せっかく異世界に来たのに、僕は『はい』か『いいえ』しか選べない。

倉科光る

第一話 矢印

 あ、僕の人生詰んでる。


 そうなんとなく思ったのは、僕の偏差値がどうとか、顔面の偏差値がどうとか、親の職業がどうとか、非力だとか、貧乏だとか、性格がクズだとか、そういうのじゃなくて、自分が周りと比べて極度のコミュ障であることに気がついた時だった。


「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「行ってきます」「ただいま」

「おやすみ」


 上記は、今日僕が一日生活して発した言葉のすべてである。

 誰も不快にさせないし、怒られることもない。

 まさに少数精鋭、選りすぐりの言葉だ。


 もちろん学校にはちゃんと行っていた。

 朝起きて、ごはんを食べて、学校に行って授業を受けて、部活をして、帰ってきて、ご飯を食べて、オナニーして、眠る。

 にも関わらず、その間に僕が発したのはこの6つの言葉だけなのだ。

 しかも、全部独り言。

 両親は僕の声を、もう三年は聞いていなかったらしい。


「おいおい、ブラザー! 今日初めて日本語を習った俺より、語彙が貧弱じゃないか! HAHAHA」


 唯一会話をしてる(といっても、オンラインゲームのチャットのみだけど)友達のマックにそう言われても、僕は何も返す言葉がない。


「lol」


 それだけチャットして終わりだろう。


「お前の努力が足りないせいだろ、人のせいにするな」

そんな言葉を、何度か先生からも親からも言われた気がするけど、僕は何も喋ってないのに、どうして全部人のせいにしてるってバレたんだろう。


「目が死んでる」


 ひそかにファンだった同級生の女の子が、そう陰口を言ってたっけな。

 目が死んでるせいで、きっと、コミュ障なのを人のせいにしてる事がバレたんだろう。


「〜ちゃんは、あいさつがちゃんとできて偉いね」


 まさか、大好きだった幼稚園の時の先生も、僕が高校生になってもまだそれしか出来ないなんて想像もしてないだろう。

 というか、僕のことなんて覚えてるわけもないか。


 広くて白い、病院の硬いベッド。

 瀕死の僕の頭の中では、まるで走馬灯のように、今までの印象的な会話が思い出されていた。

 まあ、会話と言っても僕は何も喋ってなかったけど。


「…ンヤ、聞こえる? …ンヤ」


 うっすら声が聞こえる。

 これは、思い出じゃなくて、今、まさに、息をひきとろうとしている、僕に向かって話しかけている、言葉だ。


「…ュンヤ。…ンヤ。…ヤ」


 僕の名前を呼ぶ声が、3種類くらいは聞こえた。

 お父さんと、お母さんと、それから、先生かな?


「…ァア」


 最後くらい、何か言おう。

 何か、言いたいこと。

 

「               。」


 僕は、確かに、何かの言葉を、僕の顔を覗き込んでいた両親と先生に、言った気がする。

 でも、その言葉はなんだったのか覚えてないし、本当は何も言えなかったのかもしれない。



―――――――。



 もし、こんど生まれ変わっても、僕はもう二度と人と話したくない。






 広くて、白い、どこかの空間。

 死んだはずの僕がいたのは、そんな何もない場所だった。


 あれ、まだ病院のベッドかな?


 そう思ったけど、どうやら違うみたいだ。

 ここは、病院のベッドとは違って雲みたいに柔らかかったし、僕という存在もいなかったからだ。

 より具体的に言うと、さっきまであった僕の身体が、ここにはなかった。



 ➡


 あったのはこれだった。

 失礼。

 さっき、何もない場所といったけど、正確にはこの ➡ 以外には何もない場所だ。


 ➡


 そして、この ➡ が、どうやら今の僕の身体みたいだった。

「おい。ブラザー、お前は何を言ってるんだ?」

 マックにそう言われても、僕は何も言うことがない。

 だって、本当のことだし、それ以外には何もないんだから。


 ⬆


 なんとなく、身体の向きのようなものを変えようと、意識を集中させると、こんな風に ➡ は上を向いて ⬆ の形に動いた。


「おい、それじゃあ、お前は本当に、そんなチ○コみたいな形になっちまったって言うのか?」


 ⬇


 うなずこうとしたら、今度はこんな形になった。

 どうやら、本当に僕の身体は、ただの矢印になってしまったらしい。


「マック、ようやく就職先が決まったよ。俺、道路の交通標識になるよ」

 

