第7話 上層:英傑たちの系譜

あんたたちのためじゃない

 その日は非番だった。


 冒険者ギルドの職員にして、特級冒険者『空亡そらなき』組の専属担当を務める受付嬢——ネネは、彼女の育った孤児院へ赴いた。


 親代わりだった院長ママとお茶を飲み、孤児院で働く幼馴染たちをおちょくり、子供たちを片っ端から構い倒した。女の子の淡い恋の悩みへは意外に的確な助言を与え、悪戯好きの男の子に胸を揉まれては投げ飛ばして説教をし、お前の扇情的な服装と体型が悪いんだと職員に叱られ、理不尽さにぎゃあぎゃあと騒いでいたら院長になにをしに来たんだと呆れられ、そうしてようやく本来の目的——二カ月ほど前に孤児院へ入ったばかりの少女、エステスを買い物へと連れ出した。


 初めて出会った時、彼女はまだ院で暮らしてはいなかった。

 父親を喪い、形見の指輪を探して欲しいとやってきたのを、担当の冒険者であるレリックとフローが助けたのだ。その際に面倒を見ておけと頼まれ、境遇を聞けば先のことを不安がっているではないか。

 どうしてネネが呼ばれたのかを理解し、孤児院のことを話して聞かせ、それで仲良くなった。


 指輪の諸々が解決し、実際に彼女が孤児院で暮らすようになってから二カ月——今日は少しばかり、彼女に贅沢をさせてやるつもりだった。


 孤児院の経営状況は順調かつ健全で、他の都市から漏れ聞こえてくるような、子供たちが飢えることも薄汚れた衣服を着のままにしていることもない。ただそれでもさすがに好き勝手にお金を使うことはできないし、集団生活ならではの不便や不自由も存在する。『みんなと一緒』が多い中ではどうしても『あなただけのため』が少なくなってしまうのだ。


 ネネをはじめとした孤児院出身者はそのことをよく理解していて、長じたのち、こうして持ち回りで子供たちをひとりひとり、特別扱いする。ネネも子供の頃は同じようにしてもらった。


「エスにゃんはどこか行きたいところとか、ある?」


 手を繋いで中央区の繁華街へ向かいながら、ネネはエステスへ語りかけた。


「食べたいものでもいいし、欲しいものでもいいぜえ? うちは高級取りだからどんと来てもばんと受け止めてあげちゃう」

「その、ママさんからは遠慮をするなって言われてるけど、本当に……?」


 エステスは、おずおずとした上目遣いでネネに問う。


 初めて会った時は達観というか諦観というか、子供のままでいてはいけないという悲愴な覚悟に支配されていた彼女だが、孤児院の暮らしで少しずつ歳相応の感覚を取り戻してきた。


 でも、まだまだ足りない。

 たったの九歳なのだ。大人に気を遣うには早すぎる。


「本、当、だっ!」


 言いながら小さな身体を背後から抱きかかえ、くるりと回って地面に降ろす。


「むしろ遠慮しちゃダメなやつー。これ、院の子たちみーんながやる、年に一回のお楽しみなんよ? うちはね、今日はエスっちのためだけになんでもしちゃいます! もしエスっちょに欲しいものとかやりたいことが見付からないなら、うちが一緒に探すから。これはそういうやつなの。だから、うちにエスぴょんの欲しいもの、したいこと、全部教えてね」

「……うん、わかった」


 頭をくしゃくしゃ撫でながら言うと、エステスはようやく——はにかんだものではあるが——屈託ない笑みを見せた。


「あのね、ねねーさん。私『ひなげしの夢』でご飯を食べたい。あの料理店レストラント、その……前に何回か行ったことがあって」

「いいよいいよ! じゃあまずはそこにしよっか。好きなもの頼むのがよきよ」


『ひなげしの夢』は、庶民がほんの少し奮発するくらいな価格帯のレストラントだ。きっと誕生日かなにかの時、今は亡き父親に連れて行ってもらった思い出があるのだろう。


 院長ママに許された予算上限——さすがに際限なく甘やかすと他の子と極端な差が生じてしまうし、他の支援者にも影響がある——は、『ひなげしの夢』で昼食を摂ってもまだ余裕がある。なのでまずはご飯とともに次の予定をたてるか、と、店に向かって歩きだしたその時。


