第6話 悪い男


男がそのままの体勢でいるのに反して、レイの方は積もり続ける雪に腰を下ろしている。


「そんで、そいつがこう、叫んだんだよ。『待って!そこはトイレじゃなくて、ペット用おしっこマットよ!』ってね。」

「ぷーっ!何、その人!面白ーい!」

「そうかい、そりゃ良かった。」


レイは、お姫様のように高らかに笑う。

男の方も力無く微笑んでいる。

男の身体は既に腰まで凍ってしまっていて、ろくに動かす事も出来なさそうだった。


「アンタは何を言っても笑うね。」

「君の話、面白いよ!もっと無いの?」


男は肩を竦めるのではなく、きゅっと首を縮めてを表現した。腕が地面へ張り付いて動かないからだ。


「面白いかは自信ねェぞ。生まれてこの方、自分が面白いと思ったことねえからな。」

「自信持って!レンくんめっちゃ面白い。」


男はそう言われて初めて、自嘲的に鼻を鳴らした。


「だったら、もう少し話すよ。」

「やった!次は何の話?何の話?」

「そうだな。じゃあ、俺の異能の話。」


レイは身を乗り出して反応する。


「お!趣向を変えてきたねー。」

「ああ…話題ともだち、もういねェからな。」


……レイは途端に、口の端を鋭く歪ませた。


「あーーっ!!アッハッハッハッハッ!!」

「…ふっ…ふは、ふ…はは…」


レイは太ももをバンバン叩いて大笑いする。

彼が体を後ろへ倒したり前へ倒したりする度に、しっぽのような一つ結びが機嫌良さそうに揺れる。

男もそれにつられて、口から空気を漏らすように断続的な笑い声をこぼした。


「レンくん、やめてよ〜。面白すぎっ。」

「……フハハッ。」


男は雑巾を食んだように鬱屈とした顔をしている。

彼はこれを、面白い言葉のつもりで言ったのでは無かったらしい。


男は小さく咳払いをして


「……では、ぼちぼち始めようかね。」


と、丁寧に切り出した。


「わあ、楽しみっ。ぴゅう、ぴゅう。」


レイはあぐらをかいた膝の上へ上半身を倒して、楽に話を聞く体勢を作った。

男は逆に上半身を少し反らせて、膝小僧と顔だけをレイに向ける、不自然な体勢を取っている。


「俺は最初に、3つの嘘をついたな。」

「…………。」

「……おい、アンタにだよ?」

「……ん?ああ……え?うん。」


語り話の途中で自分に話しかけられると思っていなかったらしく、戸惑った反応を返すレイ。


「あれ、実は全部本当なんだよ。」


「……ええっ?それもウソ!?」

「ウソじゃねえって。」

「俺の異能力は【 物とお友達になる能力 】だ。話しかければ皆、俺の言うことを聞いてくれるのさっ。」

「何それっ、可愛いっ。」


男の穏やかな語り口調も相まって、レイはいつの間にか雪の積もった地面へ寝っ転がり、リラックスした姿勢で話を聞いている。


男は淡々とした声色で、しかし子供に話しかけるように、例え話を交えて異能力の説明をする。


「生物を作っている物質には目的があるから、話しかけても『ダメっ!君には協力できない!』って言われてしまうけどな。」

「キャッ、健気。可愛いっ。」

「カワイイだろ〜〜?」


「おあっ」


突如、

男の上体が、折れるように仰け反る。


「どうしたの?」

「……。」

「ねえ、お話の続きは?」

「……。」


男は異様に仰け反った体勢のまま、息を吸ったり吐いたりする動作だけを繰り返して、しばらく黙っていた。

滑らかに曲線を描く顎と、逞しく上下する喉仏だけが、レイの方からは見えている。


「大丈夫?そろそろ?」


レイは立ち上がって様子を見に行こうとするが、男はすかさず「大丈夫、元気だ!」と叫んで、また世を饐えるように鬱屈とした顔をレイに向けた。


「……話の続きだけどよ。」

「うんうん。」

「俺には、兄貴が居るんだ。」

「……んッ?……うん。」

「兄貴はバスケをやっててよ。」

「僕もバスケ上手いよ。」


突然メルヘンなお話が男の身の上話に変わったことに不信感を覚えながらも、口を挟むレイ。


「選手になるっちゅう夢があるから、東京トーキョーの方へ出て行っちまって。」


構わず話を続ける男。


「へーえ、すごいねえ。」

「でも俺は今、ここ岩手イワテ禍津マガツ大学に通ってるから、なかなか会えねえんだ。」

「はーいはいはいはい……」


レイはベコのようにカクカク頷きながら、はいを連呼して、ひどく薄っぺらい理解を示す。


「俺はな、2週間後の金曜の午後から、土曜日と日曜日で、兄貴と会う約束をしてたんだよ。」

