あなたについていく
ヘヴンデリート中央区の目抜き通りは、今日も賑わっていた。
三日前の騒動などもはや誰も覚えてはいない。セラの『
街の被害そのものも少なかった。
破損したのはせいぜいが石畳くらいで、これは騒動が終わった直後に国によって修繕がなされた。飛び散ったソラウミニスの死体も同様に、速やかに片付けられ——かくてすべては元通り、世は
もちろん水面下ではそうもいかない。
セラは捕らえた容疑者たちを引き連れてすぐに離宮へ戻ることとなった。国の内部に『
確保していた三日間がまるまる潰れてしまったことに、セラはたいそうがっかりしていた。「落ち着いたら必ず必ず必ず泊まりに行きますからね!」と別れ際に言っていた。三回も繰り返していたからにはさすがに来るだろう。その時が楽しみである。他の女性陣も呼ぼう。となると、さすがにレリックには外泊してもらうべきか。
そんなことを考えながら——フローは包み焼きを齧っていた。
広場の
「……あいつ最期、どんな気持ちだったのかな?」
隣に腰掛けてきた気配へ、正面を向いたまま尋ねる。
「尊敬する人の役に立てて嬉しかったのかな。裏切られて悲しかったのかな。それとも、自分の扱いに絶望したのかな」
その気配は、笑って応える。
「さあ、どうかな? 私には他人の気持ちなんてわからないからねえ。それはフローもよく知ってるでしょ?」
「……そうだね」
「というか、
「嫌だよ」
今度は向こうが問うてきたので、短く返す。
「それはどうして?」
「答えを知りたい訳じゃないから」
「それなのにどうして、疑問を抱いてるの?」
「考えることが大事だから」
「ふうん。よくわかんないわあ」
フローはそこでようやく、隣に座った人物へと視線を向けた。
その人——トラーシュ=セレンディバイトは、にこにこと邪気も敵意もない笑みで、
「あんまり驚かないのね。『
「そんなことしなくても、気配と声でわかるよ。娘だから」
「へえ」
「お母さんはわかんないだろうね」
「そうねえ。あなたのこともたまたま見付けたのよ。珍しくひとりだったから、声をかけてみようかなって。レリックは?」
「教えない」
幼馴染の少年は調べ物があるとのことで、朝からギルドの禁書庫に籠もっていた。なのでフローはひとりでぶらりと、なんとなく街の様子を見に来たのだった。
——それがまさか、彼女と顔を合わせることになろうとは。
「私としては、お母さんが平気な顔で
「久しぶりにヘヴンデリートに戻ってきたから、満喫してるの。他人になりすますのも面倒だし。もちろん追い回されるのも面倒だから、その時は逃げるけど」
「……レリックがいたら、逃げてた?」
「どうかしらねえ。その時の私でないとわからないわ」
フローは彼女の横顔をじっくりと見る。
目鼻立ちは自分に似ているのかもしれないが、雰囲気はまったく違う。それは歩んできた道程と価値観が天と地ほどに異なっているからだ。
血は繋がっていても他人なのだなと改めて思う。
「フロー、なんだか顔が傾いてない? 斜視の癖なんてあったっけ?」
「五年前、お母さんに壊されてからだよ。片目の視力がおかしくなっちゃった」
「ふうん、そっか」
まったく興味なさげに、トラーシュは生返事をする。
こういう人なのだ。わかっている。わかってはいたが——思わずぎゅっと、
けれどこの
「ところでさ」
そんなことを考えていたフローに。
トラーシュは続けて、言った。
「あなた、私と一緒に来ない?」
心臓が大きく跳ねる。
呼吸が止まったような錯覚がする。
心の中になんだかよくわからない、温かいんだか冷たいんだか、悲しいんだか嬉しいんだか、両極端の感情がごちゃ混ぜになったような思いが広がって、満ちて、溢れて、裂けて——けれどそんなもの、表情には微塵も出さず。
フローは答える。
「行かないよ」
驚いたように目を見開いたのは母の方だった。
トラーシュが重ねて問うてくる。
「それはどうして?」
