第4話 蓮の花
男は、彼の事を愛していると豪語す女の存在を知った時、全く器用なものであると思った。
「冗談は
笑うてそう答えたが、どうやっても訳の分からない感情に顔が歪み、どうしようもなかった。嘘を吐き俺を騙せると考える相手に苛立ちつつ、
その日、男は女に負けたのだ。
「助けて!」
男は手元に触る長く艶やかな女の髪をしっかりと握り締め、地面を引き摺り廻している。なんて事はない、この場の人間は全員殺そうと思ったが、こいつだけ生きていたのでどう殺すか迷っているだけだ。
どうせ死ぬのだ、運が悪かったと思えば良い。
女の腰から下は爆ぜたように失せ、厚い唇からは抑えて笑うように吐息が漏れている。
「お願い!助けてください」
男はかなり早くに目覚めたものらしい。男が身体を起こした時には何の物音もせず、皆が地面に倒れるように眠りこけていた。男の持う異能力がまあ
そのまま辺りに転がっていた生徒は見るなり全員殺したが、ひどく手応えの無いものだった。
人を殺すとはこの程度のものかと。
「ねえ、助けてよ!」
男は出会う人間を全て殺すと、目覚めた時から決めていた。
明らかな実力差があるか、利用価値があればこの限りでも無いが……自分を脅かす者は殺す。自分を脅かさずとも殺ス。
生き残りを賭けたバトル・ロワイアルなどとはよく言ったものである。
こんなものは、古来より語り継がれる呪法……
蠱毒は、大量の蟲を密閉した容器へ閉じ込める。
蟲は己が生き残るために他の蟲を食い、殺し合う。繰り返し、最後まで生き残った蟲に、殺した蟲全ての呪力が宿ると信じられた。
蠱毒を用いた呪いは大層なものだったようだが。
これはソレを人でやっているだけのこと。
たかが模倣。趣味の悪い、ただの模倣だ。
異能の力など手に入れた時点で我々は人間では無いのだ。そもそもの話、呪物が外に出て良い筈が無かろう。駆除だ、駆除。
息を吸い込んで、早鐘を打つ心臓を慰める。閉じた目を拭うと、笑いながら跳ね回る彼の女が目蓋のシアターに映った。
「助けて…」
気付いた時には腕を振り抜き、手元の女の頭部を壁に叩きつけていた。壁に花弁が舞うように血液が吹き付け、女は甲高く鳴いて死んだ。
男は自分が何に
どうせ殺すつもりだったのだから、構わん。
あの女。
ただでは死なんだろうが、今どうしているのだろうか。目覚める前に殺されたらどうしようも無かろうて。
自分の額へ、皺が寄っているのがわかる。
男は彼の女のことを気にしてやる理由も義理も無いのだから、男がこうして欠片でも在れを思い出すのは、男にとってして非常に不愉快なことであった。
あんな女、とっとと野垂れ死ねば良いのだ。
突き当たりを右に曲がるだけの通路から男子生徒が飛び出して、男の顔面を狙って殴り付ける。
男は表情ひとつ変えずに首を逆の方向に傾けて避け、その勢いのまま生徒の拳を、己が肩と首で挟んで拘束した。
呆気にとられる生徒の腹へ靴裏を添わせ、膝を曲げずに本気の蹴りを食らわせる。
拳を拘束されているので吹っ飛んで衝撃を殺すことも出来ない。生徒の靴が床から浮き、血反吐をぶちまけた。
男は生徒に足払いをかけて地面へ引き倒す。馬乗りになりつつ、生徒の腕の関節を靴の裏で押さえ付けた。
「テメェの異能力はなんだ?」
男子生徒は吐瀉物を口の端からこぼし、ぼんやりと目を見開いて硬直している。
男は分厚いジャケットの上からでもわかるほど僧帽筋を隆起させて振りかぶり、垂直に叩き下ろした。躊躇いのない、全体重の乗った恐ろしい重量の拳に、男子生徒の鼻がひしゃげて血が噴き出す。
男は全く同じ声色で問うた。
「テメェの異能力はなんだ?」
「だっ……はっ……しるのが、早く、」
焦燥と痛みで呂律の回らない生徒の返答を聞き、男は掠れた声で笑う。普段吊り上げている眉を、憐れむようにへなりと下げて。
それだけ見れば、ただの気の良さそうな男子生徒だった。
「なんだそりゃア、役立つのか?」
男は笑いながら、生徒の返答を待たずに拳を振り下ろした。悲鳴を上げて逃れようとする生徒に容赦なく拳が振り下ろされる。
三発目で鼻が無くなり、六発目で歯が飛び、十二発目で生徒は事切れた。
男は念には念をと言わんばかりに、生徒の頭蓋を踏み割った。少しひらべったくなった生徒の頭から、靴をどける。
たった今人を殺したのにも関わらず、ひとつ溜息を吐くと、男はいつも通りに身体から少し力を抜いた状態に戻る。
そんなことよりも。
男は先程から、妙な肌寒さを感じていた。
北国出身の彼は体格も良く、寒さにはめっぽう強い自信があったが、それにしても冷える。
「……」
瞬間、男子生徒の走ってきた廊下から、強烈な冷気。壁に霜が張り、凍り付いていく。吹雪のような冷たい風が吹き荒び、凍った壁には風の向きに削られた剣山のような氷柱が生え揃った。風はいつしか本物の吹雪となり、細い廊下の壁に跳ね返る事によって強烈な旋風と化していた。
男のジャケットにも水滴が散り、床も軋むような音を立てて凍り付いていく。
成程、彼はこれから逃げていたのか。
とんでもない異能の力。天変を起こす程の。
「オイ、出て来いよ。寒さじゃ俺は死なねえぞ。」
廊下の角から、笑い声が聞こえてくる。
突如、視界の一面が白く染まったかと思えば、長身の男が浮かび上がるように歩み、近付いてきた。
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