踊る骨の挽歌

 ぎちぎちと関節をきしませる骨人形は、気配もなければ視線も虚ろで、次の瞬間になにをしてくるかわからない。外観は二足歩行の獣めいてはいるものの、おそらくは生物とはかけ離れた動きをするのだろう。


 いったいなんの目的で、トラーシュはこんなものを作ったのか。


 ヘヴンデリート、或いは迷宮の破壊を目論んでいるとは思えない。彼女は破壊や殺人に興味などない。もちろん研究の過程にあるなら躊躇ためらわないがそれだけである。ただの障害、或いは手段なのだ。


 或いは、レリックたちと戦わせるためなのだろうか。

 レリックもフローもトラーシュからは敵とも思われていないが、だからこそ——なにかの試金石として、戦闘させてみようと考えたのかもしれない。


 わからない。

 彼女の思惑など、いくら想像しても足りず、いくら推測しても見えてこない。

 ただ少なくとも、あの骨人形は破壊に適した形をした機械であり、このままただ動かなくなることなどあり得ない。


 思考を巡らせながら観察する。


 こいつをまるごと『収納』することは不可能そうだ。

 素材である『皓詛こうそ』はつまるところ圧縮された玄詛げんそであり、これ自体の情報量は少ない。だが人形の稼働には制御装置が要り、それが『収納』を弾く。

 そして制御装置がどこにあるのか、幾つあるのかは、少なくとも外見からはわからない。


『時間切れ』はいつ来るのだろう。

 皓詛こうそ皓詛こうそである限り、なにもせずとも徐々に目減りしていく。故に、放置していればいずれは密度を減らし、やがて消滅する。

 そういう意味でこいつは、使い捨ての兵器ではあるのだ。


 だが、ソラウミニスの体内に内包されていた玄詛げんそがこの街を覆い尽くすほどの量だったとするなら、時間切れを待つのは愚策だ。それだけの量の玄詛げんそを人ひとりほどの大きさの皓詛こうそへ圧縮する——目減りする速度も凄まじいだろうが、消滅までどれだけかかるか見当も付かない。


 レリックは静かに、大きく息を吸い込んだ。

 試されている——そう感じた。


 トラーシュ=セレンディバイトに対抗できるのか、その力があるのか。立ち向かう資格があるのか。


 彼女が四十年前に作成した『指輪』には勝った。

 三十年前に作成した『首飾り』には負けた。

 今回はそこからいきなり飛んで、。トラーシュの作成した呪具じゅぐとしては最新に近い代物だ。


「フロー!」


 背後に控える幼馴染の名を叫ぶ。


「りょ」

「言い方」

「むー……りょーかい」


 短い要請に返ってくるのは短い返答。むしろその後の遣り取りの方が言葉数ことばかずは多い。


 だが、これがふたりの培ってきたものだ。


「乾くなら涙を飲め/飢えるなら手足を喰え」


 フローが詠唱を始めた。

 レリックが期待していた通りの魔術だった。


 両目をほの赤く染め、地上に彷徨う魂たちから自然魔力マナを集める。その規模は迷宮にいる時よりも遥かに少ないが、これから発動するものは階位もそれほど高くなく、魔力消費量も多くはない。


 質より量、そういう類のものだ。


「レリック、大丈夫なのですか?」


 不安げに問うてくるセラへ、背中だけで笑う。


「ああ、問題ない。セラはそこの五人の捕縛を頼む。フローの傍にいてくれ。そうすれば巻き込まれることはないから」

「はい!」


 骨人形を睨み据える。

 襲いかかってくる気配は未だない。いや、そもそも動作に起こり気配が伴うのかもわからない。

 ならば先手を打つ。


「滴り落ちた嘆きが地に染みて/土を真っ赤に燃やす/草木そうぼくは絶叫の後に/いつか役割を知るだろう」


 フローの詠唱を背に、周囲に展開していた呪いの塊たちを『収納』する。手許に残すのは制御剣——『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』のみ。


 ソラウミニスは死に、伏兵もすべて拘束している今、こちらの玄詛げんそは不要となった。である骨人形を前にはむしろ邪魔となる。


 ただし制御剣は別だ。

 何故ならこれは——この虚数域に存在を固定した実体のない影は、呪詛を吸い寄せる。

 玄詛げんそであろうと、皓詛こうそであろうと。


 腰を落とし制御剣を構え、レリックは駆け出した。


「……らぁ!」


 骨人形に自ら仕掛ける。捻れた白い脊柱を、間合いを一歩だけ外した位置から横薙ぎに。相手は


 かたかちかちかた——髑髏しゃれこうべが歯を鳴らす。獣と人間の中間みたいな形状をした骨格が、生物にはあり得ない動きと速度で、けれど狗尾草えのころぐさに反応する猫のように、制御剣へ飛びかかる。


「ぐ、っ……!」


 想像以上の衝撃だった。思わず取り落としそうになるのを身体強化呪術を発動して堪える。代償は抑え込んだ。のちに呪いとなるだろうが問題にもならない。


 骨人形ごと制御剣を振り回し、地面に叩き付ける。骨人形は剣をがっちりと抱き締めたまま離れない。離れないまま、爪の数本がレリックにも襲いかかってくる。動体視力を強化していても追いきれない速度。だが問題ない。追いきれなくても、身体が反応しきれなくても——そして、末端部分のみに集中すれば、ことは可能だ。


