「それでキャプテン、うちも一二年しか出しませんて収斂に啖呵切っちゃったみたいで」
「マジか、あれ、うちの部一二年で11人集められたっけ?」
「
「なるほど、状況は詰みと言うわけですね。王手です」
パチンと言う音とともに、端っこの方で本を片手に詰め将棋をやっていた先輩が唐突に言葉を発した。
端整な顔立ちに丸眼鏡。髪はキチッと七三分け。よく見れば、何故かポツンとある畳のスペースに正座している。何だか気が付く順番が可笑しいような気もするがそれだけ異様な空間なのだ。
と言うか、このプレハブ小屋は将棋部と共同の部室だったのだろうか。
案の定、先輩と目があった。
「自己紹介がまだでしたね。二年六組
深々と正座で頭を下げられるので何だか申し訳なくなってしまう。
「えっと一年三組の坂逆緖熟です」
こちらも心持ち頭を深く下げた。
「くーちゃんの言うように実際詰みではあるな。マネージャーの話じゃキャプテン満足げな顔して電話を切った後監督が顔を真っ赤にしてこってりしぼられたらしい。さすがにキャプテンもしょんぼりしてたとか」
「あの騎院がか? それは俺も見てみたかったな」
「キャプテンがしょんぼり、ですか。さしものキャプテンも監督には敵いませんね」
丸眼鏡の先輩は新しい盤面の詰みに失敗したようで、手順を遡っている。
「で、キャプテンはどうにも一二年の部員数を勘違いしていたようで坂逆を入れて11人だと思ってたそうで、部長も頭抱えてましたよ」
「んで、俺たちは何すりゃ良いんだ。わざわざ集めてその話をするってことは何かあるんだろ?」
「部長からの命令です。誰でも良いから一二年生を一人連れてこいとのことです」
× × ×
昼休みは教室でまったり派閥の緖熟は今日も今日とて友人の
窓の外は晴天で、校庭では北高校の生徒たちが遊んでいた。バスケットボールが弾む音が耳によく馴染む。制服姿の男子高校生たちだが、土埃を気にする素振りもない。
俺も今度遊んでみようかなあなんて思う初夏の昼休みなのだった。
「それがカズ○コ天井って言う訳なンゴね」
「なるほど、それがカ○ノコ天井なのね」
「カズノ○天井? おせちの話?」
「ふぁっ⁉️ 委員長ちゃん⁉️」
「
男子高校生らしくと言うべきか、思春期全開な会話に勤しんでいたところへ急に女子の声。危うく箸で持っていたプチトマトを落とすところだった。
「数の子って聞こえたからてっきりおせちの話かと思ったんだけど」
純真無垢そうな笑顔で小首を傾げられると、何だか申し訳なくなってくる。
「あ、いや、おせちの話であってるンすゴ」
「うんうんそう、おせちの話をしていたんだよ知見さん」
「でもまだ五月だよ。おせちまでは後七ヶ月もあるじゃない」
好奇心旺盛な委員長の興味を引いてしまったらしい。どうしようものかと緖熟はそれとなくJに目線を送ると、Jは既に弁当を片付け終え、
「わりぃ、ワイ漫研行かなアレだから、許してクレメンス」
「あ、おいJ! ったく、あいつ逃げ足だけは早いんだから。あ、そうだ知見さん。知見さんって他のクラスの人のことも結構分かったりする?」
話題を変えるためについ口走ってしまったが、思いの外妙案に思えてきた。
「ええ、一通りは。でもどうして?」
「部員が足りないから誰か見つけなくちゃいけなくてさ。知見さんなら友だち多そうだしあてがあるんじゃないかと」
「そうね……坂逆くん、紹介してほしいのはどんな人?」
「どんな人?」
「うん、サッカー経験者なのか、とかポジションとかだよ。誰でもいいって訳じゃないでしょう?」
「うーん、とりあえず経験者、かなあ。ポジションはキーパー以外ならどこでも。あ、後一二年生の人」
部長は誰でも良いって言ってたが本当にずぶの素人を連れてったらドヤされるから気を付けろ、と言うのが副部長からのお達しだった。
まあ、練習試合の数合わせなのだから難しく考える必要は無いと思われるが……。
「分かったわ。と、その条件で良いならクラスマッチで一緒にやった
「
まあ、さすがに委員長ちゃんとは言え、望み薄だろう。
「なるほどね。そうねぇ、とりあえず一人紹介出来そうだけど、今から会いに行ってみる?」
「いやまあそんな直ぐには見付からないよね~って、えっ、いちゃうのそんな都合よく」
「いちゃうんですよねこれが。早くしないと昼休み終わっちゃうから行こ?」
「う、うん」
廊下に出ると左隣の委員長ちゃんが言った。
「それとね坂逆くん。友だちとああいう話をするときは小さな声でしてね」
聞かれていたらしい。
「……」
「ほら、あそこにいるのがそうよ」
廊下の途中、女子生徒が集まっているところの中央に、窓に手を掛けてもたれている男子生徒が一人。身長は緖熟と同じか、並べてみれば低いかも。細身の体つきをしているが、似たタイプのフィジカルをしている緖熟には内実優れた筋肉が身体を覆っていることを見抜いていた。
そして、一目で分かる王子様タイプ。
「
「何よ! 横臥くんは私と一緒にカラオケに行くのよ!」
「ふん、」
見慣れた光景なのか廊下を歩く生徒も誰も気にしている様子はない。東京だと芸能人とかが撮影していても街の人は見向きもしないらしいがちょうどこんな感じなのだろう。
「真ん中でふんぞり返ってるあの偉そうなのがえっと」
