騒がしい人たち

 昼下がりの冒険者ギルドはいつものごとく閑散としていて、実に居心地がいい。


 書物コーデクスを読みながら思索にふけりつつ、喉が渇けば果実水を、小腹が空けば軽食を頼む。ロビー備え付けの椅子はなかなかいいものを使っているため、長時間座っていても疲れない。これでいて仕事をしている気分になれるのだから、まったく至れり尽くせりである。


「ねえレリック」


 などと考えていたら、向かいのフローが話しかけてきた。


「ん?」

「この盤面どう思う?」


 これもいつものごとくひとり軍棋チェスに勤しんでいる彼女は、妙に難しい顔で眉をしかめている。


「どうって?」


 一瞥すれば戦局は終盤、なかなかに拮抗している。どちらにも隙があり、どちらにも勝機があった。


「私はこれから五の五に竜騎兵ドラグーンを置こうと思うのね」

「うん」

「でもそしたら、私はその竜騎兵ドラグーン突撃兵トルーパー弓兵アーチャーのどっちかで迎撃するしかないの」

「うん」

「レリックはどっちがいいと思う?」


「逆に聞きたいんだけど、僕はどっちの味方をすればいいと思う?」

「それは私の味方に決まってるよ」

「いやどっちのフロー?」


「レリックが、かわいいかわいいフローちゃんとすてきなすてきなフローちゃんのどっちが好きかによるよ」

「だからどっちがどっちのフローちゃんなんだよ」

「そこはわかって。女心でしょ!」

「難しいことを言うなあ」


 とりあえず突撃兵トルーパーで蹴散らせば十二手ののちにかわいいかわいいフローちゃん(仮)が詰む。逆に弓兵アーチャーで射落とせば十五手ののちにすてきなすてきなフローちゃん(仮)の詰みだ。いや、どっちがかわいい方でどっちがすてきな方かは知らないけれど。


「よし、ここはどちらでもない。七の五に斥候スカウトだ」

「そうするとどうなるの?」

竜騎兵ドラグーンの動きが牽制されるから、戦況が再び膠着こうちゃくする。ざっと、あと百二十手は王手チェックがかからない」

「な……っ」


 フローは愕然とした表情を浮かべた。


「どっちのフローちゃんにも味方せずに結論の先延ばし……誤魔化して浮気を続けるというの。この女をもてあそぶ悪魔め……!」

「フローちゃんたちは僕を取り合うどろどろの愛憎劇を永遠に続けるといいよ」

「いつからそんなひどい男になったの!」

「いつだって僕はすべてのフローちゃんの味方だよ」

「八方美人の浮気男め!」


 と——寸劇を繰り広げているふたりへ、


「おっ、レリックとフローもいるじゃん! 丁度よかった!」


 横から声がかけられた。


 誰何すいかの必要もなくわかった。ふたりの担当受付嬢——ネネだ。


「元気ー? 相変わらずだらけてる感じ?」

「そっちこそ今日は非番だったろ」


 私服姿の彼女——いつもの着崩した制服姿と変わらず、胸を強調した際どい衣装だった——は、レリックのわきに置かれた果実水入りのコップを手に取ると、勝手にごくごく飲み始める。どころか、飲み干した。


「かーっ、うめえ!」

「そりゃあ人の金で飲む果実水は美味かろうさ」

「まあまあよきよき」

「いいかどうかを判断するのは僕の方だと思うんだけどなあ」

「こんにちは、レリックさん、フローさん」


 見ればネネの横には幼い少女が立っている。二カ月前に『指輪』の捜索を依頼してきた娘、エステスだった。


「やっほーエステス。元気でやってる?」

「はい! 今日はねねーさんと一緒にご飯を食べに行く予定だったんです」


 椅子から立って彼女の前にしゃがみ込み、頭を撫でるフロー。目を細めながらエステスは笑う。


「本当にねねーさんって呼ばせてるのか」

「今月いっぱいはねー。来月はねねっちょんかねねんさまでいこうと思うんだけど、レリックはどう思う?」

「殴りたいって思う」

「あらまあ野蛮! みなさんー、暴力男がここにいますよー」

「で、なんの用事でギルドまで来たんだ?」

「あーうん、そうそうそれよ」


 ネネは肩を竦めると、苦笑混じりに説明を始める。


「ナンパされて困ってたのを行きがかりの娘たちが助けてくれて、そしたらなんか三人ともすごい人たちだったから、このままさよならはさすがにやばやばやんと思ったのでギルドに連れてきた。でもうちとエスみゃんはご飯を食べに行ったりお買い物をしたりと予定満載なのでこの後のお付き合いはできません。あとはマスターに任せます。以上!」


