第八話 静かな世界

  →『起きますか?』



 【はい】   【いいえ】




…。



  →『起きますか?』



 【はい】   【いいえ】



…。

…ん?



  →『起きろ』



【はい】   【いいえ】



えっ?

…。

あっ




   ➡

  ⬆ ⬇

   ⬅   



あぁ…。




 →『起きますか?』



【はい】   【いいえ】


 

     ➡

    ⬆ ⬇

     ⬅ 

    

 

 起きますかって…。

 そんなのありかよ…。

 まあ、起きるけどさ。

 だって今寝てるってことでしょ?

 よくわかんないんだけどさ。



 →『起きますか?』



 «はい»   【いいえ】


  ⬆


 

 カチッ。


 指パッチンみたいな音がして、僕は起床した。



 パチパチと音が聞こえる。

 ゆらゆらと燃える火の影に、オレンジ色が灯る。

 

 ん…。

 ここは、どこだ?


 僕は横になっている身体を起こそうとして、うまくいかなかった。


 あれ?


 身体を動かそうとしてもうまく動かせない。

 その感覚はまだ僕が夢を見ているからだと思ったけど、どうやら、僕はもう目が冷めているらしかった。


 !?


 両手が縛られていた。

 足も縛られていた。

 横になったまま、僕は硬いロープで両手両足を拘束されていた。


 ○※ぁ△※う□※ん○っ!


 この時ばかりは、いくらコミュ障の僕とはいえ助けを呼ぼうと声を出したんだけど、口に塞がれたガムテープがそれを許してくれなかった。


 たいへんだ…。

 僕は誘拐されたのか?

 誰に!?

 何の目的で?

 …。

 思い出せ、思い出せ!

 僕は、目が覚める前は何をしていた?

 僕の身体は矢印になっていて…。

 …。

 違う!!

 その前だ、その前。

 その前に僕は…。

 !

 キズナに気絶させられたんだ…。


 信じがたい結論だったけど冷静になって時間が経つたび、記憶が鮮明になってきた。

 僕はおままごとみたいなお着替えの最中に、彼女にみぞおちを強襲されてぶっ倒されたんだ。


 うぅ…。


 胸のあたりに、嘔吐した後みたいな気持ちの悪い感覚が残っていた。

 「あほ」「まぬけ」。

 そんな脳が縮むような悪口も、キズナの声で脳内再生余裕だった。


 間違いない。

 僕はキズナに襲われたあと、捕まえられてこの山小屋に監禁されたんだ。


 なぜ?

 どうして…。


 最初頭の中には疑問しか浮かばなかった。

 あんなに親切にしてくれたのに。

 良い人だと思ってたのに。


 でも、そんな彼女の行動が僕の事を騙そうとしていたからだった事に気がづくのに、そんなに時間はかからなかった。


 だめだ…。

 泣きそうだ。


 頭上の窓から見える外の景色は真っ暗だった。

 時間が夜になっているのは間違いなかったし、周りに建物や人がいないことも確実だった。

 時々聞こえる隙間風の音と、炎がパチパチと燃える音以外は何も聞こえなかった。

 いや、もうひとつだけ聞こえる音があった。

 それは今鳴っている音の中で、一番小さくて気が付きにくいものではあったけど、一番存在感があるものだった。


「zzz…」


 山小屋のドアの前で門番のように座っている一人の女がいた。

 そこら辺の女子高生のようなブレザー姿で、昼間持っていた六法全書の代わりに大きな真珠のような柄がついたステッキを抱えて、その女、僕のことを気絶させ誘拐した犯人、キズナは眠っているみたいだった。


 …。


 複雑な気持ちだった。

 正直彼女の姿を目で捉える前は、疑問と悲しみと怒りの感情しかなかったのに、人形のように眠っている彼女の姿はとても恨むことができないような、愛らしさを感じてしまうような、近づきがたく、神聖なもののように思えてしまった。


 僕がいけなかったんだろうか。


 慣れっこだった、そんな言葉が頭の中に浮かんでくる。

 そしてそうなると自動的に、僕は自分の過失を認める思考をどんどん加速させてしまうのだ。


 もし僕が革袋を盗まなければ、こんな事になってない。

 もし僕が彼女の誘惑に負けなければ、こんな事になってない。

 もし僕が【はい】か【いいえ】の選択肢を間違えなければ、こんな事になっていない。

 

