昔の夢を見た日
「私はね、村では薬屋をしてたの。この村どころか、この領土一番の薬屋でね、街ではいつも飛ぶように私の薬が売れるのよ。あ、もちろんこれは自慢よ?家族以外で自信を持てる唯一のことだもの。」
とても小さい、髪の短い女が私に向かって笑顔で語りかけている。人間の「女」は何度か本の挿絵で見たが、こんな大きさの生き物だったのか。
黒い髪、暖かい笑顔、茶色い目は太陽の光でキラキラしている。どこかアロエに似ているのが不思議だ。
「でもね、薬屋って、なんでも治せるわけじゃないのよね。傷は治せても、血は止められても、病は治せても、切れた腕は生えてこないし、消えた内蔵も生まれてこない。薬で救えない人たちもいる。そして、それが、私の村の村長だったのね。」
さっきまで明るい表情をしていたのに、目を伏せて、自虐的な笑みを浮かべて爪を噛みはじめた。
大人の人間のように見えるのに、どこか幼い。
「村長は優しいし、自分の人生を受け入れられる強い人だから、私を責めたりしなかったんだけど……村長のお父さんにすごく恨まれちゃって……。その、彼って先代の村長なのね、だから村で影響力があって、彼に嫌われると村での立場が本当に悪くなるのよ。儀式の時に見たと思うけど、私酷い扱い方されてたでしょ?」
これは、夢か?
でも夢の中の私がいないし、目の前の小さい女も誰だかわからない。
「だれなんだ?」と女に聞こうとして、声が出ないことに気がついた。
視界も動かない。
小さい女がいる方向しか見ることが出来ない。
どうなっているんだ?
「でも、生贄になったのは村長たちのせいじゃなくて、私が自分で決めたことよ。私は、あなたと直接話して、きちんと邪神のことを知ろうと思ったの。まあ、家族の誰かが生贄に選ばれそうな状況だったし、家族を守るためでもあったんだけどね。
今思えば、家族みんなで生贄送りにされれば良かったって思うわ。息子も私と同じようにあなたを気に入っただろうし、夫も─魔物がとっても苦手だけど─すぐに慣れてくれるだろうから。」
生贄という言葉が出てようやく理解した。
昨日アロエから聞いた話に出てきた、アロエの母親だ。生贄になる理由も一致しているし、何より、アロエをそのまま女にしたんじゃないかってくらい似てる。
「おぁああああ!!!ハァ、ハァ……お、お前!!!!タンポポをどこへやった!!!教えろ!!!俺の妻を返せ!!!」
突然小さい女が消え、今度は小さな男が目の前に現れた。無精髭と大きな手、ガチガチした硬そうな筋肉が目立つ。見覚えのある髪型の黒髪と高い鼻からして、こいつはアロエの父親か。
人間は「男」もこんなに小さい?いや、私が大きいのか??
「じゃ、邪神だろうが人喰い魔物だろうが容赦は…………………。え?街に行ったのか?う、嘘つけ!!どうして魔物が人を逃がすんだ!!」
はじめて視界に手が映った。
男の背と同じくらいの大きさの手だ。
指先には小さな紙が載っている。
私の手は、こんなに大きくない。
こんなに大きいのは、夢の中の私の手くらいだ。
もしかして、これは夢の中の私が見てる景色なのか?
「タ、タンポポの字……。そうか。邪神様は妻を街まで送ってくれたんですね。妻を助けてくださり、本当に、ありがとうございます!!」
小さな紙はどうやら女からの手紙だったらしい。
男は胸を撫で下ろすと、背筋を伸ばして律儀に礼を言った。単純で良いやつみたいだ。
しかし次の瞬間、さっきまでとはうってかわって弱々しい姿になっていた。
「申し訳ない。俺は体が強いから、妻よりも長くいられると思ったんですが。俺の魔素が少ないばかりに、ただただ弱るだけの結果になってしまいました。」
また人間が突然消えた。
男がいなくなったと思ったら、新しい男がでてきた。
ひょろひょろで痩せこけてるのに、目だけは力強い男。こいつは誰だ?
「どうも。はじめまして。村長のカラスです。こんな、栄養も魔素もない死にかけの人間を文句も言わず引き取ってくれてありがとうございます。おかげで、彼らの子供が生贄になるのを阻止できました。……ところで、彼らはどこに?生きていますか?」
村長……こいつが……。
でも、アロエから話に聞くやつとは随分雰囲気が違う。本当に同じ人間か?
「ああ、二人とも街へ。生きているのならよかった。やっぱり、邪神様は人を殺さないのですね。実は、生贄になる前に、村史を読んできたんですよ。邪神様がこの村に現れてから、今まで、全ての村史を。おかげであなたのことをよく知ることが出来ましたし、こうして、あなたを恐れずに会話する事ができるようになりました。」
まさか村長が私のことを全部知っていたなんて。
私のことを追いかけてくることと何か関係があるのか?私は、村に来てから何をしてきたんだ?
「正直……村人に文字を読める人間がもう少し多ければ、こんなことにはならなかったんじゃないかと思いましたよ。村史には、あなたが人を食ったとか、殺したとか、そんなことひとつも書かれていなかった。村の守り神として、私達を山賊や魔物から守ってくださっていた。その代わり生きていくための魔素を村人から貰う。とてもよい関係だったのに……村史が残されなかった、たった三百年の間に、あなたは守り神から邪神様になってしまった。おそらく戦の影響で文字を習えるほど余裕のあるものがいない時代だったのでしょうが……。文字を読めるものが村長になっていれば、あなたを誤解することもなかっただろうに。嘆かわしい。本当に、申し訳ない。私にどれだけ償えるか分かりませんが、この命が尽きるまで、精一杯、あなたのために生きましょう。」
私が知らない私のことだ。
私は、邪神じゃないのか?