「あーね?それで?」


男は酷く仰け反った上体に預けるように、レイへ向けていた首を仰向けに倒した。


「……会いたかったな……。」

「うーん。」


レイは薄い唇をへの字にして、首を横へ傾ける。


「……。」

「えー、でもなー。」


そしてわざとらしく悩むようなジェスチャーをしたが……存外すぐに結論を出した。


「君面白いしー、逃がしたくないよ。」


男は黙っていたが、ため息をついた。


「……本当はもっとさっさと殺すんだろ。」

「まあ、そりゃね。」

「やっぱりな。」

「腰までなんて、待ったの君が初めて!」

「……。」


レイは雪の上をゴロゴロと転がっている。

灰色の髪が、まるでアザラシか何かのようだ。


「君一番面白い。泣かないし、叫ばないし。」

「……。」

「ましてやこんなに沢山お話聞かせてくれるなんて。めっちゃ楽しかったよー。」


転がるのをやめると、緑色の目で男を見据えて、愛らしく屈託のない笑顔を向ける。


「俺もだよ。」

「そろそろ限界かな?」

「……まあ、そうだな。」


男は仰け反った体勢のまま、ぴくりとも動かない。


レイは残念そうに唇を尖らせる。


「そっか。」

「……。」

「今までありがとう。」

「こちらこそ…。」


__突然、男が上体を勢い良く起こす。


そして、凍り付いて居たはずの腕を上へ伸ばしてから、非常に芝居がかったお辞儀____

ボウ・アンド・スクレープを披露した。


「Cheers、オカマ野郎。」


「……えっ!?」


男が太い腕を床に叩きつけた瞬間。

彼を支えていた床が、崩れ落ちた。

下の階へ真っ逆さまに落ちていく男。


「……!?」


レイは身体を起こして、身構える。


「脚を凍らされた時は正直終わったと思ったぜ……」


男は空中で一回転すると、凍り付いた脚を階下の床へ、全体重を乗せて打ち付けた。


「“淘鉄トウテツ”ッ!!」


鈍く低い音が、校舎に反響する。

氷が砕け散り、床に火花が散った。


レイはすぐさま階下へ降りようとしたが、軽く飛び降りるにはあまりにも高低差がある。


「(こんな長く話していたんだから、服なんかも凍ってるはず……上手く動けるわけない。)」


凍って体の自由が効かない状態でここから落ちてしまえば無傷では済まないと判断し、レイは様子を伺った。


「“戻れ”ッ」


男はそう一声発すると、すぐさま立ち上がる。距離を取るべく、脱兎のごとく走り出した。

どこも怪我などしておらず、服も凍り付いているようには見えない。今の一瞬で完全に全てを取り戻し、万全なコンディションで踏み込んだのである。


「待っ……何!?」


予想外に予想外、そこへ予想外が重なって、レイは完全に今必要な思考を止めてしまった。


「えっ!?ちょっと待って!」


上の階から、穴を覗き込む。


「待たねえ〜よ!ダボがッ!」


今からよろよろ降りて走ったとして、50メートルで6秒を切るほどの韋駄天いだてんに追いつける訳もなく、レイは雪原の中で立ち尽くした。


「逃げられた、初めて……。」


穴の縁を見下ろす。


「……溶けてる。こんなに分厚い床を、底が抜けるまで時間をかけて溶かしたんだ……。」


緑色の瞳が、雪の中で煌めいている。


「最初に……わざわざ諦めたみたいに座り込んだのは、僕を油断させるため……」


銀色の髪が、風に煽られる。


「そして、逃げるのに必要な靴を溶かさずに……手のひらを使って床を溶かすため……。」


ロングブーツの尖ったつま先を鳴らして、細い指を唇に押し当てた。


「……服も最初から水分を吸わないような材質にしてたんだろう。だから凍らなかった……。」


踵を返して穴から離れ、自分の積もらせた雪を眺める。


「アイスランスを弾いたも、材質を変えて硬くしていたんだ……なんてこった。」


そして、高く高く笑った。


「全部 本当マジじゃん、すごい。」


横に叩き付ける吹雪が、更に強まった。


「コバヤシレンくん……覚えたよ。

ああ、面白っ。頭良っ!」


口に手を当てて、ニンマリと笑うレイ。

自分が最強だと思っていた彼にとって、現状でこんなに面白いことは貴重だった。


「次会ったら、本気でこおらそう。」


風に吹かれて舞い踊る雪が、レイを攫うように覆い隠した。


視界は真っ白。

何者も見分けられない吹雪の中で、唄うような哄笑こうしょうだけがこだましていた。

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