 爪は空振りに終わる。というよりも、レリックの頭部を裂こうとしていた部位のみがまるで抉られたかのように消失する。


「あとに残るは荒野に蒼天/誰もいなくなったのならば/虚無がおごそかに満たされて/ようやく恵みがやってくる!」


 その時、魔術の準備が——フローの詠唱が終わった。


「レリック、出すよ……『雨乞連歌アクアIV』!」


 同時、上空から落ちてくる滝のような豪雨。

 生成した水を局所的に降り注がせるというそれは、水流系汎用魔術第四階位——旅人が身体を洗ったり植物を生育させる際によく使用される、そういった類のもの。


 水そのものに攻撃力はない。ただ上から降ってくるだけだ。

 だが、玄詛げんその塊である骨人形こいつに対してはどうか。


 プラスに触れれば触れただけ相殺され消えていくマイナスの塊にとっては——どうか。


 局所的な驟雨しゅううの中で、骨人形はかたかたと歯を打ち鳴らしながら濡れそぼる。しきりに身体をばたつかせるのは雨を嫌がっているせいなのか、喰らう対象として求めているからなのか。


 そしてそれと同時に、身体はあくまで制御剣を抱いて離さない。


 暴れ回りつつもしがみ付いてくる——そんな矛盾した挙動を始めた骨人形を地面に押さえつけ、肋骨の隙間に制御剣を突き立てる。四肢と爪がレリックの身体を掠めるが、末端は『収納』されて目減りしていく。そうしている間にも豪雨は骨人形に降り注ぎ、全身を少しずつ溶かしていく。


 それは降りしきる雨の中、捻れた脊柱せきちゅうに縫い止められた鈍色にびいろの骨格。

 骨を押さえ込んで踏みしだくのは、びしょ濡れの少年——。

 

「……お前は、なんだ?」


 制御剣の柄に体重をかけながら、ばたつく爪に衣服が裂けるのにも構わず、レリックはつぶやいた。


「餌を求める獣のようでいて、刺激に反応する虫のようでいて、だけどそこに生命はない。お前のそれは、習性でも本能でもない、ただのだ。制御剣虚ろな影に引き寄せられ、豪雨プラスに反応して暴れているだけだ」


 力でねじ伏せるなどという慣れない行為に全身が軋む。呪術で強化していても気を抜くと弾きばされそうだ。それでも歯咬みして、必死に相手を押さえ込みながら、浮かぶ表情は苛立ちだった。


「なるほど、呪具としては面白いんだろうさ。固体化した玄詛げんそをまるで生物のように組み上げて動作させる……とんでもない所業だ。僕らにはとても真似できそうにない。……でも、それでも。


 雨は勢いを止めない。

 フローが『尸童よりまし』で集めた魔力は降雨量と持続時間に注ぎ込んでいる。彼女が術を解除しない限り、何時間だろうと水を浴びせ続けることができるだろう。地面に落ちて余った水もその端からレリックが『収納』し、上から浴びせ直している。


「ソラウミニスのことは嫌いだった。話しているだけで腹が立った。小人物のくせに自意識は大きくて、なのに昼行灯を気取って。器の小ささを隠すために軽薄な人物を装う……なんて矛盾だ。好きになれるところなんてどこひとつとしてなかった。でも、それでも。あいつはだった。だから、


 骨人形の体積は今や、当初の半分以下になっていた。

 半分以下の背丈、半分以下の手足、半分以下の抵抗——それでもこいつの行動は変わらない。

 身の危険も察せず、消滅の時間が迫っているのも知らず、ただ雨を浴びて暴れ、己を縫い止める制御剣に縋るだけ。


「トラーシュ……義母かあさん、どこかで見てるのか? それとももう興味を失っているのか? どっちでもいい。聞こえなくても、届かなくてもいい。それでも僕はあんたに言うぞ」


 レリックは叫ぶ。

 豪雨の中、頬を濡らすものを拭いもせず。

 滲む視界にも構わずに——叫んだ。

 

「あんたのやっていることは、つまらない! 人を好きになれず、人に興味を抱けず、だけど人の生み出した呪いには執着して! だから他人のことを、呪いを生み出す機能としてしか捉えられない……」


 溶けていく骨の表面、肋骨の一本に異物が埋まっている。

 白く丸い、真珠のようなそれは、おそらく制御装置。

 周囲をえぐり取って摘出し足元に蹴り転がすと、骨人形の力があからさまに緩んだ。

 

 ——ああ。


「……あんたは、かわいそうだ!!」


 言葉は、ほとんど咆哮のようだった。


 それでも頭は冷徹れいてつさを失わず、骨人形を観察し——右肘と左膝に肋骨に埋まっていたのと同じものが露出しているのを確認。おそらくはそれぞれもう片方の肘と膝にも。


 把握さえできていれば、部位単位での『収納』は容易い。


 故に、

 頸椎を、背骨を、上腕骨を。

 とう骨と尺骨、鎖骨、骨、骨——局所的に抉られるように骨人形は欠けていき、やがて動きを止めていく。いや、動かすべき部位がなくなっていく。


 そうして、やがて。

 後に残るのはもはや残骸となった皓詛こうその欠片と、五つの真珠めいた物体。それから唯一、人骨のままでいた、ソラウミニスの髑髏どくろだけだった。

 

雨乞連歌アクアIV』が停止する。

 雨が止み、水溜りの中に制御装置と頭蓋骨が転がる。


 杖代わりに身体を支えていた制御剣を脇に転がしながら、レリックはその場に腰を落とす。

 荒い呼吸で弾む背中へ、濡れるのにも構わずフローがしがみ付いてきた。

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