それに、村長がどうしてこんなに優しいんだ。
どうして私と一緒にいたんだ。
また、人間が突然消えた。
そして、また変わる。
今度は村長と、頭に毛が生えてないしわくちゃの人間がいる。
この夢はいつまで続くんだろう。知らないことばかりでもう疲れた。
「邪神!!わしの息子を返さんか!!この人攫いの人喰いが!!」
しわくちゃの人間の目付きは縄張りを荒らされた狼よりも怖かった。初めてハトの声を聞いた日のことを思い出した。人間への恐怖。
「父さん。生贄になる前に言いましたよね?邪神様は誰も殺してないって!それに何なんですか後ろにいる人達は。」
村長の言った通り、しわくちゃの人間の後ろには二人の人間がいた。茂みに紛れていて気づかなかった。しかもよく見ると、森で私を追いかけてきたやつに似てる。あいつも私に会ったことがあるのか?
「フン!なにが村史じゃ。んなもん邪神が生贄を取るために無理やり書かせとったに決まっとろうが!!誰も殺しとらんならなぜ誰も帰ってこんのじゃ!!なぜわしの妻は帰ってこんのじゃ!!わしは息子まで殺されるのは辛抱ならん!!だから今日わしは邪神を殺しに来た!!!後ろにおるのはわしが雇った街一番の傭兵じゃ、負けはせんから安心せい。」
「帰ってきた人達もいたじゃないか。それなのに祟りが起きると言って足を潰して邪神様に返しただろう!!街で生贄を見かけたら無理やり連れ戻して同じように邪神様へ返す!かといって森へ逃げれば魔物に食われる!逃げ道をなくして誰も帰れなくしたのはこの村だろうが!!」
「それは邪神が祟を起こすから悪いんじゃろうが!邪神さえ殺せばもう怯えんですむんじゃ!村の歴史は変わるんじゃ!!」
しわくちゃの人間と村長の言葉一つ一つが胸に刺さる。こんなこと何も望んでいないのに。
私は、ただ生きるだけで、人を傷つけてしまうんだ。視界がぼやけて滲む。
この話を聞いていた時の私も同じように傷ついたんだ。今の私と同じように苦しくなったんだ。
「あ……じゃ、邪神様……泣かないでください。全部、私たちが悪いんです。私たちがあなたを苦しみ続けさせてしまったんだ。」
また、人が消える。
視界は真っ白なまま、何も無い空間。
夢の終わりだろうか。
「やあ。久しぶりだね。」
夢の中の私の声がする。
「君はアロエから昔話を聞いたんだろう?きっと私と話したいことがあると思ったんだ。でも一から全部説明するのは手間だからね。実際の記憶を君に見てもらったのさ。」
「あの後、どうなったんだ?みんな生きてるのか?」
「今日はもう朝が近い。詳しい話はまた会った時にしよう。ただ、一つだけ言っておく。アロエの両親は生きているよ。」
夢から覚めたあと、最初に目に入ったのは、アロエの安心しきった寝顔と、その閉じた瞼から流れる涙だった。私のせいでアロエはここで一人寂しく生きているんだという罪悪感が胸を締め付けた。その力と同じくらい、強く、強く、アロエを抱きしめた。
「ちょっと!いたい!ど、どうしたの!」
力が強すぎて起こしてしまった。
すぐに力を弱めるが、こうして無自覚に誰かを傷つけてしまうことが恐ろしくなった。
「君はもう僕より大きいし力も強いんだから、そろそろ加減を…覚えないと………ね、って、言いたいところだけど、今日はいいや。なにか悪い夢でも見た?」
アロエは私の顔を見てなにか察したみたいだった。私の頬にそっと手を添えて、優しく撫でてくれる。その優しさがまた胸を締め付ける。
私がこの村で生きていたから、私が、私が全部悪いのに、どうしてこんなに優しくされなきゃいけないんだ。
「アロエ、ごめんなさい。私がアロエをこんな所にいさせてるんだ。私がいたからアロエは村にいられないんだ。 私が、私なんて、い─」
頬を撫でていた手がすっと私の口元を抑えた。
「君がいなくなったら、僕はまた一人になるんだよ。僕のためにそんなことは言わないで欲しい。いなくならないでほしい。こんなに身勝手なことを言うんだ。そんな人間に謝る必要なんかないよ。大丈夫。」
アロエは私の顔を胸に抱き寄せて、優しく頭を撫でてくれた。人間の体の暖かさと、ゆっくりとした心音が私の中に伝わってくる。
私もアロエの体に腕を回し、今度は、優しく、抱きしめた。
「落ち着いたら、今日は、なにか美味しくて暖かいスープを作るよ。君が好きな魚もたくさん入れよう。」
「いやだ。私なんか、より、アロエが、好きなやつがいい。アロエが、笑うようなやつ。」
「どうして?」
「アロエが、泣いてるから。」
頭を撫でていた手が止まった。
アロエは自分の頬に手を当てて、涙に触れた。
濡れた指先を見て、私に視線を移す。
「これは、雨だよ。ほら、窓の外から雨粒が入ってきてる。」
言われて窓を見てみると、ほの暗く重い雲が広がっていた。風に吹かれた雨粒が私の頬に当たる。
黒山猫はいつ輝く 雨降空(アマブリ クウ) @llskull
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