第四話 はじまりの森へ
「はじまりの街」とでも名付ければいいのか。
僕が転生した異世界の街は一見ごくごく普通のRPGにありがちな、開放的な雰囲気の海沿いの栄えた街だった。
アーチ型の石造りの橋を超えた先に、貿易船か軍船かわからないけど(もしかしたら海賊船なのかもしれない)、立派なガレオン船が停泊しているのが見えた。
「港町 テーシュ」
人々の会話や、いくつかの看板から察するに、この街はそう呼ばれているみたいだったけど。
色鉛筆を縦に並べたみたいな異国情緒まるだしの景観で、僕が前に生きていた世界で言うところの、ルネサンスとかゴシックとかバロックとか、いろんな建築様式の建物が共存しているみたいだった。
海岸線をなぞるように並んでいたタープテントの市場の前で、僕は人狼に貰った図鑑のような薄い本を見ながら、目当ての物がないか探していた。
「お若いの、何をお探しだい?」
僕は、ベリイチゴと根っこバターが載ってるページをそのまま、口ひげをはやした雪だるまみたいな男に、見せた。
雪だるまは目を細めて少し黙ると。
「ああ、そういうクエスト系の食材は港の市場には置いてないな。街の広場に隣接した商店で探さないと」
少し残念そうに僕に説明口調で話した。
クエスト系?
なんか、嫌な響きだな。
「でも、そんな痩せた土地で育った食べ物よりも、この西海岸でしか取れない新鮮な魚のほうがうまいよ、兄ちゃん。どれも今が旬だよ?」
商売人の巧みな会話術で軽快に話題を都合よく変えると、市場のおじさんは、宝石みたいに光るお腹が丸く太った魚を手に持って僕に見せた。
【はい】 【いいえ】
選択肢が現れる。
【はい】 «いいえ»
残念だけど、お金があればね…。
「そうかぁ。まあ、気が向いたらまた見に来てくれ」
申し訳ない気持ちになりかけたけど、気さくで良い人だったおかげで僕はネガティブな気持ちにならずに済んだ。
僕は外国の料理はあんまり好きじゃないけど、この街の料理だったら口に合う気がした。
日本人の僕としては、お肉とか野菜がどうかとかよりも、魚を使った料理がおいしいかどうかが大事だった。
お金が手に入ったら、真っ先におじさんから魚を買おう。
きっと港町の魚料理は美味しいはずだ。
…。
まあ、その前に考えなくちゃいけないことはたくさんありそうだけど。
僕は本を革袋に入れると、最初僕がリスポーンした酒場の方角に向かって歩きだした。
市場のおじさんによると、僕が探してるベリイチゴと根っこバターはクエスト系と呼ばれる食材らしく、街の広場にしか売ってないらしい。
街の広場が何処なのかははっきりとわかっていたわけではなかったけど、たぶんあそこだろうという見当はついていた。
実は僕が最初いた趣味の悪い海賊の隠れ家みたいな酒場は、円形の広場を囲うように並んでいた商店街の中にあった。
たぶんあの商店街が、おじさんの言う、街の広場に隣接した商店街なんだろう。
そこまで詳細に覚えているわけじゃないけど、確かに、今いた市場の雰囲気とは違う、独特な怪しさみたいのがあの商店街にはあった気がする。
クエスト系と呼ばれる食材も、あの辺りにはありそうだ。
…。
それにしても、僕はこのまま物語を進めてしまって大丈夫なのだろうか。
当たり前のように、人狼に頼まれて僕はクエストのようなものをこなそうとしてるけど、果たしてこれは僕の異世界転生物語におけるメインクエストなのだろうか。下手したらサブクエストでもないのかもしれない。
僕はあのパン屋を装う狼に殺されかけたのだ。
そのことを考えると、今でも脚が震えて心臓の鼓動も早くなった。
僕は今、人狼から「九鬼」なるものを買うために、ベリイチゴと根っこバターなるものを手に入れようと奮闘しているわけだけど、それは別にしなくちゃいけないことではなかった。
九鬼が何なのかもわからないし。
成り行きでそうなっただけで、僕は人狼から殺されずに済めばそれで良かったのに、どうして馬鹿正直に人狼との約束を守ろうとしてるのか自分でも説明ができなかった。
僕がしなくちゃいけないことはおそらく他にたくさんある。
この異世界でどうやって生きていこうか考える事とか、そのためにはこの世界の事をもっと知らなくちゃいけないし、今の僕は無一文で、帰る家もないわけだし、どうにかして宿を探したり、今日の夜ご飯だって見つけなくちゃいけない。
それなのに、僕は何で、自分を殺そうとした人狼のお使いに貴重な時間を費やしているのだろう。
意味不明だ。
自分が嫌になる。
「おいおい、お前は今一人ぼっちなんだろ? せめて自分だけには優しくしてやれよ」
そうだね、マック。
でもいいんだ。
僕は自分の悪口言ってないと、うまく調子が出ないんだ。
「なるほど、どMってやつか」
ひとり言で足を進めながら、気づけば、僕は女神のような大きな石像を中心に添えた、モブキャラで溢れる円形の広場に辿りついていた。
なんで、こんな汚れてるんだろう?