「なあお姉さん、暇そうだね。俺らと遊ばない?」


 進路を妨害するように、男が立ち塞がってきた。


「は?」


 ネネは眉をひそめる。

 顰めていると——そいつに続いて更にひとり、ふたり。


「おい、子連れじゃねーか。そんなんに声かけてどうすんだ?」

「子連れったって娘ってふうじゃない。肌の色も違うし。おおかた子守中だろ」

「いや待てよ、この女なら俺は子連れでもいいぞ」


 合計三人——最初に声をかけてきたのが優男、子連れだと咎めたのは体格のいい強面こわもて、子連れでもいいとネネの身体を舐めるように見てくるのは軽薄そうなにやけ顔。

 揃って冒険者風の出で立ちをした集団である。


「ねえ、僕らと遊びにいかない? 食事をご馳走するよ。そこのお嬢ちゃんと一緒でもいいからさ」


 優男がなれなれしく距離を詰めて話しかけてくる。ネネは心の中でこいつのことを『そのいち』と呼ぶことにした。


「おいおい、ガキの面倒は誰が見るんだよ」

 この強面は『その』にしよう。


「そりゃあお前だよ。でもお前のツラじゃ怖くて泣かれちゃうかもな」

 でもって、こっちのちゃらついたのが『その三』だ。


 それにしても——と。

 ネネは呆れ、溜息とともに吐き捨てた。


「くっだらない。三流どころか四流だわ」


 そのいちも、そのも、その三も。

 揃って顔に怒りが浮かぶ。

 愚弄されたことに気付いたのだ。


「……あ?」


 凄んだ声を意に介さず、驚いて固まっているエステスをぎゅっと小脇に抱き、ネネは薄ら笑いを浮かべた。


「あんたらさー。ヘヴンデリートに来てどのくらいになるの? 等級は? ま、うちが顔を知らないってことはたいしたこっちゃないんだろうけど。にしたって、こういうのはやっぱ一定数いんだよねえ。やだやだよ、ほんっと。礼儀マナー講習とかした方がいいのかなー? でもマナーってより常識とかの問題な気もするし、むずむずのむずちゃんになっちゃうねこれは」


「……随分とふざけた口、利いてくれるじゃないか」


 そのいちが、優男の化けの皮をあっさり剥がす。


「いい身体してたから、頭弱そうなツラでも声をかけてやったってのに」

「大人しくついてきてりゃお互い楽しく遊べてそれで終わりだったとこをよ」

「でけえ乳ぶら下げて男を誘うような格好してるくせに、男に媚びることは知らないのか?」


 そのいち——もう面倒だ、まとめて三匹。

 口々に、昨今は田舎の中年でも言わないような罵倒を投げてくる。


 だからネネは優しくエステスを撫で、柔らかな口調で彼女へ言った。


「ねーエスにゃん。これから先、エスみょんがおっきくなってキレーになったら、こういうことがあるかもしれないね。だからいい機会だし、今のうちに教えとくね」


「え……」


 男三人に凄まれているのを意に介さないネネを、エステスは驚きで見上げる。

 その視線に破顔で返し、


「まずはね、勘違いしてるやつにこう言うの。『うちの胸が大きいのもかっこいい服着てるのも、あんたたちのためじゃない』って」


 男たちには一転、冷たく鋭いひと睨みを送る。


「それから……ヘヴンデリートは治安がいい方だけど、それでもやっぱり時々こういうことがあるんよね。でも、それでもやっぱり治安がいいから、こういうことが起きた時には勇気を出して叫ぶの」


 そして息を吸い、可能な限りの声量で、


 ——誰か助けてください! こいつら、強引ナンパクソ野郎です!


