禍は雑踏の中に

「フロー、この包み焼きというのはどういったものですの?」

「小麦粉を溶いて焼いた生地でいろんな具材を巻いたやつ」

「ふむふむ。え、五百レデッツ? なんと……これで五百なのですか……!」

「おっ、貴族のお嬢さんかい? 口に合うかはわからんがおひとつどうだ! 今ならお供の人と三つで千二百にしとくよ」

「買います!」

「あい、毎度あり!」


 屋台の親父にまんまと乗せられて包み焼きを購入するセラに、レリックは苦笑を浮かべる。果実飴、揚げ芋に続きこれで三軒めであった。


「見てくださいレリック、三百レデッツも得をしてしまいました!」


 満面の笑みで包み焼きを差し出してくる。さっきからずっとおごられているのだがいいのだろうか。フローはもはや当たり前のように受け取っている。心中で溜息を吐きつつレリックもそうした。


 広場に据えられた長椅子ベンチに腰掛ける。

 ヘヴンデリート中央区——屋台の立ち並ぶ目抜き通りは、たくさんの人で賑わっている。彼らが歩きながら、或いはレリックたちと同じようにベンチで軽食を摂る光景は、ここではお馴染みのものだ。


 それを愛おしげに眺めながら、セラは包み焼きを上品に齧る。


「なるほど……予想外に奥深い美味です。値段からは考えられません」


 数口を味わってから感心したようにつぶやいた。


「いろんな野菜と肉を時間かけて煮込んでるんだ。あの店はけっこう評判がいい」

「肉は角兎ジャッカロープですか?」

「いや、飛角兎ヴォルパーティンガーだよ」

「まあ、これが! しかし上層上辺に棲む角兎ジャッカロープと違い、飛角兎ヴォルパーティンガーは上層下辺の魔物ではないですか。採算は取れるのですか?」

「一体まるごとの買い取り価格は飛角兎ヴォルパーティンガーの方が高いけど、つのの薬効が占める割合が大きいんだ。肉はむしろ安価で出回ってる。食肉としては角兎ジャッカロープの方が重宝されてるよ」

「ああ、なるほど……言われてみれば確かに筋が少しだけ気になります」

「特に筋の多くて安い部位だと思う。それを煮込み時間で補ってる」

「素晴らしいですわ。工夫と手間で価格を抑え、資源も無駄にしない。やはりこういうところは実際に街へ降りなければ体感できません」


 庶民の味も王女殿下は平気なようだ。おまけに食べながらあれこれと思索を巡らせる辺りは、流石さすがと思わせる。


「それにしても、三軒すべてで貴族のお嬢さんと呼ばれたのはどうしてなのでしょう? 冒険者の風情ふぜいにしていますのに」

「立ち居振る舞いが違う。それに貴族出身の冒険者もいない訳じゃないから。……むしろ王族とばれなくて助かっているくらいだ」


 後半は声をひそめるが、セラは穏やかに首を振った。


「わたくしの顔など誰も知りませんよ。それでもやはり、身に付いた所作だけはどうにもならないのですね」

「まあ、無理に繕おうとしてもぎくしゃくするだけだ。貴族のお嬢さんがお忍びで街歩きってのは、珍しいことでもないから大丈夫だよ」

「王都では見られない光景ですね。素晴らしいわ」


 と、いつの間にか別の屋台へ行っていたフローが、コップを三つ持って戻ってきた。


「セラ、お茶を買ってきたよ」

「まあ、ありがとうございます! お幾らでしたか?」

「いい、ここは私の奢り」

「なんと……よろしいのですか?」

「まかせて」

「嬉しい! こういうの、憧れていたのです!」

「……なんかもう全体的にいろいろ言いたいことがあるぞ」


 お茶などいちカップにつき二百レデッツもしない。対してセラの奢ってくれた果実飴と揚げ芋、包み焼きは三つ合わせてひとり千レデッツ近くになる。なのになぜフローは堂々と胸が張れるのか。育て方を間違ったかもしれないと最近よく思う。


「柑橘の香りがしますね」

「安いお茶っ葉なのを誤魔化すために果汁を混ぜてる」

「このような場所できちんとしたお茶を淹れても採算が取れませんものね。よく考えられています」


 高慢ちきな貴族であれば、不味いだのなんだのと文句を言うところなのかもしれない。だが庶民の工夫を的確に読み取って感心する辺り、やはり為政者いせいしゃとしての器が違うのだろう。


「……わたくしは、この街が好きです」


 お茶を半分ほど飲んだところで、セラはぽつりと口にした。


「王都は窮屈です。貴族たちは平民を見下し、貧富の差は大きく、飢える子たちもいて、だけどそれらをどうしようもない。様々な思惑とままならないしがらみが複雑に絡んで、貧民救済策ひとつとっても満足に進まないのです。へい……お父さまもわかってらして、心を痛めておいでなのに、それでも」

「確かに王都と比べたら、ヘヴンデリートは単純なのかもしれない」

「ここで最も偉いのは冒険者です。ですが彼らは王都の貴族と違い、自分たちの暮らしが市民の皆さんに支えられていることもよくご存じです。迷宮という理不尽な、圧倒的な力に挑んでいるからこそ……ぬるま湯に浸かっていないからこそ、日常を大切にする。そして市民の皆さんもまた、冒険者が最前線で戦っているのを間近でご覧になっていて、だからお互いを尊重しておいでです」

