変わらないもの

みゆう

「私」と「俺」と「僕」

「乾杯!」

 騒がしい居酒屋の中、私の声に合わせて、三つのグラスが勢いよく音を立てる。

 そのまま口を付けると、冷たいビールが一気に喉を通り、身体中を潤していくのが分かった。

「んっ……はぁー! 美味しい!」

「ふはっ、お前、口の周り真っ白」

「ってか、やっぱりお酒強かったんだな」

 私は、置かれたおしぼりで慌てて口を拭いながら、隣の彼の言葉を聞いて「あぁ、そうか」と思い出す。

「この三人で飲むのって、初めてなのか」

 私達は、高校の同級生だ。

 女一人に、男二人。

性別も部活も趣味も、お互いに全く違ったけれど、なぜか凄く馬が合って、いつも一緒に遊んでいた。クラスもずっと同じだったし、仲良くなったきっかけも、今となっては思い出せない。でも、汗とか涙とか、そういう青春っぽい記憶の中には、必ずこの二人がいた。

そういえば、よく放課後に、三人でアイスを食べながら歩いていたな、なんて。

「そうだぜ? つーか、卒業以来会ってねぇからな。なんとなんと十年ぶり」

「えっ、嘘、そんなに⁈」

 前から聞こえた声に、一瞬で脳内の高校時代から引き戻される。

 そうか、もう、そんなに経っているのか。

「早ぇよなぁ」

 時の流れを楽しむように、彼が笑った。

「うん、早いね」

 私は、そんな風に笑えているのだろうか。

「まぁ、今でもちょくちょく連絡取ってるし、あんま久しぶりって感じしねぇよな。実際、俺らはよく会ってるし」

「あぁ、僕らは職場も近いし……それに、どっかの誰かさんと違って、暇だし?」

「うわっ、なんか嫌な言い方」

 隣からの挑発には、お得意の目力で返してあげる。

「ははっ! コイツは俺らの中じゃ、一番の出世頭だろ。なんてったって、超有名企業の次期社長候補!」

「しかも、歴代トップクラスの若さ。いやぁ、凄いねぇ」

「なに、さっきから馬鹿にしてる?」

「してねぇって!」

「してない、してない。ちょっと、ここ奢ったりしてくれないかな、って思ってるだけ」

「もっと酷いし!」

 三人で、一斉に笑いあう。

 本当に、久しぶりという感じがしない。

 会う前は柄にもなく緊張なんてして、座りながら何度も時計を見たりしていたのに。居酒屋の扉を開けて、入ってくる二人を見た瞬間、そんなものは消えてしまっていた。

 昔どおり。高校の、あのときどおり。

 そんな変わらないものに、胸が静かに音を立てる。

「そういえばさ、他の皆ってどうしてるの?」

 ふと気になって、二人に尋ねてみた。顔を覚えているのは数人だから、名前を聞いたところで、思い出せるかは微妙だけど。

「あぁ、僕はあんまり知らないからな……そっちは? 交友関係って言ったら、一番広かったのお前だろ」

「俺? うーん……」

 必死に眉を寄せているのを、枝豆をかじりながら、ぼんやり眺めていると

「あっ! そうだわ、ミスコンとミスターコンのカップルいただろ」

「あのサッカー部の?」

「あー…………」

 ほぼ切れかかっている、記憶の糸を手繰り寄せる。

「そういえば、いたような……美男美女カップルだって、付き合ってすぐのとき、噂になってたやつだっけ」

「そうそうそれ! あの二人、結婚して、今は子供もいるらしいぜ」

「へ……」

 思わず手が止まる。

「結婚、か……」

 溜め息のような独り言が零れた。自分と同い年の、しかも知っている人が結婚するというのは、何度聞いても不思議な感じだ。

「そうだったんだ。その子供も、それは整った顔をしてるんだろうな」

「絶対そうだよなぁ~……いやぁ、羨ましいぜ……」

「ははっ、頑張れよ」

「ムカつく言い方しやがんなぁ」

 男同士で笑いあっている様子を、ジョッキ越しに見つめる。結婚。あるときから、急に考えなくなった気がする。

 私はまた、ビールを流し込んだ。

「で、お前は結婚願望とかねぇの?」

「えっ、私⁈」

 思わず、むせかけてしまった。この流れで、急にこっちに振られるとは。

「お前以外に誰がいるんだよ」

「いや、まぁ、そうだけど……私は別にいいかな」

「はっ⁈」

 二人が、同時に目を見開く。え、私って、そこまで餓えていると思われていたのか。

「昔は、あんなに恋人が欲しいとか言ってたくせにか」

「だな。高校生にもなって、運命の赤い糸がどうとか、恋占いがどうとか騒いでたのに」

「う、うるさいなぁ……というか、高校生にもなってって、年齢は関係ないでしょ」

「だったら、なおさら今もだろ。彼氏いねぇんだよな?」

「……う、うん…………」

「はぁ、そうか……もう枯れちまったか……」

「いや、枯れたって……」

「次期社長候補が、悲しいねぇ」