「
りょ、とLINEの返信のように短く頷いてから緖熟は異様な集団に近付いた。
「君が横臥くん?」
「そうだが」
「ねえ、横臥くんこの人誰?」
「知らないな。はぁ、もうお前らあっちに行ってろ」しっしっと手で追い払うと横臥は続ける。「で、何の用だよ」
「えっと、部活で練習試合があるんだけど一二年生の人数が足りなくなっちゃって助っ人をお願いしに来たんだけど……」
「予定があるから無理だ」
「来週の土曜日なんだけど予定がある?」
「そう言ってるだろ」
つっけんどんに言われるとさしもの鈍感力主人公系の緖熟も気にしない素振りを見せるのは難しい。
これは無理だな、とそそくさ帰ろうとしたところで救いの女神が舞い降りた。
「予定ってどうせ女の子と遊ぶだけじゃない」
「知見、お前か? 僕を紹介したのは」
「大当たり🎵 坂逆くんに部活の助っ人が出来そうな人を聞かれたから」
眉をぴくんと一センチメートルほど動かしてから横臥は組んでいた腕を解いた。
「……、こいつ、坂逆って言うのか」
「そーだよ。坂逆緖熟君。知らなかった?」
「ああ、……気が変わった。試合に出る。来週の土曜だな」
「う、うん」
「集合時間は? 遠征なんだろ」
「朝の7時に西口の改札前だけど」
「ユニフォームはたぶんお前と同じサイズで大丈夫だろ。他は何かあるか?」
「横臥くん、練習に行かないの?」
知見の方を向いて、横臥は言った。
「知ってるだろ、僕は楽しみは取っておく方なんだよ」
そのまま横臥は教室に戻ってしまった。
「……知見さんの幼なじみ?」
「ふふ、緖熟君にしては鋭いわね。幼なじみよ。中学校からの」
とするとあの風紀委員の
「そうよ。まあそんなに珍しい話でもないよ。坂逆くんにだってほら、城ヶ崎君とか幼なじみがいるでしょ?」
「確かに」
納得した、と緖熟は首を縦に振って頷く。それから、思い出したように言った。
「ありがとね」
「どう致しまして、お役に立てたようで何よりよ」
× × ×
勧誘に成功したその足で、とも思ったが始業五分前のチャイムを聞いたところで考えを改めた。風紀委員に報告するのは放課後でも良いのだ。
クラスの問題児(自覚なし)と厳しい風紀委員と言う間柄からちょっと進展した訳だけど、そんなちょっと心が浮わつくような、インターネットに毒されてる幼なじみの城ヶ崎曰く「なんjでスレたてたいンゴ」と評された現状では、人間関係に疎い緖熟でも自然とその考えに至っていた。
と言う訳で、放課後。
クラスの喧騒も収まり、いつも通り机に向かって風紀委員会の日誌を書いている積木城に緖熟が視線をやると、目があった。
手元の日誌に目線を落として、それからパタンと閉じる。
「何の用だ」
以前の彼女がこの台詞を言えばそこには多分で過分な威圧感があったのだが、今はただちょっとキツい字面と言う以上の意味を持たない。
「特に無いけどどうしたの?」
「? でも私のこと見つめてたじゃないか」
「用が無きゃ見てちゃだめ?」
厳格な実家、厳しい躾、育ちの良い彼女も人並みに恋愛ドラマを見るし、少女漫画だって読んだりする。本を買わなくたってテレビを置かなくたってタブレット一台で何だって楽しむことが出来るのだ。
だから、じっと自分を見る小生意気な同級生が言った言葉の意味が分かる。
「……別に、その、駄目ってことはない、けれど……」
真意が図れない。私たちってこんなこといきなり言われる仲だったっけ?
考えているうちに顔が赤くなっていくを感じて、慌てて顔を逸らした。
「ってのは冗談で連絡事項があるのでした。てへぺろ」
グーで殴っていた。
殴られたクラスメイトは舌を噛んでいた。
「いひぇひぇ、ちょ、いきなり殴らないでよ」
「蹴られないだけマシだと思いなさい」
「ひた、っ、ひた、噛んじゃった……帰ったらハチミツ舐めなきゃ……まあいいや。次の土曜日に試合があるから見に来てよ」
「試合?」
「うん、朝ちょっと早いかもだけど積木城さんなら問題ないでしょ」
「いや、そこじゃないだろう問題視するのは。と言うか土曜日は用事があるんだ」
「げ、どうして外せない?」
家庭の事情、と言われれば緖熟も引き下がらざるを得ない。彼女の家庭は特殊なのだ。
「でもどうして私に見に来て欲しいんだ」
「ん、見たいのは積木城さんの方だと思ってたんだけどな」
ちょっとムスッとした表情で頬を膨らませたクラスメイトは言った。
ワケを考えてはたと思い当たる。
もしかして、この間私が言ったことだろうか。
「むー、俺が何だってまたフットボールをまた始めたと思ってるのさ」
「す、済まない。その……私の言ったことなんて忘れているものだと思っていたのだ」
能天気で何を考えているか分からない小生意気なサッカー小僧、それが積木城の緖熟に対する人物評価だった。
だから、緖熟が再びフットボールを始めたのだってただの気まぐれで、私の言葉はきっかけにすらなっていないただの取っ掛かりに過ぎない、そう積木城は考えていたのだ。
「忘れるわけないよ」
「……」
やっぱり、この少年が何を考えているのか積木城には分からない。
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