引き寄せられるように僕は、商店街ではなく広場にどーんと居座っている白い石像の前に来ていた。
おそらく、海の神様的な存在なのだろうけど、海の波のような長い髪がうねりながら身体に巻き付いていて、ロープに縛られた捕虜みたいな、神様には似つかわしくない風体だった。
悲しそうな顔。経年の痛みで腐ったように所々に穴が空いていて、痛々しかった。
「これはこれは、冒険に出られるおつもりで?」
突然話しかけられたのに、あまり動じなかったのは、声の主がおばあさんだとすぐに気がついたからだった。
なぜか知らないけど、昔からおばあさんに道を尋ねられることが多かった。
まあ、うまく対応できた試しはないけど。
一呼吸して、声のした方に振り返った。
そこには金属探知機みたいに腰が曲がった背の低い老婆が二人いた。
一人は目をつぶり両手を耳に当てていて、一人は両手で耳を塞いでこちらを凝視していた。
どうやら、僕に話しかけたのは目をつぶった方のおばあさんみたいだった。
【はい】 «いいえ»
とりあえず、僕は冒険に出られるおつもりではないことは伝えた。
「ほお…。そうですか、冒険者に見えたものですから」
目をつぶりながら、おばあさんはとぼけた表情で言った。
なんか、こんな事言ったらあれだけど、不気味はおばあさんだな。
僕は、なんとなく、このおばあさんは何か知っていそうな気がして、自分の目的を思い出し、革袋から本を取り出すと、僕のことを瞬きもせずにずっと見ていた、耳を塞いだおばあさんの方に、ベリイチゴと根っこバターのページを見せた。
耳を塞いだほうのおばあさんは、本を食べようとするみたいに近づくと、目を泳がして調べるように、ベリイチゴと根っこバターのページを覗き込んだ。
「ん? ほう、ベリイチゴと根っこバターを…」
目をつぶった方のおばあさんが、耳を塞いでいたおばあさんの手をにぎって、何か情報を受け取ったみたいだった。
すごい…。
どうやってるんだろう。
まるで二人で一人の人間みたいだ。
「それなら、やはり、あなたは冒険者様ですね。この石像に祈りなさい。さすれば、はじまりの森へ転移できるでしょう。帰り道は、また石像に祈ることで帰還が可能になっております」
目をつぶったおばあさんはそう言うと、耳をふさいだおばあさんに支えられて、商店街の方に消えていった。
なんだったんだろう。いったい。
僕は向き直って、女神の石像を見上げた。
冒険者様…。
はじまりの森…。
聞き慣れないフレーズではあったけど、心のどこかで待望していたフレーズでもあった。
どうせ商店街に行っても、お金を持ってないんじゃ買うこともできないし、ちょうどいいか。
これから、やることもないしね。
それに、はじまりの森っていう名前の場所なら、今日この異世界に来た初心者の僕でも大丈夫だろう。
僕はこの世界の勝手がわかってるみたいに、石像に跪いて両手を結んだ。
女神様。
僕を
はじまりの森へお導きください。
周囲の視線を少し感じて、頬が赤くなるのを感じてきたくらいのタイミングで、石像の前にお馴染みの質問の文字が浮かび上がって現れた。
→『はじまりの森へ転移しますか?』
【はい】 【いいえ】
この時、僕の身体は⬆になって、時の流れも止まって景色がモノクロに変化していたのに、僕はそのことに気がついていなかった。
そんなことに気が付かないくらい、僕の心はすでに異世界に奪われていた。
カチッ
«はい» 【いいえ】
鐘の音のようなクリック音がして、僕ははじまりの森に転移した。
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