 せっかく思いついたジョークも、今はvcどころか、チャットもできない。

 そう思うと、あんなに嫌だったのに、あんなに苦しかったのに、早く死にたかったのに、あんなに話すことが嫌だったのに、悲しくて涙が出そうになった。

 

 ⬇


 でも、涙はもうでない。

 というか、なんだこれは。

 人間が死んだら矢印になるのか? 

 そんなの、聞いたことないぞ。

 これは、なんだ、僕は、死んだのか?

 それとも、まだ生きてるのか?


 とりあえず何か出来はしないかと、身体を動かそうと頑張ってみた。


 ➡

 ⬆ 

 ⬅

 ⬇




 ➡

⬆ ⬇

 ⬅

 

 僕は、精神と時の部屋みたいな何もない白い空間でひたすら、ぐるぐると回って動いて、すぐに飽きた。


 おーい。

 何もできないぞ。

 まじで、ただ、ひたすら回り続けることしか出来ないんだけど、どうなってんだ。


 かみさまあ?

 人間が一人死にましたよ?

 これは、なんですか?

 今は保留中なのですか?

 僕はこのあと、天国か地獄にちゃんと行けるんでしょうか?

 それとも、ラノベみたいに、異世界に転生できるのでしょうか?

 おーい。

 かーみーさーまー。


 そう話すこともできず、僕は相変わらず、水族館の水槽で泳ぐイワシみたいに、ぐるぐると回り続けた。


「ねえ、人生たのしい?」


 小学生の時、遠足で行った水族館で僕は魚に向かってそう言ったけど、今なら代わりに答えられる。


 全然たのしくない。


 そのときだった、とつぜん、文字が現れたのは。






    『生まれますか?』




  【はい】     【いいえ】





 僕の目の前に、透明で巨大な看板があるみたいに、そんな文字だけ空間に浮いていた。

 なんだろう、この文字のかたまりは。

 それに。


 生まれますか?

 

 なんだ、その質問は。

 まったく意味がわからなかったけど。

 わかったことがひとつあった。

 僕は今、生まれてないんだ。


 正直、生きてるのか死んでるのかはわからなかったけど、僕が今生まれていないっていう事は、この質問が目の前に浮かんでることで理解できた。

 そして、この【はい】と【いいえ】の選択肢がちゃんと用意されているところを見ても、僕の今の状態は人間でもないし、世界に命として生まれていない状態なんだろう。


 さて、どうしようかな。

 うまれるか。うまれないか。


 ⬅

⬇ ⬆  【はい】  【いいえ】     

 ➡



 まさか、生まれることに選択の余地があったなんて、神様は意外と親切なんだな。

 

 うーむ。

 なやましいなあ…。


 なんて。

 本当はこれっぽちも悩んでなかった。

 そりゃあもちろん、僕だって自分なりに色々と考えはあったし、人からもありがたいお言葉とか聞いてたけど、自分の正直な気持ちは、最初から最後までずっと一緒だった。

 生きていたときも、そして、死んだ時も、今だって。


 

【はい】   【いいえ】


        ⬆



 そして、なんで今、僕が矢印なのかも、ようやくわかった。

 わかりやすくていいや。

 あーあ。

 もうこの体ともお別れか。

 少しだけ気に入ってたのになあ、矢印。


 

   «はい»    【いいえ】


    ⬆



 ちょっと、ざんねん。

 

 


    カチッ    




 軽快なクリック音がして、僕は異世界に転生した。


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