天詩篇

 序列四位『空亡そらなき』——レリックは、特級冒険者の序列において、ある種の『基準』として考えられている。

 それは即ち、戦闘能力に関してのことだ。


 高度に発達した空間把握能力で周囲の状況を感知し、近付くすべてを問答無用で葬り去る『収納』は、強さとして実に単純明快である。

 故に『レリックが敵に回った際、彼を制圧できるか否か』という仮説的命題の答えはそのまま、特級冒険者の序列に現れている。


 五位以下は、できない。

 だが三位以上は、


 そしてその三名のうちのひとりが、『天使片エンジェルソング』——セラだ。



 ※※※



「ところでさあ、街中でばったり会っちゃった訳だけど、どうすんの?」


 ソラウミニスはわかりやすい挑発で、周囲に両手を広げる。

 広場を行き交う人々、つまり無関係の市民たちへこれ見よがしに視線を移ろわせながら。


「この前みたいに、坊ちゃんが距離を詰めて一気にやるかい? でも、さすがにおじさんもそれに対して無策でいるほど間抜けじゃないからね」


 笑いながらもきっちり十メートラを保っている。ただ、対策があるというのもはったりブラフではないだろう。ないならば目が合った時点でさっさと逃げているはずだ。


「その右手、なんだ?」


 レリックは警戒を最大限に上げつつ、ソラウミニスへ問うた。


「得意げにひけらかしているからには、あいつにもらったんだろ。いったいどんな仕掛けがある?」

「それを教えてやってもいいけどよ」


 ソラウミニスは再びにやにやと、広場を見渡して言う。


「——死体がたくさんできちゃうぜ?」


「まあ、そうだろうな。そういう類のものだろう」

 うんざりした顔でレリックは返した。


 優位に立てていると思ったのか、或いは右腕贈り物をもらって気が大きくなっているのか。

 ソラウミニスの語りは調子付き、レリックを挑発し始める。


「なあ坊ちゃん、ちょっと小耳に挟んだんだけど……あんたら、あのお方を追いかけることよりも他人の命を優先したんだって? それってよお、随分と失礼な話じゃないか? 自分の目的より、ずっと探していたものより、己の探究心よりも、昨日今日出会っただけの人間の方が大事だってのか? そりゃあ愚行だ。娘と養子むすこだってのに、あのお方のことをなにひとつとして理解できていない愚行だろ。本当にお前ら、あのお方に育てられたのか?」


 残念ながら本当に育てられた。

 その上でレリックもフローも、まっとうな倫理観と常識のある人間となった。


 だがまさにその事実こそ、トラーシュ=セレンディバイトが桁違いの異常である証なのだ。彼女はまともに子育てをした。『——。


 トラーシュの助手を気取り彼女に近付こうと追いすがるソラウミニスは、本質的なことを理解できていない。


 あれは圧倒的な異端であり、他者の理解など及ばない狂人であり、枷のない好奇心でことを起こす天才なのだ。自分の価値観を共有する同士も志を受け継ぐ分身も、求めないし必要ともしていない。

 故にレリックに言わせればソラウミニスは、虹が掴めると思っている愚か者だ。


 ——もちろん、本人にわざわざ教えてやったりはしないが。


 愚者は続ける。


「で、そんな——母親の偉大さを継げずなぜか真っ当に育っちまった坊ちゃんと姫に質問だ。お前らは、おじさんと罪もない市民たちとじゃ、どっちを優先するんだ? 自分の使命と行きずりの他人と、どっちを優先するんだい?」


 得意げな、さも追い込んでやったぞと言わんばかりの顔で。


「……ソラウミニス。どうして二者択一が前提なんだ?」


 だからレリックはその顔を嘲弄で一蹴し、告げる。


「確かにあの時は、どちらかしか選べなかった。あいつを追いかけるか、ニーナ依頼主たちを助けるか、ふたつにひとつだった。でもそれは、相手がトラーシュだからだ」

「……あ?」

「今は違う。お前はトラーシュじゃない。たとえあいつからもらった呪具じゅぐがあろうとも、お前なんだよ。お前程度を前に、どうして僕らがどちらかを選ばないといけない?」

「っ、おいてめえ、黙って聞いてりゃ……」


 嘲弄されていることを察し、ソラウミニスの血相が変わる。

 身構えるとともに、なにかよくない気配が、彼の右腕から発せられ——、


「まあ、とはいえ。あの時と異なる最大の要因は、実はお前じゃない」


 レリックは梯子を外すように両手を広げ、おどけてみせた。


「は……?」

「気付いてなかったか? もしかして通行人のひとりとでも思っていたか?」


 一歩脇に避ける。レリックたちの背後でずっと長椅子ベンチに座っていたが、品のある仕草で腰を上げた。


「お初にお目にかかります。わたくし、セラと申します。おふたりの友人で、しがない準四級冒険者です」

「冒険者? 準四級?」


 淑やかな一礼。

 明らかに貴族的な立ち居振る舞いにソラウミニスが虚を突かれて口を開ける。


 だが、直後。

 

「早速ですが、あなた。……

「……っ、!?」


 セラのに、

 そして、


「さて。では次に、


 セラは高らかに、まるでうたうように朗々と言う。



 決して大きく響くものではなかった。

 けれど透き通っていて、荘厳そうごん冷厳れいげんな、まさしく王族に相応しい音声おんじょうだった。


 道ゆく人々が立ち止まり、方向を不意に転換する。

 屋台に並んでいた者たちが急に、列を崩して散っていく。

 屋台主たちすらも、店を離れて去っていく。


 レリックたちを除く、全員だ。


 ベンチに腰掛けて寄り添っていた恋人たちも。

 広場ではしゃいでいた家族連れも。

 和気藹々と語り合っていた友人たちも。


 誰も彼もが、、広場から立ち去っていく——。


「な、——っ」


 愕然とするソラウミニス。


「さて。これで懸念は解決ですね。巻き込まれる方々はいなくなり、ついでにあなたも……よほどのことがなければ、もう捕縛されたも同然です」


「な、にを……しやがった?」


 指先一本動かせずにいる彼に、セラは微笑んだ。


「わたくしには、戦う力がありません。ですが……皆さんにお願いごとを聞いてもらうのが、少しだけ得意なのですよ」



 ※※※



 セラトラニカ=ヴィエリ=リ=グレミアム——彼女はグレミアム王国第五王女でありながら、王都から離れたヘヴンデリートで暮らし、冒険者ギルドに籍を置き、時にはともも付けずに街へ出て、毒味もせず屋台の食事に舌鼓を打つ。

 普通の王族であればあり得ざる待遇だ。


 これらが咎められずにいるのは、許されるほどの特権があるからでも、黙認されるほどの地位があるからでもない。


 王都から離れているのは、遠ざけられたからだ。

 冒険者としての活動は、戦力の貸与である。

 供も護衛もつかないのは、死んでも構わないからだ。

 毒味なしに庶民と同じものを食べるのは、王位継承権がないからだ。


 その宿業ギフトは国家権力にとってあまりに危険で、あまりに恐ろしく、あまりに胡乱うろんであるが故、誰も彼もが拒絶し、父親である国王でさえもが忌避きひした。


 本人もまた政争に巻き込まれるのをいとい、王位継承権を返上しヘヴンデリートに蟄居ちっきょすることで己の身を守った。

 第五王女が心優しく国家平安を願う為人ひととなりに生まれ育ったことは、グレミアム王国を滅亡から救った奇跡だとさえ言われている。


 伝承位レジェンド、『天意言霊てんいげんれい』。

 彼女が意志と魔力を乗せて放った言葉は、人を強制的に従わせる。

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