第二話「はい」か「いいえ」か

 ああ、まぶしい


 さっきまで、あんなに真っ白な空間にいたのに、僕が初めに思ったのは、そんな言葉だった。

 

 ゆめ?


 現在に対して言ったのか、それとも少し前の事に対して言ったのか。

 そんな事もわからないくらい寝ぼけた状態だったけど、僕はしょぼしょぼした目を守るように右手で塞ぎながら、ゆっくりと起き上がってみた。

 そして、思った。


 あれ? なんだ? これ、VRかって。


 現実の世界とは違う、アニメチックで立体的な空間が目の前には広がっていて、頭を動かすと当たり前のように景色が変わった。

 僕は、海賊がたむろしてそうな、酒樽や空き瓶やトランプだのナイフだの金貨だのがひっちゃかめっちゃかごちゃごちゃしてる、酒場のような場所にいて、目の前には、日本人でもないどころか人間にも見えない、あらゆる外見的特徴が誇張されている筋肉隆々のおっさんが腕を組み、こっちを睨みつけながら突っ立っていた。


 なんだ? 僕はゲームしながら寝ちゃってたのか? 

 そうなのか?。

 …。

 おいおい、勘弁してくれよ。俺。

 VRゲームっていったらさあ、美少女と楽しく恋愛シミュレーションするものじゃないの?

 なんでこんなプロレスラーみたいな奴が、僕の視界のほとんどを支配してるんだよ。

 ただ、ひとつ言わしてくれ。

 

 よくできてんなあ。


 最近のゲームは映画みたいだね、みたいな、ゲームの本質を全く理解していない人がよく言うセリフは言いたくないし、グラフィックがどうとか、人の動きがリアルだとか、そんな事は僕はゲームをやる上で全く気にしないけど、この目の前のプロレスラーや背景の酒場は、ほんとにアニメ映画でも見てる気分になった。いや、というかそれ以上だった。


 アニメを見てるというより、まるで、アニメの世界に入っちゃったみたいだ…。


 魚民を何倍も凶悪に魔改造したみたいな、足を踏み入れただけで酔っ払ってしまいそうな雰囲気の酒場。

 まるで海賊船の中みたいに宙吊りのランプは怪しく揺れ、鬼のように赤くなった野蛮そうな男たちの顔面に、深い影を落としていた。

 僕は身を乗り出して、ついつい、目の前のプロレスラーの顔を覗き込んでしまった。

  

 すごいな。

 二次元のアニメみたいなのに、近づくと、毛穴のつまった汚らしい油も茶色い産毛も細かく見えるし、荒い鼻息も、ほんとに目の前にいるみたいで、顔にかかるとおそろしく不快だった。

 うわ、においもひどいな。

 酒場っていう設定だからなのだろうか、ヒゲだらけの半開きのだらしない口からは、腐ったアルコールみたいな嫌な匂いがした。


 その時、ようやく気がついた。


 あれ、さすがに、おかしくね?

 いくらリアルだからと言って、VRだからといって、さすがに匂いがしたり、鼻息が顔にかかることなんて、ないよな…。

 僕の脳が、そう錯覚しただけ?


 目の前のプロレスラーは相変わらず微動だにせず、僕のことを恐ろしい形相で睨みつけたいた。

 顔に似合わず、透き通った琥珀みたいな瞳をしていた。

 そして、その瞳には…なんか、僕の姿が映っているような…。

 いや、そんなまさか。

 

「おい、ガキ」


 岩が動いたみたいな低い音がして、僕は反射的にプロレスラーから飛び退いた。

 そして、次の瞬間。まるで時間が止まったみたいに、プロレスラーも僕も、そして他の客も、酒を酌み交わす音も、何もかもが静止した。

 見える景色すべてが白黒に変わって、写真のように動かなくなった。

 そして、現れた。

 見覚えのある、超然とした文字のブロックが。


   



   →『彼を仲間にしますか?』




   【はい】     【いいえ】



         

 

 僕は初めて文字というものを発明した古代人みたいな顔をして、不思議そうに、その、白黒の立体的な背景に無理やり重なっている、文字の塊を眺めていた。


 そして、気がついた。

 この、暴力的なまでに簡略された質問は…。

 

 酔がさめたみたいに急に頭がすっきりとして、今自分に起きてる意味不明な全てに合点がいった。


 そうだ、思い出した!

 僕は、さっき、死んだんだ!


 そんな冗談みたいな笑えない言葉を心のなかで叫んでいた。

 そして、この、身体が思うように動かない、力の抜ける変な感覚…。

 景色の全ては確かに時間が止まったように動いてなかったけど、僕の身体は時間が止まっていたわけではなかったのだ。


 

         ⬆


 

 うわああああ。

 ひさしぶりぃいいいい。

 って言っても、ついさっきのことか。

 

 僕の身体はなんと、またしても、矢印になっていた。



         ➡

        ⬆ ⬇

         ⬅         

      


 いや、喜んでる場合じゃないぞ!!

