オーダー・メイド
リペア(純文学)
本文
『オーダー・メイド』
眩しい朝日を避けるように、とある喫茶店の戸を開ける。一歩踏み入れるとたちまちコーヒーの挽いた香りが迫ってくる。こうして今日も朝を感じられる。
「お待ちしておりました。」
「今日もいつものでお願いします。」
「承りました。」
彼女は普段は無口で、注文を受けてくれる時も声がひ弱だった。決して高くはない身長に大きなメイドの制服を着ていた。
私は毎度店の奥にあるテーブル席に座る。そのほうがよく見れるからだ。
「エスプレッソ、ノンシュガーです。」
湯気立つカップと小さなスプーンが乗ったソーサーが、彼女によってそっと置かれる。そのときにスプーンとカップが当たる金属音はしない。しかしそれほどに置くのがノロノロと遅い訳ではなく、手際が良い。彼女はこの店で働いて長そうな口調と手つきだった。
「ごゆっくり。」
私はエスプレッソを啜って、そんな華奢な彼女の姿を毎日見に来るのだった。
―――
外は穏やかな風が流れていて、舞った落ち葉が窓を叩く。メイド姿の彼女は外に吹く風に似ていた。しかし、彼女が使う羽箒から塵が舞うことはない。手際の良さはそこにも見てとれた。
そんな彼女を見ていて気付いたことがある。
「マスター、コーヒー淹れるときかっこいいですよね。マスターを見ていると、僕にも何かが注がれる感じがして。」
「そうですか。」
「あなたはコーヒーを淹れないんですか?」
私は、注文を受けたコーヒーを彼女自身で注いだところを見たことがない。それどころか、カウンターの内側に入るところすら見たことがない。彼女が受けた注文は「お願いします。」とカウンターでカップを磨くマスターに小声で流すだけで、すぐにフロアに戻って来て掃除の続きをする。掃除用の羽箒はいつも手に持っていた。
「それは私の仕事ではありませんから。何か御気に障りましたか。」
その言葉遣いは、まるで人間からすぐに目をそらす大人しい猫のようだった。薄い化粧は、猫の体に点在する黒い毛のようだった。そんな彼女の態度が、私に躊躇いを生んだ。
「失礼。何でもありません。」
すぐに「ごゆっくり。」と返って来て、彼女が後ろに振り向いたとき、彼女は私を睨んでいた。私は全くの藪蛇だったことを小さく後悔した。
―――
今日は朝から雨が降り続いている。私以外に、パソコンで作業をしているサラリーマンしか居ない。しかもイヤホンでリモート会議中だ。
テーブルにはベルが備わっている。一度鳴らすとこのように彼女が来てくれる。
「ご注文承ります。」
「フレンチトーストひとつ。」
「他にご注文は御座いますか。」
「掃除はお好きなんですか。」
今日は思い切って訊いてみる。前のサラリーマンに聞こえないように、カウンターでカップを磨くマスターにも気づかれないように、あたかも注文の応答の続きのように、しかし小声で彼女に質問した。
驚いたことに、彼女も会話が続いていたかのようにすぐ答えた。
「わかりません。」
「いつもあなたのことを見ていて、その箒をいつも持っていて、てっきり掃除が好きなのかなと。」
「好きというわけではないです。あくまで注文を待っているのです。フロアに待機する手持無沙汰にこうしているだけです。注文を受けるのが仕事なので。」
「そうですか。あなたの注いだコーヒーを、一度は飲んでみたいものですがね。」
「それは私の仕事ではありませんので。失礼します。」
彼女はまた私を睨んで、入口付近の窓枠へ向かって行った。ため息をつくために外を見ると、店の看板メニューが書かれた旗が強い風に煽られていた。
―――
雪の日。今日もやはり居心地を求めに喫茶店に来た。暖房より暖かい存在が居るから。
「今日もいつもので。」
「承りました。」
彼女はカウンターの前まで行って、エスプレッソとマスターに伝えた。そんな時でも彼女は羽箒を手放していなかった。
私はジャケットを脱いでいつもの席に座った。この位置から、今日はこの店に私しかいないことが五感を通してよくわかった。
ベルを一度鳴らした。すぐに彼女が来てくれた。
「お伺いします。」
「追加でパフェをひとつ。」
「他にご注文は御座いますか。」
「今日は雪ですね。」
「ええ、まぁ。」
「ここに来るとき大変だったでしょう。」
「私(わたくし)はここに泊まり込みで働いておりますので。」
「あぁ、そうなんですね。知りませんでした。じゃあ何処の出身なんですか?」
「それは言えません。廃れた場所なんて他言できませんし。」
「一切訛りの無いお言葉遣い。関東のご出身でしょうか。」
「関東の、それは誰もいない所の出身です。誰一人として。」
―――
今日は和やかな晴れ日和。穏やかな風が季節を知らせてくれた。
服に乗っていた桜の花びらを払って店に入った。カランカランという余韻が消えるまで少し待ってから「いつもの」と言った。「承りました。」と返されて、私はジャケットを脱いで奥の席に向かった。ここまでは普段のことだか、通い始めてから二年くらい経った今日は彼女に思い切った注文をした。
「今日はもう一つ注文が。」
「何でしょう。」
「パフェを作ってください。あなたの手で。」
「嫌です。」
「これは僕からの注文です。」
彼女は悩んでからから答えた。
「承知しました。」
「すまないね。」
その後十分くらい経ってようやくエスプレッソとパフェが同時に到着した。エスプレッソに湯気は立っておらず、パフェは少し崩れていた。しかし、それが私の求めているものだった。
「これはあなたが?」
「はい、私が作りました。」
「立派なパフェ、作れるじゃないですか。」
「そう仰らないでください。」
「どうしていつもフロアの仕事しかしていないのですか?」
「注文を受けるのが私の仕事なので。」
「しかしあなたはこれを作ることができた。」
「注文だけを遂行する。それが私の仕事ですので。失礼します。」
彼女は駆け足で私のテーブルから去っていった。
彼女にこのような注文したのは、彼女が注文を受けることしかしていない理由が、もしかしたら彼女が極端に不器用で、やらないよう指示されていたからではないか、と思ったからだ。本当に不器用なら、もっと溶けて崩れたパフェが届くはずだったが、そうではなさそうであることが今に分かった。彼女は自分の意思で注文を受ける仕事しか行っていなかったのである。
注文だけを遂行する。そんな考えを若くして持つ者が他に居るだろうか。どうして注文だけが自分の仕事だと思っているのだろうか。そんな純粋な疑問を、スプーンでパフェから掬ったバニラアイスの上に乗せて一口食べた。久々に食べたアイスクリームは、日々の多忙な捜査に費やした頭を癒してくれた。
―――
今朝一人の女に手錠をかけた。女は厚化粧にピンクの蛍光色が輝くジャンパーを着ていた。
「ここで再会するとは思いませんでしたよ。」
「全く。」
女は大人しく指示に従った。抵抗する意思がない、まるで大人しい猫のようだった。
「…どうして。どうしてこんなことを。あなたがこんな人だとは思わなかった。」
わざと感情を込めた問いかけに、女は無感情に答えた。
「注文をうけたら作る人に流すだけ。それが私の仕事なの。」
『麻薬ブローカーを逮捕。マトリ、喫茶店を摘発。二十年間潜伏を続けた女の真相。』
(『オーダー・メイド』完)
In ORDER to be a ...
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