 もしも僕がコミュ障でなければ、こんな事にはなっていない。


 彼女が何故僕をこんな目に合わせているのかは、ホントのところはよくわからない。

 でも、理由がどうであれ、僕がちゃんとしていれば、こんな状態は回避できたに決まっていた。

 だから悔しくて、涙が勝手に出てくるのだ。


「zzz…」


 ガムテープの内側で、必死に堪えて声を押し殺した。

 

 絶対に声を出すもんか。

 涙が出てきてたとしても、絶対に僕は泣き声はあげない。


 それがせめてもの、コミュ障としてのプライドだった。


 

「ん…」


 …。

 

 どれくらい僕が泣いてたかはわからない。

 すぐに泣き疲れてぼおっとしていたけど、なんとか目の前の監禁女に一矢報いたくて、僕はわずかに体を持ち上げ頭を上下する事で、時速雨の日のカタツムリ㍍くらいのスピードを出し、じりじりと彼女の方へ音をたてずに近づいていた。


「zzz…」


 セーフ。


 キズナは僕のことを縛り付けて、すっかり安心して眠っているみたいだったけど、僕のことを舐めすぎだ。

 君は知らない、僕がこの世界において、得意な存在であることを…。



 

  →『キズナに近づきますか?』



 【はい】      【いいえ】




 そして時が静止し、僕の身体は解体される。



      ➡

     ⬆ ⬇

      ⬅     


 

 身体が矢印になった事を確認して、目の前に浮かぶ質問の塊に向かって突進する。


 


  →『キズナに近づきますか?』



  «はい»      【いいえ】


   ⬆ 


 

 カチッ


 

 足音みたいなクリック音がして、僕はまた15cm程近づく。


「zzz…」


 キズナは安らかに眠っている。

 自分の寝室で眠っているみたいな、武器を持ち座りながらとはいえ、警戒心はゼロになっている。

 そしてまた現れる、彼女にとって不可避の、僕の攻撃の一手。




 →『キズナに近づきますか?』



  «はい»     【いいえ】


   ⬆



 カチッ



 そしてまた僕は15cmだけ近づく。

 音もなく、彼女にしてみれば一瞬のうちに。


「zzz…」


 そしてまた時は止まり、僕だけが選択する事ができる、絶対的な世界が訪れる。



 →『キズナに近づきますか?』



 【はい】     【いいえ】



 

 そう。

 僕は最終的に、自分がただ情けなくてどうすることも出来ずに、何の考えも浮かばずに、ほとんど自分の第二の人生を諦めかけていたんだけど、突然救いの神が現れた。




 →『キズナに近づきますか?』



  «はい»     【いいえ】


   ⬆ 

 

 

 カチ




 まるで身体が動かなかったのに、『キズナに近づきますか』とかいう、そんなストーカーのゲームみたいな選択肢が現れ、僕の身体が矢印になって【はい】を選択すると、身体が勝手に動きほんの少し彼女に近づく事ができた。



«はい»   【いいえ】

 «はい»   【いいえ】

«はい»   【いいえ】

 «はい»   【いいえ】

«はい   【いいえ】

 «はい»   【いいえ】

«はい»   【いいえ】

 «はい»   【いいえ】

«はい»   【いいえ】


 

 仮に彼女が用心深く、人が近づく気配や小さな物音に敏感であったとしても、僕の接近に気がつく事は不可能だった。

 何故なら、僕は時間の止まった、僕だけが選択し行動することが出来る世界で、彼女に近づいているのだから。


「zzz」


«はい»   【いいえ】


  ⬆



 その様子は、傍から見たらホラーでしかなかったと思う。

 森の山小屋で眠る絶対領域を露出させた女子高生に迫る、恐怖のカタツムリ男。

 

 じりじり

 じりじり


 音もなく、少しずつ少しずつゆっくりと、男が支配する時の世界で彼女に近づいているのだ…。


「おい何寝てるんだ! おきろ! カモーン! 奴がもう目の前に来てるぞ!!!」

 

 残念ながらマック、いくら君が声を上げても、彼女は目を覚まさないよ。

 

「!!! fu※k you !!!」


 そして…ついにその時は訪れる。

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