 これは、いったいどういう状況なんだ?

 『彼を仲間にしますか?』だって、そんなの絶対いやだ!…っていうか、これは、VRゲームをしてるんじゃないぞ!!!

 これは、これは、、、僕は今、ゲームの中の世界にいるんだ!!!!!




   →『彼を仲間にしますか?』 




 

  【はい】       【いいえ】 



     ⬆


 

 あぶないっ!!!!


 僕は、身体を右にそらして、なんとか大事故を未然にふせいだ。


 

   


  【はい】       【いいえ】

  


            ⬆


 

 ハァ…ハァ…。


 ちょっとまって! いったん落ち着かせてくれ!


 僕は、死んで、それで、この矢印に身体がなって、そのあと、『生まれますか?』みたいな、今目の前にあるような質問の塊が、現れて、僕はそこで【はい】を選択して、それで、それで…。


 今、ここにいるのか。




  【はい】       【いいえ】


          ➡

         ⬆ ⬇ 

          ⬅



 まて! どういうことだ!?

 僕は、転生したのか? これは、この世界は、僕の新しい世界? 

 ほんとに!? ほんとに、そうなの??? 

 こんな、アニメみたな、ゲームみたいな景色の世界に、僕は転生したのか?


 ゲーム画面のような質問の塊の奥には、依然としてレスラーが置物みたいに僕のことを睨んでいたし、酒場に居た他の屈強な酔っぱらいも、どんちゃん騒ぎのさなか、身体をピンで止められているみたいに、ありえない格好で静止していた。



 わけがわからん!



 

  

    →『彼を仲間にしますか?』



 

   【はい】       «いいえ»



                ⬆ 

 


 まあいい!

 とりあえず、ここがどんな世界で、僕がなんであろうと、この質問は絶対【いいえ】を選ばなくちゃいけないのは、確実だ。

 そもそも、選択肢があるとしても、なんで『話しかけますか?』とか『逃げますか?』とか『攻撃しますか?』とかじゃないんだよ!!!

 こんな見るからに悪党の男と、なんで初対面で仲間にならなくちゃいけないんだ!

 



 カチッ




 クリック音がして、空間に浮かんでいた質問が消えると、目の前のモノクロの景色は、絵の具でも垂らしたみたいに色が戻り初めた

 そして、そこに居た人も物も、すべての時間が再び動き出した。


「おい、ガキ」


 彫刻のように止まっていたプロレスラーは、相変わらず僕の事を睨みつけたまま、ほとんど表情も変えずに、口をわずかに動かした。

 そして、僕の身体は、矢印から人間の身体へと戻っていた。


 なんだ、いったい何が起きてるんだ?

 この後、何が起きるんだ?

 僕は、こいつを仲間にしなかった。

 そしたら…。

 どうなるんだ?

 まさか、ひょっとして…、このまま、た、tたた戦いに、発展するんじゃ、ないだろうな。


「これ、お前のか?」


 プロレスラーはそう言うと、カウンターの椅子に置いてあった、みすぼらしい何かの塊を手にとって僕に見せた。

 どうやら、襲いかかってくる展開ではないみたいだ。

 何か、返事をしようとしたけど、僕はできなかった。

 コミュ障だったからなのかもしれないけど、僕の視界にまた文字が現れたせいでもあった。



【はい】  【いいえ】



 僕の身体はもう矢印じゃなかったし、世界の時が止まっていたわけでもなかったのに、そんな二択がまた僕の視界に被さるように現れたのだ。

 

 この質問は、一体何なんだ!?


 ほとんどパニック状態に陥りながらも、とりあえず何か応答しようとした結果、僕は【はい】を選んだみたいだった。


 

 «はい»    【いいえ】

 


 カチッと音がして、浮いていた文字がパタッと消えた。


「ほら、きいつけな」


 プロレスラーは吐き捨てるようにつぶやくと、手に持っていた、革の袋を僕に投げてよこした。


 ガチャリッ


 けっこうな重さと、金属と金属がぶつかるような音がした。

 僕は、なんとか頭を下げてお礼をしたあと、不審そうに僕の事を見つめるプロレスラーから逃げるように離れて、現実なのかゲームなのか区別がつかない不気味な酒場から脱出した。




 酒場を出た後、僕は、目の前に繰り広げられる途方も無い景色は一旦無視することに決めて、人気のない路地に身を隠すと、自分の身体を隈なく調べた。

 すべての身体を動かす感覚、手も足も指も顔も耳も目も口も鼻も何もかも。

 すべては何の違和感もなく動かすことができたし、サイズや感触は、僕が死ぬ以前とまるで変わらないものだった。

 ただ、見た目はあきらかに違った。

 まるでアニメの登場人物みたいなデザインだった。

 来ていた服も、まるで魔法使い見習いみたいな、みすぼらしい服だ。

 前の世界の僕がドキュメンタリーなら、今はコメディくらいはジャンルが違う。

 これは、、、喜ぶべきなのだろうか…。

 いや、たしかに、アニメとかゲーム好きだけどさ…。

 …。

 あそこは、どうだろう…。


「おい、なんてことだ! コメディみたいに小さくなっちまったじゃねえか!!」


 いや、マック。大きさは変わってない。


「omg」

「lol」


 いや、まて! 

