鈍色の骨が嘯く

「よほどのことがなければ、もう捕縛されたも同然です」

「……っ」


 そう言い放ったセラと、焦燥混じりの苦笑を浮かべるソラウミニス。

 広場から人は消え、しばらくの間は誰も立ち入ってくることもない。


 ではあとはレリックがこいつを『収納』して終わりかというと——さすがにそうはいかないだろう。ソラウミニスは愚かではあるが莫迦ばかではない。無策で近付いてきたとは思えない。


 直感していた。なにかある、と。


「引き続き封じておいてくれ」

「はい」


 セラに拘束の継続を任せつつ、レリックは慎重に歩を進める。


「っ……ほんとに動けねえな。なんだそこのお嬢さんは? こんなのありかよ」

「ありだよ。なにせ、序列二位だ」


 セラの宿業ギフト天意言霊てんいげんれい』——強制的な命令に逆らうことは困難だ。

 もちろん欠点もある。対象の生存本能に強く干渉しすぎると解けてしまう、というもので、要するに操った相手を自殺させることなどはできない。そしてこれは、相手が一定以上に命の危機を感じても作用する。


 だがこの欠点から推察できることもあった。

 ソラウミニスは今のところ行動を束縛されている——つまり、


 十メートラの射程圏内に入る。

 ソラウミニスの表情は変わらない。焦慮しょうりょしている様子ではあるが、心の底からかどうかは定かでない。


『収納』を発動させる。

 まずは右腕——失敗。

 それから全身——失敗。


「トラーシュに対策してもらったか」

「なんだ、吐いてうずくまるって話だったから楽しみにしてたのによ」


 にたあ、と嫌らしい笑みを浮かべるソラウミニス。


「いつの話をしてるんだ? 若者の成長は早いんだよ、おっさんと違って」

「おーおー、言ってくれるねえ」


 一週間前レリックは、トラーシュの前で間抜けを晒した。『収納』の許容量超えによる吐き気と頭痛——予期しなかった苦悶は大きな隙であり、もし相手にそのつもりあらば確実に突かれるものだ。


 ならば二度と見せてはいけない。


 あれから訓練をしたのだ。症状を抑えることはできなかったが、覚悟をしていれば顔にも態度にも出さずにおけるようになった。


 それにしても——右腕だけではなく、本体、つまり身体までもとは。


「大丈夫か? あんた、ちゃんと?」

「くく、心配してもらわなくてもいいぜ。種明かしはできないけどなあ」


 人間の情報量が多い要因は大きくふたつある。

 まずは思考、感情といった脳の機能。

 そして『生きている』という状態そのものだ。


 複雑なものが絶え間なく変化し続けているが故に、記録すべき事項は増え、それに伴って情報量も増していく。トラーシュやソラウミニスの『収納』対策もおそらくはこの方向性だろう。


 思い付く手段としては、体内に先史遺物アーティファクトを埋め込むというものだ。だが、ただ埋め込んだだけでは単なる異物である。身体の情報量そのものが増えたりはしない。

 情報量を増やすには、先史遺物アーティファクトが肉体に機能するような処置を施す必要がある。


 つまりは、人体の先史遺物アーティファクト化。


 狂人であるトラーシュならばともかく、ソラウミニスがこれを受け入れられるのかは疑問だった。


「で、賢い坊ちゃんとしてはどうするかい? おじさんは動けなくて困ってる。でも『収納』で捕獲することはできない。だったら? 殺すか?」

「殺したら玄詛げんそが溢れる……だろ?」

「さすが、よく覚えてるじゃないの」


 ひと月前、下層で戦った際に聞かされた脅しだった。

 ソラウミニスを殺せば大量の玄詛げんそが放出され、迷宮どころかヘヴンデリートを覆い尽くす——真偽はわからない。信憑性も薄い。だが虚偽だと断じることができない以上、やるべきではなかった。


「まどろっこしいな」


 レリックは溜息をひとつきながら、ソラウミニスを睨み据えた。


「いいからその『右腕』でなにができるかを見せてみろ」

「おいおい、せっかちだねえ」

「フロー!」


 挑発に応えるのすら面倒になったので、背後に叫ぶ。

 フローは頷きひとつとともに詠唱を始めた。


真砂まさごに怯え/よく眠れ、子らよ/地の塩は溶けて/娼婦は泣き崩れる/やがて堕胎をずして/さいの彼岸に鬼が出る」


尸童よりまし』による魔力集積を経ない、ごく普通に使う汎用魔術だ。だが反応を見るだけであればそれで充分。


「……『水渦鋸アクアIII』」


 水流系魔術第三階位——圧縮された円形の水流が高速回転しながら、刃となってソラウミニスへと射出される。

 狙いは足。第三階位の汎用魔術は、両脚を切断するくらいには大きい。


 ——さあ、どうする。


 このまま黙って見ていれば、死なない程度の大怪我を負うことになる。そして命の危険を自覚しなければセラの宿業ギフトが解除されることもない。


「……ふ」


 ソラウミニスはほくそ笑んだ。

 直後。


 彼の右腕が、動く。


 五指が、手首が、肘から下が、それぞれ乱雑に暴れ、次いで皮膚のあちこちが不自然に盛り上がる。まるで中になにかがいるような——そのなにかが、皮膚を突き破って伸長する。