「なるほど経緯はわかった。けどすごい人たちってなんだよ……」

「いや、すごいのよ。うちも最初気付かなくて、落ち着いて考えてみたらあれれー? って」


 ギルドに連れてきた——ということは冒険者なのだろうか。だったらどこにいるのだろう。ロビーの入り口で別れたとしたら、受付か。


 そんなことを考えながら視線を巡らせる。

 目当てと思われる人物たちがこちらへとやってきた。


「お待たせネネさん。マスターすぐに来てくれるって。案内までしてくれて助かったよ」

「うむ、感謝する。私も教会に行く前に噂に聞くヘヴンデリートの冒険者ギルドを見ておきたかった。手練てだれはいないようだが、時間が悪かったかな?」


 少女のふたり組だ。


 最初に喋った短髪の猫人族アイランは、十代半ばの歳若い外見でありながら、体幹がしっかりしていて立ち姿が美しい。


 もう片方は騎士風の軽鎧けいよろいに身を包んでいて、佇まいが凛としておりこちらも隙がない。


 つまりふたりとも、かなり——レリックは一瞥でそう判断した。


「あれ、ソフィアちゃんはどしたの?」


 ふたりを認めたネネが彼女たちに首を傾げる。

 どうやらあとひとりいるようだ。


「いや、受付カウンターで手続きしてる時は普通だったんだけど、こっち行こうとしたらなんか急に様子が変わって……あんなになっちゃった」


 猫人族アイランの娘が、くい、と親指で背後を指す。

 テーブルに隠れてまるまった人影がそこにあった。古風なとんがり帽子の先端がはみ出ている。こっちを窺う気配はするが、どうもおどおどした調子である。


「ネネ、あんたを助けてくれたっていうのはこちらのお三方?」

「そそ」


 これで全部なのか、という意図を込めつつの問いに、ネネは頷いた。


「紹介するね。ラタ・ティちゃん、それからルルリラさま。あっちにいるのが、ソフィアちゃん」

「レリックだ。こっちはフロー。うちの担当が世話になった。ありがとう」


 ネネと出会った経緯は理解したが、結局、彼女たちがどう『すごい』のかはよくわからないままである。ともあれ礼儀は大事だし、身内が助けてもらったのならお礼を言わなければならない。


 立ち上がり、頭を下げる。

 が——そんなレリックに、何故かふたりは胡乱うろんなものを見る目を向けてくる。


 その理由は、猫人族アイランの少女——ラタ・ティが発した言葉で明らかとなった。


「ねえ、お兄さん。さっき聞こえてきたんだけど……?」

「……はい?」


「ボク、耳がいいから聞こえちゃったんだよね。そっちの妖精族エルフのお姉さんが浮気男とかなんとか言ってるの。ネネさんの知り合いっていうから信用したいけど、そういうのはちょっと許せないかな」


「それなら私も聞こえたぞ。暴力男とかなんとか。貴殿、よもや浮気だけではなく暴力まで振るう輩ではないだろうな?」


 続いて騎士の少女——ルルリラまでもがそんなことを言ってくる。


「いや待ってくれ、そういうのじゃない」


 レリックは苦笑混じりに首を振った。

 濡れ衣にもほどがある。なんでそんな限定的な単語だけを拾うのか。耳がいいというなら会話まで全部聞いていて欲しい。


「……よく考えたら全部聞いていても理解できるような会話をしていなかった」


 かわいいかわいいフローとすてきなすてきなフローどちらの味方をするかで揉めていた、など、説明してもなお理解し難い気がする。


「なにを訳のわからんことを。冒険者というのはみなこうなのか?」

「違うと思うよルルリラ。男ってのがみんなこうなんだよ」


 鼻白はなじろむルルリラに、呆れ顔のラタ・ティ。


「主語の大きい決めつけはよくないと思うんだけど……」

「じゃあどういうことなのさ。浮気と暴力って」

「どっちもしてないから安心してくれ」

「疑いのかかった者が自ら潔白を嘯くほど虚しいことはないぞ」

「おいフローとネネ、説明を頼む!」


 げんなりしつつ身内に助けを求めるが、


「じゃあご飯を食べた後は服を買いに?」

「そそ。『花霞はながすみの夜』の子供服とかエスにゃんに似合いそうじゃない?」

「確かにあそこのはよき。ひらひらしていて可愛らしい」

「よねー! なんならフローも合流する?」

「楽しそうだけど、私にはあんまり似合わない気がするよ」

「そっかなー? 着てみなきゃわかんなくない? 雰囲気変わるかも。フローっていつも落ち着いた感じだし、もっとこう、思い切ってばーんとやってみてもよきって思うなー。ね、エスぴょん?」

「はい! フローさんは綺麗なのでなにを着ても似合うと思います!」


「おっとこっちの話をまるで聞いていないぞ」

 救援はいっさい期待できなかった。


「ボクらも個人のことだからあんまり立ち入りたくはないけどさ。クズみたいなナンパ野郎どもに出くわしたばっかだし、気分はよくないんだよね」

「いや、浮気は当人同士の問題かもしれんが、暴力となると話は別だ」


「だから違うんだ。こういうの初めてだから対応が難しいな……」

「じゃーみんな、うちらご飯行くからまたねー。後からもっかい寄るから、フローは服屋さん行くかどうかその時までに決めといて」

「おい待てよ! せめて軽口を訂正してから行け!」


 こっちの苦労を無視してさっさと去ろうとするネネを慌てて引き留めつつ、レリックは盛大に嘆息するのだった。

 

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