 こんな事して遊んでる場合じゃないぞ!

 僕は、まじで、異世界転生しちゃったのか?

 してしまったというのか???

 それも、こんな、いかにもって感じの世界に?

 大丈夫か? 

 僕は、やれるのか?

 何か、特殊能力は、ちゃんと授かっているんだろうな!?


「あのぉ…。クッキーはいかがですか?」


 屈んでいた僕の頭上から、小さな女の子の声がした。

 これは、何か特殊なイベントだろうか。

 さっきのプロレスラーはノーカウントだと信じたいけど、もしかしたら、異世界転生時の重要なイベントキャラだったのかもしれないけど、どうだったんだろう。

 僕は半分うわの空だったけど、声の主に応答するため顔を上げた。

 そして、視界に入ってきたのは、花柄のエプロンをして、赤いバンダナを頭に巻いた少女と…。

 もはや馴染み深い言ってもいい、あの二択だった。


【はい】  【いいえ】


 

 ゆるきゃらとか呼ばれていた三次元キャラクターよりも何倍も愛くるしい、まるで絵本の世界で暮らしているような少女が、どうやら、僕にクッキーを売りつけようしているらしかった。

 そして、僕は、そのクッキーを買うか買わないか、目の前の選択肢のうちどちらかを選ばなくてはいけないらしい。


 ああ…。


 声を出そうとして、やはり出なかった。

 あのコミュ障だった時の、喉の奥がつっかえているような圧迫感が、この異世界においても、存在していた。


 情けない。 

 相手はこんな、がきんちょなのに。

 それなのに、僕は「はい」か「いいえ」すらも、自分の口では言えないのだ。


 でも、僕はそんな自分の汚点を、この時すでに深刻に捉えていなかったように思う。

 というか、もう悩まなくてもいいんじゃないかって、なんとなくだけど、直感的に思っていた。

 僕はこの世界に来てほんの数分しか経ってなかったけど、ある一つの事を悟りかけていた。 

 


 【はい】   【いいえ】


 

 この眼の前に浮かんでる選択肢は、もしかしたら、そんなどうしようもなくコミュ障な僕のことを助けてくれる、神様が用意してくれた助っ人なのかもしれない。


 «はい»    【いいえ】


 

 少女のエプロンに重なるように浮かんでいた二択の、選びたい方に僕は視線を向けて、少し集中すると…。


カチッ


心地の良いクリック音がして、二択の塊はエプロンから消えると、不安そうに僕の事を見ていた少女の顔が、きらりと光って笑顔に変わった。


「ありがとうございます!」


 何も喋ってないし、頷いたり、笑顔を向けたわけでもなかったのに、少女は嬉しそうにそう叫ぶと、手を引っ張って、路地裏で建物の影に隠れるように座っていた僕を立ち上がらせた。

 どうやら、僕は彼女の「クッキーはいかがですか」という質問に、【はい】と選択し、それが彼女に伝わったみたいだった。

 僕は、一言だって喋ってないのに。


 ああ、なんて…。

 ここは、天国か?


 コミュ障の僕にとって、言葉を発しなくても、伝えたいと思っている事がちゃんと伝わる世界なんて、天国以外の何物でもなかった。

 自分の嫌な声を相手に聞かせることもない。

 どんな言葉を使えば適切なのか、迷って、時間がかかって、相手を困らせることもない。

 そして何より、他の誰かが、僕が何も話さないことを不思議に思ったり、怪しがったり、不快に思ったりすることも、このゲームのような世界では、ないかもしれないんだ。


「実は、今日が、パパのお店のオープン初日なんですっ」


 途端に世界がリアルに変わる。

 アニメやゲームのような、僕の人生とは別のもう一つの現実ではなく、今ボクがいるこの世界は、たったひとつの僕の現実なんだ。

 あんなに違和感があったアニメチックな風景も質感も、僕はすでに自分のものにしていた、というより、僕の身体がすでに、この世界と馴染んで溶け込んでいた。

 そして、何の根拠もなく、どこからともなく湧いて出てきた自信。

 ほんのちょっとで、恥ずかしいくらいの。

 でも、前の僕なら持て余してしまうくらいの。


 僕は、この世界なら生きていけるかもしれない。


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