 それは、骨。


 正確には、『右腕』の内部でだ。

 おそらく、外皮や肉は偽物だろう。破られた皮膚から血が噴出していないこと、セラの宿業ギフトを無視して動いたことからも明らかだった。色も白ではなくはがねのような鈍色にびいろである。


 人間の骨とは明らかに異なる本数、形状をしたそれは、かぶせ物の皮と肉を破裂させながら広がり、フローの『水渦鋸アクアIII』を防御する。


 水が弾けるのと刃が弾かれるのの中間みたいな音がして、魔術は攻撃力を失いその場で飛び散った。


「まったくよお、もう少しこう、劇的にばばーん! と見せたかったんだが」

「ふざけろ」


 ソラウミニスの右腕はもはや異形と化していた。


 内部で折り畳まれていた『骨』が展開された結果、外観としては蜘蛛の脚とも獣の四肢ともつかない形状と化している。皮膚の欠片があちこちにまだ残っていて、人造の偽物であるとわかっていても実におぞましい。

 十数本に分かれたそれぞれの先端は刃となっていて、細かく設けられた関節部でおそらくは鞭のようにも可動するのだろう。


 生身との接続部、つまり肘部分はそのままソラウミニスの体内へ埋まっているように見える。いったいどういう仕組みなのか。切り離せば止まるのか、或いは切り離しても勝手に動くのか。


 ソラウミニスは獲物を前にした猿のような、楽しげな表情を浮かべた。


「ま、なんにしても。歳を取るとな、どうしても慎重になるもんだ。特に一度しくじった後だとさ、確実にやれるって保証がない限り、気が小さくなっちまう。おじさんがなにを言いたいのかわかるかい?」

「勝算があるってことだろ」

「違うね……勝算じゃない、確信があるってことだ」


 瞬間、『右腕』の指、つまりは鞭状の刃——が数本、

 つまりはレリックの知覚を超える速度で動いた。


「……っ!」


 目の前に『防護壁』を一枚出しつつ、大きく一歩を飛び退く。


 ほとんど同時に、爪と鉄との衝突音。距離が離れていたため反応できた。もちろん無闇に接近する気は最初からなかく、想定の範囲内ではあったが——、


 想定外の攻撃は、続いてやってきた。


 背後、上空から。

 高速で飛来してくるなにかの気配。


 背筋に冷たいものが走る。反射的に『防護壁』を出すが、果たして間に合うのか。焦燥はレリックにとって珍しいことだった。


 すんでのところで『防護壁』は、飛んできたものを受け止める。だがこれもまた予想外なことに、は分厚い金属の盾を貫通し、裏側に先端を突き抜けさせたところで止まった。


「……なんだと」


 ごく一般的な矢、そのやじりだが——淡い光に包まれている。この光が威力を倍増させ、防護壁を貫いたのか。

 だが問題の本質はそこではない。


「遠距離からの狙撃。つまりは伏兵。そして……」


 レリックはソラウミニスをめ、吐き捨てた。


「……お前、セラのことを最初から知っていたな?」


 ひとりきりでなかったのはまだいい。そもそも脱獄してきたのだ、味方のひとりやふたりはいるだろう。

 だがそいつの攻撃手段が遠距離——つまりはセラの宿業ギフトが届かない場所からの狙撃となると、話はまた変わってくる。

 これはきっと偶然ではない。


「わたくしたちの側……いえ、国に内通者がいた。そういうことですね」


 憂慮の色も濃く、重い息を吐くセラ。


「わたくしの宿業ギフトのことは、王国関係者の一部には知られています。有事には冒険者ギルドに協力していることも。……その中に『玄天こくてん教団』に与する裏切り者がいた、ということですか」


「いやあ、知らなかったぜ? ……宿業ギフトがこうまで拘束力が強く、範囲も広いとはな」


 喜色を隠しもしないソラウミニス。


「実はな、伏兵は合計三人いたんだ。でもうちふたりはダメになっちまった。『天意言霊てんいげんれい』が半径二百メートラにも届くなんて思わねえもん。まさか王女さまが手の内を隠してたとはね」


 伏兵の数が虚偽なのか事実なのかはわからない。

 だが少なくとも、セラが王女であること、そしてその宿業ギフトの名を知っているのは確かだ。


「さて、どうする? お三方。坊ちゃんの『収納』が届かない場所からの遠距離狙撃に、反応できない速度での中距離攻撃だ。おまけにおじさんのことを殺しちゃったらこの街は壊滅するときてる。他にもなにか隠し球があるかもなあ。ちなみにさっきの矢は全力じゃないし、おじさんの『右腕』も全開じゃないよ? あの玄詛げんその塊……俺を捕らえた時に見せた切り札、出す時間を待ってやってもいいぜ」


 口振りから、可能な限りの対策を打っていることが察せられた。

 ことによると、制御剣——『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』にも腹案があるのかもしれない。


「臨むところだ」


 それでもレリックは臆さない。背後のフローも、セラもだ。


 呼吸を整えつつ周囲の状況に感覚を研ぎ澄ませる。同時に頭の中ストレージから制御剣を引きり出す準備をしておく。挑発に乗るようだが、まだソラウミニスに全容を見せた訳ではない以上、封殺される可能性を恐れて勿体ぶるよりはいい。


 身構えながら、猛獣のように笑ってみせた。


「複数の特級を前に……冒険者ギルドを舐めるなよ、奸賊かんぞく。お前たち、ひとり残らずふんじばって婆さんのところに突き出してやるよ」

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