「レリックが行かないから」
「レリックと一緒がいいの? 一緒だったら来る?」
「行かない」
「どうして?」
「レリックは絶対に、お母さんと一緒には行かないから」
「他人のことなのに言い切れるの?」
「うん」
よくわからない、という顔。
首を傾げて眉を
だけど、違う。
「じゃあ、もしレリックがあなたを裏切ったらどうする? あなたを置いて、私と行くって言ったら?」
「そんなこと言わない。だから無意味な仮定だよ」
「うーん……わかんないなあ。どうして?」
「それは私とレリックの気持ちに対して? それとも、私たちがお母さんと行かない理由に対して?」
違うのだ——自分と母は。
「後者かなあ」
「お母さんはそっちの方が気になるんだね。私がもしお母さんの立場だったら、前者の方が気になるよ」
「そうなの?」
「……私とレリックはね、なんだかんだいって、お母さんが好きだよ」
フローは笑う。
母に似た美貌で、けれどそれを蓬髪と眇で覆い隠して。
「五年前まで……私とレリックは、お母さんの隣にいたつもりだった。お母さんと一緒にいたつもりだった。でも、違った。私たちが傍にいても、お母さんはひとりだった」
トラーシュは黙って聞いている。
故に、告げる。
「お母さんに付いていくと……お母さんはひとりになっちゃう。だって、お母さんの隣には誰も立てないから。ただ背中を追うだけの人には、隣に立つことができないから」
彼女の瞳を見て——、
「私たち……隣に立てないんなら、正面に立とうって思った」
正面から見据えて、告げる。
「私たちは、お母さんをひとりにしない。したくない。だからお母さんの敵になる。お母さんと一緒に行くんじゃなくて、後を追いかけるんじゃなくて……追いついて、ぶん殴って、蹴落として、追い越してやるの」
ふたりの間に、しばらくの沈黙が流れた。
フローは目を逸らさない。トラーシュも真っ直ぐにこちらを見ていた。
感情は窺えない。周囲の雑踏が目に入らなくなる。喧騒が聞こえなくなる。
母娘はそれでも、お互いに向き合い続ける。
それは数秒だったのか、或いは数分だったのか、もしくは永遠だったのか。
沈黙を破ったのは母の方で——トラーシュは静かに、しかし厳かに言った。
「私の作った『
それはあの、
問うよりも早く、彼女は続ける。
「あれを壊したのは褒めてあげるけど、私の敵になるには足りない。私の歩むべき道には、まだ石ころひとつとして転がっていない。……とはいえ、子供の夢を応援するのは母親の役目よね?」
トラーシュ=セレンディバイトは。
笑って、娘の頭に手を遣り、不器用にわしゃわしゃと撫でた。
「だから、待っているわ。いつかあなたたちが私を殺しに来るのを。楽しみにしているから、頑張ってね、フロー」
フローは目を細め、撫でられるに任せた後、頷いた。
「うん。その時まで、お母さんも元気でね」
※※※
トラーシュがベンチから腰を上げ、背を向けて歩きだす。
フローはそれを見送りながら、空を見上げる。
蒼穹に雲はなく、太陽が眩しかった。
再び視線を雑踏に戻した時にはもう、母の姿はどこにもない。
―――――――――――――――
これで第6話は終わりとなります!
応援ボタンを押してくださっている方、いつも感謝しております。★やコメント、フォローも同様に励みとなっております。
また新しくレビューを書いてくださった方々、ありがとうございます!
レビューを書いてくださるとアクセス数ががばっと伸びるので、いつも手を合わせて拝んでおります。
次回以降の更新ですが、12月は諸事情ありまして(詳しくは作者の近況ノートをご覧ください)、投稿ペースが少し変わります。ずっとではなくいずれ元に戻るとは思いますが、しばらくはご容赦ください。
今後とも『レリック/アンダーグラウンド』をよろしくお願い致します!
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