 ……と。

 そんな叫びが喉の奥から大通りに響く寸前。


「う……ぁ」

 いかつい男——そのが突然、ぐるんと白目を剥いてその場にくずおれる。


 背後から現れたのは短髪の少女。頭部から猫に似た耳が生えており、お尻には長い尻尾が揺れている。猫人族アイランである。

 年齢は十五、六といったところか。健康的な手足は細身ながら鍛えられており、手刀を構えていることから、おそらくはそのを当身で気絶させたのだろう。

 

「ばびゃん!」

 次いで、短い奇声とともにぶっ倒れたのは軽薄な男——その三だった。


 ぴんと背筋を伸ばして直立したまま、棒切れのように硬直しての卒倒だった。察するに電撃によるものか。

 そしてその三のかたわらには、猫人族アイランの娘とはまた別の少女が立っていた。


 長位ローブを身に纏いとんがり帽子を頭に乗せた、今時はあまり見ない古式ゆかしき魔道士の風情スタイル。背丈や目鼻立ちからは十二、三に見えるが、妙にとろんとした、どこか危うげな美貌はそれに似合わない色香があった。


「ひっ……」

 最後に悲鳴をあげたのは優男、つまりそのいち


 こちらは首筋に細剣レイピアを当てられ縮み上がっている。刀身を辿れば背後に立つのは騎士風の出で立ちをした、これもまた美しい少女。

 他のふたりと同年代のようだが、しゃんとした気配に鋭さと柔らかさが同居しており、どこか神聖なものすら感じさせる。


「おねーさん、怪我はない? まったく、街に着いた途端にこれだ。ヘヴンデリートって王都に比べてだいぶ平和って聞いてたんだけど大丈夫なの? ボク、心配になってきたよ」

 猫人族アイランの少女が両手を腰に充てて唇を尖らせ、


「私はここで生まれ育った身だけど、こんなのたまにしか見ないですよ。……ところで、あなたたちはどなた? 私ひとりでもこの程度、充分だったと思うんですが」

 魔女風の少女が刺々しい気配とは裏腹に艶やかな笑みを浮かべ、


「そうは思ったのだがな、貴殿らでは殺してしまいかねんと思い、咄嗟に手を出した次第だ。……ちなみに私も街に着いたばかりだ。護衛を巻いて散策していたら、さても下賤げせんなものに出会ってしまったものよ」

 騎士風の少女がやれやれとばかりに秀麗な眉目を歪ませる。


「ええと」


 それら——叫ぶ前に現れた助け——しかも別々に三人も——おまけに明らかに年下の少女たち——を、茫然と眺めながらネネは問うた。


「とりあえず、きみたち、三人ともお知り合いではない?」

「うん、違う」

「ええ、知らない方々です」

「うむ、初対面だな」


「ええと……まあとりあえず三人とも、助けてくれてありがとう。よろしければお名前を教えてもらえる?」


 娘らは応える。


「ボクはラタ・ティ=ビスケス」

「ソフィア=スフィアシーカーと申します」

「ルルリラ=ウラシアという」



 ※※※



 その時のネネは思考がだいぶ止まっていたため、彼女たちの名乗りに対し、なにひとつ気付くことができなかった。個人名ファーストネームはともかくとして、三人の姓はこの国に生きる者なら誰しも知っているほどのもので、特に冒険者ギルドの受付嬢たるネネは、一聴して勘付いてもおかしくなかったというのに。


 ヘヴンデリート最新の伝説、かの『第七天アラボト』に所属していた『医聖』——アイシャ=


 同じく『第七天アラボト』の『大魔導』——アンデンサス=


 そして喪った手足すら復元させるという治癒の天才にして国家の重鎮たる『聖者』——ノウン=


『医聖』『大魔導』それぞれの孫に、『聖者』の娘。

 彼女たちの出会いはとても奇妙で、だからこそ運命的だった。

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