「犯罪がない訳じゃないけれど」

「ええ、もちろん。ですが真の悪事とは、ものなのですよ。悪いことが暴かれないのではなく、皆が悪いことだと理解しているのに、誰もそれを罪と呼ばない。そのようなおぞましいものは、少なくともここにはありません」


 レリックに政治のことはわからない。

 政争の権謀術数と大量の人間たちの利権が渦巻く中、いかに振る舞いいかに立ち回るべきか——そしてどのような闇がそこにあるのかなど、体験したこともないから想像すら難しい。


 だがそれはたぶん、このヘヴンデリートで生まれ育ったせいもあるのだろう。


「『迷宮には人の営みすべてがある』——冒険者ギルドの看板に刻まれているあの言葉は、まさしく真実であるとわたくしは思います。足の下に迷宮が広がっているこの土地では、人は自ずと背筋を伸ばす。地に足をつけ、生と死に向き合い、故に善事も悪事も、きちんと人と人との繋がりの果てにある。……ですが、中にはそれがわからない者がいます。利権を求めて目先の欲に捕らわれ、事態をややこしくさせるような者たちが」

「今回の一件のように、か」

「申し開きもありません。わたくしたちの責任です。……官吏かんりの中には王都から赴任してくる者も多く、彼らはかの地の毒に染まっています。故に、利権、特権意識、既得権益、そういったものをここに持ち込み、結果、今回のような事態を引き起こす。本当は生え抜きの官吏を育成したいのですが、遅々として進みません」


 悔しそうに唇を咬むセラに、レリックは薄く笑んだ。


「すまない、僕が余計なことを言った。……今のあなたは冒険者なんだ、くだらないことを考える必要はない。僕らのやることは単純だよ。悪い奴が逃げた、だから追いかけて捕まえて。それだけさ」


 王女殿下にこんな言葉遣いをするのは未だに慣れないが、だけど一方で、こんなふうに砕けた物言いをすることこそが彼女への尊重であり敬意となるのだと思う。


 レリックの言葉にフローが追従した。

 

「簡単な話。それに、さっさと仕事を終わらせたら、あまった時間は休暇になる。セラと一緒に遊べる」

「なるほど、そのような考え方が……!」

「三日あるから好きなだけ食べ歩ける。もっと安くて不味いお店も案内できるよ。地上に飽きたら迷宮に潜ってもいい」

「ああ、とても素敵です。どうせこちらの不手際なのですから文句は言わせませんわ。思う存分休みたいですね」

「うん、だから……」


 そうして、笑顔をひとつ浮かべ。

 フローはお茶を飲み干すと、ベンチから立ち上がった。


「さっさと片付けなきゃね、あのおじさんを」


 右手に提げられているのは、愛用の振り子ペンデュラム

 死者の魂魄が迷宮ほど多くないため探知範囲も狭く効果も弱いが、それはぐるぐると回転し、広場の奥を指し示している。


 蓬髪の隙間から薮睨みに見据えたその先を歩くは、さもたったいま気付いたのだと言わんばかりの顔を作って大仰に肩を竦める。


「おお、二週間ぶりか? 坊ちゃん、姫。元気だったか? いやあ、おじさんは牢獄暮らしだったけどこれがけっこう快適でさあ、飯も美味かったしぐうたらもできたから、ちょっと太っちまったよ」


「街中を探すつもりが、そっちから出てきてくれるとは。手間が省けた」

「姫と目が合っちまったからなあ。別に隠れるつもりもなかったし、まあ挨拶に行こうかなってね。びくびくしながら暮らすのはごめんだわ」


 フローに続いて立ち上がったレリックへ、そいつ——ソラウミニスは、にやにやと軽佻けいちょうな笑みを浮かべる。


 歩く仕草には品性がなく、昼行灯を気取っていても態度の尊大さが鼻につく。腐って曲がった性格が、上げた顎に現れていた。


 セラと比べるとよくわかる——こういう性根は無意識の部分に滲み出て、どうあっても隠しきれないものなのだ。


 だが、最後に会った時とは決定的に変わっているものがあった。

 それはあまりに違和感がなく、だからこそ不自然で、おそらくはフローの振り子が示していなかったら一度は見逃してしまったかもしれない。


「で、たった二週間会わないうちに、はどうした? 僕らが知らないだけで、あんた、蜥蜴とかげかなにかだったのか?」

「ああ、これ?」


 ソラウミニスは己のを掲げ、ひらひらと掌を回してみせる。

 五年前——別れ際にレリックが切り落とし、以降ずっとそのままだったはずの、右腕を。


 作り物にしては精巧で、まるで本物の腕のようだ。しかし四肢の欠損を治すほどの宿業ギフトが、王都の『聖者』以外にいるとは思えない。


「これまで真摯に生きてきたご褒美に、神さまが生やしてくださったんだよ。いいだろ?」


 韜晦とうかい諧謔かいぎゃく浮薄ふはくで煮詰めたような物言いはどこか自慢げで、同時に言葉の奥には歓喜すらあった。


 それは強大なものにおもねへつらい、その力を我が物だと勘違いしている輩、特有の傲慢ごうまん

 故に、レリックは確信する。


、か。どうやらあんたを牢屋から逃したのは、僕らのよく知ってる奴らしい」

「おお、聞いてるぜ? なんでもおじさんが食っちゃ寝してる間に、突っかかっていって返り討ちにあっちゃったんだって? 悲しいなあ、惨めだなあ」


 ソラウミニスは尊大に嗤った。

 それは五年前——トラーシュの助手を気取っていた頃によく見せていた表情だった。

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