「今の社長、泣いてんじゃねーの?」

「まったくもう、さっきから失礼だっての!」

 水を得た魚のように私をイジりだした二人に、ゲンコツをお見舞いする。

「ははっ、いてぇ~!」

「マジで懐かしいな」

 まぁ、全く反省の色は見えないが。

「……ふふっ」

 変わらない関係性、か。

私達の精神年齢だって、きっとあの頃と変わらないままなのだろう。

「じゃあ、懐かしいついでに、じゃんけんしよっか」

 握った拳を突き出すと、二人もニヤリと笑って同じポーズをした。

「ということは、負けたやつが」

「全額支払うってことで!」

 きっと私も、この二人と同じ顔をしている。

「じゃあいくぞ…………じゃん!」

「けん!」

「ぽん!」

 そして今、こうやって騒げていることが、私は本当に嬉しかった。

「ぐあぁ……! 俺か!」

「あははっ、ここもいつもどおりじゃん!」

「お前ほんっと弱いよな、いやぁ、ゴチになります」

「なりますです!」

「マジかぁ……俺、今月ピンチなんだけどな……」

 唸りながら財布と格闘する様子を見ながら、こっちはこっちで改めて乾杯する。

「んっ、はぁ……他人の金で飲む酒って、こんなに美味いんだな」

「あはっ、それ、最低な台詞じゃん」

「お前らなぁ……」

「だって本当のことだもんな?」

「ねー?」

 このノリも、なんだか凄く懐かしい。

「えへへっ」

「ったく、…………よっと」

「……ん、あれ、どこ行くの?」

 急に立ち上がったから何事かと思い、目線をやると

「トイレだよ、トイレ。お前ら、俺の貴重な金で飲ませてやってんだ。ありがたく思えよ」

「はいはい」

「ありがとうございます~」

 ふらふらと遠ざかる背中に、適当なお礼を言いながら見送る。

 と、途端に静かな空気が流れた。これも、まぁ、私達のあるあるだ。

「あー…………」

でも今日は、どうしても伝えないといけないことがあって。

「そういえばさ」

 私が言うと、隣で彼が「ん?」と微笑む。

「結婚、おめでとう」

「……おう、ありがとう」

 少し驚いた顔をした後の、今日一番の笑顔だった。

彼が結婚したのは、もう数年前。私は残念ながら、仕事の都合で式には行けなかった。友達なんだから、せっかくの彼の人生の節目には、なにをおいても駆けつけるべきだったのだろうけど。

……まぁ、そんな簡単な話ではないのだ。

「お前、やっぱり律儀だよな。報告したときも、ちゃんとおめでとうって言ってくれてたのによ」

「ほら、あのときはメールだったからさ。まぁ、めちゃくちゃ今更だけど」

「ははっ、そういうところだよ」

 同時にビールを煽ると、私の方が先に空になってしまって、また二人で笑う。遅くなってしまったけれど、やっと、こうやって直接祝うことができたのが、なによりも嬉しい。

「それよりさ、奥さんって美人?」

「え? うーん……」

「ほらほら、もったいぶらないの。聞いたんだからね。すっごい可愛いんでしょ?」

「まぁ……めちゃくちゃ?」

「あームカつく! 奥さんよりも、そんな人を捕まえたあんたの方が羨ましいわ!」

「ふはっ、なんだよそれ」

 怒りにまかせて、追加で頼んだビールを一気に流し込む。

「まぁでも、お前も絶対イイ男の一人や二人、捕まえられるって」

「……」

 ……多分、これは、本気で言ってくれている。

「だから、私は良いんだってばぁ……」

普段は軽くて、冗談めいた話し方ばかりだけど、こういうときは、ちゃんと伝えてくれるんだ。

 それに気付けるのも、私が彼の友達、だから。

「私は、これからも、ずっと独り身なんですよ……」

「んなこと言うなよー。諦めたら、本当に終わっちまうぜ?」

「終わっちまうって……良いの。人生、結婚が全てじゃないんだから」

「んー……まぁ、お前がそれで良いんなら、別になにも言わねぇけどよ」

「そうそう、いーの…………あ、ほら、あいつ帰ってきたよ」

「ん、ホントだ」

 私の指さした方に、彼がひらひらと手を振る。

 それを私は、静かに眺めていた。

 今までも、これからも、私達のこの関係は、ずっと変わらないのだろう。

それで良い、いや、それが良いんだ。

 昔から、ずっと。

「どうした?」

「ううん、なんでもない。飲もっ!」

 三人揃って、もう一度乾杯をする。

 うん、これで良いんだ。

 彼の薬指に踊る光が、私の胸を刺したのは内緒。

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変わらないもの みゆう @Miyuu_paleblue

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